第29話 急激な能力の覚醒はあなたの健康を害する恐れがあります



 魔王の玉座の間は異様だった。


 それじゃあこれまでは異様ではなかったのかと問われれば、魔王城は廊下含め内観も外観も十二分に異様だったのであるが、玉座の間はそれに輪をかけて異様だった。


 まず肝心の玉座がどこにあるかすぐには見当たらなかった。

 さすがにそれは玉座の間として問題があるのではないかと思われたが、従者のひとりもいないその空間で視界の大半を占めていたのは、床から天井まで縦横無尽に張り巡らされた大小のパイプであった。


 金属製のパイプがぐねぐねと部屋全体を覆っている。

 その配管はまったくの不規則なようでもあり、何か一定の模様を描いているようにも見える不思議な伝い方をしていた。パイプのなかからは絶えず何かがゴウゴウと流れる音が響いてくる。


 そしてひと際目を惹くのが正面奥にあるドーム状の装置。

 鋼鉄製のお椀を伏した形状のそれには数十の管や排気弁、タービン、メーターその他がへばり付いていて、どれも目まぐるしく作動し続けている。丸みを帯びた有機的なフォルムからはまるでその装置自体が生きているかのような印象を受け、ただの機械にしてはあまりにグロテスクであった。


 よく見るとドーム状の装置の中央部分、少し窪んだ箇所にひと一人が座れる程度の座席がしつらえてある。この部屋で座ることのできそうな場所というとあそこくらいしか見当たらないが、まさかあれが玉座だと言うのだろうか。



「ここが……魔王城の玉座の間……なのか……?」

「なんつーか、妙な部屋だな……。巨大な魔導機兵の体内にいるような……」

「政治のための部屋というよりも、全体が何かの動力炉みたいですね……。帝国大学の魔導工学研究施設で似たような設備を見た覚えがあります……」


 俺たちは口々に感想を漏らした。

 ただただ目の前に広がる異空間に当惑していた。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 フィクションによくある魔王の玉座の間といえば、部屋の奥のいっとう目立つところに魔王が座っていて、足を組み、肩ひじを突いて、「フフフフ、よく来たな……」とか不敵に笑っているイメージがあるが、そもそも現在は魔王本人が不在なのだ。

 こちらが不在のタイミングを見計らってやって来たのだから当然といえば至極当然なのであるが、勇者としては釈然としない気分は拭えない。


 玉座の間は王の権威や高位を示すための空間であるはずだ。

 いまいるこの部屋からはそういった政治的な意図が少しも感じられない。

 そのあたり魔王はどう考えているのかたいへん気になるところである。


 玉座の間の壁や床は何か光を反射する特殊な素材でできているらしく、これまで見てきた黒ずんだ鉄の壁とは違う、独特のメタリックな光沢を放っていた。

 よく磨けば顔が映りそうである。


 ……ん? 

 光を反射する特殊素材の壁って最近どこかで見たような……。 

 どこだったっけな……。


「この部屋の壁……中央教会で最初の遠隔転移のときに通された広間のものとよく似ていますね……。同じ材質でしょうか……?」


 ヨーリが壁を軽く撫でながら興味深げにポツリとつぶやいた。

 ああ、そうだ。それそれ。

 あのとき中央教会で見た光反射性の壁にそっくりなんだ、ここの壁は。

 すぐに類例を挙げて分析できるあたりさすが優等生である。


「お兄ちゃん、これ……」

「ん? どうした妹よ」


 グレイスは俺たちの足元を指差していた。


「ここの床、タイル一枚一枚に何か刻んであるじゃん?」

「んん。ああ、ホントだ。どれもなんかの意匠っぽいのが刻まれてるな」


 機能重視の部屋かと思ったら細部はずいぶんと凝った造りのようだ。


「なに言ってんのお兄ちゃん、これ刻まれてるのぜんぶ召喚陣だよ!」

「…………!!」


 どこか既視感があるような気はしていた。

 玉座の間いちめんに敷き詰められた光反射性特殊素材のタイル。

 そのすべてに召喚術用の小さな魔法陣が書き込まれていた。

 凝った造りどころの話ではない、偏執的な執念を感じる。

 いったいこの部屋は何を意図した施設なんだ……!?




「勇者様、たいへん恐れながら聖剣発動の準備をお願いしたいのですが……」


 セーミャが遠慮がちに言ってきた。

 上目遣いに頼んでくる仕草はひじょうに愛らしかったが、これを狙ってやっているとしたらおそろしい。


「急かすようで申し訳ございません勇者様。しかし、わたくしたちにはあまり時間が残されていないのです」

「ああ、いや、こっちこそゴメン」


 そうだった。

 玉座の間の奇ッ怪さにすっかり気を取られてしまっていたが、俺は別に魔王城の秘密を解き明かしに来たのではないのだった。


「よしっ、それじゃあぼちぼちやるかあ」


 俺はとくに意味もなく肩を回す。

 心の準備運動である。


「ショア、ほいこれ。ウッドソン部隊長から預かってきた。必要なんだろ?」

「おおミリアド、サンキュー」


 そう言って俺はミリアドから渡された袋の中身を確認する。


「あ、あのショア君。私もこれ、白魔導士のかたからショア君に渡すようにと」

「ああ。ありがとう、ヨーリ」

「これはえっと……。チョークと燭台と……麻縄……?」

「そうそう、これが必要なんだ」


 俺はヨーリが小袋から取り出してくれた道具ひとつひとつを点検した。

 備品は万全のようだ。


「あの、いまさらなんですけど、ショア君の聖剣の能力って何なんですか?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「前に訊いたけど教えてくれなかったんじゃないですか……!」


