エチュード
お願いされました。
良く晴れたある日、リクは神社にナオを連れてきた。
「わぁ、相変わらず人いないねぇ」
ナオはそう言うと、拝殿の方に歩いて行った。
少し前に、リクはトヨからいつになく神妙な顔で頼まれていた。
「都合が付くときで良いんだけど、リクのお母様を神社に連れてきてくれないかな?」
なんだかトヨの言葉は少々歯切れが悪かった。
「色々考えててさ、まだちょっとはっきりとしたことが言えないから曖昧な感じで悪いんだけど」
何をするつもりなのかわからないのは気になったが。
ナオを稲荷神社に連れてくること自体は、別に何でもないことだった。
「なんか久しぶりだね、こうやって二人でここに来るの」
普段仕事ばかりで息が詰まっているからなのか。
ナオは何処となく楽しそうだ。
昔はリクを連れてよく訪れていたはずなので、確かに久しぶりなのかもしれない。
二人でこうして来なくなったのはいつからなのだろう。
リクは子供の頃の記憶を
やはり、蓋をした辺りだろうか、と思ったところで。
「あの!」
女の子の声がした。
いつもの聞きなれた声だが、どこかいつもとは違う。
拝殿の裏手から、女の子が歩いてきた。
明るい青のニットの上着。
桜色のスカート。
まるでファッション雑誌の一ページから抜け出してきたみたいな。
リクが見たことも無い服装の。
トヨだった。
「あれ、トヨ、今日はどうしたんだ?」
「ええっと、こんにちは、リク」
トヨはリクの前に立つと、恥ずかしそうに笑った。
なんだかいつもと違う反応だな、と思ったところに。
ナオがぷらぷらとやって来た。なんだか楽しそうだ。
「リク、その娘、誰?」
ナオの言葉を聞いて、リクはようやく理解した。
トヨは今、ナオに姿が見えている。見せている。
そのことに驚いて、言葉を失ってしまった。
「え、えっと・・・」
どうしたものかとリクが戸惑っている間に。
「あの、はじめまして」
トヨがぺこん、と頭を下げた。
「私、トヨと言います。ええと・・・」
頭を上げた後。
胸の前で両手の指先をくっつけて。
周囲に目線を泳がせて。
しばらく言いよどんだ後で、トヨは意を決して口を開いた。
「リクさんと、お、お付き合いさせていただいてます」
そのまま、上目づかいにナオの方を見る。
ナオはしばらく呆然としていたが。
目の前で起きている出来事と。
目の前にいる女の子のことをようやく認識し。
「あなたがトヨちゃん?わぁ、はじめまして!リクの母のナオです!」
ぱぁ、っと顔を輝かせた。
「何、リク?ちょっとそういう事なら言ってくれれば良いのに」
「いや・・・」
俺も初めて知った、と言おうとしたところでトヨが言葉を挟んできた。
「すいません、今日こうしてお会いできるかどうか判らなかったので、リク・・・さんにはちゃんとお伝えしていなかったんです」
多分そうなのだろう、とリクは思った。
以前トヨに聞いた話では、トヨのような存在の姿は、見せようと思ってもどうしてもそれを見せられない人間もいるらしい。
一般には霊感が無い、という言い方をするが、視る力による影響を受けにくい、と言った方が正確ということだった。
「だから、リクさんは悪くないんです。すいません、私のわがままで」
リクさん、という言い方はちょっと新鮮だ。
トヨなりの気遣いなのだろうが、他人行儀な感じがしてちょっとくすぐったい。
「ううん、こちらこそごめんね、なんだか無理させちゃったみたいで」
ナオの言葉を聞いて、トヨは跳ね上がるみたいにして身体を起こした。
「いえ、とんでもないです」
口調といい、態度といい、服装といい、いつもと全く異なるトヨが珍しくて。
リクは、ぽかんと眺めていることしか出来なかった。
「私の方こそ、色々とリクさんを振り回してしまっていて、本当にご迷惑をおかけしていると思うんです」
トヨにしてみれば、これは本心だった。
