第9話 勇者など聖剣の付属品ですよ


 同日の夜、帝都。


 ブラック・クリーンライトは嘆息していた。

 彼は中央教会の大聖堂の前で辻馬車タクシーを降りると正面のアーチを見上げた。石造りの教会は過度に装飾され、扉から柱、破風に至るまで仰々しい彫刻で埋め尽くされていた。アーケード部分からは天窓を兼ねた尖塔が天を突くように鋭利に伸びている。


 クリーンライトはホーリーハック魔導魔術学院の歴史科教師である。

 今夜は中央教会からの呼び出しに応じるべく、日頃から手を焼いている問題児の相手も早々に、帝都中心部にある教会の本部までやって来ていた。

 教会本部は複数の施設からなるが、一般市民が内部に至るには目の前の階段を踏破せねばならない。

 クリーンライトはしぶしぶ足を踏み出す。

 傾斜は緩いものの無駄に末広がりの大階段は建物までの距離を長く感じさせた。


「やれやれ。勤務時間外労働じゃないのかこれは……」


 そうひとりごちる。

 もちろん学院から相応の手当ては出ていたがそれはそれである。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 大聖堂のなかは大勢のひとであふれていた。

 規則的に並ぶ支柱が、埋め尽くされた群衆の間から生える葦草のようだった。

 ひと混みをかき分け身廊のさらに中央を進む。

 礼拝に来た市民もいるのだろうが、ここにいる多くが地方からの避難民であった。

 老若男女みな怯えるように身を寄せ合っている。浮浪者同然の格好のひともいる。

 それは字義の通り神にすがり助けを乞うひとびとであった。

 

 大聖堂にひとが雑多にひしめき合うさまは教会にとって常態ではなかった。

 むしろ異常であるとさえ言えた。

 すべては魔国との戦争が悪化してからのことだ。


 魔国軍の侵攻、そして魔王の力で活発化した魔物の活動によって帝国のひとびとの生活は危機にさらされていた。それは帝都から離れれば離れるほど深刻になり、護りが薄く教会の影響力が弱い都市から順に魔国軍に占拠されていた。

 いまでは神聖帝国の領土は北方を中心にほぼ三分の一が魔王の手の内にあった。

 

 帝都は中央教会の聖結界せいけっかいと四方に封された四聖獣しせいじゅうの力によって守られている。

 魔族の力も帝都までは及ばない。

 帝都は大陸に住むひとびとにとって魔族の脅威から逃れることのできる数少ない聖域であった。自然、ひとは安寧の地を求めて帝都を目指し、教会の門扉を叩いた。

 当初は受け入れを渋っていた教会も避難民の数が膨大になるにつれ見過ごすこともできなくなっていった。


 しかしそれすらも、もはや過去の話である。


 帝都は大陸全土から救いを求めやって来る教会信徒たちの吹き溜まりと化した。

 土地も物も何もかもが足りなくなりつつあった。


 十年続く魔国との攻防。帝国は疲弊していた。

 



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 クリーンライトは嘆息した。

 教会はあまり好きではない。

 教会という場所も教会のなかにいる人間も、どちらも好きになれない。

 だがこの帝国で生きていく以上、敬虔な信徒として振る舞わずに社会的地位を得ることは難しい。まして自分は国を代表する公的教育機関の教員だ。

 折り合いは付けなければならない。

 彼は再び嘆息した。

 

 ブラック・クリーンライト。

 彼がホーリーハック魔導魔術学院の学生たちの間で秘かに〝溜め息先生〟とあだ名されていることを、彼は知らない。

 



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 ひとの波に押しつ押されつされながらうろうろしていると、祭壇脇からクリーンライトを手招きする人物があった。

 白いローブに身を包んだ中年の男。布の隙間から高価そうな装飾具が覗いている。 おそらく教会の司教だろう。

 彼はにこやかな顔でこちらに近づくとうやうやしげに話しかけてきた。


「ブラック・クリーンライト先生、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 次にクリーンライトが気がつくと、何もない黒い空間にいた。

