夢迷いの少年少女 (ハック&スラッシュ、なにもしてないのに壊れた、一夜限りの夢だとしても)

 第13回使用テーマ:【ハック&スラッシュ】【なにもしてないのに壊れた】【一夜限りの夢だとしても】



「いっけえええ!!」

 跳躍からの抜刀、そして――


 ザッ!


「よっしゃああああ!!」

 華やかなファンファーレとともに画面に現れた「complete!」の文字に、俺は拳を振り上げた。

 テスト期間ということでここ数日出来ていなかったのだが、テスト明けの今日、やっとのことでこの第三ステージをクリアだ。

「よし、この調子で今日中に次のステージもや」


「――うるさい」


 唐突な脳天への衝撃。目の前を鮮やかな火花が散った。

 俺に遠慮なくこんなことをしてくるのは一人しかいない。 

「痛ってえ! 何すんだよ姉貴!」

 顔を上げ、いつの間にか背後に立っていた姉貴をにらみつけた。

「何すんだよじゃない。こっちはまだテスト期間なんだから、静かにして」

 しかし、俺に向けられていた冷ややかな目は、今すぐやめないと本気でキレられそうなほど殺気立ったものだった。俺はため息をついてセーブボタンを押す。完了のエフェクト音をしっかり聞いてから、丁寧に電源を切った。

「はい、これでいい?」

 再び姉貴を見上げると、その目からは殺気が完全に消えていた。内心でほっと息をつく。

「うん。この調子であと三日くらい我慢してもらえるとありがたいかな」

「三日!? そんな、やっと集中して遊べるというのに」

 その瞬間、姉貴が嫌味なほど口元にはっきりとした笑みを浮かべた。

「ゲームは逃げないでしょ。少なくとも今週末は我慢して。それ以降はやっててもあたしは怒らないから」

 ――訂正。殺気は消えたが、呆れ交じりの冷ややかな目はまだ消えていなかった。目が全く笑っていない。正直さっき以上に怖い。元から姉貴に弱い今の俺は、素直に従うしか対応する術を持っていなかった。

「はーい……」

「伸ばさないの。じゃ、あたしは勉強に戻るから」

 ポニーテールを翻し、姉貴は颯爽とリビングから出ていく。

 俺は盛大にため息をついてから、横に置いておいた収納箱を引き寄せた。


 そして、三日後。

 俺は律儀に姉貴のテスト期間が終わるまでゲームを我慢した。ちゃんと部屋の端にしまった上で、ずっとその蓋を開けなかった。

 ――だけど。

「……は? 何で、壊れてんだよ」

 何度電源ボタンを押しても、ゲーム機はうんともすんとも言わなくなっていた。

「……うっわ」

「うっわ、じゃねえよ姉貴! くっそー、折角我慢したのにこの仕打ちとか何なんだよ!」

 俺の様子を後ろから眺めていた姉貴が顔をわずかにしかめた。そんな姉貴に八つ当たりしそうになるのを必死で抑える。

 うるさいとか我慢しろとか、そういうことはたくさん言ってくるし物理攻撃もかましてくるけれど、ゲームが苦手な姉貴は絶対に俺のゲーム機に触れることはない。十四年も姉弟をやっていれば分かる。姉貴は絶対に壊していないと。

 分かっているからこそ、俺はただやり場のない怒りに電源を繰り返し入切することしか出来なかった。


 ***


「あー、あったね、そんなことも。懐かしい」

「あの頃はあれだけでも大事件だった、少なくとも俺にとっては」

 俺は雲ひとつない真っ青な空を仰いだ。気持ち良い風が全身を撫でていく。

「あたしはそこまでじゃなかったけどね。でもなんか申し訳なかったなぁ、あたしがあと三日我慢しろって言ったせいで壊れたんじゃないか、って考えそうになって」

「だと思った」

 隣に座る姉貴の渇いた笑い声に、俺は苦笑いをこぼすしかなかった。


「でもさ、まき。あたしとしては、今この状況の方が大事件だと思うんだ」

「大丈夫だよ姉貴。俺も同じ意見だから」 

 ――なぜこうなったのだろうか。姉貴が久しぶりに帰省してきた夜、一緒に夕飯を食べて、近況報告で盛り上がってからそれぞれの部屋で寝ただけなのに。

 俺と姉貴は、黄金こがね色の草原のど真ん中に座っていた。


「これ、絶対夢だよね。現実なわけないよね」

「さすがの俺も夢だと思う」

 いくらゲーム、特にRPGが好きとはいえ、それが現実に起こると思っているかと聞かれると、俺の答えはNOだ。あくまでファンタジー世界はファンタジー、空想の先でしかない。それが俺の意見だ。だからこそ、突如ファンタジー世界のような場所に飛ばされた今、俺はどうすればいいのか全く見当がつかなかった。

