第13話 そして最後の勇者が出征する


 ドラゴンたちは空中で規則的な分列を形成していた。

 その光景はドラゴンがたしかな組織的指揮の下にあることを示していた。

 そしてドラゴンの群れのなかにいくつか交じって飛ぶ人工物があった。

 蒸気を噴出し尾翼を持ったそれらはいくつも蓋がついた巨大な鉄の鍋のようでもあり、また鎧におおわれたクジラのようでもあった。

 それは魔国軍の飛行軍艦だった。

 帝国軍でも開発が進められているといううわさは耳にしていたが、実用化されているものは初めて見た。

 飛行軍艦の基底部にはぽつぽつと穴が開いていて、ときどきそこからぱらぱらと黒い粒のようなものが振り撒かれていた。その粒が街に落ちると爆音と火柱が立つのが見え、それが爆弾を落としているのだと分かった。

 フツツリもあれに乗ってやって来たのだろうか。


「沼地の王が倒された途端に霧が晴れてきやがったな」

「蒸し暑さも少し和らいできたような気がします」


 ミリアドとヨーリが口々に状況を分析している。

 これだから優等生は。


「そんなこと言ってる場合かよ! なあ親父、なんで魔国軍が帝都まで攻めてきてるんだ。聖結界と四聖獣の守護があれば魔族や魔物は帝都には近づけないんじゃなかったのか!? 親父は何か知ってるからここにいるんだろ!?」

「ああ、その通りだ。――だが、その件は移動しながら話すことにしよう。あまり一カ所に留まっていると危険だ」

「移動……って、どこにだ?」

「中央教会に行くぞ、ショア! 中隊長のフツツリを失ったことで、魔国軍の指揮系統には一時的にだが乱れが生じているだろう。動くならいまがチャンスだ。ミリアドと……イークアルトさんといったか。そこの二人も一緒に来るとよい!」

「へ?」




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 帝都上空。

 俺たちはグレイスの召喚した大型の魔導機兵のなかにいた。

 魔導機兵の内部は空洞になっていて、そのなかに俺とヨーリ、ミリアド、グレイス、親父の五人が乗っている。

 この魔導機兵のサイズはさっき親父たちが乗っていたものよりもいくらか大きい。

 土偶というよりは巨大な甲冑といった感じの見た目で、背中に四枚の翼が生えている。グレイスによれば飛行に特化したタイプの魔導機兵ということらしかった。


 が、いくら大きいとはいえ大人五人が入るとさすがに狭い。

 ぎゅうぎゅう詰めだ。

 畜舎のなかで出荷されるのを待つ家畜の気分だった。


「魔導機兵ってこうやって使うものでしたっけ……」

「いや、違うと思う……」

「っつーか、ドラゴンがウヨウヨいるのにこんな目立つもんで飛んでて大丈夫なのか?」

「その心配には及ばないよミリアドにぃ! この魔導機兵の外面部には妖精さんたちにお願いして特別な魔除けをしてあるからね、ちょっとやそっとじゃ見つからないよっ!」

「おおっ、さすが天才少女」

「まー、この人数を乗せて飛びながらだと、私でもそんなに長くは持たないかもだけどねっ☆」

「……。ホントに大丈夫なのか……?」


「きゃっ! ショア君、変なところ触らないでください!!」

「え!? あ、ゴメン!?? いや、触ってないよ!?」

「えー、お兄ちゃんのエッチ! サイテイ! ヘンタイ! 女の敵!!」

「いや、だから触ってないって!」

「なに急にラブコメっぽくなってやがんだよ……」

「あーー、もう! そんなことより親父! この状況がどういうことなのか説明してくれるって話だったろ!!」

「ふむ。そうだったな」


 親父はそう言うと意を決した様子で切り出した。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「その様子だとまだ聞いていないのだと思うが――、先ほど、四聖獣が解放された」

