第一章 前世篇Ⅰ
第3話 異世界の記憶
これから話すのは俺の前世の記憶。
そして、俺が世界でひとりぼっちになるまでの物語だ。
いまの自分に転生する以前。
俺は、この世界とは少しずれた位相にある異世界の勇者だった――――。
その世界では人間の国である神聖帝国と魔族の国である魔国とが争っていた。
中央教会暦一八七四年七月十三日。
神聖帝国、帝都。
帝国と魔国との戦いは終わりなく続き、大陸は混迷を究めていた。
しかしそういった世界情勢とは、
ま っ た く、
こ れ っ ぽ っ ち も、
小 指 の 先 ほ ど の 関 係 も な く、
俺は学校の教官室で追試の宣告を受けていた――――――。
「君だけだ」
クリーンライト先生は俺を呼びつけるなりそう言い放った。
「はあ、それはつまり、俺だけが特別という……」
「違う。先週の試験、君以外のものはみな合格した。残すは君だけだ」
先生は口ひげをさすりつつ俺を見ると心底残念そうな表情で嘆息した。
「正直いまの君の成績では勇者になるどころか次年次への進級すら危うい」
「はあ」
俺の覇気のない返事に先生は再度嘆息した。
絵に描いたような〝ダンディなオジサマ〟といった風貌の先生が物憂げな顔をするとそれだけで充分さまになっていたが、話している話題は至極残念なものだった。
まあ、俺のせいだが。
先生と俺のふたりしかいない教官室に放課後の時鐘がむなしく響いた。
内陸の帝都にはめずらしい、蒸し暑さを感じる夏の日の午後であった。
俺の名前はショア・シューティングスター。
神聖帝国の帝都にあるホーリーハック魔導魔術学院男子高等部の生徒であり、中央教会の神託により選ばれた八十八英雄のひとりだ。
父は地方貴族シングメル・シューティングスター男爵。母はその男爵夫人だ。俺は男爵家の長男坊でもあり跡継ぎに当たることになる。あと、妹がひとりいる。
勇者といっても八十八人いる公認英雄のうち俺は末席であり、『最弱の勇者』と呼ばれて世間からはもっぱら嘲笑の対象だった。
何しろ勇者は俺の上に八十七人もいるのだ。
比べられることは避けられなかった。
ホーリーハック魔導魔術学院は歴代の勇者を輩出してきた名門であり、若手勇者の養成機関を兼ねていたが、そのなかでも俺は落ちこぼれだった。
勇者候補以外の一般生徒から「なんでお前みたいなやつが勇者に」というやっかみを受けることもしばしばだった。
神託で選ばれた英雄はほとんどが帝都の生まれであり、俺が地方出身者だということも差別に拍車をかけていた。
「私は君の力になりたいんだ」
クリーンライト先生は真面目な顔をして言った。
「君が八十八番目の勇者として世間から謂れのない中傷を受けていることも、それが原因で学内で孤立も同然な境遇にいることも知っている」
「……。……」
「世間的な問題の解決は私だけでは厳しいものもあるが、学校のなかのことについてはこの一年、なるべく対処させてもらってきたつもりだ」
「それは、なんというか……感謝しています……」
「幸い君には親友もいる。メンタル面でのフォローは私だけでは及ばなかったろう」
「アイツは……ただの腐れ縁ですよ」
「そう言ってやるな。とにもかくにも、これからも私にでき得る限りのことはさせてもらうよ。担当教官として生徒の不当な扱いやトラブルを見過ごすわけにはいかないからな。だがな――」
先生はそこでもう一度嘆息した。
「学力的な面、それも最低限のレベルの試験での点数――こればかりはいかんともしがたい」
「そんなに深刻なことですかね。おおかたの教科は先週までにクリアしましたし、あとは古典詩と魔術化学だけじゃないですか」
「どうして他人事みたいなんだ君は……。だいたい、その二つ以外の教科だってほぼギリギリの追試合格だったじゃないか……」先生は頭を抱えた。
「本試験があったのは先々週なんだぞ。これで何度目の追試だと思ってるんだ……」
そう言われても俺だって受けたくて何回も追試を受けているわけじゃないしなぁ。
むしろ追試ばかりで頭を抱えたいのは俺のほうですし。あとあまり溜め息つき過ぎると幸せが逃げるっていいますよ。
そう言い返そうかと思ったが怒鳴られそうなのでやめた。
「君にはさっそく再追試を受けてもらいたいのだが……」
「正確には再々々々追試ですね」
「やかましい。……だが、ひとつ問題がある」
「なんでしょう?」
「古典詩必修と魔術化学基礎の担当科目の先生がいま不在なのだ」
「あれ、古典のブルーウッド先生と化学のロングライス先生ですよね。先週までふつうにいたじゃないですか」
「それがまあ、いろいろあってなあ……。ロングライス先生はうちの学校では魔術化学を教えておられたが本職はプロの錬金術師でな。先週末付けで軍の研究所への出向が決まった。ブルーウッド先生はほら、彼女は魔女の家系だったろう? 最近の帝都の逼迫した状況に占術的に厭なものを感じるとかで実家に帰ってしまわれたのだ」
「それはまた突然ですね」
「いや、実はロングライス先生とブルーウッド先生の件は前々から分かっていたことなんだ」
「え、そうなんですか」
初耳だ。
まあ、一生徒の俺にそういう人事情報が事前に知らされるわけもない。
「とくにロングライス先生は軍のほうから何度も催促が来ていたらしいんだが……。一応今学期の大きな試験が終わるまでは、ということで話をつけていた。学校の仕事を中途半端に放り出して生徒の学業に支障をきたすのを避けてこの時期になったと」
「俺の追試に支障が出てるじゃないですか」
「誰も一学年次の最終試験で三回も四回も追試が必要になる生徒が出てくるとは思わんわっ!!」
ついに怒鳴られてしまった。まあ、そうだよなあ……。俺だってそう思う。
でも、それだと本当に俺の追試はどうなるんだろう?
興味のなさそうな態度をとってきたが、正直自分でも追試を受け続ける現状にうんざりしていた。故郷の妹に知られたらなんと文句を言われることか……。受けずに済むのであればそれに越したことはなかった。
「本来ならこういう場合、専門科目外ではあるが担当教官である私が付き添うところなんだが……。私もちょっとこのあと中央教会から呼ばれていてな。残念ながら君の面倒を見ている時間がない」
「それはお忙しいところなんだか申し訳ないです……」
怒鳴られた手前、俺は表面上はしおらしい態度を見せる。
「そういう経緯で、ふつうはこういう方法は採らないんだが……」
お、これはもしかするとこれは追試免除のパターンですか?
「——古典詩と魔術化学、二つを同時に教えられる生徒に君の補習と追試を頼んだ」
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