「姉貴、頼むからどうやったら帰れると思うか、とか俺に聞くなよ? ゲーム好きでも現実主義なんだから、俺」

「聞かないよ、ゲームと現実は別物だし。というかわざわざ現実主義とか言わなくていい。しかし、何が起きたのやら……って」

 何気ない様子で空を仰いだ姉貴が、ぽかんと口を開けた。

「何、あれ。鳥? 鳥なの?」

 ――鳥?

 たかが鳥一羽にそんなに戸惑うことがあるか。

 俺は姉貴の視線を追って、再び鮮やかな青に染まる空を仰いだ。

「ったく、姉貴、突然何――」


 ――鳥、がいた。

 いや、なぜこんなにも戸惑ったのかというと……鳥というにはあまりにも大きすぎるのだ、それは。カラスがただの黒点に見えそうなほどはるか上を飛んでいるはずなのに、いわゆる「鳥」の姿をしているとはっきり認識できる。逆光に近いはずなのに、その姿は鮮やかなタンポポ色をしていることまで目視できた。その鳥が羽を一振りするたび、風を切る音が一面に響き渡る。

 その風音に紛れ――

「おーい、そこの人たちー!」

 微かに声が聞こえた。


 その瞬間、一際大きな風音が俺の鼓膜を揺らした。


「……っ!?」

 何が、と言う間もなく俺は状況を理解した。

 ――鳥が、俺たちに、突っ込んできている。躊躇いなく、むしろ加速して。姉貴の長い髪が風によって一斉に暴れ始める。

「えっ、ちょっ!?」

「わあ、ちょっとニニィ、興奮しないで……っ!」

 慌てたような姉貴の声と見えない声が重なる中、鳥は遠慮なく、真っ直ぐ俺たちに迫ってくる。大きすぎて、そして速すぎて、はっきりとした距離は分からない。だが、確実にそれはコンマ単位の短さで大きく詰まってきている。このままぶつかってきたら、確実に俺たちは――


「……まさか、これ、死ぬとかいう典型的なギャグパターンじゃないよ、ね?」


 俺が迫る死の恐怖にぎゅっと目をつぶったと同時に、開き直ったのか無駄に冷静な姉貴の声が耳に届いた。



 結局、俺たちは死ななかった。

「ゴメンゴメン! 久しぶりに人見つけたからか興奮しちゃったみたいで。びっくりしたよね」

 着陸寸前に急旋回をして軌道を変えた、語彙が失われるほどに大きな鳥。その背から軽快に飛び降りてきたのは、まだ少女とも呼べそうなほどに小さな女の子だった。淡い黄色のおさげ髪をぴょこんと跳ねさせて俺たちに向けて優雅に一礼。そしてあふれんばかりの満面の笑みを浮かべ、口を開いた。

「ボクはミーム・ルッカル。ルッカって呼んで。あのコはニニィ。君たちは?」

 幼い見た目とロリ声にそぐわず俺たち以上に大人らしく落ち着いた、とても簡潔な自己紹介。そのギャップに戸惑いながらも、俺たちは素直に答えていた。

「……な、中村なかむら、牧」

「……中村あずさ

「ふうん……珍しい響きだねえ。マキ、と、アズサ、で合ってる?」

 指差しながら確認してきたルッカに、俺たちは首を縦に振った。

 それを見た彼女は満足そうに大きく頷く。そして、眩しいほど屈託のない笑顔を浮かべた。

「よし! じゃあ早速だけど、マキ、アズサ。ニニィに乗って!」

「「え!?」」

 予想外の言葉に思いがけず大きな声が出た。隣の姉貴もだ。

「いいからいいから! そう簡単には落ちないから大丈夫だよっ」

 そんな俺たちに躊躇うことなく、むしろ強引に、ルッカが背中を押してくる。抗う理由もないので、俺たちはおとなしくニニィの背によじ登った。

「お、お邪魔しまーす……?」

 おずおずとその背に体重をかけると、手のひらに強い弾力を感じた。その体の大きさからか、ふわふわした見た目からは想像できないほど硬い筋肉がついているようだ。鳥のような見た目だが、その触り心地は羽というよりは羊毛の方が近い。その背中の広さはなるほど、重力が全てに勝つほどまで傾きさえしなければ、そうそう落ちることはなさそうだった。

