第19話 幼女と触手と暗黒騎士
次の戦場で見たのは触手と幼女だった。
そんな字面を見ると、無垢な
ゴスロリ幼女だった。
ゴスロリ幼女がひとりで何万という帝国軍を
空は黒雲が低く立ち込め、不気味に赤黒い。
太陽はすでに沈んでいるはずだったが、何故かぼんやりと明るかった。
岩肌の大地は帝国軍の軍勢で埋め尽くされている。
見え得る範囲の端から端まで兵士、兵士、兵士、兵士、兵士……。
一面に広がる兵士の絨毯のただなかにこんもりと山のような巨塊がそびえている。
そのかたまりは遠目には一個の大岩のように見えた。
だがよくよく目を凝らして見ると、その岩のかたまり自体がぞわぞわと
それもそのはず。
それは岩などではなく、何千、何万という触手の集合体であった。
無数の触手が複雑に絡み合い、一本一本が
その触手の山のてっぺんにちょこんと幼女の上半身が乗っかっている。
触手は彼女のゴスロリスカートのなかからすべて生え出していた。
幼女の胴体を頂点とした触手の束が全方向に伸び渡り、帝国の大軍を阿鼻叫喚に陥れているのだった。
どこまでも伸びる触手が兵士たちに絶え間なく襲いかかってくる。
ある兵士は身体を貫かれ、ある兵士は絞殺され、またある兵士は全身をがんじがらめにされてそのまま圧死していた。屈強そうなものは一瞬で始末され、力のなさそうなものはじわじわと
触手は切っても切ってもどこまでも再生してくるようだった。
聞こえるのは数多の兵士たちの断末魔。
血飛沫が舞い、臓物が弾け飛ぶ。
それを支配しているのはたったひとりの幼い少女。
しかし当の彼女は下界の地獄絵図になどまるで関心がないようで、その表情は終始退屈そうだった——。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
俺たち八十八番英雄隊は切り立った崖の上の宿営地に出現していた。
眼下には触手に蹂躙される帝国の大軍団。
凄惨な景色に俺たちは絶句するしかなかった。
「なんですか……これ……」
「ここは北東辺境領『ノゾナッハ渓谷』。〝終わりの荒野〟とも呼ばれる場所だ。現在、北東辺境領奪還作戦が展開中である」
ヨーリが思わず漏らした疑問にウッドソン部隊長が冷静に答えた。
切れ長の彼の瞳に動揺の色はない。
「あの触手の女の子は……魔族の……?」
「敵将ルル・ルヰル・ラルリェンロール。北東ダンジョン『
ルルルルラリレ……なんだって……?
「ルル・ルヰル・ラルリェンロールだ」
「るる・るうぃる・ら……舌噛みそうな名前だな。フルネームで呼び合うときとかにたいへんだろうな……」
「問題なのはそこじゃねえだろ……」
「ショア君、面倒ごとに直面するとどうにかして他人事にしようとする癖、直したほうがいいですよ……」
あまりにおぞましく、あまりに一方的な、もはや戦いとも呼べないような何か。
つい目を逸らしたくなるような過酷な現実。
目の前で繰り広げられているのはそういう類のものだった。
人間には解決できることとできないことがある。
たとえ当事者意識を高く持ったとしてもどうにもならないものはどうにもならないのだ。俺はそう思う。
現に、戦ってるのは俺じゃないわけだし——。
「……で、次の転移ポイントはどこなんだ。まさかここが最終地点ってわけじゃないんだろう」
と俺が言うと、
「はいっ、勇者様! 次のポイントはあちらになります」
そう言ってセーミャが指差した先は俺たちから見て右方——蛇行する河流を挟んで触手の侵蝕が及んでいないフィールド。そのさらに向こう側に岩山があり、何やら朽ちかけた鉄塔が突き出ているのが見える。
「北東辺境領アラム炭鉱跡地、あそこに結界と魔法陣を張っております」
「おー、なるほど。でもさ……」
「はいっ、なんでしょう勇者様?」
