第二章 転生篇Ⅱ

第14話 目覚めると普通の高校生になっていた



『……くん……お……て……くださ……』


 なんだろう。どこからか声がする。

 その声は俺を呼んでいるようだった。

 どこか懐かしく、随分親しげな響きに聞えるがはっきり思い出せない。

 昔から知っているような気もするし、ごく最近知ったばかりの声にも思える。


『……も……おきて……い……っ……』


 誰の声だろう。

 やはり俺を呼んでいる。

 しかし俺の意識は声に応えることを拒んでいた。

 


 ――ほら! 起きてください! ショウヤ君!!



「はっ」


「あ、やっと起きましたね」


 目覚めると制服姿の少女が俺の肩を揺すっていた。

 夏服なのだろうか。白いブラウスにチェックのプリーツスカート。

 ストレートのおさげ髪をきっちり分けた真面目そうな少女だ。


「あれ? ここはどこだっけ……?」

「もう、ショウヤ君。文化祭の準備、遅れてるんですからこんなトコでサボってないで早く手伝ってください」

「ショーヤ君? 文化祭? お前、何を言って……」

「自分の名前も忘れたんですか? あと、私は『お前』じゃないです。ヨリコです。サイトウヨリコです」


 ヨリコと名乗る少女は呆れた顔でそう訂正した。


 見回すと学校の教室だった。

 長方形の空間。

 整然と並べられた机と椅子。

 前には時計と黒板とスピーカー、後ろには掲示板と棚と掃除用具ロッカー。

 正面から見て右側が廊下とドア、左側が窓。

 ところどころに段ボールやパイプ椅子が積まれているところを見るに、普段から授業に使われているのではなく空き教室らしい。

 そう、なんの変哲もないごくごく一般的な高校の教室だ。

 何もおかしいところはない。

 どうやら俺は机に突っ伏して眠っていたらしい。

 まだ頭がぼんやりする。

 頬には制服の布地の跡ができていた。


「何か長い夢を見ていたような……。とても長い夢を……」

「まだ寝ぼけてるんですか? ――ほら、起きてください!」

「あ……」

「? 何ですか? 私の顔に何か付いてます?」

「いや、それとまったく同じ台詞をついさっきも聞いたような気が……」

「……? ……本当にどうしたんです? 大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないかもしれない……」

「ええー、しっかりしてくださいよーっ」

「……。その台詞もさっき聞いた気がするな……」

 

 頭が覚醒するにつれて意識と記憶が鮮明になってきた。


 そうだ。俺の名前は騎士田キシダ翔也ショウヤ。私立浮遊山ふゆうざん学園高校の二年生だ。

 そして俺を起してくれた少女は再藤サイトウ頼子ヨリコ

 俺の幼なじみだ。

 そう、俺の大切な幼なじみ。

 名前を思い出すと、それを合図としてさまざまな記憶ビジョンが堰を切ったようにどっと脳内に流れ込んできた。


 まず目に浮かぶのはヨリコと過ごしてきた記憶だ。

 初めて互いの名前を呼んだあの日。

 いじめられそうになっていたヨリコを偶然にも俺が助けることになった中学時代。

 ともするとサボろうとする俺をヨリコが見かね、それならと言って二人でそれぞれの苦手教科を教え合った勉強会。

 高校の合格発表の日には一緒の高校に行ける喜びをともに分かち合った。

 どれもかけがえのない思い出だ。

 どうして忘れていたのか。


 いまは夏休み前の文化祭準備の真っ最中。

 俺は準備作業の途中に少し休むつもりでそのまま眠ってしまっていたのだ。

 俺がいつまで経っても戻らないので、探しに来たヨリコが寝ている現場を発見。仕方なく起こしてくれたというわけだ。

 そうとも、何もおかしいところはない。

 でもなんだろう。大切なことを忘れているような気がする。

 何か、俺にとってとても大切なことを――。


「文化祭の実行委員、立候補したからにはきちんとやってもらうんですからねっ」

「それはそうだけど、俺はヨリコがやるっつーから仕方なくだな……」

「ええー。なんですかそれー」

「だってヨリコは実行委員だけでなくて学級委員もやってるじゃん。人見知りなのに明らかにポテンシャルをオーバーしてるだろうよ」

「それは、その……。あのときは、他にやりたいってひともいませんでしたし……。なら、私がやらなきゃと思って……」

「ま。俺が男子の委員を引き受けたからにはうまくカバーしてみせるさ。ヨリコの幼なじみとしてな。ヨリコは大船に乗ったつもりでいてくれればいいよ」

「またそんなこと言って……。でも、あ、ありがとうございます……」


 ヨリコがもじもじと顔を赤らめる。


「ヨリコはホントにいい子だよなあ」

「えへへ……って、それとこれとは話が別ですっ! ごまかさないでください!」

「あははっ」


 ヨリコは照れたような怒ったような、どっちともつかない態度で俺を責めた。

 そんな幼なじみの姿を俺はあらためて眺める。

 華奢だが特別小さいというわけではない背格好。幼さの残る丸っこい顔立ちはどんなに怒っているときでもどこかゆるく抜けた印象を与える。

 そして何より目を惹くのはその髪だ。

 長いおさげ髪がブラウスの肩にかかっている。

 すうっとつややかに長く伸びた黒髪。

 自然光を反射し、まるで自ら輝きを放っているかのような光沢が目にまぶしい。

 幼い頃から見慣れているとはいえ、やっぱり何度見てもきれいだった。

 

