傍らに咲く一輪の花。

 ナオが仕事に戻り、宴の準備が整ったと言われた後に待っていたのは。


 正にしっちゃかめっちゃかの大宴会だった。


 あまりに酷くて、何が起きているのかリクには全くわからなかった。

 上座に座って眺めているだけで、気分が悪くなってくる。


 混沌とした状況の中、途中でユイが逃げるように神社から走り去っていく後姿だけはよく覚えていた。

 何があったのかはわからないが。

 この場にとどまり続けるよりは余程良い判断だろうと、リクは責めるつもりにもなれなかった。


 宴会がいよいよおかしな雰囲気になって来たところで。

 小姓こしょうの子狐がリクをそっとその場から連れ出した。

 首から上が子狐で、身体は小さな子供の姿。

 ナオを職場まで迎えに行った狐がこんな感じだろうか。

 ミカゲの仕業なのだろうなあ、とリクはぼんやりとそう思った。


 しばらく後をついて歩いていくと。


「やあ、なんだか回りくどい感じだね」


 トヨと一緒になった。


 どうやらトヨも別な子狐に連れ出されたらしい。

 二人で並んで、二匹の子狐についていく。

 普段の神社とは違い、今はミカゲの強い視る力で夢の中に沈んでいる。

 広く薄暗い廊下を進んでいくと、ふすまの向こうに通された。


 そこはぼんやりとした行燈あんどんの光に包まれた和室で、布団が一組敷かれていた。

 薄紅色の照明のせいか、まるで部屋全体にもやがかかっているようで。

 ふわり、と甘い臭いが立ち込めている。


 子狐はリクとトヨが部屋に入ったのを確認すると。

 無言のまま退室し、そっと襖を閉じた。


「やると思ったよあのセクハラ上司・・・次の神無月で絶対訴えてやる・・・!」


 二人きりになったところで、トヨはそう吐き捨てると。

 どすん、と音を立てて布団の上に座り込んだ。


 ミカゲの言いたいことは判るが、流石にこれは直截的ちょくさいてきというか。

 トヨを怒らせるために、わざとやってるふしもあるのではないかと。

 勘繰かんぐりたくもなってくる。


「はあ、もうなんだかなぁ、だよ」


 その言い方がいつものトヨで、リクはようやく緊張の糸が切れた気がした。

 力いっぱい座ったトヨの様子が気に入ったので、リクも真似して座ろうとして。

 バランスを崩して、そのまま布団の上に仰向けに転がった。


「リク、大丈夫?」


 トヨが笑顔で訊いてきた。

 転がっているリクの顔を覗きこんでくる。


「いや、なんだか疲れちゃったよ」

「お疲れ様」


 トヨがリクの髪をでる。

 淡い光の中でトヨに見下ろされて。

 状況が状況なだけに、リクの胸は否応なしに高鳴った。


「なんだか滅茶苦茶でごめんね。こんな慌ただしいのは、あんまり嬉しくないかもだけど」


 宴会も物凄かったが。

 確かにこんなシチュエーションにまで追い込まれるとは想像もしていなかった。


 ただ。


「そんなこと無いよ。色々と目まぐるしいのは確かだけどさ」


 嫌かと言われれば、本当にそんなことは無い。

 あの宴会場にずっといろと言われれば、それは嬉しくないかもしれないが。

 今こうしてトヨと二人でいられるのは嬉しいことだし。


 正直、期待もしてしまう。


「俺は、嬉しいよ。こうやって、トヨと結婚できて」


 本心から、リクはそう思っている。

 トヨは呆れてため息をついた。