 ここはどこだろう。どこかの礼拝堂だろうか。

 天井が高いことはなんとなく分かるが、それもどこまで見上げてもただ暗いだけで、大聖堂にあったようなごてごてとした装飾は一切見当らなかった。

 フラットな空間だ。

 全体的に色彩に乏しい。

 教会施設のなかのどこかのはずなのだが……。


 広い教会本部のなかを随分と連れ回されていた気がする。

 どうも記憶がはっきりしない。

 それは、


 漆黒の部屋の奥は数段高くなっていた。あらゆる光が吸い込まれるような暗闇のなかにあってそこだけスポットライトが当たったようにすっと明るい。光の中心には白い演壇が置かれ、そこに立てひじを突く姿勢で老齢の男がこちらを見下していた。

 男は純白の地に金の刺繍が入ったローブをまとっていた。

 がっちりとした体格からは尊厳さというより威圧感を感じさせる。しわの多い顔は笑みを崩さないがその瞳は笑っていない。

 男の名はホダルト総大司教。中央教会において絶大な権限を持つ教会幹部のひとりであり、今回クリーンライトを招請した張本人であった。


 暗がりに目が慣れてくると、総大司教の後ろにもうひとり誰か立っているのに気づいた。灰色のスーツの男だ。こちらはまったく見覚えがなかった。

 その顔は青白くこれといった特徴がない。

 数名しかいないこの場において目立たないのがかえって不気味である。

 ――誰だ?

 教会の人間ではないようだが……。


「これはこれはクリーンライト先生。ようこそお越しくださいました。夜分のご足労、誠に痛み入ります」


 ふいに、ホダルト大司教がその体勢を崩さぬままフランクに語りかける。


「ま、とりあえずお掛けになってください。どうか気楽に」


 と、演壇の前にただひとつだけ置かれている椅子を指した。

 言われるまま示された椅子に座る。

 自分をこの部屋まで連れてきた司教は下がらずそのまま背後に立っていた。

 

 ――何が気楽にだ。これでは異端審問の尋問じゃないか。


「まー、まどろっこしい前置きをすると長くなりますからね。率直に要件だけ申し上げますね」


 口調が緩い。向こうは気兼ねのなさを演出しているつもりなのかもしれないが、軽くあしらわれているようでこちらとしては苛立たしさが高まる。


「えー、召集命令です。あ、先生にではありませんよ。おたくの生徒、先生が指導を担当されている学生さんにです。お分かりと思いますがこれは勅令ですので、ね」


 言い渡される内容の予想はついていた。

 いままでも教師経由で生徒への召集が告げられることはあったからだ。

 しかしその場合ほとんどが軍の使者が学院へ直接そのことを伝えに来たし、あくまで自分は学長の付き添いというかたちだった。それをわざわざ教会を通じて勅令がくだるということはつまり――。

 

「先生もお察しの通り、今回は勇者――八十八英雄の召集です。畏れ多くも神託にも『いまこそ約束のとき』というお言葉がありました」


 やはりそうか。

 しかし本人や学院の代表である学長ではなく、何故自分にそれを言う?


「ああ~、ええ~……、あの八十八番目の……何といいましたか」

「ショア・シューティングスターでございます、猊下げいか


 背後の司教が補足する。


「シューティングスター……あ~~、はいはいはい。そう、拝み屋男爵のせがれね」


 拝み屋男爵――世間はショアの実父であるシングメル・シューティングスター男爵をそう呼ぶことがあった。それは男爵の能力的あるいは職業的性格を言い表す呼称であると同時に嘲笑の意味が多分に込められていた。

