第5話 バカとテストと涙の理由


 俺の目の前にはヨーリが持ってきた大量のプリントが積まれていた。

 何十枚あるのだろう。

 もしかしなくても俺がやるんですよねこれは、補習込みって言ってたし。

 

 暗澹とした気分の俺に対しヨーリは何故か嬉しそうであった。

 つくづくキャラの定まらない奴である。


「まあその……追試といっても、表向きは私たち生徒の自主的な勉強会に先生が場所を提供したっていう体になってるらしいですけどね」

「あ、そうなんだ」


 その情報は知らなかった。


「だから自主性を示すために補習用のプリントを作ってきましたからっ! これ!」


 今度はドヤ顔で積み上げられたプリントを指すヨーリ。

 このプリントの山、お前のお手製かよ!


「えっ、ということは、もしかしてこれ全部ヨーリが作ってくれたのか? 俺のために!? わざわざ!?」

「ふぇっ、あの、だって追試とはいえ勉強会って聞いてたので……あなたひとりだけにやらせるのも違うのかなって思って……あれ? ヘンでした……?」

「マジメか!!」


 思わず大声を上げてしまい、ヨーリがビクッとした。


「……あのっ、私、前もって先生からあなたの追試の点数を見せてもらってたんですけど、本当にできてないみたいだったし……でもテストが終わったばかりで私が持ってた問題集はもうやる部分が残ってなくてですね……それなら自分用の復習も兼ねて私があなたにいちから教えたほうが、いいかなあって……」


 ……マジメか! あと、さらっと優等生目線なのがつらい!


「いやいやいや、会ったこともない相手にそこまでやる必要ないだろ! 〝表向きは〟って自分で言ったじゃん! やるのは俺だけでいいんだよ今回はッ!!」


 ついつい語気を荒げて続けざまにツッコミを入れてしまった。


「あれ……? でも、勉強会って参加者がお互いに勉強を教え合ったりするものなんじゃ……? あ、でもこれは追試だから……あれ? えっと、あれ、私、何か間違ったかな……?……あ、あれ?」

「お、おい。ヨーリ……?」


 ヨーリの声はどんどん小さく先細り、しぼんでいく。


「あのっ、私、あのっ……」


 直前まで自信満々に見えた優等生の少女はいますぐにでも泣き出しそうであった。

 え? ええ? 

 どういうこと? なんでここで泣くんだ!?


 不機嫌に登場するやいなやショッキングな頭髪で俺を困惑させる。

 その態度からてっきり嫌われているものと思うと俺の意見をすんなり受け入れてくれたり、実は過剰なほど俺の勉強の準備をしてくれていてそれを自慢気に示したとみれば、次は急に泣き出す。

 ……分からない。ヨーリ・イークアルトという少女がさっぱり分からない。

 彼女は何を考え、何に泣いているのか?

 俺はどうすればいいんだ? どうすればよかったんだ!?


 そうこう迷っているうちにもヨーリの瞳にはみるみる涙が溜まっていく。

 やがてひっくひっくと嗚咽おえつが漏れ出し、ついにはその場にうずくまってしまった。

 そこにはもはや教室に入って来たときの威勢のよさは少しも感じられなかった。


 えーと、その……。……どうしよう。


 俺は彼女の隣にただただ立ちつくしていた。

 背中を流れる汗が止まらないのは夏の湿度のせいだけではあるまい。

 どうやら俺は勉強ができないばかりか初対面の女の子を泣かせてしまったらしい。

 しかもその理由がまったく分からないときている。


 何が悪かったか分からないけども……状況的にきっと俺の行動の何かがよくなかったのだろう。

 自分の不甲斐なさに俺まで涙が出そうだった。


 学院の優等生(頭の色がおかしい)が泣きながらうずくまる横で、校内屈指の落ちこぼれ(勇者)が棒立ちしている。

 傍から見ればまるで意味が分からない構図だろうが俺も意味が分からない。


 ……何をやってるんだろうなあ、俺は。


 がらんとした教室にヨーリがすすり泣く音だけが静かに響いていた。

 沈み始めた夕陽が二人だけの教室を赤く照らしていた。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「えっと、その、なんだ……。落ち着いたか……?」

「うぐっ……うん……ごめんなさい……」


 床にうずくまっていたヨーリをとりあえず椅子に座らせる。


 窓の外はまだ明るさが残っているようだったが、室内はすでに薄暗くなっていた。

 俺は教室に備え付けられていた魔導燈まどうとうに火を入れた。


「あー、とりあえずあれだ、ごめん……」

「ぐすっ……いいの、あなたが謝らないでください……」

「いや、たぶん俺が悪かったんだ……」

「うぐっ、ひっく……え……?」

「まあ、なんというか、お前みたいなさ、俺より確実に上位にいる優等生には多少高飛車なくらいでいてもらわないと……俺のごときこれといった主体性もないバカはどうしたらいいか分からなくなるんだ。だから……どうか泣かないでくれよ。俺が悪かったんだ」

「そんなこと……」

「おかしいよな。俺、一応この国の勇者なのにな……」

「……。……」



 再び気まずい沈黙が流れる。



「だからその……問い詰めるつもりはないんだが……よかったらどうして泣いたりしたのか教えてくれないか? あ、いや、もちろん話しても差し支えなければでいいんだけども……」