「でもさ、思えば俺もヨリコとは長い付き合いになるけど、お前は相変わらず敬語を崩さないよなあ」

「何をいまさらなことを言ってるんですか、ショウヤ君。それに私が敬語なのは誰に対しても同じです。ショウヤ君だけを特別扱いしているつもりはありませんよ」

「まー、俺もいまになってヨリコにイメチェンされても反応に困るけどな」

「むぅ、なんですかそれ! 私だってイメチェンのひとつやふたつできます! やってみせます!」


 そう言って不満げなヨリコだったが、実際ヨリコが『やっほーショウヤ! おっはよーさん!』なんて挨拶してくる姿とか俺には想像できない。

 そういう口調の軽い奴は別にいるからいいのだ。

 そんなことを考えていると、教室のドアがガラッと勢いよく開いた。


「——よおっ、ショウヤ! ここにいたのか! 探したぜぇ相棒!!」


 背の高い男子生徒が飛び込むように教室に入って来た。


「お、噂をすればなんとやらだな」

「なんだなんだ俺の噂してたのか? かーっ、人気者はつらいねえ!」

「ちげーよ。いや、ちがくないけど」

「あ。噂と言うならやっぱ前振りにくしゃみとかしといたほうがよかったか? 定石として」

「なんでだよ。なんの前振りだよ」


 騒がしく話すこの男子の名前は鎧津ヨロヅ愛吾アイゴ

 俺のクラスメイトである。

 

 俺は目の前のアイゴを見上げる。

 冗談みたいにひょろ長い。

 頭髪は長めの髪をオールバックにキメている。その髪の色も冗談みたいな赤毛だったが、こちらは地毛だそうだ。

 口が悪いついでに目つきも悪くそれでいて調子のいい奴だが、気のおけない俺の親友だ。


「どうしたんだアイゴ。わざわざ俺を探しに来てくれたのか?」

「おお、そうだった。ショウヤ、妹ちゃんが来てるぜ」


 そうアイゴが言い切らないうちに、アイゴの後ろからひょこりと少女の姿が見えた……かと思うと、ものすごい勢いで俺のほうに飛びついてきた。

 飛びついてきたというか、ほぼ体当たりだった。

 俺はそのまま少女に押し倒されるかたちで床に叩きつけられた。ぐはっ。


「いえーい、お兄ちゃん! 来ちゃったっ☆ なになにー? お兄ちゃん、私の噂してたの? かわいい妹がいなくてそんなにさびしかった?? 私はさびしかったよ??? ねえねえ????」

「いてて……。ウララ、いいからそこをどいてくれないか……」 


 俺の上に乗っかって俺のことを『お兄ちゃん』と呼ぶこの少女は騎士田キシダウララ

 ただひとりの俺の実妹だった。

 中等部から直接来たのだろう、彼女はまだ制服のままだった。

 茶色っぽい髪は長く下ろされている。

 爛々と輝く大きな瞳にはやや狂気めいたものを感じるがたぶん気のせいではない。


「ウララ。お前は中等部だろ。勝手に高等部に来ちゃダメだろって何度も言ってるじゃないか。あと、スカートのまま俺の体に馬乗りのなるのをやめなさい」

「えー、だってえ」

「……っていうか、お前ってそんなウザキャラだったっけ……。いや、もともとウザかったのは間違いないんだが、なんというか方向性というか……?」

「お兄ちゃんひっどーいっ! ウララのことをウザキャラとか!! 私はこんなにもお兄ちゃんのことを愛しているのに! きゃっ、言っちゃった☆」

「ああええと、うん?」

「妹ちゃんもなあ、これがなけりゃあ完璧天才美少女なのになあ。惜しいよなあ」

「私は幼いときから見て慣れてしまっていますので、兄妹愛ってこんなものなのかなって思ってたんですけどね……」


 ヨリコとアイゴが可哀想なものを見る目で俺たち兄妹を見てくる。ヤメテ!


「……なあ、アイゴ。俺の妹って昔からこんなに俺にべたべただったっけ?」


 キャッキャとまとわりついてくるウララをどうにか引きはがしながら俺はアイゴに尋ねる。


「何をいまさら言ってんだ。っつーか、それを俺に訊いてどうするよ。俺とショウヤは高校に入ってから知り合ったんじゃないか」

「あ、ああ……。そうだった、な……」


 アイゴの問いかけに俺は歯切れ悪く答える。


「……ヨリコちゃん、俺の相棒のようすがちょっとおかしいんだが? なに? なん

かあったの?」

「それが、さっき目が覚めてからずっとこんな感じなんですよー」

「ほおぅん」


 アイゴはそう言うと俺の肩に腕を絡ませる。俺より遥かに高身長のアイゴに密着されると必然的に背後に重圧感が迫る。


「おうおう。どうしたんだよ相棒よ。なんだ、寝ぼけてんのか? それともいまの自分は本当の自分じゃないとか言っちゃうパティーンのアレかよ? ん?」

「あ、ははは、はは……」


 アイゴの勘の鋭さに俺はドキリとした。


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