第18話 先往くものらと同じ試練をくぐり抜けることなしに



「あら。いらしたのですのね、八十八番目ラストナンバーさん」


 魔法陣の光をくぐり抜けると、真っ赤に燃え盛る森のなかで軍服姿のブロンド美女がお茶を飲んでいた。


 そのしぐさは優雅で気品に満ちていた。

 彼女の座る前には簡易なガーデンテーブルが置かれ、ティーセット一式が揃っている。ご丁寧にスコーンまで積まれていた。

 背後に絶え間なく火の粉が舞っていたが、彼女はどこ吹く風で紅茶をすする。


 炎の熱さは不思議と感じなかった。

 何か特殊な魔法で熱がさえぎられているのかもしれない。

 そして彼女のテーブルと俺たちがいる魔法陣を守るように、幾人かの神官と魔導士が円を成して直立不動していた。

 なんとも非現実的で、なんとも奇妙な光景だった。


 その光景にいちばん目を見開いていたのはヨーリだった。


「生徒会長……さん……」

「あらら? 誰かと思えば一年生の学年主席、ヨーリ・イークアルトさんではございませんの。こんなところで奇遇ですわね。ご機嫌いかが?」


 そうなのだった。

 目の前にいたのは、ルスト・ヴァンブ・ラージバード。

 五十六番目の勇者。

 伯爵令嬢。

 ホーリーハック魔導魔術学院女子高等部生徒会長の三年生。

 ヨーリが憧れる、流れるような金髪の持ち主だった。


「あ。そこのあなた、そう、あなた。ちょっとお湯を沸かしてくださらないこと?」


 ラージバード嬢が隣に立つ神官に請う。

 しかしその神官が彼女の求めに応じる素振りはなかった。


「そう、あなたも答えてくださらないのですね……。これでもあたくし、頑張ったつもりだったのですけれど……。みんなみんな、いなくなってしまいましたわ……」


 いったい何がいけなかったのかしらね……?

 彼女が誰に向けたふうでもなくつぶやく。

 その瞳は憂いげで、どことなく虚ろだ。


「なあショア。なんだか分からんがこれは何かがヤバいと俺の勘が告げているぜ」

「ああ、俺もだよミリアド……」


 なんだ?

 何があったんだ?

 俺たちが来る前に、ここで何があったんだ?




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「――第五十六番勇者様」


 最初に歩み出たのはセーミャだった。


「あら、あなたは教会の方ですの? あたくしとお茶をご一緒しません?」

「いえ。せっかくのお心遣いですが遠慮させていただきます。申し訳ございません」

「それは残念ですわね……」

「それより第五十六番勇者様、次の転移ポイントへの誘導をお願いしたいのですが」


 セーミャが劫火渦巻く森を見まわして言った。

 その声は俺に向けられるそれよりも淡々として聞こえた。


「ああ……。そうでしたわね……。それがあたくしのお役目でしたわね……」


 ラージバードはそこで何かを諦めたような表情を見せた。

 彼女はティーカップを置いて立ち上がった。腰に下げた剣をすっと抜き、そのまま俺たちのほうへと大仰にかざす。


「このものたちに聖剣の加護を!」


 ラージバードの呼び声とともに彼女が掲げた剣がまばゆくきらめいた。

 そのきらめきはそのまま範囲を広げていき、やがて俺たち八十八番英雄隊全員を包み込んだ。

 俺たちの周囲にはラージバードの剣を中心に三角形の結界が張られていた。


「次の転移ポイント『精霊の泉』は、ここから南に真っすぐ進んだ地点にあります。あたくしが案内してさしあげますわ。さあみなさま、行きますわよ」



 第五十六番目の勇者——ルスト・ヴァンブ・ラージバードの持つ聖剣〈指南剣アトリア〉は、〝南方に進んでいる限りあらゆる外敵の攻撃を受け付けない〟という能力を有していた。

 あまりに限定的な能力のように思うかもしれないが、番号後半の聖剣というのはどれもだいたいこんなものだった。むしろ彼女の剣は下位の剣のなかでは戦いに向いているほうだといえた。

