Little Magic (エコスフィア、10円ハゲ、パニックホラー)
第12回使用テーマ:【エコスフィア】【10円ハゲ】【パニックホラー】
「生命居住可能領域の研究に興味があるんです」
進路相談室でそう言い放った瞬間、10円ハゲ――失敬、化学担当の進路主任の表情が凍りついた。
確かに、そんな簡単にこのハゲからの理解と共感を得られることはないと思ってたけれど。
進路相談をするたびに抱く、ずしんと体が重くなるこの感覚。
今日もまたため息をついてしまいそうだ。
進路相談室から解放された時には、だいぶ陽が落ちてきていた。早足で教室に向けて歩く。あのハゲの前では頑張って抑えていたけれど、これ以上いたらこのいらだちが爆発してしまいそうだ。
今は少しでも早く、この校舎から外に出たかった。
「あ、
夕焼けに染まった階段を上ろうとしたところで、頭上から優しい声が降ってきた。この学校であたしを名前で呼ぶのは一人しかいない。
見上げると、彼女の肩で切りそろえた綺麗な黒髪が視界の中央でサラリと揺れた。
「――
「今帰り? 放課後、進路相談室に呼び出されてるって言ってたよね」
決して大きいわけではない、少しだけソプラノ寄りの声。聞きなれたその声に、不思議と荒れた心が落ち着いてくるのを感じた。
「うん、今10円ハゲから解放されてきたところ」
「そっか。じゃあ、久しぶりに一緒に帰らない?」
階段の手すりから少し身を乗り出し、柔和な笑みを浮かべている留衣に向けて、あたしは小さく頷いた。
一刻も早くこの校舎から出たかった。できれば、あたしのことを誰よりもわかっているこの子と一緒に。
「わかった。荷物まとめてないから少し時間かかるし、教室来なよ」
他愛のない話をしながら校舎を出たあたしたちは、自転車を押しながらゆっくりと家に向けて歩いていた。
いつの間にか、夕闇が空に星を招き始めている。つい先日までまだこの時間も明るかった気がするが、もう身体を撫でる風は冷たさの方が勝り始める季節になっていた。通り過ぎた公園の楓の木が深紅に染まっている。
「そういえばさ、話変わるけど」
突然の留衣の言葉に、あたしはそっと彼女へ視線を向けた。肯定も否定もしない、あたし流の話の促し方だ。
「梓、来年理系選択だっけ?」
ーーそう、どこかのタイミングで、進路の話を振られるとは思っていた。
わずかに心の奥がざわめきだす。
「うん。留衣は文系でしょ?」
何事もないかのように返すのは得意だ。
いらだちが表に出ないように抑えながら、簡単な言葉で返す。
「そう。化学苦手なんだよね、だから進路相談とか冷や汗ものだよ。あの先生いちいち化学の点数を口にしてくるから。文系科目も極端に得意ってものはないし、今まで何回『本当にここを目指すつもりなのか』って聞かれたことか」
そこまで口にして、留衣は小さくため息をついた。どこか諦めたような笑みを浮かべて、あたしの顔を見る。
「梓はいいな、化学の点数関係では特に突っ込まれないだろうし」
――ずきん、と。
ほんの少しだけ、心の奥でいらだちの欠片がうずいた。
「まあ、化学の点数はね」
口元にわざとらしく苦笑いを浮かべて、前を向こうとする。
だけど、留衣はそうさせてくれなかった。
「……梓」
その瞬間、ずっと合ったままだった彼女の視線が、少しだけ揺れた。
「さっき、先生に何か言われた? 表情硬いよ」
その声は、どこまでも優しく穏やかで、心の荒みに沁みてくるものだった。
あたしは思わず足を止める。ちょうど青信号が点滅したところだったが、走ってまで渡ろうとは思えなかった。ブレーキをぎゅっと握りしめる。
「……わかる?」
「幼馴染をなめないでほしいな。一応これでも心理学を志望してるんだから」
そう言って淡く微笑む幼馴染に、ついふっと笑いがこぼれた。
本当に、この子は昔からあたしの心を
「……また今日も言われたの。なんでここの大学の天文学なんだー、って。他の天文学専攻の大学じゃダメなのか、お前ならもっと高いところ目指せるのにって」
意識せず、言葉が滑り出ていた。この子になら何でも話せる。その信頼の上だ。
