粉々にしてしまいそうだよ。

 学校の校門を出たところで、トヨは猫たちの様子がおかしいことに気が付いた。


「リク、どうやら猫たちが何かを掴んだ」


 かなり長い間動きが無かったが、ついにツバキが尻尾を出したのかもしれない。

 二人は警戒しながら稲荷神社に向かって移動を始めた。


「どうやらサキチと連絡がつかないらしい」


 トヨの言葉に、リクは不安になった。

 サキチは、猫たちの指揮をるために神社にいたはずだ。

 神社がツバキに襲撃されたのだとすれば、そこにはユイもいるかもしれない。


 相手の狙いが自分だけだと思っていたことが裏目に出たのだろうか。

 同じことを考えたのか、トヨの表情もけわしかった。


「とにかく慌てないことだ。今は稲荷神社に行って、様子を見る」


 ここで焦って隙を作ってしまっては、元も子もない。

 ツバキの狙いがリクならば、動揺を誘うための罠である可能性もある。


 慎重に、それでいて一刻も早く神社に向かわなければならない。




 二人は程なく稲荷神社に到着した。

 神社はいつも通りに人気ひとけが無く、しんと静まり返っている。

 リクには特に変わった気配は感じられなかったが、トヨは慎重に周囲を見回した。


 拝殿のすぐ前に。

 ユイが、ぼんやりと立っていた。


「ユイ、大丈夫か?」


 リクは慌ててユイに駆け寄った。

 心ここにあらずと言う様子のユイは、リクの姿に気が付くと。


「リク・・・私は大丈夫」


 疲れを感じさせる笑顔を浮かべた。


「でも、サキチさんが・・・拝殿で・・・」


 ユイの言葉を聞いて、トヨは素早く拝殿の中に駆け込んだ。


 途端に。


「しまった!」


 拝殿の床が、赤黒く光を放った。

 薄ぼんやりとした光が、壁となって拝殿全体を包み込む。


「封印だ。厄介なことを」


 慌ててトヨは外に出ようとしたが、光の壁がさえぎってくる。

 リクもトヨに向かって手を伸ばしたが、固い、ガラスに似た硬質な感触が二人の間を仕切っていた。


 トヨは、拝殿の中に完全に閉じ込められた。


 なんとか壊すことは出来ないかと、リクは拳を打ち付けてみたがびくともしない。


 二人のそんな姿を力なく見つめながら。

 ユイはふらふらと後ずさり。


 地面の上に座り込んだ。


「ごめんなさい・・・トヨちゃん・・・」


 小さな声でそう呟いたユイの前に、リクはしゃがみこんだ。


「ユイ、どういうことなんだ?」


 焦点の定まらない目をしていたユイは、眼前のリクにようやく気が付くと。

 何かにおびえて、自らの両肩を抱いて。


 ぶるっと、身体を震わせた。


「その子はアタシの手伝いをしてくれたんだよ」


 ツバキの声がした。


 声のした方に顔を向けると、鳥居の下にツバキが立っていた。


「やあ、リク。約束通り会いに来たよ」


 うっすらと笑みを浮かべて。

 燃えるほのおを思わせる瞳をリクに向けて。


 ツバキは、ゆっくりとリクに向かって歩き始めた。


「ツバキ、これは君の仕業なのか?」

「そうだよ。リクとはゆっくりと話をしたくてね。トヨ様や猫どもの茶々が入ると困るんだ」


 ユイがうつむく。


 リクをサキチとトヨから引き離すために。

 ユイは、ツバキに力を貸していた。


「だから、少しの間手を出せないようにさせてもらった」


 リクは何も言わないユイの方を見て。

 そのまま、黙って立ち上がった。


 ユイに訊きたいことは沢山ある。

 しかし、今はツバキをなんとかしなければならない。


 近付いてくるツバキに向かって、リクも歩を進めた。

 丁度境内の真ん中あたりで、リクはツバキと対峙した。


「リク!ダメだ、逃げて!」


 トヨの叫び声が聞こえる。


 だが、リクは目の前にいる祟り神から目が離すことが出来なかった。

 燃え盛る瞳が、真っ直ぐに自分を睨み付けている。


 リクはそこから感じ取れる激しい情動を読み取ろうとしたが、うまく理解することが出来なかった。


「逃げないのかい?トヨ様は逃げろと言っているよ?」

「俺が逃げたら、トヨは、ユイは、サキチはどうなるんだ?」


 ツバキは片手を振った。


「さあ?」


 リクは右手でツバキに殴り掛かった。

 相手のことわりを、自分のことわりに無理矢理従わせる力を持った手。

 相手がたたり神であるのなら、そのことわりはリクのことわりの前には無力であり、跡形もなく消し去れるはず。


 ツバキはするり、と。

 踊るようにして、その拳を避けた。


「うん、いい攻撃だけど、基礎体術がダメだな」


 バランスを崩したリクの腹部に、ツバキの蹴りが文字通り突き刺さった。


「うぐっ」


 全身から血の気が引き、リクはその場に膝をついた。

 痛いというよりは、熱い。

 蹴られた場所が、炎であぶられるみたいに激しい熱を持っている。


「リク!」


 トヨの悲痛な叫びが響いた。

 ツバキは膝をついたままのリクを見下ろしていた。


「さて、話をしたいとは言ったけど、アタシはさ、言葉で伝えるのがニガテなんだ」


 ツバキの声は、まるで天の高いところから聞こえてくる。

 あまりの痛みに、リクは身動き一つ取ることが出来なかった。


 身体が、燃えているみたいだ。

 蹴られた場所から、全身に炎が燃え移っていく感じ。


 眷属神、祟り神。


 恐らくは加減されていたであろう一撃は、人間であるリクには十分すぎるくらい強力だった。

 単純な殴り合いで勝てる相手ではない。


「だから」


 感情の無い言葉の響きに、リクは自分の思考が完全に麻痺するのを感じた。


「これで、オシマイにしよう」




 カラスの鳴き声が聞こえる。

 そういえば、カラスは神聖な生き物だと言っていた。

 神社にいるカラスは神様の遣いだから、悪戯をしてはいけないって。


 ・・・誰が?


