第30話 魔王、凱旋す



「おい、こいつはただ魔力を召喚するだけの装置じゃあないな」


 零番勇者リーズン・ワン・ハイブリッジが唐突に言い放った。

 俺たちが魔王城玉座の間で魔王封印のための儀式の準備をしているときだった。


「は? 魔力を召喚?」


 何言ってんだおまえ。


「この馬鹿デカいポンプ的な装置のことだよ。見たら分かるだろ」

「いや、分からねえよ」


 いったいなんの話をしているだと反論しようとすると、部屋の隅で捨て置かれるように縛られていたハハルル博士が「ぐぬぬ」とでも言いたげな追い込まれた顔をしていた。


「ううぬ、そこまでバレているのであれば隠していても仕方がない……」


 え?

 いやいや、俺は少しも分かっていないんだけど?

 そういえば、魔王の魔力源について問い詰めたとき、「玉座の間に行けば分かる」とかなんとか言っていたな……。あれのことかな……?


「そうだ。この装置、というかこの玉座の間は異世界から魔力だけを抽出して召喚させる機関なのだ」




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 


「異世界から魔力だけを抽出して召喚……?」


 そんなことが可能なのか……?

 というか、異世界って……。

 この世界と別の世界が実在することからしてまず初耳だよ。


「異世界はある」


 ハハルル博士は断言した。


「ボクたちがいま暮らす世界とは異なる世界の存在は古来より指摘されてきた。具体的な観測がなされたのはずっとあとの時代になってからであるがな」


 具体的な観測されてるのかよ。

 この魔王城もそうだけど、やっぱ魔国の技術力ハンパないな。

 装置そのものを前にしても現実感がぜんぜん追いつかないっすわ。


「というかであるな、異世界から生きた人間を召喚する技術なら中央教会のほうが先駆けているだろう? 教会が開発した召喚陣、高等魔術数学の座標系理論、蓄積された召喚実験報告、歴代聖女が行ったとされる〝奇蹟〟の説話の数々……あれらを応用させたのがこの装置だ」


 ……そうなの?

 また俺の知らない帝国の秘密が出てきたぞ?


「帝国の軍と教会が共同で行っている勇者召喚プロジェクトのことだな。サンプルの多さのわりにろくな成果を挙げていないが……」


 リーズンが厄介事を思い出すように答えた。


「だいたいあんな聖女ひとりの能力に多分に頼ったシステムなんて、すぐに限界が来るのは目に見えている。技術の持ち腐れだな」

「ふむ。帝国の内情に興味はないが、理論は進んでいただけにそれが活かされていないのは敵ながら勿体ないことであるな。ボクなら耐えられん環境だ」

「いや、その前に聖女自体に問題が……」

「……? なんだ、聖女フリフィシアがどうかしたのであるか?」

「あー。いや、なんでもない。こっちの話だ」


 リーズンは言葉を濁した。


 だからさっきからお前たちはなんの話をしているんだってばよ。


「ともかく異世界と一言に言ってもいろいろあるのであるよ。ボクたちのいるこの世界と同じように魔族と人間のいる世界もあれば、人間だけが支配権を握っている世界、魔物だけがいる世界、魔法のない世界、知的生命体のいない世界……それこそ生き物がおらず魔力の吹き溜まりとなっているような世界も確認されている」


 マジっすか。

 魔族のいない世界、魔法のない世界……。

 にわかにはちょっと信じられないな。


 俺にとってそんな世界はフィクションのなかだけの存在だった。


 神聖帝国において、八十八英雄の伝説を模したヒーローの登場する創作物はありふれていたが――とくに近年は世情を反映して勇者を称える類の物語は奨励されていた――同時に、そういったものがまったく出てこない〝ありえない世界〟の物語も数は少ないが一定の需要を得ていた。


 もし魔法がなかったら?

 もし勇者も魔王もいなかったら?

 そんな大胆な設定の世界を描いた小説はしかし、昨今の有事に対し、反教会的で夢見がちな現実逃避と見做され自粛傾向にあった。


 ……魔法も勇者もない世界に生まれていれば、俺の人生もちょっと違ったのかな。

 一瞬、そんなことを夢想した。


「そういった数多ある異世界のなかからとくに魔力量の多い世界を割り出し、まさにポンプのように汲み出すのがこの装置というわけであるな。部屋全体がエネルギー体に特化した召喚陣であるとでも言えばよいか……」