 この呼び方が息子であるショアを世間的に後ろ指を指される立場に追い込んでいる理由のひとつともなっていたのだが――それはいまの本題ではない。


「……それでは、私は召集の旨をすぐにショア・シューティングスターに伝えればよいのでしょうか」

「いえいえ、召集令状は軍から直々に八十八番勇者に渡される予定です。先生の手を煩わせることはございませんよ」


 では、何故自分はここに呼ばれたのか。

 なおのこと分からない。


「今回の召集命令は、これまでのそれとは違いちょっと特殊でございまして……。まあ、八十八番目の聖剣の特質を考えるとある意味で必然ではあるのですけどねえ」

「どういう……ことです……?」

「おお、これはいけない。私としたことが迂遠な言い方になってしまいましたね。結論から申しましょう。八十八番勇者の作戦行動に関して、クリーンライト先生、あなたにもご協力をお願いしたいのです」

「協力……」

「これは決定事項です。よろしいですね?」

「いえ、協力も何も、私はホーリーハック魔導魔術学院の教師です。それが帝国の意志であるなら拒否する理由はありません」

「ああそれと、この作戦は徹頭徹尾、極秘裏に進められることになっておりますので、どうか他言無用で」


 ――極秘裏だと?

 勇者の作戦が極秘裏。

 それはたしかに特殊だと言えた。


 八十八英雄は神託によって選ばれた時点で世間の注目を浴び、彼らの出征はそれ自体が帝都の一大行事となっていた。

 戦時中にもかかわらず毎回華々しいパレードが行われ、帝都中の歓声のなか勇者たちは戦場に向かう。

 むろん八十八人の勇者全員それぞれに逐一パレードを行ってきたわけではない。

 ひとりの勇者だけを送り出すこともあれば、他方で一度に複数人の勇者を送り出すこともあり、むしろ後者のケースのほうが多い。しかし勇者の出征は毎度一般の兵士のそれとは比較にならないほど盛大で大掛かりなものであった。


 八十八英雄の能力はそれぞれが所有する聖剣の力によって決定される。

 総勢八十八人の勇者の能力はバラバラで、期待される戦果もバラバラだった。

 そのため、個々の勇者が戦場でどのような成果を挙げてくるかというのは帝国民の社会的関心事のなかでもつねに優先順位が高いコンテンツであり、軍の発表を待つまでもなくさまざまな憶測がなされていた。

 実際、勇者の特殊能力はどれも個性的で、彼らに求められている活躍の内容をを明らかにすることは帝国全体の戦意高揚を鼓舞する効果もあった。

 帝国の内部においては、勇者の行動に秘密もへったくれもない。

 それを今回は、極秘裏だと言う。


「このたび八十八番目の勇者に課せられた使命はただひとつ。魔国軍の主要な魔力供給源を断つこと、この一点です」

「魔国軍の魔力供給源だって!? それはつまり……」

「ええ、そうです。魔力供給源――要するに魔王の暗殺、ですね」


 ホダルト総大司教はフランクな口調を変えることなく、事もなげに言った。


「馬鹿な……! そんな作戦があり得るというのですか!?」

「現在、魔国軍が人間側を凌駕した戦闘力を維持しているのも、各地の魔物が活発化しているのも、現魔王が持つ膨大な魔力配分の能力によるものです。それならばそのエネルギーのおおもとを断絶してしまえばいい、そういう判断です」


 魔王の有する特殊なエネルギー供給能力によって魔国軍が活動を続けていることは事実であった。いまの魔国軍の根幹を成しているのは魔王そのものだ。


「ですが、国同士の戦争で国家元首の暗殺が目標というのは……。それに魔王の供給のメカニズムの詳細はいまだにはっきりとは解明されていないはずです。そんな不確かなもののために勇者を――?」

「正直言いますとね、私だってどうかと思う部分がないわけではないのですが――あ、これはオフレコでお願いしますよ――参謀本部でそのように決まったのです。きちんと諮問委員会の助言も得ております」


 魔王の暗殺だと?

 それが本当に『最後の勇者』に求められている任務なのか?

 それとも敵国のトップさえ討てばあらゆる問題が解決するとでも言うのだろうか?