リクの力を一度は封じて、こういった出来事からは遠ざけるつもりでいたのが。
結局のところ自分が遠因で色々なことに巻き込む結果になってしまっている。
「私はこの神社の関係者で、神社の事、リクさんにも色々と手伝ってもらったりしてます」
流石に、神様です、と自己紹介するのは気が引けるというか。
信じてもらえても、もらえなくても、なんだかややこしいことになりそうだ。
「他にもその、色々と個人的な事とかでリクさんには助けてもらってて」
リクとの関係は、トヨにとってもなかなか一言で言い表すのは難しい。
それこそ説明して理解してもらうのは無理だろうし、その程度が無難な所だった。
「ええっと、本当はもっと早くこうしてご挨拶しておくべきっだったかなって、そう、思ってます」
クリスマスイブには交際を決めていた訳で。
考えてみればもう少し早くこういう機会があっても良かったのかもしれない。
しかし、年賀状の件での正月の忙しさに、ツバキのことが重なって、なかなか落着けなかったというのも正直なところだった。
「その、なんだか本当に色々とすみません・・・」
一息にそこまで喋ると、トヨは、はあ、と息を吐いた。
そんなトヨを見て、ナオは目をキラキラとさせている。
あ、これはマズイ、とリクが思ったところで。
ナオに力いっぱい背中を叩かれた。
「いって!」
「リク、ちょっとあんた、何この娘、可愛いんだけど!」
ナオは興奮した様子でまくし立てた。
「え、お付き合いって、あんたこの娘と?ホントに?そりゃ神社通うわ、私だって通うわ」
ナオのテンションが上がってきて、リクはゲンナリしてきた。
「母さん落ち着いてくれよ」
リクに言われて、ナオは
「あ、ごめんなさい。ちょっと我を忘れちゃって」
照れ隠しに少し笑ってから。
ナオはトヨの方に向き直った。
「トヨちゃん、でいいかな?」
「はい」
トヨが顔を
「そんな緊張しないで。私、あなたにとても感謝しているの」
ナオは目を閉じた。
「春ぐらいからかな、リクの様子がちょっと変わったのね。最初は高校に入ってそこで何かあったのかな、ってそう思ってた」
色々と聞きたいことはあったが、リクはとりあえず黙っておくことにした。
「でも神社に通い詰めてるらしいって、それどういうことなの、ってちょっと不安にもなったりして」
トヨはぴくん、と肩を震わせた。
まあ確かに宗教施設に入り
うっすらと目を開けてその姿を見て、ナオはふふっと笑った。
「でも神社にはユイちゃんがいるのがわかって、ああ、神社に友達が出来たのかなぁ、って」
夏祭りの日に、ナオはユイに会ってリクの事を聞いた。
ユイの『楽しそう』という言葉通り。
「笑ったり、怒ったり、落ち込んだり、考え込んだり、リクがなんだか今まで見たことない顔するようになって。毎日楽しいんだろうなって、安心してた」
ナオの知らない所で、リクは変化している。
その変化は、ナオにとってはとても喜ばしくて。
どういう理由によるものなのか、一度確かめてみたいとは思っていた。
「そうか」
ナオは笑った。トヨと何処か似ている、花の咲くような笑顔で。
「あなたが、リクを育ててくれたのね」
「そんな」
トヨはナオから顔を
ナオからは、どんな批判でも受けるつもりでいた。
それがまさか、そんな言い方をされるとは。
予想外の言葉に、トヨはどう応えて良いのか見当もつかなかった。
「ありがとう、トヨちゃん。リクのこと、お願いね」
ナオはトヨの頭をそっと
首を縮めて、身体を硬くしたまま。
トヨはナオの方を向くと、小さな声で呟いた。
「はい。お願いされました」
じゃあ後は邪魔しちゃ悪いから、とだけ言ってナオは神社を去っていた。
濡れ縁の上に、リクとトヨは並んで座った。
「さっき、母さんがトヨに触ったみたいだったけど」
「疑似的なものだよ。ナオさんは私に触れたと感じたかもしれないけど、それは私がそう感じさせただけ。リクのお陰で、その辺の加減が最近だいぶうまくなったんだ」