「……っ!!」

「そんな、ウソだろ……?」

「ウソではない、本当だ。四聖獣の力を以て魔国軍を一網打尽にする。そういう作戦が発動されたと帝国政府からも正式に発表がされた」


 信じられなかった。

 四聖獣は建国以来、帝都を四方で霊的に守っているされる伝説的な存在だ。

 神聖帝国ではどこの小学校でも必ず教えられる。

 その伝説的な存在が物理的に解放されたという事実が、まずもって現実感のないことだと思った。犬を檻から出すのとはわけが違うだろうに。


「で、でも四聖獣がいなくなったって、帝都にはまだ中央教会が張ってる聖結界があるじゃないか。どっちかがなくなった程度で突破されるほど、この帝都の守りはやわじゃないだろ……?」

「そうだな……政府や教会も最初はそう考えていたのだろう。だからこそ四聖獣を戦力に投入しようなんて作戦が実行された。だが、実際に四聖獣を解放してみると聖結界は瞬く間に魔国軍に突き崩されてしまった」

「そんな……」

「何しろ四聖獣が解放されるのは神聖帝国始まって以来、前例のないことだ。前例がないということは結果を分かっている人間がいないということでもある……。聖結界をはじめとした中央教会の防衛システムは、政府や教会が思っていたよりもずっと四聖獣の力に依存したものだったのだ。そこを魔国軍に突かれた」

「突かれたって、帝都の防衛システムってそんな単純なもんなのか……?」

「無論、単純ではないし聖結界以外にも複雑な体制が敷かれている。ただ、魔国軍は兼ねてより帝都への直接侵攻を画策していたらしい。今回の四聖獣解放は結果的に魔国軍に聖結界を突破する絶好の機会を与えてしまったのだ」

「ゆるすぎるだろ!! 教会は何やってんだよ!!!」

「そんなの、作戦のために帝都を犠牲にしたようなものじゃないですか……」

「まあ、かくいう吾輩も、四聖獣の解放については今朝知ったばかりの情報だがな……。最悪の事態を想定して急ぎ駆けつけたが、遅かったようだ」


 親父は沈痛な面持ちを見せた。

 これまでどれだけ世間や教会から目の敵にされようとも歯牙にもかけなかった親父がこんな表情をするのはめずらしいことだった。


「親父……」


 ――と、ズガンッと大きな衝撃が俺たちを襲った。

 それまで安定していた空間がぐらぐらと揺すられる。うっ、酔う。


「みんなゴメン! 見つかっちゃったみたい!!」

「なんだって! ど、どうすんだよ!?」


 外の様子は見えなかった。

 だが、大気の音のなかにグシュグシュとドラゴンの吐息が混じっているのが分かった。間違いなく囲まれている。


「こうなったらしょうがないっ! 不時着するからみんな衝撃に備えて!!」

「えっ、備えろったって――ぐっはぁっ!!!???」


 魔導機兵が一気に加速し、すごい勢いで体全体に負荷がかかった。


「うがががががががががががががあああああああああぁぁぁぁっっっっ!!!!!」


 落ちてる! これ絶対落ちてるって!!

 頭が真っ白になった。

 何が起こっているのかはだいたい分かるが、だからといって正気を保っていられるかどうかは別の話だった。

 あー、これはヤバいヤバい。今度こそ死ぬかも。

 落下の瞬間、俺は他人事のようにそんなことを思った――。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 次に目を開けたとき、俺は地べたに仰向けに横たわっていた。

