神様に愛されてるね。

 いつもと違うきっちりとした黒いスーツ姿で、ナオは玄関に立った。

 大きな姿見に映して、えり周りを整える。


「そういう格好だと、ちゃんとした大人に見えるんだけどな」


 学校の制服を着たリクが、その後ろに立つ。


「ん?何か言った?」


 普段は割と着崩していることが多いので、きちんとした着こなしをするだけでナオはぐっと大人びて見える。

 大人びても何も、実際にいい大人なのだが。


「いや、もっと身だしなみとかさ」


 ナオの場合はそもそもからして見た目から年齢をし量ることが難しい。

 リクにとっては、昔から見慣れている自分の母親なのだが。

 周りからは少し年の離れた姉弟と見られることが大体だった。


「製図とかで薄汚れるのに、そんなめかし込んでどうすんの」


 ナオはひらひらと手を振った。


「今日は特別。一年ぶりなんだからさ」


 靴を履いて、背伸びするように真っ直ぐに立つと、ナオはふうっと息を吐いた。


「じゃあ、行くよ」


 外に出ると、今にも泣き出しそうな曇り空が広がっていた。




 バスに乗って、電車に乗って、乗り換えて。

 リクとナオは少し離れた町にやってきた。

 移動の際にかなり時間が経過していたが、その間、二人はほとんど無言だった。


 駅から降りて少し歩いたところで、ようやく目的地に到着した。

 何処までも続く墓石の列。


 その日は、リクの父の命日だった。


 毎年欠かさずに、ナオはその日だけは仕事を休み、リクを連れて墓参りに出かけていた。

 去年までのリクは、視る力に蓋をされていた影響か、墓参りの時もぼんやりとしていたし、父親の死を悲しんだナオの姿のことも忘れていた。


 今回は、少し違う。


 一緒に歩くナオが、かすかに震えているのがわかる。

 何も話さないナオの視線が、遠くを彷徨さまようのがわかる。

 横にいるだけで、その悲しみがひしひしと伝わってきて。


 それだけでつらかった。


 父親の黒い墓石の周りを、二人は黙々と綺麗にした。

 汚れを払い、花を替え、線香を上げ、水をかける。

 一通りのことを終えると、ナオはようやく一息ついた、という感じでその場にしゃがみこんだ。


「母さん、大丈夫?」

「うん・・・大丈夫。今年はリクが良く手伝ってくれたから」


 リクを見上げた笑顔には、やはり今一つ元気が無い。


「リク、私、リクのお父さんに色々とお話があるからさ、ちょっと先に帰っててくれるかな」


 ナオはゆっくりと立ち上がると、墓石の前に進んだ。

 その背中に、有無を言わせないものを感じて。


「わかった」


 リクにはそう応えるしかなかった。


「ごめんね」


 ナオの声は、様々な感情で揺れていた。




 墓地を出て、リクは曇り空を見上げた。


 リクの父の死体を見たとき、正体を無くすほどに泣き崩れいていたナオ。

 好きな人が死んだとき、好きな人を失ったときの悲しみ、痛み。


 トヨも同じ悲しみを経てきたことをリクは知っている。


 もし自分が死ねば、そのときトヨはどうなるのだろう。


 リクは人間、トヨは神様だ。死ぬのはまず間違いなくリクが先。

 トヨはまた、同じように悲しみ、同じように痛みを感じ。


 み地を作り出してしまうのだろうか。


 トヨを悲しませたくないという思い。

 そして、そのときには自分がトヨのそばにいられないというもどかしさ。


 ヨウシュウもこんな感情にさいなまれていたのだろうかと、リクは今は亡き人形師に思いをせた。


「そうか、だからせめて、子供を残したかったのかもしれないな」


 ぼんやりとリクは呟いた。


 ナオは自分のことを好きだと言った。

 リクの父親が残した忘れ形見。


 ヨウシュウの想いを、リクはほんの少し理解出来た気がした。




「ねえ、あんた」


 突然声をかけられて、リクは驚いてそちらを見た。


 駅に向かう道の途中、工事中の資材置き場の入り口。

 そこにもたれかかって、一人の少女がリクの方を見ていた。

 恐らく、リクとそれほど年の差は無い。

 細身で髪が短いので、パッと見は少年のようにも思えた。


「万が一人違いだと困ったことになるから、確認させてもらいたいんだけどさ」


 肩の辺りで切り揃えられた髪は赤みを帯びていて。

 そこに立っているだけで、まるで燃え盛る炎を連想させる。


 その下から、激しい感情を秘めた瞳が、リクを真正面から見据えていた。


「あんた、三島リク。トヨウケビメノカミに連なるものだよな?」


 リクの背中を、冷たい何かが這った。


「お前は・・・」


 言葉に詰まったリクを見て、少女はふっと小さく笑った。


「まずは質問に答えてくれよ。人違いで手荒なことはしたくないんだ」


「・・・そうだ。間違いない」

 リクは覚悟を決めて応えた。


 その言葉を聞いて、少女はもたれていた身体を真っ直ぐにして、ふいっと資材置き場の中に入っていった。

 リクが呆然と立ったままでいると、中から頭だけを出して呼びかけてきた。