「進路調査が始まった時からずっと言われてる。でもさ、あたしにだってわざわざここの大学選ぶ理由があるんだよね。他のとこじゃダメな理由」
「そこの大学が一番、梓が興味持ってる研究に長けてるんだっけ?」
呟くような相槌に、あたしは大きく頷いた。
「そう。あんまり有名じゃないけど、確実にその分野の中では一歩先を行ってる」
そこまで口にして、あたしは夜空を仰いだ。瞬く星々は儚くもきれいで――あたしはそんな果てしなく遠い地に夢をかけている。
「あんな今年から週三回授業を持ってるだけの一介の教師に、あたしの長年の夢をそう簡単に壊されてたまるか、ってね」
視線の端で、信号が青に変わった。
両親がホラー映画、特にパニックホラーと言われがちなものが大好きで、娘のあたしも怖いものが平気だと学んだ頃からしょっちゅうホラー映画を見せられていた。
あたしは決して好きというわけじゃなかったけれど、そこに出てくる非現実的な出来事は幼いながらに少しだけわくわくした。
そんなたくさんの映画の中で、見たのだ。
ウイルスによって汚染され、未知の生命体が流入してきた地球が舞台のパニックホラー。人々が怯える中、他の惑星への移住を必死で進めようと研究、解析を進める主人公たち。そんな主人公たちの姿に、あたしはある種の憧れを抱いた。
それが天文学分野で行われている「
あたしもこの研究をするんだ、と。
交差点を渡りきったところで、そっと留衣が口を開いた。
「梓って、昔から頑固というか、絶対に変わらない芯を持ってるよね」
穏やかに笑みを浮かべる留衣に、あたしは思わず苦笑いをこぼす。
この子は昔からこうだ。あたしが絶対に曲げない部分を理解した上で、荒れた心をなだめるように優しく寄り添ってくる。どこかむず痒いほどに、とても自然に。
「その一線をちゃんと理解してるのは留衣くらいだけどね」
「そう簡単にわかるものじゃないよ。特に梓は繊細だから難しくて」
わざとらしく眉根を寄せて口にされた言葉。繊細、という響きがあまりにも自分に似合わなくて、思わず口元が緩んだ。
「繊細なんて言葉初めて使われた」
「私も人に対しては初めて使った」
「何それ……」
あたしたちは顔を見合わせ――同時に吹き出した。何がそんなにおかしいのかわからないけど、自然と笑いがこぼれる。
少しずつ、身体が軽くなっていくような、そんな感覚がした。
「あー、こうやって梓と笑うの久しぶりだね。最近クラスも違うし、なかなかチャット以外で話す機会もなかったけど」
笑いをこらえながらしゃべる留衣の髪が、冷たく心地よい風で少しだけたなびいた。あたしの首筋も爽快感がそっと撫でていく。
「そういえばそうだね。留衣とは最近廊下ですれ違うくらいだったもんね、こないだまで大会の練習あったから留衣と行き帰りもタイミング合わなかったし」
「ね。てか、久しぶりに家族以外から留衣って呼ばれた。クラスの友達、みんな
「わかる、あたしも校内で梓呼びしてくるの留衣しかいないもん」
再び顔を見合わせたあたしたちは、どちらともなく笑みを浮かべた。
「あー笑った……って、あ、もうここ着いちゃった」
「あ……ほんとだ」
いつの間にか、留衣の家との分かれ道である交差点についていた。
「じゃあね、梓。今度また一緒に帰ろう」
そう言って、留衣が自転車にまたがる。彼女が渡る信号がそろそろ青になろうとしていた。
「久しぶりに朝も一緒に行こうよ、連絡するからさ。じゃあね、留衣」
軽く左手を振ると、そうだね、と留衣が小さく微笑んだ。
留衣の姿が住宅街の一角を曲がって見えなくなったところで、あたしも自転車にまたがった。
少し話をしただけなのに、身体が軽くなったような感覚を覚える。
「……あの子の魔法かな」
そっと呟いてみると、驚くほどに、その言葉がすとんと心の内に落ちた。
そうだ、きっとあの子の魔法なんだ。あたしの心をほぐす、あの子にしかできない魔法。10円ハゲのせいで抱いたいらだちも今はもう感じない。
本当に素敵な幼馴染を持ったものだ。
満天の星空の下、あたしは思いっきり自転車のペダルを踏み込んだ。
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