 どうやら気を失っていたらしい。


「っつ…………」


 全身が痛い。

 身を起こそうとして関節に力を込めると、ざらついた石の感触が肌を撫でた。

 顔面に粉っぽさを感じたので手で拭う。

 その拭った手も、泥と粉塵にまみれていた。


「おや、気がついたかね」


 すぐ側で渋めのダンディな声がした。よく聞き覚えのある声だ。


「クリーンライト……先生……?」


 口ひげの紳士が俺を心配そうに見つめていた。

 先生もあちこち泥や煤で汚れていた。


「どうして先生が……あいててて……」

「無理をするな。大きな外傷はないようだが、全身を強く打っている」


 たしかに体の部分部分に鈍い痛みがあった。


「いえ、こんなの妹の召喚練習の相手をさせられていたときに比べればなんてことないですよ。ほらこの通り! って、いってえっっ!!」

「……まったく、君はこんなときでも私に手を焼かせるのだな」


 先生はそう言って嘆息した。

 ああ、いつもの先生だ。


 落ち着いて周囲を見渡すと、辺りは崩れた瓦礫の山で満ちていた。

 方々から煙が上がっている。

 瓦礫の陰にはケガをしたひとが何人も倒れていて、時折苦しそうなうめき声が聞こえた。


「あの、先生……ここはどこなんです……?」

「ここは中央教会の本部だよ」

「中央教会……」


 じゃあ、ドラゴンの攻撃を受けながらも目的地には着いていたのか……。


「!! そうだ先生、親父たちはどこに!? 一緒に来たんだ! 無事なのか!?」

「まあ落ち着きなさい。全員無事だよ。お父上も妹さんも。もちろん、ヨーリ君もミリアド君もね」

「そ、そうなんですか……よかった……」


 俺の反応を見ると、クリーンライト先生は少し困ったふうに笑った。


「それじゃあ行こうか。みんな、君が来るのを待っている」




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 クリーンライト先生に案内されて長い階段を下りると、そこは地下室だった。

 その部屋は照明に乏しく暗かったが、天井が高く奥行きがあった。

 なんというか、地下にあるということを感じさせない空間だった。

 ……教会の地下にこんな場所が?


「ここは普段は一般人は入れないらしいのだが……いまは緊急事態だからな」


 先生にそう説明されながら着いていくと、ぼんやりと明るい一角があった。

 はたして親父たちはそこにいた。


「あ、お兄ちゃんだ!」

「ショア君、無事だったんですね! よかった……」


 グレイスとヨーリが安心した顔で迎える。


「ああ……みんなも大丈夫そうだな……」


 再会に安堵していると、暗闇から白いローブを着た大柄な老人が現れた。


「これはこれは八十八番勇者様。よくぞお越しくださいました――」


 …………誰?


「ショア、こちら中央教会のホダルト総大司教猊下だ。今回、私たちの安全を確保していただいた方だ」

「それは……どうも……」


 総大司教、ということはとにかく教会のすごく偉い人なのだろう。たぶん。


「魔国軍の空襲はなお続いておりますが、教会本部周辺には臨時で、より強固な結界を張り直しております。少なくともしばらくの間はみなさんの安全は保障させていただきますよ」

「まあ、そのドラゴンの襲撃があったおかげで私は尋問から離脱できたわけですがね……」

「……クリーンライト先生? その発言はあまりに不謹慎では?」

「失敬。口が滑りました」


「というか、みんなあの状況でよく無事だったな。大きなケガもないみたいだし。俺の記憶だとドラゴンの攻撃をもろに受けて撃墜されたものだと思ってたんだけど」

「あ、そうか。お兄ちゃんは知らないんだね。――あのとき、私たちが乗ってた魔導機兵はすでに教会の真上まで来ていて、あとは着地する場所を見つけるだけだったんだよ。結局、余裕がなくなって不時着したけど……」

「ドラゴンの攻撃には耐えきったのか」

「何しろ私の召喚した魔導機兵だからねっ! そのへんはねっ☆」


 フンスと自慢げになるグレイス。

 あれ? それだとなんで俺だけ瓦礫のなかに倒れていたわけ?