「あちらって……その、あの岩山の手前ら辺、魔国軍がずらっと並んでるように見えるんだけど?」
たしかにいま俺たちがいる崖の上には敵の攻撃は届いていない。
だが、ここからあの炭鉱跡地に至るにはルート上に魔国軍が陣を構えている。
「はいっ。魔国軍『暗黒騎士』突撃部隊の陣地、あそこを突破します」
「……はいぃ?」
暗黒騎士――。
それは元人間でありながら闇に身を堕としたものたち。
強大な力を得る替わりに次第に理性や元の姿が失われていくという堕天の戦士。
そして、セーミャが示す炭鉱跡地までのルートのまさにど真ん中。
統率の取れた魔国軍の隊列にあって無軌道に大剣を振り回しながら駆け回る一団があった。彼らは「ウルグガアアアアアァァァッッッーー!!!」と意味不明な叫びを発しながら
進路上の歩兵や騎兵が面白いように蹴散らされていく。
圧倒的なパワーだったが、敵味方の区別はあまりついていないようだった。
どす黒い霧状のオーラのような何かをまといながら次第にこちらに近づいてくる彼らの面貌にはしかし見覚えがあった。
見間違うはずもない、それはもっとも有名な八十八英雄の姿だったのだから。
第一番勇者、グレートミル・モロウ・ヨークマルト。
第二番勇者、トラパ・スプリングラス。
第三番勇者、ヴュー・アンダーソン。
第四番勇者、ジェイド・リヴァーヒット。
創世神から絶大な力を振るうことを約束された最上位の英雄。
伝説の時代から代々続く英雄騎士の一族のトップ。
十年前、北東辺境領へ魔国軍の侵攻が始まったときに真っ先にそれを迎え撃つ役目を負いながら、とうとう戦地から戻ってこなかった勇者たち(もちろん表向きにはその事実は伏せられていたが)。
対魔国戦争の開始以来、いまも遠地で勇戦を続けていると信じられていた彼らは、いま俺の目と鼻の先で帝国の脅威と成り果てていた。
「ウガガガガアアアアァァァァァッッッッーーーーー!!!!!」
「グワアアアァァァァァァッッッッッーーーー!!!」
「フグウウウウゥゥゥゥゥッッッッーーーー!!!!!」
「フシャアアアアァァァァッッッーーーー!!!」
うん。
とりあえず話は通じなさそうだ。
「……暗黒騎士って日常的にあんな感じなの?」
元人間とはいえ意思疎通どころじゃなさそうだけど。
普段の生活とかどうしてんのかね?
「いや、あの状態は戦闘用にリミッターを解除されているのだろう。闇の力を借りて戦闘能力を格段に向上させるが、意識レベルが最低値になる。あくまで一時的なものだと思われる」
ウッドソン部隊長は何でも知ってるなあ。
むしろ俺たちに伏せられてる情報が多すぎじゃね?
帝国の情報統制が行き届き過ぎて怖くなってきたんですけど。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
暗黒騎士の突撃部隊を筆頭に後陣の魔国軍が進軍を開始していた。
オーク兵やゴーレム兵がぞろぞろと歩き出し、騎竜隊と魔砲兵が続く。
あと、後ろに岩でできたデカい亀や象みたいな魔物も何体かかいるけど何かな。
知らない奴らだ。
触手のインパクトに目を奪われていたが、こちらはこちらで充分ヤバそうである。
「あの後方の部隊は魔国軍の将軍、〝
「げっ、別部隊かよ」
「ちなみにアジューカスも魔国軍四天王のひとりだ」
「四天王!?」
あの触手幼女も四天王って言ってなかった!?
いま俺たち四天王ふたりの軍に挟まれてるの!!???
冗談でなく本当にヤバいんでない!!!!????
……などとああだこうだ言っているうちに、帝国勢の陣形がみるみる押し崩されていくのがここから見ても分かった。
「っていうか、全部こっちに向かってきてるじゃん!」
あのなかを突っ切るとかムリくないですかね??
