第40話 屍の城で


 俺はひとり魔王城の廊下を歩く。

 ほんの半日前に多くの仲間に守られながら駆け抜けた道だ。


 トンネル状に続く廊下は鋼板を張り継いだ坑道のようで、死屍累々、ところどころに兵士たちの無惨な死体が転がっている。


 槍で胸を貫かれたオーク。背後から袈裟斬りされたゴブリン。頭部を叩き潰されてひっくり返っているリザードマン。トレントは部隊ごと炎系の魔法攻撃を受けて黒焦げにされており、串刺しのトロルの巨体には緊縛魔法で全身を縛られた痕跡があった。骨が散らばっていたのはスケルトン兵の残骸だろう――俺が通りすぎたあとにも、魔国兵と帝国兵の激しい攻防があったことが伺われた。


 魔王城。

 魔族によって築城された機械の城。

 潜入してきたときはその異様さに威圧されたものだったが、世界滅亡を前にしたいまではただその鉄の冷たさだけが身に刺さる。


 玉座の間近くの通路はいっそう戦いの爪あとが大きかった。

 魔族の兵と近衛騎士、白魔導士らが折り重なって倒れているなかで、大型の魔族に寄り掛るようにして動かなくなっている兵士があった。高身長で細身の男。装備している甲冑は傷だらけで返り血で赤黒く染まっている――他ならぬ、神聖帝国近衛騎士団副団長にして第八十八番英雄隊専属護衛部隊のリーダー、チャン・エイト・ウッドソン部隊長だ。

 ウッドソン部隊長は剣を構えた姿勢でこと切れていた。敵兵と刺し違えたまま果てたらしい。俺の身の安全を〝命に代えても〟保障すると言ったウッドソン部隊長らしい最期だった。


「ウッドソン部隊長……」


 ハハルル博士は呪われた世界を救う方法があると説いた。

 しかし如何なる方法を用いたとしても、すでに失われてしまった命を救うことはできない。たとえばアンデッドのように死体を動かすことは可能かもしれないが、生きた状態に元通り復活させることは――まして、世界規模でそれを行うのは、いまの俺たちにできる許容範囲を超えていた。

 

 城のなかにいると、まるでこの魔王城全体が俺たちに残された鉄の棺桶のように思えてくる。冷たく巨大な鉄の棺桶——数人の死に場所には少し大きすぎるが、戦争の犠牲者すべてを弔うにはあまりに小さすぎる。


 俺は自分がどうすべきか分からなくなっていた。

 いや、最初からどうすべきかなど分かっていなかった。

 何よりそんな感傷に浸っていることが、俺がこの戦争をどこか冷めた目で見ている証拠でもあった。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「おうっと、あぶね! すまねえな、ショア!」


 玉座の間の扉を開けたところでミリアドとぶつかりそうになった。


「あ、ああ、こっちこそ悪い……」


 俺はよろけて半開きの扉に手を突く。

 ミリアドは工具箱を二段三段と抱えて立っていた。工具箱からはレンチやコード、いったい何に使うのか光学器械らしきものまでがごちゃごちゃと顔を覗かせていた。大柄なミリアドがそういった金属系の尖った物を抱えているのは、そこにいるだけで近寄りがたい迫力がある。


「ショア、悪いついでにちょっとそこの扉そのまま押さえてといてくれないか。ああ、そうそうそのまま。ああ、悪いな」

「いや、これくらいはなんでも……」


 俺は扉を大きめに開けてミリアドを見送る。

 魔王城、元来作業するための施設ではないのでこういったときは不便だ。


「ショア君、なにウロウロしているんですか」


 入り口付近で所在なくしていた俺は、それをヨーリに指摘されてどきりとした。

 言葉だけ取るととげとげしいが、字面ほどに当たりの強さを感じさせないのがヨーリのヨーリらしさであり、彼女のチャームポイントだった。


「あの、さ、ヨーリ。俺にも何か手伝えることってないかな……?」

「ないことはないですけど……。いえっ、いいからショア君は座っててください!」

「は、はい……」


 なんとなく引け目を感じ、俺はおずおずとしりぞく。

 人見知りだったヨーリがこうして活躍の場を得たことで、男子の俺に対しても物怖じしなくなってきたのは喜ばしいことだ。だが、結果としてそれまで目立たなかったヨーリの優等生的有能さが発揮され(同時に彼女の対人的不器用さも十全に発揮され)、勇者である以外に取り柄のない俺の立場はますます脆弱になっていた。


