第12話 拝み屋男爵

 

 ドラゴンだ。

 大小さまざまなドラゴンが帝都の空を飛んでいた。

 

 ドラゴンなんて図鑑か教科書の挿絵でしか見たことがなかった。

 大きさや種類によって名称等に違いがあるらしいが、そんなことはいちいち覚えちゃいない。

 俺にとってドラゴンはそういった、どこか現実離れした遥かな存在だった。

 それがいまはそれほど遠くない上空を埋め尽くしている。

 ドラゴンたちは時折めいめいの口から下界に向けて火炎や雷撃を吐いていた。

 攻撃が放たれるたびに市街地のどこかから爆発と轟音が響き、同時にあちこちでひとびとの悲鳴が上がる。


「そうか、やはりさっきの爆撃はドラゴンの魔炎だったんだな。だからあんなふうに局所的な攻撃ができたわけか……ふむ……」

「呑気なこと言ってる場合か、ミリアド! 校舎が崩れるぞ!」


 俺たちは火の手を上げる旧棟校舎をあとにグラウンドに出た。

 ホーリーハック魔導魔術学院の施設はグラウンドを囲むように建てられており、そこに立つと学院全体の状態を見渡せた。


 学院は半壊していた。

 柱が倒れ、壁が崩れていた。教室の窓ガラスは大半が粉砕されてぐしゃぐしゃになり、本校舎は教室の体を保っている部分が少なくなっていた。

 もっとも深刻な被害を受けているのは軍に接収されていた元競技場と講堂だった。

 競技場は黒煙と炎に包まれ、講堂に至ってはほぼ全壊している。あれでは備蓄されていた食糧や兵器も無事ではないだろう。

 学院に居残っていた数少ない生徒たちがあたりを逃げまどい、それをこちらも数少ない教師たちが誘導している。ホーリーハック魔導魔術学院は惨状の極みにあった。


 なんだ。

 ぜんたいなんだっていうんだ。

 どうして俺たちの学校が攻撃されているんだ?

 ドラゴン?

 魔国軍?

 帝都にいれば安全なんじゃなかったのか??

 俺はどうしていいか分からず校庭で立ち竦んでいた。


 そのとき、一匹のドラゴンが学院のほうに向かって炎撃を放った。


「ショア、あぶねえっ!!」


 ミリアドが叫んだ。

 空から飛来する巨大な炎の一塊が間近に迫る。

 熱を帯びた空気が吹き込んできて肌にひりひりと痛い。

 もはや逃げられる距離ではなかった。


 周囲のすべてがスローモーションに見えた。

 ああ、人間死ぬ直前になると自分以外の動きがゆっくりに見えるっていうのは本当だったんだな――。そんなどうでもいいことが脳裏を去来する。

 勇者に選ばれてから数年、結局それらしいことは何もできなかったなあ。

 さようなら世界。

 願わくば、来世では戦争も魔王もない人生を。

 不思議と穏やかな諦念に包まれ、俺がすっと目を閉じたその直後――。

 

 ズブシャアアアァァァッッ!!!!!! と派手な音がしたかと思うと何かずんぐりとした大きな物体が炎を防いでいた。


 ――それは等身大の十数倍はあろうかという巨大な黒い土偶(?)だった。


 突然現れた巨大な土偶が迫りくる炎から俺を守っていた。


「え!? いったいどうしたんってぐはああぁっ!!」


 思いがけず死地を逃れたのも束の間、次の瞬間に俺は横から出現したもう一体の巨大土偶の突撃に遭い、そのまま校庭の端まで吹っ飛んだ。吹っ飛ばされた。


 うええぇぇぇっ!? 何!!?? 何が起こっていやがりますか!!!????

 つーか、俺、さっきから吹っ飛ばされてばっかり!!!!