「魔導機兵が大聖堂に直接突っ込んだときはどうなることかと思いましたけど……」

「ステンドグラスを正面から突き破ったからなあ。おまけに直後にドラゴンが追撃してきてご覧の有様だしよ」

「向かってきたドラゴンはすべて吾輩が撃ち払ったがなッ!!」


 ヨーリとミリアドがやれやれといった表情で述懐する。

 あと、親父はちょっと空気読め。


「ドラゴンが教会まで襲ってきたときは本当にもうダメかと……。でも、たまたまクリーンライト先生がいてくださって助かりました。私たちの避難場所まで手配していただいて……」

「まあまあ、みんな無事だったんだからいいじゃん? あ、でも着陸時の衝撃でお兄ちゃんだけ放り出されてどっか飛んでいっちゃったんだよねー」


 教会施設をぶっ壊している時点ですでに無事ではない気もするが?

 というか俺が無事で済んでいないじゃねえか。


「うぉっほん! みなさま、よろしいですかな?」


 しびれを切らしたホダルト総大司教が咳払いをして注意を促した。


「ショア・シューティングスター。貴殿に八十八番目の勇者として中央教会から正式にお伝えすることがございます」

「は、はいっ」


 このおっさんなんか怖い。


「では、こちらの文書を」


 そう言って一枚の紙を手渡される。

 堅苦しい言い回しで何かがびっしり書かれている。


「本当は八十八英雄への任務の通達には公式な手順があるのですが、いまはそうも言ってられません。申し訳ございませんが、諸々の過程は省略させていただきます」


 あ、そういうのいいんで。


「……おほん。ただいまを以て、貴殿を第八十八番英雄隊隊長に任命いたします!」

「隊長……? 俺が……?」

「すでに必要な人員は控えさせております。直ちに現地に出征し、任務を遂行していただきたい」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! いま自分が置かれている状況もまだよく分かってないのに出征だなんて……。だいたい聖剣だって学校に置いてきて……」

「そう言うと思って、お前の聖剣なら私が持ってきたぞ、わが息子よ」


 親父が懐から剣身の短い俺の聖剣を取り出す。


「な……っ!」

「ときは一刻を争うのです。細かい作戦の説明は随行する軍部の担当者からお聞きください」

「だから待ってくださいよ! ……そ、それは本当に俺じゃなきゃいけないんですか? 勇者なら他にもいっぱいいるじゃないですか。だいたい俺の聖剣の能力は戦場向きじゃないし……」

「八十八番勇者様に向かっていただくのは直接の戦場ではありません。魔国の首都・魔都が貴殿の最終目的地です」

「魔国の首都……」

「ショア、これは帝国政府はあまりおおやけにしていないことなのだが……。公認の八十八英雄のうち、すでに第一番から四十番代までの勇者は全員戦死しているか行方が分かっていないんだ。五十番代以下の勇者もみな戦地に赴いておのおのの任務に就いているが、どこも劣勢だ。この戦争、帝国にはもう後がないのだ」

「クリーンライト先生、それは機密事項だと……!!」

「いまさら隠し通してなんになるというのですっ!」


 クリーンライト先生とホダルト総大司教が互いに激高する。

 勇者が戦死?

 行方不明?

 そんな話は聞いたことがない。

 上位の八十八英雄はみんな戦地で華々しい活躍をしているんじゃなかったのか。


「――だからショア、君が最後の勇者なんだ。これはもうお前にしかできないことなんだ。すまないが受けてくれないだろうか。私はもう、君の力になってやれそうにない。本当にすまない……」


 頭がくらくらした。

 落下したときの衝撃がまだ残っているのかもしれない。

 眩暈がして、意識が曖昧になっていくのを感じた。

 遠くでドゴンドゴンと重い音が響いている。

 またどこかで街が爆撃されているのだ。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 まるでわけが分からなかった。


 しかし世界は俺に戦えと言う。

 こんなどうしようもない世界で、俺に勇者として戦えと要請する。

 やめてくれ。

 俺は勇者だけど、八十八番目の勇者なんだ。

 最弱で最底辺の勇者なんだ。

 勇者らしい活躍なんて、俺に期待しないでくれ。

 世界の命運なんて、俺に任せないでくれ。

 やめてくれ。

 やめてくれ。

 やめてくれ。

 やめてくれ。

 

 

 そこで俺の世界は暗転した――。



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