第20話 回復役のシスターが生きてるだけで褒めてくれるので俺はもうダメかもしれない
レンガ造りの部屋で俺たちを出迎えたのは、ふてぶてしく陰険そうな小男だった。
彼は第八十一番勇者、ツェーネ・ルノワール。
俺と同じホーリーハック魔導魔術学院男子高等部の一年で、俺やミリアドとも顔なじみの間柄だった。陰険そうというか、はっきり言って陰険な奴だった。
そしてツェーネの背後で机を囲んでいる面々もまたよく知った顔ばかりであった。
そこには八十番代の勇者が勢ぞろいしていた。
八十二番勇者、モーリエ・ハギュー。
八十三番勇者、キキ・コギャン・トーヴァ。
八十四番勇者、ヤーチ・アイズィリー。
八十五番勇者、テージ・ナックハラート。
八十六番勇者、ゴル・カクタス。
八十七番勇者、フッセ・チューストン。
みな、同じホーリーハック魔導魔術学院高等部の一年生だった。
モーリエとキキは女子部だったのでそれほど深い面識はなかったが、ヤーチ、テージ、ゴル、フッセの男子四人とは何度か会話を交わしたことがあった。
彼らはいままで戦場で見てきたようないわゆる勇者らしい鎧や武装の姿はしていなかった。彼らが身に着けているものといえば、くたくたのシャツや作業着、ハンチングハット、木靴。
全員地味で、目立たない格好をしていた。
「ここは北東辺境領の領都ラズヴィーの地下、帝国レジスタンスの活動拠点だ。彼らは八十番代の勇者で——勇者殿はホーリーハックで見知っていると思うが——魔国とつながりのある他国同志の支援の下、ここで魔国に対するレジスタンス活動を続けている」
ウッドソン部隊長が今回も概況を伝えてくれた。
「ここラズヴィーでは、これまでの移動で消費した魔力を補給し、魔都突入へ必要な装備や物資を調達する。準備が整い次第、機を見計らって出発することになる。それまで勇者殿にはレジスタンスとともに隠れて待機していてもらいたい――」
「——すみません。ウッドソン近衛騎士団副団長、よろしいでしょうか」
八十二番勇者、モーリエ・ハギューがウッドソン部隊長に声をかけた。
モーリエはベージュのセミロングが似合う素朴な印象の少女だった。
彼女はスカートにエプロンをつけ、一見すると村娘のような衣服を着ていたが、このなかでは比較的小ぎれいな服装をしていた。
「いまは副団長ではなく部隊長だが……なんだ」
「商会のかたがお待ちです。武器の手配について早速確認したいことがあると」
「……ああ。分かった」
モーリエは部屋の戸口のほうを見やった。
暗にウッドソン部隊長に行動を急ぐよう促していた。
戸口の陰には灰色のスーツの男が立っていた。
一瞬だけ目が合い、互いに軽く会釈する。
暗がりでよくは見えなかったが、ひとのよさそうな物腰の男だった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
近衛騎士の一団とセーミャ以外の白魔導士三人、モーリエ含むレジスタンス数名が退室すると部屋のスペースには若干のゆとりができていた。
「さて……」
残ったツェーネがわざとらしい身振りを交えて切り出した。
「はじめましてのひともいるようだからあらためて自己紹介しよう。僕はツェーネ・ルノワール。第八十一番勇者だ。魔国占領下のこの領都ラズヴィーで帝国レジスタンスのリーダーを務めている。以後、お見知りおきを」
ツェーネはそこで一度、二つ分けの髪を掻き上げた。
「北東辺境伯のフクフッチ卿は十年前の魔国軍侵攻の際、早々に逃げてしまわれたからねえ。僕たちレジスタンスがひそかに領地奪還に向けて工作活動を続けているというわけさ。ま、かく言う僕自身は三ケ月前にここに来たばかりだけどね」
そのわりにやたらと偉そうだが、こいつはもともとこういう性格なのだ。
一挙手一投足が大げさでいちいち演技めいている。
おそらく本人も半分くらい無自覚に振る舞っているのだと思う。
「まあ? 逃げてきたという意味ではそこにいる最終番号の勇者君も同じかな?」
