第31話 魔王、封印される
魔王が玉座の間の中央に敷かれた封魔の魔法陣へと踏み込んだ。
それに反応して俺の聖剣が白く輝き出す。
魔法陣をなぞるようにして光の筋が駆け巡り、ぼうっと魔王を照らした。
「なっ……!?」
魔王が陣の真ん中で片膝をついた。
「よしっ、かかった! みんな、作戦開始だ!!」
俺たちは打ち合わせの通りにおのおの行動を始める。
まずセーミャが魔王のほうへ杖を向け、直前まで玉座の間を囲っていた結界を魔王ただ一点へと集中させる。
つぎにグレイスが床に手をかざして部屋中の召喚陣にキャンセル魔法をかけ、ヨーリとミリアドが魔力召喚装置を緊急停止させた。
魔王の後続には少数の魔国兵がついてきていたが、開扉と同時にリーズンがひとりずつ確実に討ち取っていった。
「ショア、行けッッ!!!」
召喚装置の停止レバーを引きながらミリアドが叫ぶ。
「分かってる!!」
俺は魔王を前に聖剣を構えた。
姿勢を正し、すうっと息を吐き出す。
「——奏上ッ!」
俺の声が玉座の間に響き渡る。
「天空の神よ国土の神よ、この世に満ち満ちる精霊たちよ!」
祝詞と並行して俺は剣を掲げ、
この一連の動作が肝要なのだ。
「わたくし、十六代目八十八英雄第八十八番、ショア・シューティングスターと申します。平素はわたくしども民草の世に格別の恩恵を賜り厚く御礼申し上げます――」
俺は正面を向いたまま後ずさりする。
「みなさまからお預かりしておりますこの広く平らかな世界、このたび、世を脅かす魔のものを封じることとなりました。つきましては突然のお願いごとでたいへん恐縮ではございますが、みなさまの御力をお借り願えないでしょうか――」
そこで剣を真横に一閃。
「誠に勝手なお願いで申し訳ございませんが、ご迷惑は重々承知でお願い申し上げる次第でございます。どうか世に跋扈する魔を封じ、穢れをお清めください。神々並びに精霊のみなさまに置かれましては、よくよくお聞き届けくださいますよう、何卒何卒お願い申し上げます――」
俺がシューティングスター流の封魔の祝詞を唱え終えると、右手に掲げた聖剣がいっそう強く輝いた。
聖なる力が剣に漲っていくのを感じる。
「おのれ勇者めえええェェェ……!!」
聖剣の光を前にして魔王はまぶしそうに目をすぼめた。
魔王は封印陣に足を取られ、胴から上もセーミャの結界によってほとんど身動きができないようだった。
「覚悟しろ、魔王メモリアルスⅢ世!!!!」
聖剣となった〈宝剣アルタルフ〉の力は〝絶対的な封印〟。
シューティングスター家の血族である俺が正規の儀式の手順を整えたうえで用い、しかもこの大きさの封印陣に捕らわれてしまえば、通常の魔物なら有無を言わさず封じることができるはずだった。
しかしそこは全魔族を統率する魔の王者、一瞬で片が付くというわけにはいかなかった。
「ゔお゙お゙おおおおおオオオオオオォォォォォッッッッ…………!!!!」
魔王が苦しそうに身もだえする。
抵抗するたびに力と力の衝突が起こり、ばちばちと火花が散った。
火花はやがて大きな炎となって魔王の全身を包んだ。
「うぅぅ、くうっ……!!!! あと少しであったのに、こ、ここまでか……!!」
魔王の身体から生じる黒い魔炎と俺の聖剣から照射される白い光がせめぎ合うように交差し、封印陣を軸として激しく渦を描いていた。
その渦のただなかで魔王の姿が残像のように揺らめき立つ。
そのまま終幕を迎えるかに思えたそのとき、
「だが、これで終わらせはせぬッッッ!!!!」
魔王の窪んだ瞳がカッと見開かれた。
「勇者よ、人間の勇者よ。貴様が聖剣で余を滅するというのなら、いいだろう、余もあらんかぎりの力で応じさせてもらうぞ……」
「そ、その状態で何ができるっていうんだ……!」
魔王は下半身のほとんどを封印陣に飲まれていた。
「ふふっ、貴様の言うとおりだ。余はすでに滅びゆく身、だからこそ、全身全霊、残った命すべてを削り尽くしたとしても後顧の憂いはない……」
魔王は不気味な笑みを浮かべていた。
