第七章 前世篇Ⅳ

第34話 魔王は倒したが、どうやらエピローグにはまだ早いらしい



 世界は呪われてしまった。


 憎しみ、怒り、悲しみ、疑念、恐怖――。

 あらゆる負の感情が地上を支配していた。 


 魔王は固有の特殊能力である魔力供給の力を逆手に取り、地脈を利用して全世界に呪いを行き渡らせたのだった。


 魔王の呪いは系統で言えば、『精神汚染』。

 それは対象に直接的なダメージを与える類の術ではなかったが、その効果は肉体ではなく対象のに影響する。あくまで精神的な干渉であり、この呪いによって外傷を受けることはない。しかし、生きている限り、うちなる負の感情が累乗的に増幅され、次第に自分でも心のブレーキが制御できなくなっていく――そこに本質的な脅威があった。


 もし世界が平和で安穏としていたら、魔王の呪いはあるいはあまり意味を為さなかったかもしれない。増幅される負の感情の絶対量が少なければ、それだけ呪いの進行も遅くならざるを得ないからだ。だが、現実はその対極にあった。十年間に及ぶ神聖帝国と魔国との戦争を経て、ひとびとの心はすさんでいた。


 大陸各地での魔物の活発化。勃発する種族間抗争。戦況悪化にともなう人心不安。生活物資の不足。教会権力の腐敗。辺境地域における宗教対立。魔族への差別感情の蔓延。帝国秩序の政治的不調和…………。火種はいくらでもあった。呪いの力が猛威を振るうのに下地は充分だった。いまになって思えば、魔王の呪いにかかる以前からすでに世界は滅びの道を歩んでいたのかもしれない。


 兵士たちは際限のない戦場のフラッシュバックに苦しみ、一般市民は身近な隣人が妬ましくてたまらなくなっていた。宗教者は自ら神の教義を唾棄し、権力者は周囲への極端な猜疑さいぎ心に襲われた。それまで温厚だった人物が臆面なく差別的言動を撒き散らすようになり、反対に尊大だった人物が怯弱な態度を隠さなくなった。


 わずかな諍いが暴動に発展し、誰もが感情を抑えること自体を忘れてしまったかに思われた。マイノリティーへの暴力が横行し、親しい者同士が敵対者となった。


 明るい思考や前向きな見方が失われ、わずかな時間で同時多発的に自殺者が急増した。未来や希望といった言葉を思い浮かべることすらも、呪いの力が阻害した。


 かくして魔王の狙い通り、呪いは世界中で最大限の効力を発揮していた。

 ただし、呪いのもっとも近くにいながらそれを逃れた俺たちを除いて――。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「——というのが、現在のこの世界の概況である。よろしいか、愚かな人類ヒューマン諸君」


 魔王城のメインコンピューターから得られた情報を元に、ハハルル博士が状況を総括した。俺たち生き残りの人類——八十八番英雄隊メンバー(+暗殺勇者一名)は、目の前で魔族のちびっ子が語るのを黙って聞いていることしかできなかった。


 時刻は深夜、日付が変わったあたり。

 場所は魔王城のラボ兼コントロールセンターである。


「ここまでの話で何か質問があるか。いまなら特別に受け付けてやるぞ!」


 ハハルル博士はそう言い含め、俺たち六人を順番に見比べた。丈の余った白衣の袖をぶんぶん振り回して彼女はたいそう得意げであった。


「あー。じゃあ、はい」


 気だるげに手を挙げたのは零番勇者リーズン・ワン・ハイブリッジだった。指先には力が入っておらず、両目はとろんとして眠そうである。リーズンは任務が終わってからというもの、別人のように無気力になっていた。


「うむ。何かな? 言ってみたまえ!」と、ノリノリで応じるハハルル博士。


「あのお、おはなし終わったんだったらトイレ行って来てもいいすか、先生」

「~~~~っ!! 勝手に行け!! あと、誰が先生だ……!!」

「あれっ、ポジション的にそんな感じなのかなーと。違うんすか、ちびっ子先生」

「違うわ!! あと、誰がちびっ子だッ!!」

「えぇー。ほら、ちょっと『ムキーッ、先生だぞー!』とか、言ってみてくださいよ、子供っぽくさあ。ねえ、センセーイ」

「だから誰が言うかあぁぁ!!!!」


 コントやめろ。

 とても暗殺者とその元捕虜とは思えないナンセンスな会話が繰り広げられていた。

 だが、数時間前までのネガティブな悪態とは違い、リーズンはハハルル博士をいじることに新たな活路を見いだしているようにさえ見えた。

 


 経緯を説明しよう。



 ハハルル博士はリーズンの拘束を解かれていた。

 魔王封印後、彼女は捕虜扱いから解放されるやいなや、真っ先に自らが責任者を務めるコントロールセンターへと向かった。

 そして緊急停止していた魔力供給装置の調整を手早く完了させると、そのまま流れ作業をこなす勢いでデータ解析に移行し、ずらり並んだモニターを見比べつつ、機械が次々に吐き出す数字をすごいスピードで読み込んでいた。


 魔王城は自軍の魔力管理のために世界中の地脈の状態をリアルタイムでチェックできるシステムを有していた。各地には最新鋭の観測拠点が設置されていた。それらが図らずも、今回は呪いのエネルギーが世界のどこまで及んでいるかを把握するのに役立つかたちとなった。