「……っ」
「いや、逃げてきたほうが幾分かましだったかもしれないなあ。何しろ、ろくに戦うこともせずに他の勇者たちの努力を踏み台にしてきたばかりか、帝国内で考え得る限り最高の護衛にぬくぬくと守られてここまで来たわけだろう君は?」
「それは……」
「君は学院にいた頃からそうだったよな。なんでもすぐ他人事にして、目の前の問題から逃げることばかりを考えている。およそ勇者の資質には似つかわしくない」
「……」
「僕は何もショアが僕より下の番号だから見下しているってんじゃないんだよ。八十八英雄は下位の数字になるほど平民や地方出身者が多いからね。勇者に選ばれるまで帝都とのかかわりなんて程遠かったものも少なくない。そこをどうこう言い立てる気はないさ」
俺は言い返せない。
「だけど君はどうだい。勇者になるまでに虐げられていたり報われない暮らしをしてきたのかといえばそうでもないし、それどころか貴族のボンボンときている」
やはり、俺は言い返せない。
「本当、どうして君みたいのが勇者に選ばれているのかが不思議でならないよ」
「……おい、黙って聞いていれば随分好き放題言ってくれるじゃねえか、ツェーネ」
「おやおや、誰かと思えばショアの相棒のミリアド・アイアンファイブ君じゃあないか。相変わらず無駄にひょろ長いなあ」
「うるせえ。そう言うツェーネは相変わらずちっちぇえな」
「ちっちぇえ言うな」
「だいたいお前は何かというとショアに突っかかりやがって。何様だよ、ああん?」
「それはこっちが言いたいね、ミリアド。いつも僕の邪魔ばかりしてくれてよ」
「何が邪魔だよ。お前が広めたショアに関するデマの数を数えてみやがれってんだ。お前のせいでこっちがどれだけ迷惑したと思ってんだ」
「それは悪かったなあ。僕は真実を語っていたまでのつもりだったんだがねえ」
「おい、俺がちっちぇえと言ったのはなあツェーネ、何も見た目だけの話じゃねえ。いくら気に食わないからって自分より下位の勇者を誹謗中傷するその人間性がちっさいって言ってんだよ」
「ちっさい言うな。……まあたしかに僕はショアに対してあれこれ言ってきたさ。でも、ミリアド。あの学院でショアのことをよく思ってなかったのは何もこの僕だけじゃないんだぜ。お前も知ってるだろ? たとえ僕が何もしなくたって事情はさして変わらなかっただろうよ」
「黙れこのチビ勇者!」
「チビ言うな!」
「おうおうやるのか?」
「なにおうっ」
「おおう?」
「ふ、ふたりともやめてくださいよ! こんなところでえ!」
俺の親友といじめっ子が俺のことをめぐって言い争っている。
ヤメテ! 俺のために争わないで! ……というのは冗談にしてもだ。
ツェーネが俺に言ったことは、言い方はどうあれ間違ってはいない。
そしてその現実があらためて俺に勇者としての重圧感を与えてくる。
試練を受け続けなければならないのもつらいが、受けるべき試練を避け続けるのもそれはそれで結構プレッシャーだったりするのだ。
他のみんなと同じ境遇にないことの疎外感。
今日の昼頃まではなんとかして追試を楽にやり過ごす方法に頭をひねっていたというのに、同じ日のたった数時間のうちに自分ではどうにもやり過ごすことのできない状況に引きずり込まれてしまった。
俺が状況の中心にいることは疑いがなかった。
だが、いつまで経っても自分が当事者であるという実感が芽生えなかった。
「まあでも、ツェーネの言う通りかもしれないな……。俺は最弱最底辺の勇者だからな。実際、戦場でも俺にできることなんて何もなかったわけだし——」
言い合うツェーネとミリアドを傍目に俺は無力感を覚えていた。
「そんなことはございませんっ。上位の勇者の方々がつぎつぎ消息を絶っているなかで、大きなケガもなくここまでたどり着いたことがまず偉大な功績なのです!」
セーミャが即座にフォローしてくれる。
「……それは言い過ぎだよセーミャ、いくらなんでも。俺には……何もないんだ」