全身からはねっとりとした邪気が立ち昇っていた。
「地脈よ、大地に行きわたり、この世の万物に通ず気の力の脈動よ! いまこそ我が呼び声にこたえよ!!」
魔王が呪文を唱え始める。
ふいにどこからか地鳴りがしたかと思うと、玉座の間のあちこちから黒い火柱が上がった。それまでなされるままだった魔王が途端に活力を得出す。
「……っ! いけませんっっ!!!!」
何かの予兆を察し、セーミャが叫ぶ。
「なっ、なにを、魔王は何をしようとしているんだ!?」
「勇者様っ!! 勇者様はそのまま封印の儀式をお続けください! わたくしが横でお支えいたしますっ」
「……ああ、分かった!!」
「他のみなさんはどうかわたくしの後ろへ! わたくしの出せる全力を使って、でき得る限り最大級の結界を展開いたしますっっ!!!!」
セーミャが必死で全員に呼びかけた。
こんなに慌てる彼女を見るのは初めてのことだった。
ただならぬ事態を悟り、それぞれの持ち場に着いていたヨーリ、ミリアド、グレイス、リーズン(と抱えられたハハルル博士)が一カ所に集まった。
魔王から放たれる凄まじい邪気に俺は聖剣を両手で握り直す。
封印陣のなかにたたずむ魔王はもはやただ黒い影のようになっていた。
「——災いなるかな、災いなるかな、災いなるかな、闇に囁くものよ」
魔王がつぶやくようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
それらはひとことひとことがバラバラに聞こえるくらいの間隔があったが、不思議とひと連なりの意味を為していることが分かった。
「我が名は魔王、メモリアルスⅢ世。いにしえの契約に従い、汝の力を欲する者」
ほとんど消えかかっているというのに魔王の声は低く、はっきりと響いてくる。
「生きとし生けるすべての魂に命ずる――憎悪せよ」
ぞっとした。
心の奥底に氷のかたまりを投げ入れられたような冷たい感覚があった。
それは呪いの言葉だった。
「隣人を疑い、愛を否定せよ。自己の信条を嫌悪し、他者の視線に恐怖せよ。思い出を抱き、過去に生きよ。希望を棄て、未来を欲することなかれ――」
「現在に絶望せよ、再起の時は訪れない。忘却することを忘却し、永遠に続く嘆きのなかに身を委ねよ――」
「苦しみを苦しみに、悲しみを悲しみに、憎しみを憎しみに、怒りを怒りに――」
「これより先の世において、あらゆる負の感情が決して損なわれることのないようにせよ――」
「この身が持てるすべての力を以てここに
詠唱が終わった瞬間、黒い稲妻が玉座の間を貫いた。
魔王を中心として禍々しい闇の奔流がほとばしり、暴力的なまでに重苦しい呪いのエネルギーが唸りを上げて空間を満たした。
その勢いは玉座の間の内部にとどまらず、床から四方の壁面へと亀裂を生じさせ、ついには天井を撃ち抜いて魔王城の外へと溢れ出した。
何も見えなくなるくらいに視界がどす黒く染まり、自分が立っているのか流されているのかも判然としなかった。
「フハハハハッ!!!! 恨めしや勇者よ、妬ましや人の子よ。憎しみ合え人類!! 力の矛先を同族に向け合い、自ら滅びの道を進むがよいわ!!!!! フハハハハハハハ!! フハハハハハハハハハハハハッッッ……ハハ……ハッ……ハ…………」
怨嗟の声を上げながら魔王は消えていった。
魔王の不遜な高笑いが反響のようにいつまでも耳に残っていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
魔王が仕掛けた呪いは強力だった。
世界中の生きているものすべての魂に深く刻み込まれたその呪いは、呪いを受けた対象がみな死ぬまで精神の汚染を受け続けるという術だった。
呪いには魔王の憎悪が込められていた。
すぐさま寿命にかかわることはないようだったが、長く生きれば生きるほど呪われた魂が負の感情に染め上げられていく。