 ゆっくりと四つん這いで背中を進んだ俺たちが真ん中あたりに座ったと同時に、ルッカがふわりと軽やかな身のこなしで俺たちの隣に登ってきた。よし、と呟きながら俺たちの前 ――ニニィの首と胴体の境目あたりにぽふんとまたがる。そして俺たちを振り返りにやっと笑うと、その首元を軽くたたいて声を張り上げた。

「よし! 行っくよ、ニニィ!」


 耳元で、足元で、風が唸る。スピードも高さもあって、ある種のジェットコースターだ。ただ、そのレベルは俺たちの常識の遥か上を行っているけれど。

「ちょっ、た、高、い……っ!!」

 ルッカの掛け声に合わせてふわり、と優雅に飛び立ってからほんの数秒。急上昇を続けるニニィは楽しそうにキュルルと鳴き声をあげている。一方その背の上では、顔面蒼白になった姉貴が俺の腕にしがみつき、悲鳴とも言えそうな叫び声をあげていた。

「あー……そういえば姉貴、高所恐怖症だったね。宇宙の研究してるのに」

 こんなに高い声も出せるのか、と妙に感心しそうになるのを抑え込んで、俺は姉貴に苦笑いを向けた。

「それとこれは、別っ……! あれはもう、高いのレベルを越えてるし、それに、あくまで研究だから……!」

 必死で目をつぶって俺の腕に顔を押し付け、そして震えた声で叫ぶ――そんな姉貴を見て、振り返ったルッカも苦笑いを浮かべた。一瞬目が合ったので、やれやれ、とわずかに肩を竦めてみせると、ルッカも同じように肩を竦める。そして彼女はアハハ、と少しだけ乾いた笑いをこぼした。

「アズサはこういうの苦手なんだ。ごめんねー、五分だけ我慢して? そうすれば目的地に着くからさっ」

「が、頑張る、けど……!」

 強気に答える姉貴の手は幼子のように震えていた。

 ホラー映画に全く恐怖を抱かない姉貴を見てきた俺からすると、それはあまりにも姉貴のイメージと違っていて。そして数ヶ月ぶりに一緒に過ごす姉貴が、ここまで弱みをさらけ出しているというのが申し訳ないけどどこか愉快で。

 降下を始めるまでの数分間、俺は笑いをこらえるのに必死だった。


「気持ち悪い……」

 ニニィから滑り降りた姉貴がその場でうずくまった。先に降りていた俺は、予想以上に顔色の悪い姉貴の隣に慌ててしゃがみ込む。

「姉貴、大丈夫?」

「だいじょうぶじゃない……」

 くらくらする……と言って不意に体重を預けてきた姉貴を慌てて支えた。うー、とかあー、とか呻く姉貴の背中をゆっくりと撫でる。吐き気は? と耳元で囁くと、掠れた声が耳に届いた。――なんとか、か。一応大丈夫そうだな。

「アハハ……動けそうにないねぇ。そこで少し休んでなよ。元気になったら僕からオハナシがあるからさっ」

 降り落ちてきた声に顔を上げるのと、ぴょこんという効果音がつきそうな勢いでルッカがニニィから飛び降りてくるのはほぼ同時だった。顔を上げそうにない姉貴の代わりに少女を目で追うと、彼女は降りた勢いのままその足を迷わず近くの小屋に向けていく。数歩進んだところで振り返り、俺に向かって楽し気にはにかんだ。