 俺たちは聖剣アトリアの加護の下、一面火の海と化した森を行軍していた。

 結界が守ってくれているとはいえ、炎が目前まで迫ってくるなかを歩くのは心穏やかではなかった。


 ウッドソン部隊長の説明によれば、ここはウェーノルからさらに北東に進んだ先にある『シェノヴガルムの森』。第五十六番から六十番までの勇者の駐留地であり、今回の旅の第二中継地だ。


 この森は古くはエルフが暮らす森だったそうだ。それを約四百五十年前に神聖帝国が征服した。六代目八十八英雄の時代のことだ。

 シェノヴガルムの森は帝国の領地となり、エルフたちは生活と信仰の場を失った。

 以後、シェノヴガルムの森は一部は開墾が進んだものの、エルフの時代から森を護ってきた精霊たちが深部への入植を拒んだ。帝国は長い年月と予算をかけてさまざまな調査を行ったが、精霊の守護を完全に突破することはついぞできなかった。

 そのような歴史的な経緯を経て、いつのまにかこの森は学者や冒険者の集う、ある種の文教地区として存在し続けてきた。

 深奥部に古代の生態系をひそかに残して——。


 その森が、いまはすべて燃えている。

 ごうごうと絶えず炎が渦巻き、定期的に大木が倒れる音がした。


「泉まではもうすぐですわ」


 道先案内人の勇者・ラージバードがアナウンスした。

 案内と言っても彼女の聖剣の性質上、攻略マップは限りなく単純である。

 南の方角に一直線。

 障害となる木々もほとんどが焼け落ちてしまっている。

 ダンジョンとしてはまず迷うことはない。


 道中でセーミャが何度も「勇者様、足元にお気を付けくださいね」だとか「勇者様、つらくなったらいつでもおっしゃってくださいね」だとか気を遣ってくれたが、いくらなんでも過保護に過ぎると思った。……正直ちょっと恥ずかしかった。