 混乱する頭でなんとか状況を把握しようと地面から顔を上げると、

 

「お兄ちゃん! 何ぼんやりしてるのっっ!!」


 聞きなれた声が俺を叱責した。


「さすがお兄ちゃん、この非常事態下にあってなお、おのれの危機管理能力のなさを遺憾なくみんなに披露してるねっ! さすが私のお兄ちゃんさすが!!!」


 さすがと連呼しながらまるで俺を褒めていないこの台詞。

 間違いない。

 というか、俺を『お兄ちゃん』と呼ぶのは全世界にただひとりしかいない。

 上に目をやると、先ほど俺を吹っ飛ばした巨大土偶よりもう一回り大きい別の土偶が宙に浮いている。

 その土偶の上に長いブラウンヘアの少女が腕を組んで仁王立ちしていた。


 俺の故郷の貴族向け中学の制服を着たその少女は、大きな目を爛々と輝かせながらいまだ地に這いつくばる俺を睥睨した。


「お兄ちゃん、自分の底辺っぷりを体を張って表現しようとするその姿勢は賞賛に値するけど、この状況でいつまでもそうしてるといい加減死ぬよお兄ちゃん?」

「うるせえ! 俺だって好きこのんで地面に這いつくばってるわけじゃねえわ!!」


 全力で俺を見下してくるこの美少女。シューティングスター男爵家長女にしてわが最愛の妹、グレイス・シューティングスターがそこにいた。


「ねえねえー、お父さんからもお兄ちゃんに何か言ってやってよー」


 え? 親父も来てるの!?

 と、グレイスの乗っている巨大土偶の口の部分がぱかっと開いた。


「――そうだぞショア!! ドラゴン一匹の攻撃など、おのが拳で打ち砕いてみせよ!!!!」


 土偶のなかからやたらと威勢のいいおっさん――俺の親父が顔を出した。

 親父は「とうっ!」と叫ぶとそのまま土偶を飛び出し、空中で一回転する動作を挟んで地面に着地した。

 筋骨隆々とした屈強な巨体。

 シャツもズボンもぴちぴちに張っている。ベストとフロックコートを着込んだ正装が筋肉の盛り上がりに圧迫されてひどく窮屈そうだ。

 髪をきっちり撫で付け口ひげとあごひげを伸ばしたその面貌こそ〝貴族っぽい〟が、逆に言えばそれ以外は貴族というよりむしろ剣闘士グラディエーター修行僧モンクのようだ。

 筋肉の権化のような豪傑。

 それが俺の父親、つまりシングメル・シューティングスター男爵なのであった。


「わははははっっ!! 久しぶりだな息子よ! 元気にしていたか!?」


 親父が豪快に笑う。

 暑苦しいことこの上ない。


「親父さん、相変わらず元気が漲ってるな……」

「こちらが、ショア君のお父様……?」


 吹っ飛ばされた俺のほうに駆け寄って来たミリアドとヨーリが、突然の親父の登場にやや引き気味の感想を漏らす。


「いかにも! 吾輩がショアの父であるッ!!」

「そして私がお兄ちゃんの妹のグレイスだよっ! みなさん、愚兄がいつもご迷惑をおかけしてますっ☆」


 いつのまにか土偶から降りてきていたグレイスが親父に続いて自己紹介した。

 はあ……。なんだか一気に疲労感が襲う。

 

「っ!! お父さん、うしろうしろ!」


 グレイスが叫んだ方向を見ると、親父の背後斜め上から中サイズ程度のドラゴンがこちらに向かって滑空してくるところだった。


「なんのっ!! ふうぅんんぬぅっっ!!!!」


 親父は振り向きざまにすばやく拳に覇気をまとわせるとそのまま力強く振るった。

 間近に迫っていたドラゴンは親父の素手の一撃を受け、一瞬でパンッと霧散した。


「シューティングスター流封魔術の前に打ち砕けぬものなしッ!!」


 親父はドラゴンを打ちのめした拳を天高く掲げ、決め台詞のように宣言した。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 ――元をたどると、かつてのシューティングスター男爵家は地方の土着的な祭祀をつかさどる術師の家だったらしい。実際、いまも俺の実家の裏手には小さな神殿と祠があり、名目上はそれら地域の信仰対象の管理・運営が、シューティングスター家が帝国から言い付かっているお役目ということになっている。