「いえ、何もないことこそが勇者様の戦果でもあるのです。暗黒騎士となった最上位勇者のみなさまをご覧になりましたよね?」
「あれは……そうだな、うん……」
正気を失い、敵軍の突撃要員となったかつてのトップヒーローたち。
あのあと彼らはどうなっただろうか。
「……出征していった勇者の方々はそのほとんどが帰って来られませんでした」
セーミャはやや口調のトーンを落として語る。
「わたくしたち『祝福と慈悲と愛撫の修道院』は神託の使徒である八十八英雄のみなさまがたの治癒と援護をお役目としております。ですが、肝心の勇者のみなさまが消息不明なのでは、そのお役目も充分に果たすことができません」
そう言ってセーミャは少しく目を伏せた。
それは俺がはじめて見る彼女のつらそうな表情だった。
無邪気なこだと思ってたけど、こんな顔もするんだな……。
「でも俺なんて、みんなが命を張って戦っているなかでただ突っ立ってたか、言われるままに走ってただけだし……」
「死線を無事に乗り越えてきたではありませんか」
「走って呼吸するだけなら誰だってできるし……」
「死んでしまったら息をすることだって叶いません!!」
そりゃそうだけど……。
いまはみんなと同じ空気を吸っていることすら申し訳ない気持ちだ。
息が詰まる思いというのはこういう感覚を言うのだろうか。
……ちょっと違うか。
「分かりました。勇者様に自信がないとおっしゃるのであれば、不肖わたくしが勇者様に自信をつけさせていただきます!」
「え。ちょっと、セーミャ……」
「これから一緒に、日々を生き延びることのよろこびを分かち合いましょう!」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
と、いうようなやりとりがあった次の日の夕刻——。
俺たちはレジスタンスの関係者が経営する宿で潜伏を続けていた。
魔都へ行くための準備はまだ少しかかるらしい。
「勇者様っ、お祈りの時間ですよー」
宿の部屋の壁に力なくもたれかかる俺。
そのかたわらにセーミャが寄り添ってきた。
「今日も一日、静穏に生き延びることができました。がんばりましたね、勇者様!」
「あ、ああ……」
「あっ、よろしいのですよ。勇者様はそのまま楽になさっていてくださいっ」
「あ……」
「勇者様! 昨日まであんなにご自分を卑下されていた勇者様が、ほんの一日足らずの時間でこの大地に立つことそのものに生きる意味を見い出すまでに至ったこと、わたくし、本当に嬉しく思いますっ」
「ああ……」
「その息の吐き方! 今日いちばんの外呼吸ですっ」
「ああ……」
「とってもえらいです。さあ、回復してさしあげますね。なでなで♡」
「ああ、あっ、あっ……」
セーミャの治癒術『癒しの愛撫』は相手を撫でさすることによってその体力や精神力を回復させる。女神の愛の力を媒介とする中央教会固有の白魔術だ。
彼女の手のひらが触れたところから身体がじんわりと癒されていくのを感じる。
血が体内をめぐり、気分が高揚する。
一日のつかれが急速に和らいでいく。
「本日も生命の尊さを女神様に感謝しましょう。さあ、勇者様も手を合わせてください。大丈夫です。わたくしが手を添えていてさしあげますっ♡」
「ああ……」
セーミャの小さな手が俺の両手を優しく包んだ。
彼女とともに俺は祈る。
生きる悦び。
いのちが動いているという実感。
生きているということはそれだけで素晴らしいことだなあ——。
「おい。どうしてこうなった」
「ショア君、ずっと『ああ』しか言ってないんですけど……」
「お兄ちゃんがますますダメ人間になっちゃった……」
ミリアド、ヨーリ、グレイスの三人が俺に残念なものを見る目を向けてくる。
その視線には何か覚えがある気がしたが、たぶん気のせいだ。
「っつーか、セーミャちゃん、なんかアヤシイお店の
「? 女神様への
「ああいや、そうでなくて」
「……ミリアド君、話がややこしくなるのでヘンなこと言わないでください」
