どう、このシチュエーション?

 翌朝、リクは学校に行くために、家を出た。


 昨日家に帰ってきたときには、ナオはもういつも通りのナオに戻っていて、今朝も元気に出勤していった。

 恐らく年に一度、あの日だけは、ナオにとって色々と特別な意味を持つのだろう。


 通学の道すがら、リクは昨日トヨから聞いたツバキの話を思い返していた。


「マカミ殿は、あまり人を好まなくてね。何しろ元々は山の主だった方だ。人嫌いと言っても良かった」


 その当時、トヨはまだ駆け出しの神様であり、マカミにも色々と世話を焼いてもらっていたという。


 「そういえば人嫌いなんて聞いていたけど、私はマカミ殿にそんなに邪険にされた覚えはないなぁ。まあ、もう神様だったからかもしれないけど」


 トヨはもうほとんど劣化してしまっている古い記憶を手繰たぐって、うんうんとうなった。


「なんだっけ・・・そうそう、マカミ殿が人間の女と祝言しゅうげんをあげたってコトで、当時はもう神様界激震だったんだよ」


 なんだか話が急に安っぽくなった気がしたが、リクは黙って続きを聞くことにした。


 マカミがめとり、眷属とした人間の女。

 それがツバキだった。


「私も名前くらいしか知らなくってね、実際に姿を見たのは今回が初めてだ」


 ツバキについては、トヨも噂に聞いて知っている程度だった。


 ツバキはマカミの眷属ではあるが、神無月には留守を任されているらしく、出雲に姿を見せることはない。

 マカミは寡黙かもくな神であり、あまり自分のことを話題にするような性格でもない。


 そんな訳で、噂ばかりが先行する形となっていた。


「何というか、謎の奥さんって感じだった」


 結局、何一つ情報は増えていない。

 それに、そんな言い方をされると更に安っぽい感じだ。


「ああでもあのセクハラ上司が言ってたっけ。他に眷属も作らず、随分なおしどり夫婦だったって」


 トヨはミカゲのことをすっかりセクハラ呼ばわりしている。

 そのことをリクはほんの少し哀れに思ったが。


 今はツバキのことの方が大事だった。


「で、ツバキだけど、サキチも言っていたから間違いない」


 トヨは断言した。


「彼女はもう正常じゃない。たたり神だ」


 この世界のことわりから外れたモノ、祟り神。


 リクは、ツバキの中に燃え盛る感情のうねりを感じていた。

 トヨが祟り神になったときとは少し異なるが、確かに良く似た気配だ。


 そもそも主であるオオクチノマガミがいなくなった状態で、眷属であるツバキが存在していられること自体がおかしい。

 あり得るとすれば、それはツバキ自身がオオクチノマガミとのつながりが切れた状態、すなわち祟り神になっている、ということだった。


「とりあえずツバキの狙いはリクだ。これは確定した」


 トヨにつながるもの、としてリクを狙っている可能性も、まだ捨てきることは出来ない。

 だが。


 ツバキはリクと接触し、リクと対話した。

 トヨが現れた後も、立ち去る際にリクと再会することを望んでいる様子だった。


 以上の点から、ツバキはトヨよりも、リクに対して興味を持っていると思わせる節がある。


「リクの家には強い守りを置いておく。家族に何かあっても困るだろう」


 ツバキの狙いがリクならば、最も巻き込まれる可能性が高いと考えられるのは、一緒に住んでいる母親のナオだ。

 リクにしてみれば、ナオに危害が及ぶことは何としてでも避けたかった。


「猫たちにも言ってある。私の管轄内に入ればそうそう見逃すことは無いはずだ。うまく猫たちと連携してくれ」


 ツバキがリクをターゲットにしている、ということに関しては、リクにも異論はない。


 しかし、リクにはツバキの目的が今一つよくわからなかった。


 どんなにツバキがリクのことを油断して扱っていたとしても、神の力を持つ眷属神。

 ツバキがただリクの命を狙うだけならば、いくらでもその機会はあったはずだ。

 リクが今、五体満足でいられることの方が不思議に思えてくる。


 それに、ツバキは「落ち着いて話をする」とも言っていた。

 ツバキの目的は、ひょっとするとリクと対話することなのかもしれない。


 とはいえ、相手は祟り神だ。

 死霊と同じく、こちらとは異なることわりで動いているとも考えられる。


 現に、リクはツバキの中に激しい情動を感じ取っていた。

 その正体が何なのかわからない間は、軽はずみな判断はひかえるべきだろう。




 教室に入ると、リクは自分の席に座った。

 一番後ろの、教室の中でも目立たない場所。

 すぐ隣の席では、数名がたむろして何やら会話に花を咲かせている。

 その様子を見て、リクは小さく息を吐いた。


 学校でのリクは、なんというか、地味で人付き合いの少ない方だった。

 そもそも春に視る力の蓋が取れるまで、リクは実際に表舞台から引っ込んだ人生を送ってきた。


 何をしても、人目を引くことがない。

 表に立って何かをしようとする気が起きない。


 それが、視る力を取り戻してからは徐々に変化してきている。

 急に周囲の状況に対する見通しが良くなってきた気がする。

 周りからも見られることが増えた気がする。


 そういった変化を感じ取ることは出来ても、なかなかすぐに馴染むことは難しい。

 しばらくはこれまで通りでもいいか、とリクはあまり人との距離感を詰めないようにしてきた。


「やっぱり、視る力が関係してるのかな」


 ぼんやりとつぶやいたところで。


