第33話 RETAKE.03 : 爆発するドアとボーカロイド的な少女



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「キミはこの世界の始まりについて考えたことがあるかね?」

 

 と、白衣の少女が俺に尋ねた。

 堅苦しい口調に反し、その声はキンキンと高く幼かった。


「……なんの話だ?」


 俺は反射的に聞き返す。


「なあに、ちょっとした思考遊びのようなものだよ」

「はあ」

「ま、暇つぶしと思って少しばかり付き合ってくれまいか」


 そう言って少女はだぼだぼの白衣のポケットに手をつっこむと、悪役のごとき不敵な笑みでふんぞり返った。

 

 俺は薄暗い部屋のなかにいた。

 どこかの教室だ。

 カーテンは閉じられていて、漏れ出す光はわずかにしか届かない。

 聞こえてくるのはいくつもの機械の作動音。

 複数のモニターが点灯し、液晶の輝きが室内を鈍く照らしている。


 ええと……。ここは……そう、部室だ。

 俺たちがいつも放課後に活動している部活動の部室だ。

 そう、そうだったはずだと俺は置かれている状況を自分に言い聞かせる。


 部屋の真ん中にはくだんの少女がひとり立っている。

 明らかに幼い見た目の少女だった。丸メガネにボサボサのポニーテール。

 着古した感じの白衣は裾が余っていて、見るからにサイズが合っていない。

 彼女は俺が心ここにあらずといった様子なのを見て、訝しげに表情を歪めた。


「……? 呆けた顔をしてどうしたね、騎士田キシダ部員?」

「ああ、いやなんでもないです、

「そうかい? キミは我が部の部員であり、かつボクの貴重な実験体八十八号でもあるのであるから、体調管理に関しては万全でいてもらわねば困るのだよ?」

「実験体って……」

「はははっ、冗談だ。ほら、しゃんとしたまえよ!」


 そう言ってハル部長は俺の背中をバンバン叩いた。

 せめて被験者とか実験参加者と言ってほしいなあと俺は他人事のように思った。


 彼女の名前は賢城サカキ波留ハル

 あだ名はハルハル博士(自称)。

 浮遊山学園高校の三年生で、俺たちの『部活』の部長である。


 驚くなかれ、彼女、なんと小学校からの飛び級で高校に通っている。


 世人曰く、比類なき天才少女。

 また曰く、度を越した非凡人。


 落第生の俺からするとちょっと信じられない存在である。

 そして幼い見た目というか見た目通りにちびっ子なのであるが、実年齢は聞くたびに違うので部員の俺たちもいまだに彼女の本当の歳を知らないのだった。


「で、なんなんです? いきなり世界の始まりって、藪から棒に……」


 俺はハル部長に再度聞き返した。


「やれやれ。キミは本当に愚かだな」

「……急に部員をディスらないでもらいたいんですが」

「察しが悪いと言ってるんだ。キミもこの部のメンバーなら、ボクの質問のひとつやふたつ、即座に的確な回答を示してみたまえ」

「そんな無茶な」

「まあ、愚かな一般人類ピープル代表のようなキミにそんなことを求めるのも酷というものかな。……仕方あるまい! これからボクが直々に分かりやすく説明してやるから、よくよく拝聴するように!!」


 彼女は天才であるが故に自分以外の人類はおしなべて馬鹿か阿呆だと思っている。

 それは相手が年上だろうと目上だろうと関係ないのだった。


「——世界の始まりについて考えることは、そもそもどういう理由でこの世界があるのかについて考えることでもある。いわゆる〝なぜ何もないのではなく、何かがあるのか〟というヤツであるな。根源的な問いだ」


 丸メガネをきらりと光らせハル部長は語り出す。


「どういう理由でこの世界があるのか……」

「ふむ。創造論は知っているな?」

「ええと、この世のあらゆるものは神様がつくったっていうアレですよね」

「そうだ。世界が全知全能の神によって創造されたという説は、いまだに根強い支持を得ている考え方だ。神がいると主張する者は、こうも言う。科学の理論では、世界が始まる以前の、その物理的な起源を〝なにもない〟状態から説明することはできない、これこそ神が世界を創造した証左だと」

「そう言われるとそうとしか考えられないような……」

「一方、現代科学においては、この世界は完全に自己完結型で、そもそも始まりなどないという説も唱えられている」

「…………よく分からなくなってきた」

「キミは最初からよく分かってないだろ」

「うっ……」


 図星を突かれてうめく俺をよそにハル部長は話を続けた。

 ノリノリの彼女は、さながら学習マンガに出てくる『なんでも博士』を気取っているように見えた。こういうところは歳相応っぽい。


「さまざまな可能性について考えるとき、この世界の在りようはどうも条件が好過ぎるのではないかという考えに行き当たる。世界を支配する物理法則は、ボクたちが生存するのにあまりにご都合主義的に出来過ぎているのではないか、とね」