「着きましたわよ。こちらが精霊の泉ですわ」


 かくして、俺たちは難なく次の転移ポイントに到着した。

 泉の前は少し開けた空き地になっていて、そこにも同じく数名の神官たちが列立していた。空気がどこか清らかなのは神官の張っている結界のせいだけではあるまい。

 俺たちが魔法陣に入ると、間を置かずに詠唱が始まる。

 本当に息つく暇もない。


「あ、あの! ラージバードさん!!」

「? なんですの?」


 俺は耐え切れず彼女に問いかけた。


「この森の惨状はどういうことなんだ!? あなたと一緒にいたはずの、五十番代後半の勇者たちはどこに行ったんだ!?」

「あらそんなこと……」


 彼女は聖剣を軽く振り下ろすと、アトリアの結界を解いた。

 そのとき神官たちの意識は転移魔法に集中していて泉を囲む結界は弱まっていた。

 たちまち火の手が彼女を囲む。


「もちろん、あたくしが守れなかっただけのことですわ」





 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇





 以降のことはよく覚えていない。

 記憶のなかの回想シーンはどこまでも途切れ途切れだ。

 それでも思い出せる限り語っていこうと思う。



 第三の中継地『旧城下ククポルド』では、六十番代前半の勇者たちが戦っていた。

 転移初っ端からおびただしい数の魔物の強襲を受けながらも、俺たちは次のポイントを目指した。

 もちろんそこでも俺にできることは何もなかったのだが——。


 ククポルドは古城の下に広がる由緒ある街だった。

 丘の上の城はかつて、〝伝説の吸血鬼〟ラストレ公の居城だったという。

 帝国がラストレ公征討に成功したのは時をさかのぼること約五百三十年前。

 三代目八十八英雄の世であった。

 ククポルドはラストレ領時代に要塞都市として隆盛を誇ったそうだが、現代では旧跡となった城を名所としていただく、北東の観光の街として知られていた。

 だが三年前に魔王の力によってラストレ公が復活し、城下の人間は残らず駆逐されてしまった。街には代わりに食屍鬼グール魔霊ゴースト骸骨兵スケルトン跋扈ばっこしていた。

 魔国はククポルドの領有権を吸血鬼ラストレに全面的に委ねていた。

 帝国軍は領地の回復に奮闘していたが、どう見ても地の利は向こうにあった。

 帝国兵による突発的なゲリラ戦はあまり功を奏しているとは言い難かった。


 どうやって次のポイントまで移動したのかは思い返してもはっきりしない。

 はっきりしないが、旧市街を行き先も分からず駆け抜けていた。

 すでに日が暮れ始め、あたりは薄暗くなっていたと思う。

 近衛騎士や六十番代前半の勇者たちに守られながらどうにか逃げ延びたことだけはたしかだった。



 第四の中継地『巡礼地イェセル』では、六十番代後半の勇者たちが戦っていた。

 そこでの敵は魔族や魔物ではなかった。

 中央教会の教義に異を唱える異端宗派の教徒たちが暴動を起こしていたのだ。

 東部の住民のなかにはいまだに神聖帝国が国教とする中央教会の教えに反感を持つものも多く、いままでにも両者の衝突が頻発していた。

 戦時の情勢不安の影響をもっとも色濃く反映しているのがこの地域だった。


 教会の礼拝堂に出た俺たちは現地民衆の罵声で出迎えられた。

 中途半端に武装した市民が各自の聖具を手に教会に押し寄せる。

 たじろぐ六十番代後半勇者たちを尻目にそれまで比較的おとなしくしていたグレイスが「ああーーーっ、もうっ! めんどくさいなあ!!」と言い放つと十数体の魔導機兵を一斉召喚して群衆を蹴散らし、その勢いで魔導機兵に俺たちを引っつかませてその場から強制離脱させてしまった。

 その際、反乱宗徒に混じって俺も蹴散らされたことはもはや言を俟たない。



 第五の中継地『最果ての竜湖』では、七十番代前半の勇者たちが戦っていた。

 神聖帝国北東部最大の水源地とされるこの湖は竜退治の伝承を残す土地だった。

 いまからおよそ五百五十年前、帝国建国から半世紀を経た頃——初代勇者も倒すことのできなかった神話級の暴竜を二代目八十八英雄が総出で鎮圧したという逸話。それは数ある八十八英雄伝説のなかでもとくにポピュラーな話のひとつだった。


 湖面の中心には魔国軍の将軍フルカロルが陣を敷いていた。


 〝洪水王〟フルカロル——あらゆる水を支配するという魔国軍四天王のひとりだ。

 その姿は遠目では判然としなかったが、甲冑を着て有翼の魔獣にまたがる威容からは自軍の勝利を確信して疑わない自信が感じられた。

 対して帝国軍を指揮するのは第七十一番勇者、アロマ・クリッフ。

 ホーリーハック魔導魔術学院男子高等部二年生。

 〝狡猾と謀略の智将〟という英雄ヒーローらしからぬ異名を持つ男。

 番号下位の勇者ではあったが、将としての彼の才覚には定評があった。


 湖には多くの兵士が集められていた。

 水系魔族から成る魔国軍二千の兵。

 それを包囲する帝国軍七千の兵。

 両軍は水面と陸地で睨み合っていた。


「おお。なんだかいままで見たなかでいちばん戦争っぽいぞ……」

「勇者様、時間がありません。どうかお急ぎください」

「あ、うん。ごめん」


 俺は促されるままに次の転移ポイント『鎮めの祠』目指して湖畔の傾斜を登った。

 最果ての竜湖は北東部丘陵地帯にある景勝地だ。

 荒涼とした地平線の彼方に沈む夕陽が美しかった。


 鎮めの祠は陣地からやや離れた小高い岩地にあった。

 転移の刹那に俺が見たのは、フルカロルの操る幾筋もの怒涛が帝国軍全軍に向かって流れ込んでいく場景だった——。



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