 博士の説明は俺の耳には断片的にしか届いていなかった。

 俺の心はすでに『最後の勇者』としての重責に居場所を乗っ取られ、新たに小難しい理屈を受け入れる余裕はなかった。


「魔族を統率する一族の長とはいえ、魔王様ご自身の持つ魔力の量は限られている。新しい魔力源の確保は全魔族の悲願であった。魔国は数百年に渡り帝国の監視を避けつつ召喚装置の研究と開発を進めてきた。メモリアルスⅢ世陛下の御代に至り、長年の試行錯誤がついに実を結んだというわけであるな」


 ハハルル博士は誇らしげだった。

 っていうか数百年って……。

 魔国側の根気強さもすごいが、それを見逃していた帝国も帝国である。

 どれだけ魔国を見くびっていたのか。


「現在、抽出可能な魔力を存する異世界はおよそ十数が観測されている。この先当分の魔力供給には充分過ぎるほどの数だ。魔王城を介して張り巡らされた地脈は地上の隅々にまで及んでいる。この装置は魔王様の偉大な計画にとって必要不可欠! ここからすべてが始まるのである!」


 興が乗ってきたのか、語り出したハハルル博士は止まらない。

 もはや余計なことまで延々としゃべってしまいそうな勢いである。


「もっともいまのボクたちの世界の技術レベルでは二点間移動どころか、別の世界からこちらの世界へ一方的に何かを召喚することしかできないがな。こちらからあちらへ干渉するとなるとまだ難しい……」


 そう言ってハハルル博士は眉間にしわを寄せた。

 縛られているのであまりいろいろなアクションはできないのだった。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 


「なあ、少し訊いてもいいか」


 そこに至り、黙ってハハルル博士の話を聞いていたミリアドが口を開いた。


「……なんだ」

「この装置が魔力源ってことは、こいつの動きを止めれば魔王がやってる魔族への魔力供給とやらもストップするってことか?」

「…………」

「魔王個人の魔力量は無限じゃないんだろ? 四聖獣を無力化するほど力を消費した後に装置を停止させられたら、さすがの魔王もすぐには回復できないんじゃないか?」

「…………」

「なあ?」

「……もし装置だけを停止させたとしても魔王城のメインコンピュータと魔王様ご本人の能力が残っているのだから根本的な対抗策にはならんぞ。それに、ボクもいる。どこかにトラブルがあったとしても復旧可能なのがこの魔力供給システムだ」


 魔力召喚装置がある限り、魔王は無尽蔵に近い魔力を得ることができる。

 魔王がいる限り、魔国軍は膨大な魔力供給を受けることができる。

 魔王と魔国軍が戦っている限り、魔王城はほぼ守られている。

 魔王城のメインコンピューターがある限り、魔王と魔力召喚装置はバックアップを受け続けることができる。

 まんがいち装置やコンピューターに異常があっても、大賢者ハハルル・ファスファスがすぐに修復させる。

 つまり、これら全体を以て魔力供給システムは成り立っているらしかった。


「それでも一時的にエネルギーの流れを寸断することくらいはできるんだろう?」

「そ、それはであるな……」


 尋問のようなミリアドの口調にハハルル博士はたじろいだ。

 傍から見ると縛られた幼い少女に目つきの悪い不良が絡んでいるようで、絵面的にはたいへんヤバめな感じであった。


「魔王は城に不在、魔王城のメインコンピューターはいま俺たちに押さえられてる。当の統括管理者も帝国の暗殺者の捕虜だ。いくら魔王が強いと言ったって、急に魔力源を堰き止められたら、即座に強大な反撃をすることはできないんじゃないか?」

「……そんなこと、ボクが答えてやるギリはないっ! ないぞっ!」


 その意思を態度で示すように、ハハルル博士はそっぽを向いた。

 いままで自分から散々語っておいてよく言う。

 魔界の大賢者、どうもどこか抜けている。


「そうと決まれば簡単だ。魔王が到着する前にこの巨大機械をぶっ壊しちまえばいいんだな。……よーし、いっちょやってやるか!」


 ミリアドが勇み玉座(?)のある装置のほうへ向いたそのとき、


「おい、壊してどうする」


 と、リーズンが制した。


「おうっ?」

「魔王を倒したあとに行き場を失った膨大な魔力の流れを制御する必要があると言っただろうが。このポンプはその作業に使う。壊されては困る」

「ああ、そうか」


 素直に従うミリアド。

 ここで感情に任せて拳を振り上げたりしないあたり、やはりこの男はヤンキーの性分ではないのだ。


「まったく、思いつきで行動しないでもらいたいな」


 やれやれと肩をすくめるリーズン。


「——いいか、八十八番英雄隊。オレ様に考えがある」


 リーズンが場を仕切り直すように提案した。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「ああ、そこの縄は二重に張ってくれる? そうそう、そんな感じ」