「……ご都合主義」

「そうだ。そしてそこで思い当たるのが――異世界の存在だ」

「異世界……?」


 哲学めいた話をしていたと思ったらオタク的に聞き慣れた単語が出てきたぞ。


「ふむ。キミも好きだろ。ほら、異世界ものの小説とか」

「それはまあ……」好きですけど。

「そして、異世界なんてものが本当に存在するとすればだ——」


 ハル部長はそこで少しく息を整えた。


「——しかも複数存在するとするならばだ、その世界のなかにはボクたちの住む世界からは想像できないくらいに高度な技術レベルを有する文明があるという可能性も、あり得るだろう。いや、あってしかるべきであろう」

「そ、そういうこともあるかもしれないな」


 まくし立てるようなハル部長の熱弁に俺は若干たじろぐ。

 あまり俺に難しげな話を振らないでもらいたい。


「そういった前提に立ったとき、ボクたちのこの世界がどこかの異世界にあるどこかの高度文明の技術によってつくり出された、仮想現実のシミュレーションのひとつに過ぎないのではないかという可能性が生じる」

「それはさすがに発想が突飛というか、飛躍し過ぎなんじゃあ……」

「そんなことはないさ。考えてもみたまえ、華胥かしょの国、胡蝶の夢、邯鄲かんたんの枕——。人間は古来より精神世界に理想郷を追い求め、自分たちがすでに夢の世界の住人であることについて思いを馳せてきた」

「夢の世界……」

「まあ、創造論や宇宙論と思想的にはまったく別ものだがね。だけれども、この世界を仮想現実であると設定する話は古今東西に見られる。世界全体が誰も気づかぬほど巧妙に参加させられているMMORPGでないと、いったい誰が証明できると思う?」


 ……なんかそういう映画あったよな。

 俺は記憶を探るが、もやがかかったようによく思い出せない。


「もっとも、世界がなぜ、どうして〝いまここ〟に存在するかという問いについて、科学の力は不利だと言う者もいる」

「んんんっ?」

「確かに、世界の存在理由を探求するのに必ずしも物理的な証拠探しに拘泥するのではなく、それとは別の領域に根拠を求めるという理屈もよく分かる話だが」

「……???」


 俺はいくつもの疑問符を露わにする。


「ハア、これだから愚かな一般ピープルわ……」


 ハル部長はわざとらしく肩をすくめた。

 ボサボサのポニーテールが彼女の動きに合わせてぴょこぴょこ揺れる。


「いいかね。科学は人間が見て聞いて観測した問題に対して実験を繰り返し、証拠を積み上げることで発展してきた経緯がある」

「そうなんですかね……?」

「そうなのだ。であるからして、人間が世界の真相を自ら認識できない以上、観測も実験もできないものを科学的に証明しようがないだろう?」

「えーと……」

「あー、そうだな、『世界五分前仮説』と言えばキミも聞いたことがあるかな?」

「ああ、はい。……何となくですけど」

「よろしい。でわ、いま見ている世界が記憶や経験も含めた、まるまるそのままの状態で五分前に突然開始されていたとしてだ。さて、キミはそのことを論理的に否定できるだろうか? あたかもすべてが――自分の意識すらも、以前からそこにあったかのように錯覚させられているのだとしたら? ……つまりはそういうことさ」

「ううん……。分かったような、分からないような……」


 ハル部長が言ってることが正しいのか、それともただの屁理屈に過ぎないのか俺には判断できなかった。まず話が取っ散らかっていて分かりにくいし、なんだか適当に言いくるめられているような気もするのだが……。

 だいたい部長はどうしてこんな話を俺にし始めたのだろうか。俺はそこにうまく言い表せない不自然さを感じていた。


「だが、ボクは天才だ。ボクに解き明かせない問題などあってはならないッ! この世界のすべてを見つめ、きっと世界の始まりについても証明してみせるさ!」


 ハル部長はそこで着ている白衣をバサバサと鳴らし、教室の窓際へ向かっていった。白衣の丈が身長に合っていないので裾を床に引きずっている。


「見たまえ、世界はこんなにも美しい!!」


 ハル部長は教室のカーテンを勢いよく開けた。

 薄暗い教室にさっと光が差し込むが、それは予期されていたような太陽の光ではなかった。外には巨大な炎のかたまりが間近まで迫っていたのである。

 窓を挟んで目の前が赤く染まる。

 飛来した炎が一瞬で窓ガラスを突き破り、業火のような灼熱に晒されたところで俺は意識を失った。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 次に目を開けると朝の教室になった。