「そうだね、前にも言ったかもしれないけど、蓋をすることで必要以上にリクの色々な能力を抑止してしまっていた可能性はあるだろうね」


 突然トヨの声が聞こえて、リクは驚いて周囲を見回した。

 もうすぐ朝のホームルームが始まるということで、教室の中には沢山のクラスメイト達がいる。

 それでも、流石にトヨがいれば気付けるはずだ。


 トヨらしい姿は見えないと思って、ふと、自分の席の横に立つ女子の顔を見た。

 巫女服であるという先入観があったせいで見逃していたのか。


「トヨ、何やってるんだ?」


 そこには、リクの学校の制服を着たトヨが立っていた。


「やあ、リク、おはよう」

 トヨがひらひらと手を振ったところで。


 始業のベルが鳴った。




 授業時間中は、トヨは姿を隠していた。

 しかし学校の中には居るのかと思うと、リクは気が気ではなかった。


 休み時間になると、トヨは何処からともなくひょっこりと現れてリクの席までやってきた。


「やー、ユイの学校には行ったことがあるんだけど、あっちは女子高なんだよね」


 ユイからそんな話は聞いたことが無い。

 神社からあまり離れないイメージがあったが、まさかそんなことまでしているとはリクには予想外だった。


「共学校って来るの初めてだからさ。なんだか新鮮だよ」


 色々と物珍しいらしく、トヨはきゃいきゃいとはしゃいでいる。


 昼休みに、リクはあまり人が来ない屋上への階段脇に移動した。


「別に他の人には辻褄つじつまがあって見えてるわけだし、そんなに気にしなくてもいいよ?」


 視る力を持たない他人からすれば、トヨの姿は全く見ることが出来ない。

 リクがトヨと会話をしていても、外からは何らかの形で辻褄が合って見えることになる。

 せいぜい、誰か女子生徒と話をしている、くらいの認識が生じる程度だ。


「いや、俺の精神がもたないよ・・・」


 リクはがっくりと肩を落とした。


 二人だけになると、トヨはとうとうと説明し始めた。


「ツバキの狙いがリクだっていうのははっきりしてる」


 確かに、ツバキはリクが一人でいるところを狙ってくる公算が高い。


「だったら、なるべくリクのそばにいて守っている、というのが確実なわけだよ」


 トヨは得意げな顔だった。


「じゃあ、その制服は?」

「ああこれ?」


 自分の着ている制服を見下ろすと、トヨはスカートのすそを軽くつまみあげた。


「ほら、いつもの格好で私が学校の中にいるとリクが目障めざわりかなぁ、と思って。なるべく自然に見えるようにっていう気遣い」


 確かにリクは最初トヨがいるということにすら気付かなかったが。


 しかし一度いるとわかってしまうと、もうそれは違和感の塊でしかない。

 リクは逆に気になって気になって仕方がなかった。


 これでは気遣いなのか何なのか、わかったものではない。


「学校の制服って良いよね。あんまり飾り気ないけど、そこが逆に可愛いというか」


 トヨはその場でくるっと一回転した。

 スカートがふわっと踊る。

 普段のはかま姿が見慣れているだけに、リクはそれだけでどきっとした。


「まあ私のことはその辺にいる女子生徒Aとかだと思って、リクはいつも通りの学生生活をしておくれよ」

「いつも通りの、ね」


 それは無理な相談だと、リクは観念した。




 いつもよりもどっと疲れて、リクは放課後を迎えた。


 教室内にトヨの姿が見えないので、嫌な予感がしたが。

 色々とあきらめてそのまま昇降口を出た。


 案の定、トヨが校門のところで。

 門柱に寄りかかって、空を見つめていた。


 リクが出てきたことに気が付くと。

 トヨはニコッと笑って。

 小さく手を振ってみせた。



「どう、このシチュエーション?」


 興奮気味にトヨが訊いてくる。


「どうもこうも」


 なんというか、あまりにもテンプレートすぎる出来事が起きると、逆に冷めてくるものだとリクは自覚した。


 別に、嫌なわけではないが。

 嫌とは言わないが、望んでいるわけではない。

 というよりも、そもそも今はどんな状況であったのか。

 そこから考え直すべきだ、という結論に至った。


「トヨ、俺の護衛をするんじゃなかったっけ?」

「してるよ。でも、ただべったり貼り付いているだけじゃ、それはそれで気疲れするし」


 そうじゃなくても気疲れする、という言葉をリクはぐっと飲み込んだ。


 結局、制服のトヨと一緒にリクは下校し、稲荷神社までやって来た。


「あ、リク・・・」


 神社にはユイがいた。

 ユイは制服姿のトヨを見ると、色々と複雑な表情でリクの方を見た。


「ええっと、そうだよね、リクも男の子、だし、ね」

「ちょっと待て。何かすごく不名誉なことをしはかられた気がする」

「この方がリクが喜ぶんだよ」


 楽しそうにトヨは制服のスカートをはためかせる。


「トヨ、余計なこと言わないでくれるかな」


 これ以上トヨに何かを喋らせると、リクの名誉が必要以上に損なわれる。

 そう思ったが。


「トヨちゃん、なんでも相談に乗るからね」


 割ともう手遅れだった。


「いや、だから、俺一体なんだと思われてるの?」


 木の上でサキチが大きくアクビした。


「ホントに緊張感が足りないというか・・・大丈夫なのか、あいつら」

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