「リク、キミはまだお気軽に考えているのかもしれないけどさ」


 トヨの所に婿入りをしたことで、リクは確実に普通の人間とは違う道を進み始めている。

 それは良いことでもあるし、悪いことでもある。


 この上眷属の話が出てくれば、今度はいよいよ神様の世界に足を踏み入れることになる。

 トヨは、リクにそれを安易なこととして考えてほしくは無かった。


「その・・・可愛い奥さんもらえてラッキー、みたいな考えだと困るというか」


 自分で言って、トヨは顔を赤らめた。


 本来なら結婚出来ない年齢で、リクはトヨと夫婦になる。

 この部屋の持つ意味は、思春期のリクに悪い影響を与えるのではないかと。

 トヨは少し心配になっていた。


「そんな考えだったら、今頃ツバキに殺されてるよ」


 リクの言葉に、トヨが思わず笑い出し。

 リクも、一緒になって笑った。


 まだ色々と実感がわかないというのは、確かにその通りだ。


 ただ、リクにしてみれば、それは恐らくいつになっても変わらない。

 何しろ、想像のしようがない。何が起きるか全くわからない。


 トヨの言う通り、良いことも、悪いこともあるかもしれないが。

 それでも、リクはトヨと共に歩いていくと決めた。


「ツバキがそうしていたように。俺も、トヨと一緒に生きて、そして」


 マカミに身を任せて。

 うっとりと眠りながら消えていったツバキのことを思い出す。


 添い遂げることで想いを達する。

 その姿は、リクにはとても美しく見えた。


「トヨと一緒に消える。そうしたい。そうなりたい」


 そうなれれば良いと、リクは本気で考えていた。


 ツバキのようになりたい。


 神様のことを本気で愛して。


 つらいことも、悲しいことも一緒に感じて。


 最後の瞬間まで、お互いを想って。


 同時に、消える。


 どちらかが残されることもない。

 後には、何も残らない。


 それはとてもいさぎよくて。


 とても、憧れる。


 リクの言葉を聞いて、トヨはリクの隣にそっと体を横たえた。

 すぐ近くにトヨの身体を感じて、リクの心臓は早鐘を打つように暴れ出した。


「そういうこと言わないでよ。ここでそういう気分になるの、すっごいシャクなんだから」


 驚くリクの指に、トヨは自分の指を絡める。


「リク、私は経験ないから、聞いた話なんだけど」


 トヨの声が、熱を持っている。


「・・・神様との交わりって、人間には刺激が強いんだって」


 吐息がかかるほど、顔が近い。


「だから、今ちょっと色々心配」


 トヨは恥ずかしそうに微笑んだ。




 翌朝、リクは拝殿の床で目を覚ました。

 いつぞやのタオルケットが、申し訳程度にかけられている。

 まだ花冷えしそうな気温で、リクはぶるっと身震いした。


「そうか・・・これが朝チュンってヤツか・・・」


 周りを見ても、トヨの姿は何処にもない。

 まだはっきりとしない頭で、リクは起き上がった。


 拝殿の外に出ると、ユイが片付けをしていた。


「おはよう、リク」


 目の下にくまが出来ている所を見ると、良く眠れなかったのかもしれない。


「おはよう。昨日は大丈夫だった?」


 ユイはふるふると首を横に振った。


「昨日はもう大変だった。朝も来たら物凄いことになってるし、これならお花見客の方がまだマシ」