何か周囲がごちゃごちゃ言っているようだったが、いまは何も気にならなかった。
そう、俺はいまこの瞬間、ここに生きている奇跡を噛みしめているのだ。
その事実をさえぎるものなど何もない。
それだけでいい。
あー……。
「はっ。無様極まりないな、ショア!」
突き破るようにドアを開けて入ってきたツェーネが開口一番に侮蔑の言葉を投げかけてくる。
「生き延びることが使命? はんっ、笑わせてくれる! いままでの十年間、魔国と戦ってきた勇者や帝国の兵士たちに恥ずかしいと思わないのか!」
「急に入ってきてうるせえよ、ツェーネ」
「なんだミリアド? 僕は何も間違ったことを言っているつもりはないぞ? むしろショアのためだと言い張って君が僕にしてきた数々の暴挙についていまここで謝罪してもらいたいくらいだねっ!」
「ツェーネ、お前は本当に……」
「お、なんだ。今度こそやるか? あ?」
ツェーネがミリアドを睨み上げ、再び喧嘩の兆候を見せた。
そのとき——。
「とーーーおおぅ!」
「うぐふっ!」
いつのまにか現れたモーリエがツェーネの首筋に鋭いチョップを浴びせた。
「このモーリエッ、何しやがる!!」
「みんなゴメンねー、うちのバカリーダーが」
「バカ言うな!」
「うちのアホリーダーが」
「そこじゃねえよ。あと、アホ言うな!」
「あんたねえ。ひと様のことに余計な口を出し過ぎなのよ」
「お前っ、なんだその態度は! 僕はこのレジスタンスのリーダーだぞっ!」
「そうね、リーダーね。三ケ月前に来たばかりのくせに公認英雄だからという理由でわざわざ空けてもらったポジションに収まった急ごしらえのリーダーよね」
「そ、それは……」
「ショア君に随分とエラそうなことを言ってるようだけど、あんたの聖剣の能力だって八十八英雄のなかじゃ大したことないでしょ」
「そんなことは、ないぞ……」
次第にたじたじになるツェーネ。
対するモーリエはあくまで強気の姿勢だ。
「それにあんたあれでしょ。去年の高等部入学式の日に生徒会長のラージバード先輩に決闘を吹っかけてまともに相手にしてもらえなかったでしょ。あんたがあのときのことをいまだに根に持ってるの、あたし、知ってるんだから」
「な、なんでそれを。いや、それはいま関係ないだろ……」
「あたしはね、ツェーネ。そういう自分が持ってる上位勇者へのコンプレックスをショア君にぶつけてるだけなんじゃないかって言ってるのよ」
「ぐぬぬ……」
「どうやら図星みたいね」
モーリエはそこでふふふっと不敵な笑みを浮かべた。
すげえ。あのツェーネが弁舌で押されている。
「だ、だからと言って、僕がショアより有能であることに代わりは……」
「まだ言うかあ!」
「ずぐふはっ!」
モーリエのボディブローが炸裂し、それをまともに喰らったツェーネは部屋の床にうずくまった。いたそう。
「いいこと? 間違ってなければなんでもかんでも正義ってわけじゃないのよ! ちょっとは反省しなさい!」
そう言ってモーリエは勝ち誇った。
彼女の顔はなんでかひどく満足げで嬉しそうだった。
「あ、あの。それでレジスタンスのリーダー格のおふたりが来たということは、私たちに何か重要な連絡があるのでしょうか……」
ヨーリがおずおずとモーリエに尋ねる。
モーリエは帝国レジスタンスの副リーダーらしかった。
「あ、そうそう。出発の準備が整ったわ。日が落ちる前にここを出ましょう!」
モーリエは俺たちを見渡すと快活に言い放った。
きっとどこにもたどり着けない俺たちの旅路はもうすぐ終着へと向かっていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「そういえば、七十番代後半の勇者たちを見てないような」
「おりましたよ? ノゾナッハ渓谷の大会戦のなかに」
「マジでか……」
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