大事にします。大事にしてもらいます。
花見客に
拝殿の裏、
恐らくミカゲの視る力によるものなのだろう、あれだけ大量にいるモノたちの声が、全く聞こえてこない。
手伝いに駆り出されているユイの悲鳴も、もう耳に届いてこなかった。
「いい加減この格好はもう疲れたんだけど、まだ取っちゃダメかな?」
トヨは
新雪を思わせる白無垢姿はとても美しくて。
トヨが黙っている限りにおいては、本当に女神そのものという感じだった。
「宴の間はそれでいてくださいよ。そうじゃないとトヨの場合一緒になって飲み始めるでしょう?」
「あー、それは勘弁して欲しいかな」
ミカゲの言葉に、リクは同意した。
夏祭りのときもそうだったが、正月にもトヨは大量のお
トヨ本人は酒ではなく雰囲気に酔うのだ、と言い張っていたが。
リクはもう、あの手のイベントに関わるは懲り懲りだった。
「いくらなんでも今日はそんなことしません」
トヨがふくれっ面をする。
せっかくの花嫁衣裳が台無しだ。
そんなことを話していると、ミカゲが二人の後ろに向かって手を振ってみせた。
「ああ、こっちです。ご足労いただき申し訳ない」
リクとトヨが振り返ると。
「わあ、これは綺麗だねぇ」
花吹雪のカーテンを抜けて、ナオが姿をあらわした。
「え?か、母さん?」
リクが驚いて声を上げた。
息子のそんな様子には全く関心を示さず、ナオはトヨに歩み寄ると。
白無垢を色々な角度から眺め回した。
「うーん、私も神前式にすれば良かったなぁ、トヨちゃんすっごい似合ってる」
「ど・・・どうも。でも、ナオさんどうしてこちらに」
ナオに姿が見えていることも、この場所にナオがいることも。
とにかく、驚くことしかない。
流石のトヨも動揺を隠せなかった。
「私がお呼びしたんですよ」
ナオの代わりに、ミカゲが応えた。
「唯一の親族をお招きしないとか、あり得ないでしょう」
どうやら、全てミカゲが手引きしたことらしい。
「いやあ、びっくりしたわ。職場に急に狐のお面付けた子供が来るんだもん。そのままあの世行きかと思ったわ」
やや興奮気味にナオが話し始めた。
「そしたらそこのミカゲさんが、うちの息子の婿入りだっていうからさ、もうどういうことなのって」
「一応一通りの事情はご説明したつもりです」
ミカゲはニコニコしている。
何をどう説明したのかは知らないが、ミカゲは所詮トヨからの報告を受けているに過ぎない。
大方面白おかしい脚色を加えたに違いない。
これは後で細かく問い詰める必要があるな、とトヨは
「仕事途中で抜けてきちゃったし、長居は出来ないんだけどさ。ご挨拶はしておかないとね」
ナオはミカゲの方を向いて、ぺこり、と頭を下げた。
スーツの上着を羽織っていないので、本当に着の身着のままだったのだろう。
呼びつけるミカゲも無茶だが、やって来て挨拶しているナオの方も大概だった。
「あの、ナオさん」
トヨが思いつめた顔で切り出した。
「その、こんなことになってて、本当にごめんなさい」
ナオに報告せずにこうして
トヨはそのことを気にしているのだろうかと、リクは心がざわついた。
「トヨ・・・」
リクの方も、結婚についてはどう報告して良いものかわからないままで。
結果的に、ナオには黙っていることになってしまっていた。
お互いに気にはしていたのだが、どうにも機会を逸してしまった感じだ。
「お付き合いしてますって言ってから、ものの数ヶ月で結婚とか、軽い感じですよね。本当にすいません」
「・・・ああ、そっちなんだ」
リクが微妙な顔をして、ナオは、ははは、と声に出して笑った。
妙なところで律儀というか。
トヨは、リクとの交際についてはかなり真面目に考えていたようだった。
「そういうのは時間の問題じゃないからさ、本人たちの意思の問題だと思ってる」
実際、ナオはそんなことはまるで気にしていなかった。
考えてみれば、リクとトヨとの再会からは、丁度一年というところだ。
今と同じ、桜の花びらが舞うころに、夜の稲荷神社で出会って。
あのとき何よりも
結婚の相手は、他でもないリクだ。
感慨深いというよりも、リクには全てが不思議なことのように思えていた。
「にしても、さ」
ナオはまじまじとトヨの顔を見た。
「ビックリした。こんな可愛い娘が神様で、ウチの息子を婿としてご
ほんの数ヶ月前、稲荷神社でナオが初めて会った女の子。
小奇麗で、何処か現実離れした、不思議な魅力がある娘だとは思っていたが。
まさか神様であるとは、流石のナオも考えもしなかった。
神社での出会いということで、思わずリクを拝んでしまったこともあったが。
本当にリクのことを
「ご、ごめんなさい。わがままなのは百も承知なんですが・・・」
トヨがあわあわと目を泳がせる。
リクの母親であるナオに黙って、ここまで話を進めてしまったこと。
それについては、トヨも悪く思っていないわけではなかった。
ただ、神様の世界のことではあるし。
報告は落ち着いた後でも良いだろうかと、先送りにしていたのもまた事実であり。
正直に言えば、万が一反対されたらどうしよう、という考えも無いわけではなかった。