「……お話?」

「うん。きっと、キミたちが一番望んでいるオハナシ。マキ、しばらくアズサのこと頼んで大丈夫? ボクは色々と準備があるからさ」

「ああ」

 伊達に長年弟をやってきたわけではない。しっかりと頷くと、タンポポのように明るい笑顔をが向けられた。

「ありがとう、マキ。よーしニニィ、お休みしていいよ! お疲れ様っ」

 くるり、と。

 軽快におさげ髪を揺らしながら、ルッカは家の中に入っていく。

 バタン、とドアが閉まると同時に、タンポポ色が鳴きながら大空に向かって勢いよく羽ばたいた。


「はあ……散々な目に合った」

 深呼吸をして立ち上がる姉貴に肩を貸しながら、俺はあたりを見回した。

 ここはおそらく、さっきまでいたのとは別の草原。時折吹く風の香りはあまり変わらないが、草は先ほどのところよりわずかに白っぽく、草丈も長い。

 そして先ほどルッカが入っていった木造の本当に小さな小屋。それしかない場所であった。準備、と言っていたが、彼女は何をしに行ったのだろう。呼びに行こうか、とぼんやり考えていたところで、キィ、という金属音が耳を刺した。

「あ、アズサ。もう大丈夫?」

 見計らったかのようにルッカがドアから顔を出していた。きしむドアを勢いよく閉め、俺たちのもとにぱたぱたと駆け寄ってくる。

「うん、おかげさまで。ごめんね、ルッカ」

 少しだけ目を細めて姉貴が謝る。――うん、いつもの姉貴だ。もう大丈夫。

「ならよかった! じゃあ、もう、オハナシしても大丈夫かな?」

 にぱっと明るく笑みを浮かべたルッカに、俺たちは迷いなく頷いた。

「じゃあ、遠慮なくっ」


「キミたちさ、『外』の世界の人なんでしょ?」


「……外?」

 聞き慣れた、だけど普段と違う響きを秘めた言葉に、俺たちは首をかしげた。いや、なんとなく言いたいことは分かるのだが。

「うん、『外』――ボクが住んでいるココとは違う世界。たまーにいるんだよね、ふとした拍子にココに迷い込んでくる人」

 ルッカはケラケラと笑って言葉を続けた。


「理由は誰にも分からないんだ。だけどこの世界には時々、『外』の世界から誰かが迷い込んでくる。みんなわざとじゃなくって、『夢』を見ている間になぜか来ちゃうらしいんだ。ボクはそんな人たちを元の世界に戻す仕事をしているんだ。ニニィは迷い込んだ人を認識する力があって、ボクはその力を頼ってひたすらに空を飛び続けてる。この小屋はキミたちのような人を元の世界に送り返す、門みたいなものなんだ。出口専用なんだけどね」


 本当にファンタジーのような世界。信じざるを得ないこの状況。開いた口が塞がらない、という表現は本当に起きることなのだと、俺は今、初めて知った。

「……えーと、じゃあ、あたしたちはこの小屋に入れば帰れるってこと?」

「すっごく簡単に言うとね。理解が早くて助かるよ」

 戸惑いながら尋ねた姉貴の言葉に、ルッカの表情が輝いた。曰く、みんななかなかこの言葉を信じてくれず、説得に長い時間を要してしまうらしい。そしてそうこうしているうちに俺たちの世界で起きる時間になってしまい、戻ってないと目覚められないから意識不明みたいなことになって云々。