「リク、お待たせ」


 ユイの声がして、リクは自分がぼんやりと濡れ縁に腰かけていることに気が付いた。


「お掃除終わったから、行きましょう」


 制服姿のユイが、リクの方を見て微笑んでいる。

 そうか。

 ユイが日課の掃除を終えるのを、濡れ縁に座って待っていたんだ。


 ゆっくりと立ち上がって、ユイのそばに歩いていくと。

 リクは、ユイの手を握った。


 細くて、小さな手。

 いつも、こうやって手をつないでいた。

 二人で並んで。

 話して。


「どうかした?」


 ユイが笑顔で訊いてくる。

 リクは、自分の中が奇妙なきりで覆われている気がしていた。


 それはどこか懐かしくて。

 それでいて、非常に不快で。


 強い違和感を覚えさせる。


「夢を見てたんだ」


 神社に、神様がいて。

 神様は、女の子で。


 リクに色々なことを教えてくれた。


「俺は、その神様のことが大好きで」


 神様と一緒にいると、それだけで幸せで。

 ずっとその神様と一緒にいたかったんだけど。


「あれ?」


 結局、どうだったんだろうか。

 夢だから、その後どうなったのかは曖昧なままだったのか。


「ごめん、変な話して」


 そう言って笑うリクを。


 ユイは、真剣な顔で、じっと見つめていた。


「ユイ?どうかした?」

「ねえ、リク」


 どこかから声がする。


「その神様のこと」


 余計なことをするな、と。


「ちゃんと思い出せる?」


 これがお前の望みなのだろうと。


「神様の名前」


 望んだ世界が手に入るのに、何故自ら壊そうとするのかと。


「神様の名前、言ってみて」


 これがユイの望んだ夢であったとしても。


「名前・・・」


 いつか見た夢であったとしても。


「覚えて、るよ」



 多分、あってはいけない夢なんだ。



 リクは、空を見上げた。

 灰色の空は、かつてまばゆい色彩に覆われていた。


 その色を取り戻させてくれたのは。


『リクのこと、大好きだよ』


 忘れてはいけない彼女。


 失ってはいけない彼女。


 誰よりも大好きな彼女。


「トヨ」


 目の前の世界が、崩れる。


 虚構きょこうが、幻が。

 音もなく消えて。


「神様の名前は、トヨ。俺の大好きな、素敵な神様。可愛い女の子。俺の、大切な恋人」



 後には、すすり泣くユイだけが残された。




「これはどうも、参ったね」


 ツバキの声がして、リクはうっすらと目を開けた。


 本当に一瞬、時間にすれば数秒にも満たない間。

 リクは、夢を見ていた。


「二人とも簡単に夢にはまってもらえれば、楽な話だったんだが」


 ツバキの言葉を聞いて。


「リク・・・!」


 ユイが、泣き崩れた。


 泣き叫ぶ声が聞こえる。


 それは本当に小さな夢。

 ほんの少しの可能性。


 そんな世界が、あり得なかった訳では無い。


 リクは歯を食いしばって立ち上がると。

 そのまま、目の前にいるツバキに向かって拳を繰り出した。


「いいね」


 だが、ツバキは再び緩慢かんまんな動作でそれを避けた。

 まるでリクの動きなど最初からわかっているとでも言いたげに。


「やめて、もうやめて」


 ユイが叫んだ。


「もう十分でしょう、もういいでしょう」


 ユイの言葉を聞いて、ツバキはにやり、と笑ってみせた。


「だってさ。こんなところで終わっておこうか、リク?」