「……ううん、そうですよね……ちゃんと説明しますね……」


 ヨーリは実にたどたどしく語り始めた。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 ――私、小学校も中学もずっと女子校で、普段は学校の勉強とお父さんの研究の手伝いばかりでしたから友達もそんなにいなくて……。

 私の通ってた中学校――聖護せいご魔術女学校は魔術教育に力を入れてる校風もあってか正統な魔女の家柄の子が多くて……私自身の家は魔術的な称号も何もない普通の家庭でしたから、クラスでも肩身が狭かったんです。ましてや男子とまともに話したことなんてほぼなかったんですけど……。

 だから高等部からは勉強だけじゃなくて、もっと社交的になれるようにひとの期待に応えようって、それが自分のためになるって。そう思って頑張ってたんです。成績はもともと悪くなかったし、勉強はやった分だけ点数に反映されるからよかったのですけど……でも人間関係はやっぱりなかなかうまくいかなくて……。


 そんなときに、クリーンライト先生からあなたの勉強を見てくれないかって頼まれて――誰かと勉強会なんて初めてのことでしたからなんだか嬉しくなってしまって、二つ返事で引き受けさせてもらったんです。


 先生からは追試用の試験問題を何枚かお渡しいただいてたのですけど、勉強会って話でしたし、せっかく頼まれたのに自分から何もしないとやる気がないと思われるんじゃないか不安になって……せめてお互いに教え合えるように問題とか解説とか自分で復習しながらまとめていたら、ついつい作り過ぎちゃったんですよね……。


 ですけどそこで思い当たったのです。私、いままで男子と、しかも二人っきりで会って話した経験などゼロに近いと……。まずどうやって声をかけたらいいのかとか、想像しただけで私にはすごくハードルが高いことのように思えてきて……。

 それで一応、今日の段取りを考えていたんです。自分の台詞を決めて、台本みたいなものまで書いて。その通りにやれば大丈夫だって。


 でもあのとき……初めて会った男の子――あなたからいきなり『お前』なんて言われて、私、どうしたらいいのか分からなくなっちゃって、咄嗟につい強気に言い返してしまって……。

 当初の計画がくじかれて少しあなたを恨めしく思いもしたんですけど……何か言おうとしても緊張でうまく口が開かないし……。


 ああでも今日は勉強会に来たわけだしと思い直しまして、とにかく勢いに任せて始めてしまおうとしたまではよかったんです。そうしたらあなたが何か言いたそうにしているのに気づいて、それを見たらまた不安になってきて……。


 だからあなたから自己紹介をしようって言ってくれたときは正直ちょっと安心したんですよね。これで気を取り直して軌道修正できるかもって。

 それにたとえうまく話せなくなっても私には準備してきたプリントがたくさんあるんだし、いざとなったらこれに頼ればいいって思ってたのですけど――。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「その頼みの綱を俺が否定してしまったわけか……」



 つまり――。


 じっとこちらを睨んでいたのは俺が不躾ぶしつけに『お前』呼びしたから。

 自己紹介をして安心したような顔をしていたのは、話し慣れていない相手と会話をつなぐことができたから。

 大量のプリントを自作してきたのは単純にそれがお互いの役に立つと思ったから。

 急に泣き出したのも自信の源である自作プリントを否定されて、それまで張っていた緊張の糸が切れてしまったから……。



 ヨーリ・イークアルト、なんてけな気なんだ。

 話を聞いているだけなのに俺の心がめちゃくちゃ痛む。

 このプリントの山もそんなに思い詰めて作ってきてくれていたんだなあと思うと、いまさら追試の当事者である自分が手ぶらで来たことに罪悪感が出てきた。マジすいません。



 どうにも俺はヨーリに対して重大な勘違いをしていたらしい。

 内申点稼ぎ? 腹黒優等生キャラ?

 いいや違う。

 それは俺の勝手な先入観に過ぎない。

 彼女が俺の追試の面倒を見に来たのは、本当に先生に頼まれたからというただそれだけの理由だったのだ。そこに裏も表もない。

 気が強そうだという第一印象すらも虚勢だったわけだし。


 稀に見る素直ないい子。

 それが優等生、ヨーリ・イークアルトだ――。














 いや、ちょっと待ってくれ。そうじゃない。

 なんとなく流されて学園青春ラブコメのしみじみシリアスシーンみたいな雰囲気になってしまったが、そうではないのだ。


 俺が出会ったばかりのヨーリのことを『お前』呼びしたのも、自己紹介で会話を取り繕おうとしたのも原因はひとつ。


 そう、彼女の虹色の髪。


 いまも目の前で物理的に燦然と存在感を放つそれ。

 日が落ちて暗くなってくると、色だけでなく髪自体がチラチラと微弱に輝いていることがくっきりと分かり、なおのこと目立つ。照度も微妙に変化しているようだ。


 今回の出来事の引きがね。

 俺がヨーリとの距離感をはかりかねた理由。

 彼女が涙を流すことになったきっかけのひとつ。

 ヨーリ・イークアルトの第一印象というならまずこっちだ。

 その尋常でない見た目をこのまま無視し通すことは俺にはとてもできそうにない。

 俺のスルースキルはそんなに高くない。

 正直言っていまヨーリが長々と語った身の上話も髪が気になってあまり頭に入ってこなかった。



 ……でも、はたしてこの流れで俺がそれを指摘して大丈夫だろうか?

 俺だけ空気読めてない奴みたいにならない??

 





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