 そのことにいちいち劣等感をおぼえている俺も俺だ。

 切に自分が嫌になる。


 戦場で俺にできることはなかった。

 そして戦いが終わった後でも、俺には仲間を手伝う役目すら与えられていないようだった。一応の名目があるとはいえ、どこか落ち着かないことに変わりはない。


 戦場と言えば、俺を守り抜き、俺に好意的で居続けてくれたセーミャはいまだ回復魔法の眠りから醒めずにいた。杖に表示されていた三時間のカウントはとっくに終わっているはずだったが、依然として彼女は白い光に包まれたままだ。何か魔術的なトラブルが起きているのではないかと心配になるものの、ここでもやはり俺に手出しできることは残されていなかった。


 俺は何度目かの諦念を感じて玉座——正しくは『天の御坐みざフリズスキャルヴ』だったか――に座り直した。


 早朝の空と荒野が見える。


 壁が崩れたことで皮肉にも眺望のよさだけは魔国で一番になってしまったこの場所で、俺はああ、どうせ毎日の生活を送るならこれくらい見晴らしのいい高台がいいなあなどと呑気なことを考えていた。

 でも、そのときは他に考えることも思いつかなかったし、やることもなかった。

 平和からおよそかけ離れた世界のいただきで、俺はぼんやりと片肘をついた。


 そのときだった――。


 大きな揺れが魔王城を襲った。

 突然の衝撃に危うく俺は玉座から転げ落ちそうになった。

 

「な、なんだなんだ!」


 寸でのところで玉座のへりにしがみついた俺の視界に入ってきたのは、太いチューブ状のむちのようなものが連続で飛び交ってくる光景であった。

 それは無数に蠢く――。


「————触手!?」


 触手だった。

 紫と緑を混ぜ合わせたような毒々しい色の触手が何本も何本も城壁に叩きつけられていた。

 魔王城は触手が当たるたびにみしみしと全体がきしむ音を立てた。ただでさえ崩れかけていた玉座の間は打撃を受けて壁の亀裂がより深くなり、緩んだネジやパイプが揺れに合わせて落下した。


「きゃあっ!」

「……ッ! ヨーリ殿!!」


 悲鳴を上げたヨーリに機械公爵がギュルルンと腕を振り上げ、降りかかる落下物を払いのけた。

 その場景を俺は上から見ていることしかできなかった。

 それは俺が助けに向かえる距離ではなかったというのもあるが、その瞬間、俺の目の前には先んじて畏怖すべき脅威が現れていたのである。


 は幼い少女の姿をしていた。


 過剰にフリルやレースの付いた漆黒のドレスはいわゆるゴスロリ系のファッションで、多重にロールのかけられた銀髪にも同じく黒色のヘッドドレスが冠されている。

 幼い顔貌はつくりの可愛らしさに反して病的なまでに血色が悪く、眼光鋭い瞳の周りはアイメイクなのかそういう肌の色なのか、それとも重度の隈なのか見分けがつかないほどに深く黒ずんでいた。


 そしてその幼い少女が、魔王城を襲った触手の発生源なのであった。


 少女のまとうゴスロリドレスの下からは数え切れない本数の触手がうねうねと生え出し、全方位縦横無尽に動き回っている。生え出した触手は少女の胴体に収まり切る量を遥かに凌駕しており、束となって彼女の上半身を支えるさまはむしろ触手のほうが本体なのではないかと思わせる。


 怪物――そう形容して余りある禍々しさを彼女は放っていた。


 そう、ノゾナッハ渓谷の大会戦においてほぼ一人で帝国軍を蹂躙したあの触手の姫が、圧倒的スケールをもって俺の眼前に屹立していたのである。


「見つけたぞ、最後の勇者よ……」


 朝日を逆光にして彼女は厳かに告げた。


「お、お前は――!!」


 ——なんていったけ?


「ああぁん!?」


 触手の姫が幼女がしちゃいけないドスの利いた顔で俺を睨みつける。


「あ、待って待って。確か魔国軍四天王のひとりで……。ああの、ええと、そう! るる・るうぃる・ら…………ああー、なんだったっけ」

「ルル・ルヰル・ラルリェンロールなのじゃ、愚か者!!」


 また魔族の幼女に愚か者呼ばわりされてしまった。

 幼女の罵倒とは、のひとにはある種のご褒美なのかもしれないが、触手な部分に対してルル・ルヰル・ラルリェンロールの幼女な部分は表面積的には一割にも満たない。その辺どうなのか微妙なところだ。識者の言が俟たれる。


「人間がルル姫様に勝とうなんて五億万年早いのじゃ! きゃらきゃらきゃっ!」


 ラルリェンロールは触手を打って高笑いした。

 ああ、またヘンな笑い方をする奴が登場してしまったようだな……。


 というか、魔国軍の幹部にはおっさんかロリしかいないのか。

 採用基準に明らかな偏りがあるのではないか。

 これは責任者を問い詰める必要がある。

 

 …………あ、その最高責任者は俺が封印しちゃったんだったわ。



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