 ハハルル博士は使えるシステムをフル活用して現状解析に没頭した。

 そこから一時間もしないうちに導き出されたのが、先に述べた状況である。


 〝魔界の大賢者〟ハハルル・ファスファス博士。その肩書きに恥じない、まさに超人的な仕事っぷりであった。魔国最高の頭脳と謳われるだけのことはある。


 ちなみに、もともとラボにいた魔族の研究者たちは、その全員が魔王の呪いに冒され罵倒と苦悶の声を上げるばかりであったため、ハハルル博士の指示のもとで縛られたままラボの隅に転がされていた。彼らは気を失いながらも悪夢にうなされている様子で、どうやら呪いは対象者が覚醒しているかどうかにかかわらず有効であるらしいことが窺い知れた。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「あーー。こほん。さて、諸君。魔王様が封印されてしまった以上、我が魔国軍への魔力供給もオールストップしてしまった」


 ハハルル博士は咳払いをして話をつなげた。

 先程トイレに行くと言っていたリーズンは、けっきょく部屋を出ずにだらりと壁に寄りかかっている。本当にハハルル博士をいじりたかっただけみたいだ。


「全軍の兵の活力は失われ、魔導兵器の多くはもはや使い物にならない。今回の戦争では元来戦闘向きでない魔族やモンスターも魔力強化を受けて戦場へ駆り出されていたが、それも戦力としては無効化されたに等しいだろう……」


 誠に不本意な限りではあるがね――と、ハハルル博士は付言した。

 本人は否定したが、『先生ポジション』というのは頷ける表現だった。

 場の主導権は完全に魔族サイド(と言っても一名しかいないが)に握られていた。


「宰相をはじめとした政府の要職どもはそこのクソ生意気な暗殺者が殺してしまったし、一般の役人や兵卒は呪いの影響でご覧の有様だ。いまの魔王城は実質的に空っぽのすっからかん、まったく、ボクの後ろ盾となる存在は何もなくなってしまったよ」


 淡々と語るハハルル博士の姿は、仲間がいなくなって寂しそうというよりもむしろしがらみから解き放たれて清々しているふうに受け取れた。しばらく何と声をかけたらいいか分からなかったが、ここはひとつ会話の空気を変えようと、


「あ、あの、身内というか世界中がこんなことになっちゃって……。その、後ろ盾がなくなったのは俺たち人間サイドも境遇的には同じようなもんだし……」


 などと、俺がどもりがちに話しかけると、


「……なんだね? このボクに同情しているつもりか、愚かな勇者よ?」


 と、なんともとげとげしい言葉を返された。


「勘違いするなよ! 人間如きに哀れまれるほどボクは落ちぶれちゃいないぞ! たしかに魔王城でまともに残っているのはボクだけになってしまったが、そんなこと、この大賢者にとってはなんてことないのだからな! だから、勘違いするなよ!」

「は、はあ……。それはすいません……」


 ハハルル博士は俺に向かって強く反論した。

 何度でも言うが、見た目が幼女なので強弁すればするほど子供が強がっているようにしか見えず、こちらとしてはますますリアクションに困るばかりだった。


「まあ? ここでボクが、研究以外にまったく興味のないタイプの、そこらによくいるようなマッドサイエンティストキャラであったなら、『主君も死んでしまったし、もう世界なんてどうでもいい……』と諦めモードになるか、自暴自棄になってメインシステムを暴走させ魔王城諸共自爆しているところであるが――」

「発想が物騒だなおい」


 というか、マッドサイエンティストはそこらによくいねえよ。


「ボクにとって魔王城の他の政治家連中など、わりとどうでもいい存在だったのだ。あくまでボクは魔王様の計画に賛同してこの戦争に参加していたのであるからなっ」

「どうでもいって……。てか、魔王の計画って……?」


 そういえば、魔国が何の目的で、どういった思惑や意図をもって神聖帝国と十年も戦争を続けていたのか、俺は何も知らなかった。

 戦争の遂行者である魔王本人は問答無用で封印してしまったしな。


 なんかそういう、〝戦争の真実〟的なやつって、物語だと冒険の過程で徐々に明かされていくもんだと思ってたけど、俺はそのの大半を転移魔法でショートカットしてきてしまったので、真相を探るもへったくれもなかったのである。

 マジメに勇者としてここまで何をやって来たのだ、俺は。


「だいたいであるがな、貴様らどうやってこの魔王城までたどり着いたというのだ」

「えっ、それは……」トラックで……。

「魔王様の計画の達成まであと一歩だったというのに、最後の最後に邪魔をしおってからに……。おいっ、答えたまえよ、帝国の勇者代表!」


 ちびっ子博士はずいずいっと俺を睨み上げた。


「あ、えっと、もしかして、俺のこと?」

「他に誰がいるというのだッ! 貴様がここまで隊を率いてきたのだろう?」

「うーん、隊を率いてきたというか、隊に率いられてきたというか……」

「……? 訳の分からんことを言って誤魔化そうとしてもそうはいかんぞ?」


 ハハルル博士は問い詰めるのを止めようとはしなかったが、俺はどう返答したらいいものかと逡巡してしまった。何しろウソは言っていない。実際、計画を立てたのは帝国政府の偉い人だし、ルートを先導してきたのはセーミャだったし、襲いかかる敵を倒してきたのは近衛騎士や白魔導士たちだった。道中、俺は何もしていないのだ。


「いやあ、実は俺もよく分からなくて……」

「なんだそれは……」


 なんなんでしょうね、ホント。

 その答えは俺が聞きたかった。この魔王暗殺計画についてだって、俺は最低限以上の詳細をついぞ聞かずに成し遂げてしまったのだ。



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