 そういえばそうだったような気もする。


「あれ、それじゃあヨーリ、俺がこれからどうやって魔王を倒すかってのもよく分かってない?」

「だから、私はそれを訊いてるんですよう」


 ヨーリが口をとがらせた。


「そういやあ、俺っちもショアが聖剣を発動させるところは見たことないぞ」

「そりゃそうだろ。門外不出だからな、こいつは」


 俺は懐に入れていた短剣を取り出す。


「俺の聖剣は〈宝剣アルタルフ〉。正式な儀礼的手順を踏む限りにおいて対象を必ず封印することを可能にする能力を持つ、古今無双の封魔の剣だ」




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 俺が聖剣の神託を受けたのは十二歳のときだ。


 俺の生家、シューティングスター男爵家は地方の土着的な祭祀をつかさどる術師の家系を起源とする。いまも地域の信仰対象の管理・運営が、シューティングスター家が帝国から言い付かっている重要なお役目である。しかしそれは現代ではかなり形骸化しており、それら祭祀を前提とした魔物封じこそが主な仕事となっている。


 親父はワンパンで魔物を滅せられるほどの実力ある封魔師であり、お袋もシューティングスター家『歴代最強』の名をほしいままにする優秀な巫女であった。

 才気にあふれた両親のもと、俺もこのままなんとなく家督を継いで、なんとなく地方でぼちぼちモンスターを狩る人生を送るのかな……と、そんなふうに考えていた。


 ――神託で勇者に選ばれる、あの日までは。


 中央教会から勇者の神託があった旨の通達を受けて、本当なら俺はその場でホーリーハックに送られてもおかしくはなかった。


 でも、そうはならなかった。

 親父が止めたからだ。


 それから三年間、俺は親父からシューティングスター流の封魔術を徹底的に叩き込まれた。親父は俺がひとりで封魔の儀式を執り行えるようになるまで帝都には行かせられないと中央教会を説き伏せた。

 普通は通る話ではなかったのだが、俺の聖剣の性質上、それは許されてしまった。

 俺が封魔の儀式を満足にこなせないと、聖剣そのものが意味を為さないということは中央教会も承知していた。

 ……あのころはまだ、対魔国戦争の戦況もいまほど逼迫してはいなかったしな。


 八十八英雄の聖剣はそれぞれの勇者にとって身近な存在がその依代よりしろとなる。

 該当勇者が使っていてもおかしくないような、なるべく使い慣れたものが聖剣として発現するのだ。

 そのため、勇者によってはとても『剣』とは呼べないような武器や道具が聖剣となってしまうケースもあるらしいが、詳しくは知らない(楽器が『聖剣』として発現してしまい、音楽を奏でて戦う勇者がいるらしいという話は聞いた)。


 能力が発現した時点で、個々の聖剣には中央教会から番号が割り振られる。

 俺の聖剣八十八号はシューティングスター家の宝物庫に保管されていた家宝、特別な儀式のときにのみ持ち出される〈宝剣アルタルフ〉だった。


 宝石の装飾や金細工が施された短剣で、戦闘用ではなく純然たる儀礼用の剣。

 俺も地元の例祭の際にはシューティングスター家のお役目としてアルタルフを使って儀礼に参加していた。

 よもやその儀礼用の剣で魔王を討伐することになろうとは、そのときは微塵も想像していなかったが……。

 



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「で、これがその聖剣なわけだが……」


 ヨーリたちにもよく見えるように、俺は取り出した聖剣アルタルフを適度な高さに掲げた。


 剣はさやに収められている。

 つかと鞘にはともに金銅の金具が付けられ、水晶や瑪瑙めのうなどの宝玉が嵌め込まれている。金具自体にも唐草文の線彫が施され、光にかざすとキラキラと輝く。柄から生えている二枚の緋色の羽根は本物の不死鳥から採取したものだと伝えられているが、本当かどうかは疑わしい。

 剣身は短いながらも宝剣たる存在感を十分に備えているといえた。


「きれいですね……」


 ヨーリがうっとりとした視線で見上げる。


「ホントは年一回の例祭のときにしか出してこない神宝なんだけど」

「……有形文化財じゃないですか、それ」

「そうともいうかな」



 男爵である親父は、貴族らしいことは俺にはあまり教えてくれなかった。

 その代わり俺は、幼少時より魔物封じ用の道具の扱い方や呪文、儀式の祝詞等を学ばされて育った。

 シューティングスター家の跡取りとして、地方の封魔師として、それが当たり前の日常だった。魔女の家の子供が魔術や呪術が生活の一部であるように、俺にとって祭祀と封魔術は食事や睡眠と同等の感覚でそこにあった。