 ため息交じりにそう言った後、小さく欠伸あくびをする。

 結局、貧乏くじを引くのはいつもユイの役目だ。


「そういえばトヨちゃんはお客さんのお見送りに行ってるよ。リクはゆっくりしてて良いって」

「そうなんだ」


 言われてみると、あんなにごった返していた境内は、今はもう静かなものだった。

 モノの姿など一つも見えない。昨日のあの狂騒きょうそうは、悪い夢か嘘であったみたいだ。


「ちょっと顔洗ってくる」


 半分夢うつつな状態のユイと別れて、リクは手水ちょうずに向かった。

 冷たい水で顔を洗っていると、何処からともなくひょこひょことミカゲがやって来た。


「やあ、婿殿」

「おはようございます。ミカゲ様」


 リクが挨拶すると、ミカゲは楽しそうに破顔した。


「昨日はお疲れ様。まあ、トヨも色々と言ってはいたが、結局の所はトヨ自身が望んでいた話。万事目出度いことだ」


 何やら自分で納得して、うんうんとうなずいている。


 ミカゲにも色々と思うところはあったのだろう。

 今回の結婚式にしろ何にしろ、ミカゲは忙しい身でありながらとにかく精力的に動き回ってくれていた。

 リクからすれば感謝してもしきれない、というところだが。


「そういえば、ミカゲ様はなんであんなにトヨに嫌われてるというか、色々言われてるんです?」


 前々から疑問に思っていたことを、リクはミカゲに訊いてみた。


「ははは、恥ずかしい話なんですけどね」


 ミカゲは本当に照れくさそうに話し出した。


「実は私、一度トヨにフラれてるんです」


 ミカゲの言葉に、リクはタオルを落としそうになった。



 もうかなり昔の話になる。

 トヨが最初に神無月の集まりに訪れた際、ミカゲはトヨの姿を見初めていた。


 パッと見は田舎臭い娘だと思ったが、トヨは何事にも熱心で、とてもひたむきな娘だった。

 神様として成長する度に、まるで花が開くように美しくなっていくトヨを、ミカゲは上司として長年支えてきた。


 トヨもミカゲに良く従い、これでトヨも一人前の神様になった、というときに。


 ミカゲは、トヨに交際を申し込んだ。

 これからは、もっと近くでトヨの成長を見ていきたい、共に歩んでいきたい、と。


「で、まあ見事にフラれました」


 トヨにとって、ミカゲは尊敬に値する良い上司であった。

 その上司と、一線を越えた関係になる、ということを。

 真面目なトヨは、どうしても割り切って受け入れることが出来なかった。


「それは仕方ないかなぁ、と思ったんですが」


 ミカゲは少し遠い目をした。


「・・・ご存じの通り、ヨウシュウのことがあった」


 み地の存在を、他の神々が何も言わずに見過ごしていたわけではない。

 不用意に人間と恋に落ち、その命を失わせたトヨのことを責める声もあった。


 しかし、そんな渦中にあっても、トヨは気丈に振る舞っていた。

 強い逆風の中、トヨは神様であり続けようとし、そして実際に神様であることを通し切った。


 そんなトヨに対して、ミカゲは上司として、味方として、出来る限りの助力をしてきたつもりだった。


「リク殿、あなたには本当に感謝している」


 ミカゲは改まってリクの方に向き直った。


「三島リク殿、どうか、トヨウケビメノカミ、いや、トヨのことをくれぐれもお頼み申す。これはトヨの上司であるイズモミカゲノオオカミとしてだけではなく、私個人の頼みでもある」


