不幸喰い

ままかり

 運命の朝。

 白神神社の夜明け。

 東の地平の向こう、山並みの向こうから光が強く溢れ出すと、闇に紛れていた神社の全景が露わになる。招福の神を祀る本殿は修復されているものの、複数の建物には過去の傷跡が癒やされることなく残っていた。

 現在、ここにはたった一人、無くなった神主の娘……ということになっている神、白神ゐすゞ(いすず)が住むのみ。しかも、もうすぐここは無人となる。たったひとりしかいないゐすゞが高校進学のために。今日、この地を離れるのであった。

 ――学校はここからあまりにも遠かったのだ。


「ゐすゞ、荷物はこれだけか?」

 彼は、この白神神社ではもう殆どいなくなってしまった氏子衆の息子で、かつクラスメイトの吉井健である。さらには進学する高校も一緒、ついでに下宿先の部屋まで一緒、というよりは私が吉井に寄生して進学する……下宿先だけでなく学費も吉井家が出してくれることになっているのであった。さらには、引っ越しの手伝いまで来てくれて、ホント、ありがとう。

 力を使えば区間転移は簡単なのであるが、それは出来ない選択であった。私の長い黒髪の中どころ、そこに墨文字の入った紙が巻き付けてある。それは、私が自分で、神たる力を封印した証であった。

 もう、あんな光景は見たくない。これからは、普通に生きていくんだ。

 そんな気持ちを新たにし、今日からの新しい生活に、ちょっぴり胸膨らませながら、私たちは一五〇〇段もの階段を降りていく。

「転ばないように気をつけろよ、ゐすゞ」

「わかってるわよ」

 もう、一言多いのだから。

 まだ、人々が髷を結っていた時代に改良されたというこの階段は、現在の価値観で考えれば非常に危険なものであった。手すりは付けられていたものの、狭い踏み場、急傾斜には過去、けが人が何度も出ていた。

 ふと、健のほうを振り返る。そして、階段の上にある境内の門を眺める。

 この階段を、私がこの世に顕現してから何度登ったのだろうか。この先に待っていた父母の記憶が甦る。

「どうしたゐすゞ、何か悲しいのか」

「ちょっと、思い出しちゃって」

 ごくごくわずかだが、目に涙を浮かべて。

 それを袖でぬぐうと、

「もう最後だけど、また、帰ってくるからね。早く行きましょ」

「ここともしばらくお別れだな、ゐすゞ」

 階段下、神社の鳥居に連なって建つ社務所の脇に荷物を置く。続けて、健もやってきた。

「最後、俺がとってくるよ。ゐすゞは親父が来るの見ていてくれ」

 健はそう言い残して、階段を駆け上ろうとする。

「あ、言い忘れてた。そこの重箱、食べていいぞ」

 私の荷物ではない、朱色の重箱が荷物と一緒にあった。

「ゐすゞは食いしん坊だからさ、おふくろが持って行けってさ」

「食いしん坊は余計よ!」

 健は再び階段を登り始めた。

 確かに、不幸という憑き物を食べなくなった代償に、私は、人間の食べ物をいくら食べても空腹感が紛れることがない、という代償を支払うことになってしまったのであった。故に、本当に恥ずかしいくらいに食べ続けている。

 重箱を開ける。

 ゐすゞ、今日から一緒に頑張ろうな。

 海苔を散らして書かれた文字。なんだ、やっぱり健自身が作ったんじゃないか。そう思いつつ。私は箸で口に運ぶ。私の味覚は普通の人間とは違うはず。それでも、健はそんな私に合わせてでもおいしい料理を作ってくれた。今日も、また然り。

 おいしい。

 ――沈黙。

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