 

 儀式の準備を整え、正しい手順を踏むことで聖剣アルタルフは確実に対象を封印することができる。それは魔王とて例外ではない。


 そしてその『正しい手順』というのは、中央教会式の白魔術ではなく、シューティングスター家にのみ伝わるやり方であった。

 故に、これは俺にしかできないのである。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「勇者様、儀式の前にこちらの専用の装束にお着替えください」


 俺はセーミャが差し出してくれた上下揃いの白い衣服を受け取る。

 コンパクトかつきれいに折りたたまれたそれは、シューティングスター流封魔術に必要な祭祀服だった。


「それと、お着替えの際にはこちらの聖水でお身体をお清めください。水筒に入れて運んできましたのであまり量がございませんが……」

「いや、これだけあればじゅーぶんじゅーぶん」

「お身体の具合のほうは大丈夫でしょうか? 勇者様に不浄となる危害が及ばないよう、細心の注意を払ってきたつもりでしたが……」

「ああ、それは本当に助かったよ」

「念のため、本日は朝から勇者様のおそばで癒しの術をかけさせていただいておりましたが、何か不行き届きはございませんでしたか?」

「うん、それも問題ないと思う。すこぶる調子がいいし。セーミャには心の底から感謝してる。ありがとう」

「!! いえ、そう言っていただけますと、わたくしも帝国の白魔導士として冥利に尽きます!」


 セーミャはいつもの無邪気な笑みを見せた。



 封魔の儀式を十全に執り行うためには、術者が事前に身を清めておく必要がある。

 本来であれば儀式の直前に戦場のような殺生と混乱の渦中に身をくぐらせる行為は避けるべきなのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 そこでこの過剰な護衛である。

 セーミャがほぼ付きっきりで俺の身を守り、つねに女神の加護に預からせていたのもひとえにそのためであった。

 血や殺生等のケガレから術者たる俺をなるべく遠ざけ、体を清浄に保つ。

 それが俺の聖剣が能力を一〇〇%発揮するための条件のひとつでもあった。

 

 そうだ。思えばセーミャは出会ってからずっと、俺の身を死穢しえや暴力に触れさせないことを強調していた。


『勇者様には最終目的地まで万全の状態を維持していただくように固く命じられておりますので』


『ご安心くださいっ、勇者様の前をさえぎるものは何もございません!』


『上位の勇者の方々がつぎつぎ消息を絶っているなかで、大きなケガもなくここまでたどり着いたことがまず偉大な功績なのです!』


『いえ、何もないことこそが勇者様の戦果でもあるのです』


『勇者様の前をさえぎるものはあらかじめ排除させていただいております!』



「あれってそういう意味だったんですか……!?」


 ヨーリが驚きの声を上げた。


「そうだよ? むしろ他にどういう意味があるっていうんだ」

「ええぇ……」

 

 俺の言葉にヨーリは呆れたような腑に落ちたような微妙な表情で返答する。

 

「まあ、たしかに儀式のためとはいえ、セーミャの行動は過保護なとこあったよな。実際ちょっと恥ずかしかったし」

「それもそうでしたけど、そこじゃないですよお!」

「ショアお前、そんなこと言ってよ、可愛いシスターちゃんから勇者様勇者様と持ち上げられてまんざらでもなかったんじゃねえのか?」

「それは、まあ……」


 その通りだが。


「ミリアド君はショア君の聖剣のこと、知ってたんですか!?」

「ああ、まあな」

「そんなあ」

「そうは言っても、直接どうやって魔王を倒すのかとか詳しいことは聞いてなかったけど――ショアとは長い付き合いだしな、そこはまあ、なんとなく」

「なんとなくって……!!」


 ヨーリがめずらしくツッコミに回っていた。

 やはり彼女は言い返すときのほうが生き生きとしている。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 繰り返しになるが、俺自身に特別な力はない。

 上位勇者のような『勇者らしい』活躍はしようとしてもできない。

 剣術も魔術も中途半端な腕前しか持ち合わせてはいないし、一朝一夕の修行で急激にレベルアップできるような成長スキルも与えられていない。そんな一週間ダイエットみたいなことをすれば確実に身体を壊すだろう。

 そもそも俺の聖剣は戦闘向きではないのだ。


 秘められた力はない。

 運命を味方につけるほど女神に祝福されてもいない。

 体力も精神力も他人より劣り、追い詰められてチート能力を覚醒させることもおそらくない。


 俺にあるのは能力スキルではない。

 あるのはただ一族に代々培われた封魔の技術テクノロジーのみである。


 魔物封じの正式な手順を身をもって知っているという点と、魔王封印に必要な聖具である聖剣を使用できる唯一の存在であるという、この二点が重要だった。


 それこそが、俺が勇者である理由だった。





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