呪いは人間のみならず魔族やその他の種族にまで降り注ぎ、この世のすべての生命を支配していた。奇しくも魔王城のメインコンピューターが魔力供給のために全世界の地脈の状態を把握していたことによって、呪いが世界の隅々へ達していることが明らかになった。
前例のないこの呪いを解く方法は不明だった。
精神に干渉する系統の呪術は過去にも多くあったが、これほどまでに強大で、かつ広範囲に及ぶケースは神話や伝説のなかにさえ見ることができなかった。
呪いの術者は俺たちがいま封印してしまった。
帝国の上級魔術師や神官たちならあるいは何か対処法を持っていたかもしれなかったが、彼らの主要クラスは十年に渡る戦争のあいだに命を落とすか、帝都襲撃の際に魔国軍の手でその力の大半を無力化されていた。
正攻法での解決は不可能と思われた。
封印は成功した。
聖剣の力は正しく発動し、見事に魔王をこの世界から消し去った。
最後の勇者として俺は『魔王暗殺』という大役を果たしてみせた。
儀式の手順に間違いはなかった。
むしろ予想していたよりもうまく行き過ぎたほどだ。
幼少時より教え込まれた封魔術は、俺が自覚している以上に俺の体に浸透していたのだった。こればかりは両親に感謝しなければなるまい。
しかし、結果として世界は救われなかった。
俺たち八十八番英雄隊はセーミャの決死の働きが功を奏し、直接には呪いを受けることなく済んでいた。
――が、世界には地の果てまで呪いの気が充満していた。
この世界にいる限り、呪いの影響からは逃れられないだろう。
遠からずじわじわと憎悪に蝕まれていくことは明白であった。
俺の腕のなかではセーミャがぐったりとしていた。
気を失ってはいたが、どうやら命に別状はないようだ。
汗ばんだ彼女の髪を、俺はそっと撫でる。
魔王の呪いから俺たちを守るために魔力を最後の一滴まで使い切ったのだろう。
いまは息をするのもつらそうで、かなり衰弱しているのが分かった。
出会ってからずっと無邪気な笑顔で俺を導いてくれた少女のそんな姿を見て、俺は絶望的なまでの無力感に襲われていた。
結局俺は何のためにここまでやってきたのだろう。
この戦争を通して俺は何者かになれたのだろうか。
俺の名前はショア・シューティングスター。
神聖帝国の帝都にあるホーリーハック魔導魔術学院男子高等部の生徒であり、中央教会の神託により選ばれた八十八英雄のひとりだ。
学院にいるあいだは〝最弱の勇者〟と嘲笑され、出征のときには〝最後の勇者〟と持ち上げられた。
いまはもう、どちらの称号も煩わしく思えた。
確かに帝国から命じられた任務は遂行した。
魔王を封じたのはこの俺だ。
だけど、それがなんだというのか。
誰も救えなかった。
何も守ることができなかった。
すべては手のひらからこぼれ落ちていく。
勇者らしい活躍はできない。
する必要もないと思っていた。
ひとりの人間にはどうしたってできることとできないことがある。
俺は自分のやれることをやればいい。
そう信じてきた。
できないことはとりあえず棚上げし、面倒事はなるべく他人事に捉えて直視しないようにしてきた。
大勢のひとから守られ、逃げることに徹し、とにかく与えられた役目を果たすことだけを考えてきた。
そうしてたどり着いたのがこの結末だった。
魔王暗殺の命を受けたとき、どうにかして逃げ出したかった。
しかし友人たちに半ば引きずられるかたちで俺は旅立った。
帝都陥落の知らせを聞かされたとき、すべてを諦めたくなった。
それでもギリギリのところで諦めずにいられたのは仲間たちがいたからだろう。
そうだ。
いつだって、守るべきものは俺のすぐ側にあったのだ。
俺は何をやっているのだろう。
俺に何ができたのだろう。
もしも願いが叶うのなら。
そのときは俺はどうなったっていい。
俺以外の彼ら彼女らをどうか幸せにしてほしい。
それだけが、いまの俺に残された唯一の望みだった。
そこで俺の世界は静かに暗がりに包まれる――――。
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