 俺たちはあらためて封印の儀式の準備をしていた。

 広間の中央に布を広げ、その上からチョークで魔法陣を書き、燭台を並べ、周囲に麻縄を張る。聖水で床や壁をそそぎ、神樹の枝を立て、少量の酒と供花、三種類の果実を供物として並べる。


 うん。おおかたこんなもんだろう。

 かなり簡易だし、地元の例祭のようにはいかないが、儀式を行う最低限の条件はクリアしているはずだ。


「ショアのその格好も久しぶりに見るな」


 ミリアドが感慨深そうに俺を見据えた。


「久しぶりと言っても二年ぶりだろ? 去年一回やってないってだけで」

「俺は祭りのたびに毎年見てたからなあ」

「……そんなもんかね?」


 俺はセーミャが用意してくれたシューティングスター家の祭祀服に着替えていた。

 上下ともに白くて裾の長い服だが、教会のローブとは違い、金地の刺繡や帽子となるフードなどは付いていない。

 部分部分の折り目やポイントに乏しく、布でできた真っ白な筒をかぶっているような見た目だった。

 ……正直、あまり好きな格好ではない。


「えっと、ショア君、制服じゃないのも新鮮でいいですね……。軍服以外の服なのも勇者っぽくないというか……って、学校以外のショア君を知らない私が言うのもヘンですけど……。えへへ……」

「勇者様っ、よくお似合いです! ご立派ですっ! けがれなき純白のそのお姿、まさに未来を照らす希望の光そのもののようでございますっ!!」

「なるほど、神聖帝国の地方祭祀の装束であるか……。これはめずらしいやもしれぬな。いや、魔族にとって忌々しいことに変わりはないが……。あ、ちょっとサンプルデータを取らせてもらってもよろしいか」


 何故だろう、女子ズに服装を褒められてるというのに素直に喜べないぞ。

 あ、最後のは別に褒めてないか。


 それはともかく——。


「さて、あとは魔王が玉座の間に入って来さえすれば完成だが……」


 儀式の準備は整った。

 しかし魔王が易々と魔法陣まで誘い込まれてくれるものだろうか?

 もし事前に仕掛けを察知されてここまで来てくれなければ元も子もない。

 俺は聖剣の力を発動させることなく待ちぼうけをくらうことになってしまう。


 ……ヤバい、急に不安になってきた。

 

 が、懸念と焦燥でうつむく俺の肩をリーズンが叩いた。


「心配するな、八十八番目の。魔王にはあらかじめ、帰城次第、まっすぐに玉座の間に来るように情報を流してある」

「おおっ、さっすが!」

「オレ様は暗殺任務に加えて諜報も兼ねているからな、抜かりはない」


 そう言ってリーズンはくっくっくっとナルシストっぽく笑った。

 帝国のアサシン、有能だな。

 笑い方はおかしいけど。



 そのとき、しばらくのあいだ会話に加わらずにじっとしていたグレイスの肩がぴくっと動いた。彼女はいつもの明るく軽快な雰囲気とは違った神妙な顔をしていた。


「!! お兄ちゃんっ、いま索敵妖精さんのレーダーに反応があったよ!」

「来たかッ!」


 一転、緊張が走る。


 閉じられた扉の向こうから何かが玉座の間へと近づいてくる気配がした。

 壁を隔てていても分かる。

 これまでに出遭ってきた魔族や魔物とは比べものにならない、強い〝魔〟の存在が迫ってくるのが肌で感じ取れた。


 来る。

 やって来る。

 やって来てしまう。

 もうすぐそこだ。


 ――いまだ……!!



 バンッと音を立てて扉が開かれた。


「おいっ、いま戻ったぞ! 警備はどうした! この惨状はどうしたことか! 誰ぞ、誰ぞおらぬのか!!」


 勢いよく魔王が飛び込んできた。

 口ひげのある陰鬱そうな男。

 魔都のビル街でスクリーンに映っていたそのままの軍服姿であった。

 魔王は漆黒の外套を翻し、まっすぐに広間の中央へと達した。


「来ちゃダメですっ、魔王様ッッ!!!!」


 ハハルル博士が魔王に向かって叫んだ。

 だが、もう遅い。

 玉座の間に入った時点でセーミャの結界の射程範囲内だ。



 そして魔王が封印陣に足を踏み入れた瞬間、俺の聖剣の力が発動した——。




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