 がやがやとした喧騒。

 ホームルーム直前のどこか落ち着かない雰囲気。

 俺は教室後方の窓際の席に座っていて、クラスメイトたちに囲まれながら机に頬杖を突いていた。


 俺のまわりを囲んでいるのはよく見知った友人たちだ。

 幼なじみのヨリコが笑いかけ、彼女の恋人で俺の親友でもあるアイゴが馬鹿話を振ってくる。俺がおどけて自虐ネタを披露すると、後輩の聖宮セイミヤがフォローのつもりなのかどこかズレたツッコミを返す。そんな他愛のない会話を俺たちは楽しんでいた。


 今朝はよく晴れていた。

 窓の外を見ると、降り注ぐ火の粉を物ともせずにドラゴンの黒い群れが上空を飛んで行くところだった。ドラゴンの咆哮が夏空に高く響き渡る。

 開け放たれた窓からは湿気を帯びた風が吹き込んでくる。

 今日もいちにち暑くなりそうだ。


 そろそろチャイムが鳴ろうかという時刻、聖宮がなごり惜しそうに教室を出て行くのとクラス担任の操原クリハラ黒郎コクロウ先生が入ってくるのはほぼ同時だった。


「よーし、みんな席に着けー。ホームルーム始めるぞー」


 繰原先生が出席簿片手に着席を促す。

 口ひげをたくわえた繰原先生はダンディさに満ちていて、ただ教壇に立っているだけなのに充分にサマになっていた。

 しかしいつもならチャイムが鳴り終わった頃にやって来る先生だったが、今日は少し早い気がする。何か特別な連絡でもあるのだろうか。


「えー、今日はまずみんなに転校生を紹介する」


 繰原先生の言葉に、教室がにわかにざわめき立つ。

 隣の席のアイゴは「おっ、どんな奴だろう。女子かな?」などと俺にささやきかけてきたが、それを聞き逃さなかったヨリコが「もうっ、アイゴ君ったら!」と不満げな反応を示したので、慌てて弁解をしていた。

 朝から俺の横で惚気ないでいただきたい。


「はいはい、みんな静かに。じゃあ、ミミルさん。入って来なさ——」


 ドガゴギクオグシャオォォンンッッッ!!!! 


 と、派手な破壊音が朝の空気を崩壊させた。

 教室前方のドアが弾け飛んで粉塵が舞い、同じタイミングで噴煙が流れ込んできて辺りが白く満たされる。

 爆発の中心から現れたのは小柄な少女。彼女は颯爽と教壇の上に立つと、そのまま我が物顔で教室を見据えた。


『通告。当方はミミル、自律型サポートプログラムです。今日からこのクラスに転校して来ました。みなさんどうぞよろしくお願いします』


 平然と宣言した彼女の声は見事なまでに無機質な電子音声だった。


 いや、どんなサプライズだよ。

 俺は心のなかでそっとツッコむ。

 煙が晴れたとき、教室には俺とミミルの二人だけになっていた。

 がらんとした教室で俺たちは相対する。


『警告。この世界のイメージバランスが著しく不均衡な状態にあることを検知しました。これはかつてないレベルで危険な状態です。イメージの再構築を提案します』

「……今回はわりかしうまくいっていたように思ってたんだけどな」

『通告。すでにお気づきであったかと思いますが、ご自身の設定からしてぶれぶれでしたよ』

「うぐっ。あえて気づかないようにしてたのに……」

『警告。それでこの世界が危機的状況に陥っていては元も子もありません。どうか自覚をお持ちください』

「…………そんなこと、言われなくても分かってるさ」


 教室の外界は変わらず惨状を呈していた。

 青い空をバックに絶えず降り注ぐ真っ赤な火球。地平線の彼方まで続く市街地はすっかり炎に包まれていて、まさにこの世の終わりといった感だ。黙示録的なその眺めは、しかし確かに俺の記憶を反映したものであり、またそれでいてどこまでも現実離れした光景に思えた。


『警告。この世界には不用意なイメージの混在が見受けられます。イメージが都合よく収まるよう、一層均等の取れた構築を要請します』

「うーん。調子に乗るなと言ったり、かと思えば都合よくしろと言ったり注文が多いなあ……」

『確認。イメージすることの重要性について事前に再三の説明があったことは過去のログからも明らかです』

「……だから、分かってるって」


 俺は少し不貞腐れた態度を取る。

 やはりイメージするのは苦手だ。

 それは誰より俺自身が一番理解している。

 だからこうして何度も繰り返してしまうのだ。

 いつまで経ってもうまくやれない自分に嫌気がさすが、そんな自己嫌悪が世界を不安定にさせている要因であることもまたよく理解していた。

 

『それでは参りますよ、



 ミミルの宣告を聞き届け、俺はまたひとつ世界を手放す――。






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