「何やってんだ?来いよ。それとも他人に迷惑お構いなしかい?」


 罠である可能性は非常に高い。

 だが、この少女がリクに瘴気しょうきさわらせてきた襲撃者であるならば。

 こうして目の前に出てきたということで、もう十分に危険なことに変わりはない。


 それに、ナオがまだ近くにいる。

 ナオにまで危害が及ぶことは、何としてでも避けたい。


 リクは少女に続いて資材置き場に入った。

 無人の資材置き場には、むき出しの地面の上に金属の作業用足場やカラーコーンが無造作に積まれている。

 たいして広くないスペースの真ん中辺りまで歩いて、少女はリクの方を振り向いた。


「ではリク、まずは非礼をびさせてくれ」

 少女は淡々と語り出した。


 その間に、リクは目の前にいる少女の正体を見極めようとした。


「つい先日、酷い障りを受けてしまっていただろう?あれはわざとではなかったんだ」


 やはり、瘴気を送りつけた張本人は、この少女だった。


 人のようでもあるし、モノのようでもある。

 リクにはどうしてもその正体が掴めなかった。

 あえて最も近い存在をあげるとするならば。


 それは、トヨだ。


「本当はあんたの所在が掴めれば、それだけで良かったんだ。いや、どうにも加減が出来なくてね」


 うっすらとした笑みが貼り付いている。

 神様であるトヨの気配が、目の前にいる少女から感じる感覚に最も近い。

 それが何を意味するのか、リクにはよくわからなかった。


「そのことに関しては謝るよ」


 少しも悪びれる様子など無い。

 明らかに口だけの謝罪の言葉。


「もっとも、この後のことについてはその限りではないけどね」


 少女の口角が、ニィっと持ち上がった。。


「君は何者だ?人間か?そうじゃないのか?」


 リクの問いかけに、少女は呆れたという顔をした。


「そうか、あんたは人間のままなんだね、リク」


 そして、燃え盛る炎を思わせる瞳を真っ直ぐにリクに向けて。


「アタシはツバキ。眷属だよ」


 ツバキはそう答えた。


「元は人間だけどね。力を認められて、眷属神となったものだ」


 リクが感じた感覚はある意味正しかった。


 元々は人間であり、そこから転じて神になったモノ。

 人に似て、モノでもあり、トヨと同じ神の気配を持つ。


 そして、燃え盛る激しい情動が、ツバキの中を荒れ狂っていた。



「ちょっと待った!」


 リクの背後から、トヨの声がした。


「トヨ、どうして?」


 振り返ると、資材置き場の入り口でトヨが仁王立ちしていた。


「リクが私の管轄から出ていくのがわかったんでね。久しぶりに遠出してみたんだよ」


 トヨの声は静かだが、強い感情が込められているのがわかる。

 リクが今までトヨから感じたことが無かった、怒り。


「そいつが、リクと私が離れる機会を見逃すとは思わなかったからね」


 トヨはゆっくりと歩いてリクの横に並び。


 ツバキと対峙した。


「ウチのリクに何か御用向きでも?」


 きょうが削がれたとでも言いたげに、ツバキは天を仰いだ。


「リク、あんたはそこの神様に愛されてるね。ちょっと過保護なんじゃないかって思うくらいに」


 そして、はぁ、と大きく息を吐いた。


「困ったもんだ」


 怒りのこもった眼でツバキを見ていたトヨが、何かに気付いてはっとした。


「お前、ひょっとしてツバキか」

「トヨ様にはお初にお目にかかります。いかにも、アタシはツバキ」


 ツバキはうやうやしくこうべを垂れて。


 上目づかいにトヨを睨み付けた。


「オオクチノマガミの眷属にございます」


 ツバキの言葉に、トヨは驚きを隠せなかった。


「そんな、ツバキ、マカミ殿は・・・」


 ツバキはトヨの言葉には応えなかった。

 自分の周囲に素早く視線を巡らせる。


 猫たちの影がそこかしこに見え隠れして。

 何処からともなく、雉虎きじとらの猫、サキチがリクの前に姿を現した。


「悪い、この辺りの連中の説得に手こずった」


 そのままツバキに向かって威嚇いかくの声を上げる。


「こいつただモノじゃない。物凄い力だ」

「そりゃあそうだよ・・・こいつは、ツバキは眷属神だ」

「眷属神!?」


 サキチもまた、驚きの声を上げた。


「しかし、じゃあこいつは・・・」

「やれやれ、落ち着いて話をするという雰囲気でもないな」


 ツバキはくるりときびすを返した。

 そして緩やかに、かつしなやかに右手を振るう。


 ツバキの前にある金属の足場が音を立てて吹き飛び、猫たちが悲鳴を上げた。


「邪魔するな、猫ども。ケガするよ」


 猫たちがひるんだのを確認すると、ツバキはリクの方を振り向いた。


「リク、近いうちにまた来るよ」


 ツバキの声はあくまで穏やかで。

 それでいて、うねりを込めた強い感情を秘めていた。


「続きはまたその時にしよう」


 そう言い残すと、ツバキはまるできりのようにその場から姿を消した。

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