 リクはその顔面に向かって手を伸ばした。

 ツバキはまたゆるり、とそれをかわす。


 だが、今度は同時にリクの蹴りがツバキの身体を狙っていた。

 ツバキが片手でそれを受けると。


 リクの蹴りを受けた手が、弾けて消し飛んだ。


「ああ、そういうのはちゃんと応用出来るんだ」


 手で触れたものに対して、自らのことわりに従わせる。


 それが手である意味は何処にあるだろうか。


 以前、トヨはリクの頬に触れていた。

 手である意味など、何処にも無いのかもしれない。


 その考えは正しかったと、リクは自信を深めた。


「ちょっと希望が出てきた、みたいな顔をしているね」


 リクの様子をじっと見ていたツバキが、残念そうに首を振った。


「でもまだまだだよ、リク。こんなんじゃあダメだ」


 ツバキは消えた腕をリクの方に向けて見せた。

 黒い霧が見えたかと思うと、腕は一瞬で元通りに復元した。


「アタシもその力は持ってるから、よく知ってる。悪いけど、あんまり効果は無いかもね」


 リクは愕然がくぜんとした。


 ツバキは元々人間だったと言っていた。

 リクと似たたぐいの視る力を持っていたとしてもおかしくはない。


 あまりにも分が悪い、と思ったところで。


「もうやめてくれ、ツバキ」


 トヨの叫び声が聞こえた。

 拝殿の中からトヨが、リクを、ツバキを見ていた。


「これ以上リクを苦しめないでくれ。キミがこれ以上リクを傷つけるなら」


 トヨの身体から、ぞわり、と今までに感じたことの無い負の感情が湧き上がった。


 それは激しく燃え盛る、強い怒り。憤怒ふんぬ

 これだけの怒りは、恐らくはトヨが神様になってから初めてものだろう。


 その感情に身を任せて、トヨは激しくツバキを睨み付けた。


「私は・・・お前を粉々にしてしまいそうだよ」


 怒りに震えるトヨの様子に、ツバキはため息をついた。


「怖いな、リクの神様は。花のような見た目とは裏腹だ」


 ツバキの眼が、リクを捉える。


「どうする、リク?粉々になってみるかい?」


 ツバキが蹴りの体制をとる。

 それを受ければ、本当に粉々にされかねない。


 リクはその動きを、視た。


 見るのではなく、視る。

 ツバキがリクの攻撃を軽く避けるのは、目でその動きを追っているからではない。

 リクの攻撃を「視て」いるのだ。


 ツバキの蹴りがリクの身体に向かってくる。

 そこに合わせて、リクは自分の左手の動きを「視た」。


 ツバキの蹴りを、リクの左手が受ける。

 そのまま、ツバキの脚を消滅させた。


 勢いを殺されて、ツバキが体勢を崩した。

 リクは更に、自分の右手の動きを「視た」。

 ツバキの顔面に、右掌を押し付ける動き。


 その過程で、リクはツバキの顔を「視た」。


 ツバキは笑っていた。

 まるで、無邪気な少女みたいに。


 そしてその燃える瞳の奥に、リクは何かの姿を見付けた。

 白い、四足の獣。


 狼。



「そこまでだ」



 威厳のある声が響いて、リクとツバキは強い力に弾き飛ばされた。


「もういいだろう、ツバキ。二人の絆は見えたはずだ」


 ツバキの後ろに、大きな狼の姿があった。


「マカミ殿」


 トヨは思わず声を上げた。


 そこにあらわれたのは、オオクチノマガミ、ツバキの神だった。

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