 かつてヨウシュウとの恋を失ったトヨが。

 再び人間と恋をするなど、最初ミカゲには全く理解出来なかった。


 また同じ苦しみを得ることになるだけではないのか。

 また忌み地を作り出し、同じ過ちを繰り返すだけではないのか。


 だが、稲荷神社を訪れてトヨとリクを見たとき、ミカゲの考えは一変した。

 トヨは、リクのことをとても大切に想っている。

 その関係を大事に、大切にはぐくもうとしている。


 一度犯した過ちを二度と繰り返さないため。

 失ったものを取り戻すため。


 トヨは成長し、その姿は今もまだ美しく変わり続けている。


「今朝の彼女は祝言しゅうげんを経て、また一つ花開いたようだった。実に美しい、大輪の花だ。それはきっと私では咲かせられなかった花」


 ミカゲは眼を閉じた。


 また一つ、また一つと、美しくなっていくトヨ。

 その横に並び立つ者が自分でないことは寂しくはあるが。


 今のトヨを見れば、それは些細ささいなことであるとすら思えてくる。


 ミカゲがトヨに望むことは、美しく花開いていてくれること。それだけだ。


「どうか、彼女を幸せにしてやってください」


 それは、ミカゲの心からの言葉だった。



「ミカゲ様、こんなところにいらしたんですか」


 丁度その場に、トヨが鳥居の方から歩いてきた。


 リクはその日初めて、トヨの姿を見た。

 ミカゲが言った通りだった。

 トヨからはまるで光を放つようなきらめき、まぶしさを感じる。

 確かに今このときと比べれば、それまでの姿はつぼみに過ぎない。


 目の前にあるのは、正に大輪の花。

 リクは思わず見惚みとれてしまった。


「他の皆様は帰られましたけど、ミカゲ様はどうされますか?」

「うん、私ももう戻るよ。そんなに長くは空けられないからね」

「そうですか。ではお見送りいたします」


 トヨがうやうやしく頭を下げる。


「いや、ここでいいよ」


 ミカゲはつまらなそうに、ひらひらと手を振った。


「なんだか張り合いがない。また一つ寂しくなった気分だ」


 ミカゲのそんな様子を見て、トヨはきょとんとした表情を浮かべたが。


 次の瞬間には、ミカゲに対するいつものふくれっ面になっていた。


「・・・ミカゲ様が人妻にちょっかいを出すような不心得者でなかったことに驚きと感謝の念が絶えませんわ」


 低い声で吐き捨てるようにそう言うと、トヨはミカゲの顔を睨み付けた。


 トヨの言葉を聞いて、ミカゲは目を見開いたが。


「・・・ふふふ、その方がそなたらしい」


 楽しそうに笑い出した。


「眷属の件もある。神無月には夫婦揃って顔を出すがよい。ああ、その頃には頭数が増えておるやもしれぬな。安産祈願の看板を用意しておくがよかろう」

「お気遣いどうも。ミカゲ様の方も、神無月までに良い弁護士を雇われておくことをお勧めいたします」


 トヨがリクの妻となったからと言って、ミカゲがトヨに興味を無くすなど。

 トヨからしてみれば馬鹿にされているとしか思えない。


 ミカゲがトヨに軽い感じで話しかけるのは、トヨが昔ミカゲを振ったことを意識させないため。

 トヨの方も、二人の関係を深刻にしないように、あえて「セクハラ上司」と怒ってみせている。


 パッと見では判らないが、二人はお互いのことを強く信頼しているし。

 多分、心のどこかではまだかれあう所もあるのだろう。


 何にしても、この二人はずっとこうなのだろうなぁ、と。

 リクは心の中でため息をついた。




 ミカゲを見送った後、リクはトヨの横顔をまじまじと見つめた。


「どうしたの、そんなに見て」

「素直にミカゲ様にお礼を言えばいいのに」

「嫌だよ、今更。恥ずかしいし」


 トヨは口を尖らせた。


 そんな顔もするんだ。

 リクはトヨのことなら何もかも知っている気がしていたが。

 まだまだ知らないトヨが沢山あることがわかって、嬉しかった。


「・・・本当に花が咲いたみたいだな」


 改めて、光をまとうトヨの眩しい姿を見て、リクは思わず言葉を漏らした。


「咲いたっていうより、押し広げられたって感じだけど」


 トヨの言葉を聞いて。

 リクは昨夜のトヨのことを思い出した。


 上気した頬。

 甘い吐息。

 絡み合う指。


 赤面して、慌ててトヨから視線を外す。


「なんだい、自分がやったことじゃないか」


 呆れた顔をして、トヨはその場でくるっと回った。


 きらきらと、光が舞う。

 まるで、無数の光の粒子が弾けるみたいで。

 とても綺麗だった。


「そうだ、リク、ちょっと目を閉じてみて」


 言われるままに、リクは目を閉じた。


「私のこと、感じられるかな?」


 トヨの声が聞こえる。

 リクはトヨのことを強く思ってみた。


 沢山の光に覆われた、眩しいトヨの姿。

 すると、自分の身体から金色の光が伸びて、大きな光のたばに繋がっているイメージが浮かんできた。


 光の束には、他にも沢山の光の筋が繋がっている。

 金色の光は世界を縦横無尽に巡り、複雑に絡み合い。

 最後には太くて大きな一つの柱を作り出している。


「これは?」

「今までは見えなかったかもしれないけど、とうとうリクにも見えるくらい、二人の絆が強くなった、ってところかな」


 トヨはリクの手を握った。

 リクが目を開けると、そこにはトヨの笑顔があった。


 花咲くような笑顔。今は、咲き誇る大輪の花。


「さて、これからは、リクも神様の仲間になる準備をしないと」


 握った手を通じて温かい何かが通うのを感じる。


 新しい絆。これからを掴む力。


 二人の前に開けた、素敵な未来。



「改めて、かみさまクラスタに、ようこそ」

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