こっちが突破するまでもなく敵軍が先に突破してきそうな勢いだった。
「えっと、さすがに迂回とかするんだよね!?」
「? いえ、いままで通り最短距離で参りますよ?」
「いやいやセーミャ、そんなキョトンとした顔されても!」
「ご安心くださいっ、勇者様の前をさえぎるものは何もございません!」
「見た感じ安心できる要素ゼロなんですけど!?」
「――私が先陣を切ります!!」
そう威勢のいい声がして俺の横から妙齢の女性がずいっと前に出た。
「どちらさま!?」
帝国騎士の甲冑を身につけた彼女は美しい亜麻色の髪をなびかせ、俺のすぐ隣に立っていた。
とてつもない美人だった。
年のころは二十代後半くらいだろうか。全身から凛々しさのエネルギーを放出して有り余るかのような風貌からは相当な育ちの良さを感じさせた。
あ、でもなんか見たことあるぞこのひと。
「彼女は第五番勇者、パイン・パーク・ウェームル。十年前に出征したひと桁代勇者のうち、北東辺境領から帰還した唯一の勇者だ」
すかさずウッドソン部隊長の紹介が入る。
毎度ご苦労様です。
「グレートミル! トラパ! ヴュー! ジェイド! みんな目を覚まして!! 私たち、帝都を発つときに全員で誓ったじゃない! 必ず魔王を討ち倒して平和な世界を取り戻そうって! あの約束も全部忘れちゃったの!? どうして! ねえ、どうして!!! ねえっ、みんな、答えてよおおぉっっっ!!!!!」
パイン・パーク・ウェームルは絶叫しながら崖縁を飛び出すと、岩場を軽々と跳躍して暗黒騎士の一群のなかに単身を投じていった。
あれ、絶対アカンやつだ。
……大丈夫かな。
「勇者様、朗報ですっ」
ウェームルの悲愴な叫びと対照的にセーミャが嬉々として報告してきた。
「情報によりますと、ただいま四聖獣がこちらに到着したそうです!」
「えっ?」
刹那、ぴりっと空気が変わった感じがあった。
何か常識外の存在が接近してくる気配が否応なく伝わってきた。
——見上げると空が割れていた。
それまで上空を覆っていた赤黒い雲がさっくりと引き裂かれ、代わりに神々しい光が地上に降り注ぐ。
雲間から現れたのは四体の巨大な霊獣。
一体一体が飛行軍艦をはるかに上回る大きさを持ったそれらは自ら光源をともなってゆっくりと降臨してきた。
「あれが、四聖獣……」
四聖獣はそれぞれが異なる容姿をしていた。
ひとつは鳥のようで、ひとつは犬のよう、ひとつは虎のようで、またひとつは竜のようだった。
卑近な例えをしてしまったが、どちらかといえばそれに似ているというレベルのもので、そもそもいま見えているのは四聖獣が地上に顕現する際の仮の姿に過ぎないと伝えられている。
虎のような四聖獣——
凄まじい衝撃波がノゾナッハ渓谷を駆け巡る。
その呼び声は心のなかの根源的な畏怖に直接訴えかけてくるかのようだった。
「勇者様っ、第一波が来ます。どうかお下がりください!」と、セーミャが叫ぶ。
「ええ? 何が来るって——」
西聖獣が再び口を開いた。
その口のなかに瞬間的に光の粒が集積し、次の咆哮とともに凄まじい威力の光線が大地を薙ぎ払った。
轟くような大音響が戦場のすべてを振るわせる。
余波だけでも立っているのがやっとだった。
俺は姿勢を低くして顔を腕で覆った。
「くっ――」
しばらくびりびりとした痺れと残響感で身動きが取れなかった。
いくらか平常心を取り戻して目を開けた俺は重ねて驚愕した。
目前、それまで魔国軍が優勢を占めていた右方の陣地が地表含めてきれいにこそぎ取られていたのだ。
ぽっかり空いた何もない岩地の先には目指す炭鉱跡地がよく見える。
天上からはなお、きよらかで明るい
「たしかにこれは最短距離だ……」
しばし呆然とする。
「では勇者様、参りましょう!」
「え? こんなんでいいの? マジで? え??」
俺はセーミャに手を引かれるまま
彼女の手は俺より小さく、やわらかかった。
この小さな手にこのあと俺は何回助けられるのだろうか——そんなことを思った。
俺たちのあとをヨーリ、ミリアド、グレイスたちが追う。
途中、何かにつまづいて足がもつれた。
思わず振り返る。
地面には血に染まった帝国兵士の死体が横たわっていた。
俺は走る。
近衛騎士や白魔導士たちに全力で守られながら必死に走る。
先に出征していった勇者や兵士たちが切り開いた礎を易々と乗り越えて俺は走る。
彼らの屍をも通り越して。
この走り切った前途にいったい何が待ち受けているのだろうか。
分からないがただ走る。
おのれの未来さえも見定められぬまま、ただただ走る。
そう、先往くものたちと同じ試練をくぐり抜けることなしに—— 。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
何度目かの魔法陣を抜ける。
光が収まり視界が開ける。
今回はどこかの地下室にいた。
レンガ造りの薄暗い部屋だった。
湿っぽく、カビ臭い。
四方に狭く、天井も低い。
教会の広間がスタートだったことを考えると隔世の感があった。
「よお、いらっしゃい。末席勇者さんよ」
ふてぶてしい声がした。
暗がりにランプがひとつ灯され、小さな机を囲んで数人の男女が寄り合っていた。
そのなかのリーダーっぽい若い男が俺たちを出迎えた。
「久しぶりだなあ、ショア。……いや、言うほど久しぶりでもないか。でもこういう場合は久しぶりでいいのか……うーん……」
「……どっちでもいいだろ、そこは」
「……まあそうだな。ふむ、とにかくようこそ、北東辺境領・領都ラズヴィーへ」
そう言うと男はにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。
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