 もちろん祠を管理することは地方貴族であるシューティングスター家が負う重要な家業のひとつだ。しかし、実態はそれだけではない。


 祭祀を前提とした魔物封じ。

 それが現在、シューティングスター家が担う主な仕事であり職能であった。

 しかもシューティングスター流の封魔術は中央教会の神官が行うそれとはやり方がかなり異なっているらしく、たとえ当家の人間が首尾よく魔物を封じたとしても教会の司祭や神官からはあまりいい顔をされない。


 帝国貴族でありながら魔物封じを生業とする。

 しかもその体系は教会の教義とは外れている。

 親父が世間で〝拝み屋男爵〟などと揶揄される所以であった。

 本人は気にしている様子はないが。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「親父、急にやって来てどうしたんだよ! この魔国軍の攻撃となんか関係があるのか!? いったい帝都に何が起こってるんだよ!?」

「お、ショアの横にいるのはミリアドじゃないか!! 久しぶりだな!!」

「聞けよ」

「うっす。お久しぶりです。グレイシーも」


 グレイシーというのはグレイスの愛称だ。


「うん! ミリアドにぃも元気そうだね!」

「わ、わたしはヨーリ・イークアルトです。ショア君と同じホーリーハックの一年生です。はじめまして……。あの、これ、魔導機兵ですよね? あなたが召喚したんですか……? こんなに大きいのをひとりで……」


 ヨーリがグレイスの背後にそびえる巨大土偶を見上げておずおずと尋ねる。


「そうだよっ! 出そうと思えばもっとすごいのも出せるよー」


 グレイスはにかっと笑うと自慢げに胸を張った。

 

 妹のグレイスはシューティングスター家の巫女であり、召喚士だった。

 グレイスが乗っていた土偶――便宜的に土偶と言ってきたが正式には魔導機兵という――も彼女が召喚したいわゆる使い魔である。

 グレイスはさまざまな種類の魔導機兵を召喚することを得意としていた。しかも一度に複数体の召喚を難なくこなす。おまけに巫女として精霊や妖精の使役にも慣れていた。彼女は幼少の頃からその才能を惜しみなく発揮し、地元では天才召喚少女として名高かった。


「おいグレイス、知った仲のミリアドはともかく、ヨーリは初めて会ったんだからあんまり馴れ馴れしくするなよ。ヨーリに失礼だろ。一応、年上なんだし」

「おう、ミリアドはともかくってなんだよ。別にいいけどよ」

「あ、あの、ショア君、私は別に構いませんので……」

「そうは言ってもなあ」

「ヨーリさんだね。よろしく! お兄ちゃんに帝都で女の子のお友達ができてるなんて、グレイスびっくりだよ!」

「おい、今度は俺に失礼だろ……って、なんだ? この霧……?」

 

 気がつくとグラウンドいっぱいに白い霧が立ち込めていた。

 それまで見えていた学院の校舎や周囲の様子がまったく見えなくなっている。

 親父の表情が瞬時に険しくなった。


「……待てみんな、どうやら挨拶を交わし合うのはあとにしたほうがよさそうだぞ」


 不穏な雰囲気が漂っていた。何かが起こる気配がした。


「見ろ、あそこに誰かいるぞ!」


 ミリアドが一層霧の深いあたりを指した。


 濃霧が立ち込めるグラウンドに、ぽつんと東洋風の美女が佇んでいた。

 髪の長い女だ。

 意味深げに妖艶な笑みを浮かべている。

 紫がかった長い黒髪に不健康なまでに白い肌。その肌は純白というよりは緑白色をしていて、おまけにぬめぬめとした光沢を放っている。たとえるならばそう、水辺の爬虫類のような――ちょうどカエルやイモリのそれを連想させた。

 一応軍服の上着らしいものを肩から羽織っているが、胸当て以外はもろに肌けていてあまり意味を成していない。胸は大きくないもののスレンダーな体躯には独特の色気があった。