「――ということで、できる限り速やかに戻った方が二人の身のためなんだ。大丈夫かな?」

 なんとなくではあるが理解できてしまった以上、頷かざるを得なかった。さすがに日常生活に支障が生じるのは困る。

 そう伝えると、ルッカはほっとしたように頬を緩め、口元に優しい笑みを浮かべた。

「よかった。こんなにすぐ別れるのはあまりないから、ボクも少し寂しいけれど……もしまた迷い込むことがあったら、いろいろ話してみたいな。さ、行こうか」

 ――その、一瞬だけ。

 確かにルッカは寂しそうな瞳を見せた。

 けれど次の瞬間、はじけそうな笑顔を浮かべて俺たちの腕を勢いよく、力強く引っ張っていく。

 そのあまりにも激しい変化に、思わず俺は口を開いていた。

「ルッカ……あの、さ」

「いいんだよ。キミたちの世界もそろそろ夜が明ける。戻らないと大変なことになるからね」

 強引にかぶせられた言葉に、思わず口をつぐむ。

 ぱっと手を離された時にはもう、俺たちはドアの前に並んで立っていた。背後からまるで別人からのような、凛とした声をかけられる。

「さあ、二人でドアを開けて」

 思わず姉貴の顔を見やる。きっと、考えていることは同じだ。

 姉貴も少しだけ寂しそうな表情を浮かべたが、意を決したかのように大きく頷いた。

「行こう、牧」

「――そうだね、姉貴。戻ろう」

 二人で取っ手を掴み、ゆっくりと開く。

 きしみながら開いたドアの先には、霞がかった薄明るい空間が広がっていた。一歩踏み込めば戻れる。直感でそう分かった。

 だが、なかなかその一歩の出なかった。さっきの寂しそうな瞳が、焼きついて離れない。隣にいる姉貴も同じだろう。

 その時、だった。


「――ねえ、マキ、アズサ?」

 背後から、優しく声が響いた。


「振り返らずに聞いて。この世界はキミたちからしたらただの一夜限りの夢だと思う。だけどね、ボクみたいにその『夢』の世界の中で生きている人もいるんだってこと、忘れないでほしいな。そして、もし――もし、またこの世界に迷い込んでしまったら、躊躇わずにボクの名前を呼んで。夢迷いの鳥使い、ミーム・ルッカル。その時は、ボクは、ボクとニニィは、絶対にキミたちを迎えに行くから。

 ――さあ、行きなよ」


 トン、と優しく背中を押したその手は、温もりに満ちていた。

 一歩、小屋の中に踏み込んだ俺の意識が、霞がかっていくかのように少しずつ薄れていく。

 慌てて振り返ると、ルッカが小さく手を振っていた。

 じゃあね、と囁く声がそっと耳を撫でる。


 意識が途切れる最後の瞬間まで、夢の世界の少女は穏やかな笑みを浮かべていた。


 ***


 目を開けると、カーテンの隙間から眩しいくらいの青空がのぞいていた。

「夢、か……」

 夢にしてはあまりにもリアルで、そして面白いものだった。本当はもう少しあの世界を探検してみたかったけれど、まあ仕方ない。

 ゆっくりと起き上がり、大きく伸びをする。ふと視界に映った枕元の時計は、八時前を指していた。あんな体験をする夢だったからか疲れはあまりとれていない。

 どうせ今日は日曜だ。久しぶりに部活もないし、朝ご飯を食べてから二度寝でもしよう。

 そう考えながら部屋を出ると、ちょうど姉貴も部屋から出てきたところだった。ぱっちりと視線が合う。

「……おはよう、姉貴」

「……おはよ、牧」

 視線をそらさない姉貴に、俺は躊躇いながら確認した。

「あのさ……夢、見た?」

「……見た。高所恐怖症であることを今までで一番つらいと思った」

「あ、そこ?」

 思いがけない回答に素っ頓狂な声が出た。

 寝起きで目つきの悪い姉貴の口元にはっきりと苦笑いが浮かぶ。

「本当につらかったんだから。あとニニィの触りごごちが抜群だったからあそこで寝て休みたかった」

 俺の口元にも苦笑いが浮かんだ。

「……そんなこと考えてたのかよ」

「だって気持ちよかったから」

「それは認めるけど」

 ――とりあえず、やはり姉貴も俺と同じ夢を見ていたようだ。

「ああもう、あの夢のせいで変に疲れた。おなかすいて目覚めちゃったし。久しぶりに時間気にせずに寝れるっていうのにさ。ま、起きたならとりあえずご飯食べるよ、牧。父さんも母さんも仕事行っただろうから、適当に私が作るのでいいよね」

 欠伸をしながら階段を下り始めた姉貴の後ろについて、俺もリビングに向かうことにした。

 小さくきしむ階段を下りきったところで、俺は思いっきり伸びをする。偶然にも、姉貴もほぼ同じタイミングで腕を伸ばした。

 そして、はあ、と大きなため息をついてから――

「まあ、でも、あまりにも非現実的だったけど……」

 呆れ交じりに、だけどほんの少しだけ微笑みを浮かべたような声で。姉貴は小さくつぶやいた。


「一夜限りにするにはちょっと惜しい夢だったかな?」

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