 しかもそれをひとりの勇者が担うというのだ。


「何も参謀本部も無根拠にこんな作戦を立てたわけではございません。聖剣の力を行使する作戦は教会の承認が不可欠でございますしね。いま現在帝国が置かれた状況において、八十八番目の聖剣が持つ力を最大限有意に使うことのできる方法は何かと議論を尽くした結果でございます」

「八十八番目の聖剣が持つ力……」

「聖剣はそれ単体で魔を討ち滅ぼすことのできる強大な武器です。そして現状、魔王の脅威に対抗するためには聖剣の力が不可欠です。それを使いこなすことができるのは若き勇者たちしかいないのです。残念なことに」


 残念と言いながらホダルト総大司教は張り付いた笑みを崩すことはない。


「さまざまに能力の異なる聖剣を十全に活用するためには、聖剣の力を発動させることのできる勇者には何としても頑張っていただかなければならないのです。たとえそれがどのような方法であっても、ね」

「勇者は聖剣のための駒とでもおっしゃりたいような言いぐさですな」

「……決してそんなことはございませんよ、先生」


 暗く空虚な空間に、少しく緊張した空気が走る。


「——とは言いましても任務は暗殺ですから。いままでの勇者のように大っぴらにすることも難しい。勇者の出征といえば国を挙げて華々しく送り出すのが通例ですがね。今回はそうもいかないのですよ。軍事上の最高機密という奴ですなぁ」

「……それほど機密性の高い事項であるならば何故わざわざ呼び出してまで私にそれを伝えるのです? 先ほどからそれが分からない。ホーリーハックの学長に直接申し付ければよいのでは?」

「学長殿はすでにご存じですよ。というよりも、彼は諮問委員会の一員ですからね。この作戦の立案時からかかわっている関係者のひとりです」

「ではなおのこと……」


「——まだお分かりになりませんか?」


 そこでそれまで沈黙を続けていた背後の司教が口を挟んだ。


「ブラック・クリーンライト先生、あなたには中央教会の教義に反する思想を有している容疑が出ているのです」

「……っ!! 何を……!!」

「まあまあ落ち着いてください。あくまで疑いがあるかもという話です。ただ、調査部からそういう報告が上がってきましたのでね、私としても立場上、見過ごすわけにもいかない。そこでちょっといくらか確認をですね、させていただきたいと」

「……言いがかりだ」

「クリーンライト先生、あなた数日前に帝国大学のイークアルト教授と接触していますね?」


 司教が尋ねる。


「それが何か……」

「イークアルト教授が帝都でも有名な反中央教会派の言論人であることをご存じないわけではありますまい?」

「それは……」

「それと先日までホーリーハックで魔術化学を担当していた錬金術師のナイト・ロングライス氏――彼は軍の研究所から再三に出向要請が出ておりましたが、それにギリギリまで反対したのは他でもない先生、あなただったという話ではありませんか」

「それはあくまで生徒のために……」


 イークアルト教授の件はともかくロングライス先生の出向は軍のほうの問題のはずだ。教会は無関係なのでは? その疑問を口にする余裕もなく――。


「――まあ、いずれにしろ先生は作戦の秘密を知ってしまいましたからね。このままただで帰すわけにはいかなくなってしまいましたしねえ」


 そこに至って自分が囲まれていることに気づいた。

 白いローブの人間が五人ばかり周りに立っている。


「そういった事情ですから、先生には少々手続きをお願いしたいのです」

「私は潔白です、総大司教! 教会に、まして帝国に反意などありません!」

「何、あくまで機密性保持の一環ですよ。ご同行……願いますね?」

「く……」


 抵抗の余地はなかった。

 クリーンライトは引き立てられるようにその場をあとにした。

 総大司教の後ろに控えていた灰色の男はいつのまにかいなくなっていた。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「おつかれさまでございました、猊下」


 ブラック・クリーンライトの退室を確認すると、司教が口を開いた。


「……しかし勇者というのもたいへんでございますね。公認の英雄とはいえまだ年端もいかぬ身で望まぬ戦いを求められる」

「なんだ、いまさら『勇者様』に同情の念でも湧いたかね」

「まさか」


 司教は口角をわずかに上げて笑った。


「勇者など聖剣の付属品ですよ」





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