 それだけなら少し風変わりな女性で済まされるかもしれなかった。

 しかし彼女には普通の人間と決定的に違っている点があった。


 彼女は腰から下が蛇そのものだったのだ。

 爬虫類のようなというか爬虫類の下半身だった。

 

「……誰だ。その姿は人間じゃあないようだが、魔国軍の軍人か……?」


 ミリアドが睨みつける。

 彼女はふふっと笑ってこちらを見据えた。口元の紅が白い肌によく映えていた。


「いかにも。妾は〝竜姫〟フツツリ。四代目沼地の王とは妾のことよ。今回は魔国軍帝都制圧先遣部隊第一中隊長として参上した次第じゃ」


 フツツリは蛇体の半身をくねらせながらそう名乗ると鋭く目を細めた。


「沼地の王だと!? そうか、さてはここ数日の異様な蒸し暑さもお前の仕業か!」


 すっかり解説役となったミリアドが補足する。


「ふふふ。その通りぞ。これまでは聖結界に阻まれ帝都周辺の湿度を高める程度のことでしか干渉できなかったが……。しかし四聖獣が放たれ結界も破られたいま、ここは妾のフィールド……! 帝都ごと霧と沼の底に沈めてく」「グレイス! 全力召喚だ!」


 フツツリの台詞をさえぎって親父がグレイスに呼びかける。

 あの、フツツリさんの話も少しは聞いたってあげて?


「了解だよ、お父さん! 召喚陣全力全開!! みんな、お願いっ!!!!」


 グレイスが叫ぶと複数の妖精と土偶――魔導機兵たちがフツツリを取り囲んだ。


 グレイスの戦闘スタイルは至ってシンプルだ。

 魔導機兵の大量召喚。

 巨大な魔導機兵を休む間もなくポンポン召喚してはそれらをポンポン投げつけてくるという非常識な戦い方を好む。妖精術と組み合わせたその戦い方は少なくとも地元の同年代の間では無敵だった。

 そして兄妹だからというだけの理由で毎回その練習に付き合されるのは俺なのであり、昔からそのたびにフルボッコにされた。


「はっ。妖精のチビどもと土人形がいくら束になってかかって来たところで造作もないわ――って、こいつら力つよっ!? あれ!? ちょ、動けな……!」


 妖精と魔導機兵がフツツリをがんじがらめに押さえていた。


「もらったああぁぁッ!!」


 すかさず親父が右の拳を構える。


「前略ッ!! ――天空の神よ国土の神よ、この世に満ち満ちる精霊たちよ! どうかいまこそわれに力を与え給う!! ハアアアアアアァァァッッッッ!!!!」


 親父はシューティングスター式の祝詞を唱えつつ破魔の覇気を込めると、そのままひねりを加えた渾身の一撃をフツツリに撃ち込んだ。


「ぐぶはああぁっっ!?」


 フツツリが顔に不似合いな声を上げて吹っ飛ぶ。


「とどめだ、封・滅!!!」


 倒れ込んだフツツリに親父が再び拳を振り下ろす!


「ああ、ちょっと待って! あ、そんなあああああぁぁぁ!!!!!」


 助けを乞う叫びもむなしくフツツリは弾け飛んでいった。

 ついでに親父の放った覇気の余波で小ぶりのドラゴンが何体か落下した。


「ふぅ。アタック二発か。思ったよりかかってしまったな……。さすが沼地の王。いまはどうか安らかに眠り給え」


 親父は汗を拭うと片手で拝むポーズを取った。

 フツツリさんの出番これで終わりかよ。かませにもほどがある。


 ことが済むとグレイスが親父のほうに駆け寄っていった。


「やったねお父さんさすが! ほら、ハイターッチ!!」

「おおわが娘よ! ハイターッチ!」


 愉しげに手のひらを打ち合わせる父と娘。なんだこの親子。


「四代目沼地の王……。魔王の軍門とは言え、もとは彼女も土地神だろう。きちんと供養をして差し上げなければならん。……そうだな、あとでここに祠を建てよう」

「いや、ここグラウンドのど真ん中だから」




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