「わかってる」
ナオはトヨの目を真っ直ぐに見た。
「それでも、リクが欲しかった」
トヨは最初、ぼんやりとナオの顔を見ていたが。
はっと気が付いて、正面からそのまなざしを受け止めた。
ナオへの報告を後回しにしたことは、確かに良くないことだった。
それでも、トヨのリクへの気持ちは
こうして夫婦となることは、トヨの強い願いであるし。
母親であるナオには申し訳ないが、ナオの言う通り。
トヨは、どうしても手に入れたかった。
だから、人間のあり方としては間違っているとしても。
こうしてリクと夫婦の関係になろうと、そう決意した。
「はい」
トヨの力強い返事に、ナオはうなずいた。
「大切な息子なんだ。大事にしてやってくれ」
夫を亡くしてから、たった一人で育ててきた、リク。
誰かの力を借りることも無く、他の誰かの手を取ることも無く。
自分だけの手で、大切にしてきた息子。忘れ形見。
それを、誰かに引き渡す。
相手が神様だろうが何だろうが、関係ない。
自分の手から、愛しい人が離れて、誰かのもとに去っていく。
ナオの想いを、ひしひしと感じて。
トヨは知らずに、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「はい。大事にします。大事にしてもらいます」
トヨの言葉に満足したのか、ナオは優しく微笑んだ。
それから、バツが悪そうな顔をしている息子の方に向き直って。
可笑しそうに声を出して笑った。
「ホント、あんた私の知らない所で何やってんだか」
「色々あったんだよ。色々」
リクには、とりあえずそう言うことしか出来なかった。
実際に色々なことがあったのは確かで。
それをナオに説明してわかってもらえるとは、正直思っていなかった。
「それはミカゲさんから聞いた。大変だったみたいじゃない」
ミカゲからはどの程度聞いているのか。
ナオは少し楽しそうにリクの服の
「はあ、しかしあんた、今幾つだっけ?」
リクは三月に誕生日を迎えていた。
そのことはナオだってよく知っているはずだったが。
確かめずにはいられなかったのだろう。
「十六になったよ」
「十六ってあんたねぇ・・・」
ナオはため息をついた。
トヨが不安げにリクの方を見る。
リクが何かを言おうとしたところで、ナオはふっと顔を上げた。
「私が結婚したのが十八で、リクを生んだのが十九。まさかこれより早くなるとか、普通ありえないでしょ」
高校を卒業して、ナオはすぐに結婚した。
とてもではないが、手放しで祝福されるものでは無かった。
ナオ自身はずっと恋い焦がれていた相手との結婚で、舞い上がっていたが。
現実はそれほど甘くは無かった。
「私、自分の人生は割と波乱万丈だと思ってたけど、息子にその上をいかれるとは考えもしなかったなかったわー」
「母さん・・・」
翌年にリクが生まれ。
貧しいながらも幸せな家庭を築いていけると。
そう信じていた矢先に、夫は死んでしまった。
付き合いの切れていた親族たちが、
ナオはその全てを振り払い、たった一人でリクを育てる道を選んだ。
「えーと、なんだっけ?婿入りだとなんて言えば良いんだろうね?幸せにしてもらうんだよ、とか?」
「それは・・・どうなんだろう?」
そのリクが、神様に婿入りするという。
不思議な感じだった。
他の誰の所に行く、というよりも。
妙に納得出来て、しっくりとくる。
ああ、仕方がないな、と許せてしまう。
思わず笑ってしまう。
目からこぼれそうになった涙を拭いて。
ナオは、そっとリクの首を抱いた。
「良かったじゃん、可愛い奥さんが出来てさ」
「うん」
ナオに言われて、リクは素直に嬉しかった。
ナオは、トヨのことを認めてくれている。
トヨのことを可愛い奥さんと呼び、トヨとリクが結婚することを祝福してくれている。
「ウチの男たちは、ホントにさっさと私の所からいなくなっちゃうんだから」
リクの父も、リクも。
ナオの手から、本当にすぐにすり抜けていってしまった。
ナオのことなどお構いなしだ。
幸が薄いな、とナオは寂しくなった。
ナオだって、本当はそんなに強い人間ではない。
泣きたいこともある。
甘えたいこともある。
でも、それを許してくれる相手は、もういない。
気を張ってここまで生きてきて。
リクが居なくなった後のことを考えると。
ナオは、本当に寂しかった。
「え、でも俺しばらくは普通に家にいるけど」
リクがあっけらかんとそう言うと。
ナオはリクから手を離して。
じっと睨みつけた後。
「ばか」
リクの脳天にチョップを落とした。
「いてっ」
「おまえダメだなー、そういうところ空気読めないと」
これが婿入りするというのだから、心配になる。
本当に大丈夫なのかと、ナオは深いため息をついた。
「なんだよそれ」
頭をさするリクを見て、ナオが可笑しそうに笑う。
トヨがそれにつられて笑い、リクも笑った。
ミカゲがその様子を静かに見守っていた。
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