トヨはふぅっと息を吐いた。
「今日はすまなかったね、リク」
昔、リクを神社に連れて来ていたころから、トヨはナオのことは見知っていた。
今でも、サキチが話題にすることがある。
ナオの視る力は、感じる力の方はそこそこ強そうだ、ということで。
トヨが姿を見せる分には問題が無いだろうとは思っていたが。
「確証は無かったからね」
「いや、本当に驚いた。ビックリした」
リクにしてみれば、一応、そうならそうと説明はしておいてほしかった感じだった。
いきなり目の前でトヨとナオが会話を始めたときは、言葉を失うほど驚いた。
トヨは小さく笑った。
「リクに迷惑をかけていること、本当に申し訳なく思ってるんだよ。だから、ナオさんにはどうしても挨拶しておきたくってさ」
「お付き合いしてますって?」
まあ、伝えたかったことは、端的に言えばそうなる。
トヨは頬を赤くした。
「なんだい、今日はまた一段と意地悪だな、キミは」
「トヨが、今日は一段と神様っぽくないからさ」
トヨは自分の姿を見下ろした。
「ああ、この服は前、ユイと見た雑誌に出てたんだ。可愛いなぁ、って思って」
道理で、妙に細かい所まできっちりしているというか。
いかにもトータルコーディネートされている、という感じの服装だった。
「リクにはお気に召さないかもしれないけど」
「なんで?」
トヨはふふん、と意地悪く笑った。
「リク、この前コスプレ写真館とかいう画像サイトを・・・」
「わぁ、ちょっと、なんでそんなこと!」
リクが慌てて両手を振り回した。
「最近制服で会うことばっかりだったからね。
「いやそういうわけじゃ・・・」
すっかり観念してリクはそっぽを向いた。
「変な性癖つけちゃって、ナオさんに申し訳ないよ」
「性癖って・・・」
リクがトヨの方を向くと、トヨは普段の朱の
そしてにっこりと微笑む。
「こっちの方が良い?」
「・・・うん。正直、その方が落ち着く」
リクの言葉を聞いて、トヨは再度頬を赤らめた。
「ホントにこっちだと素直になるんだね」
「いや、なんというか」
リクは頭を掻いた。
「そっちでいてくれないと、その、トヨが神様だってこと、忘れちゃいそうになるから、さ」
「なんだい、それ」
トヨは不機嫌そうな表情を浮かべると、ため息をついた。
「どんな格好してても私は神様です」
ぐい、と身を乗り出して、リクのすぐ前に顔を寄せる。
「そして、女の子です」
優しく唇が触れたところで。
「あっ」
声とともに、何かが地面に落ちる音がした。
驚いてリクとトヨがそちらを見ると、ユイがカバンを拾おうとしている所だった。
「えっと・・・ごめん、邪魔しちゃって・・・」
目を泳がせたまま、じりじりと後ずさる。
「じゃ、じゃあ私は行くから、後はまた、ね?」
「ちょっと待って、ユイ、邪魔じゃないから、邪魔じゃない」
トヨが慌ててユイの方に駆け寄る。
「これはリクが若さを我慢出来なくなっただけのことで」
「え、ちょっとそれも酷い・・・」
「だ、大丈夫、判ってるから」
ユイは二人から顔を逸らした。
その表情を見て、トヨがはっと気が付いてユイに訊いた。
「ねえ、ユイ・・・いつから見てたの?」
「え、ええっと・・・」
恐る恐るといった感じで、ユイはトヨの方を向いた。
「お付き合いさせていただいてます・・・辺り、かな?」
「初めから見てたのーっ?」
トヨが顔を真っ赤にして、ユイが困ったような顔をして。
リクは濡れ縁の上で黙ってそっぽを向いていた。
リクが家に帰ると、ナオがリクに手を合わせてきた。
「ただいま・・・って何それ?」
「いやー、今のうちに拝んでおこうと思って」
どういう意味だ、とリクが訊く前に、ナオはさっさと居間の方に引っ込んでいってしまった。
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