第21話 なまえをいれてください


 生まれて初めて『その現象』を目撃した少女はすぐさま両親の名を叫んでいた。


 幼い子供の例に漏れず、彼女は両親を呼べば大抵の問題が解決できると信じていた。

 両親もまた我が子に関わる大抵の問題を解決しなければならないと覚悟していた。

 だが『その現象』ばかりは若い二人の手には負えなかった。


 両親は直ちに高名な学者にこれを報告し、学者は自分の手に負えないと知るや大学機関へこれを通達し、最終的に少女の名は王宮の門をくぐり抜け、玉座にまで届いた。

 少女は白鬚しろひげを蓄えた国王とその親族、そして大臣団の前で『現象』を再現して見せた。

 例えるなら、月が透けるほど薄いレースのカーテンを淑やかにめくるような感覚。


 少女が宙に手をかざすと、世界が『破れた』。

 そこに現れたのは底なしの井戸よりも深い純黒の裂け目だった。


 王妃と姫君は震え上がったが、国王は静かな喜びに震えていた。

 一見するとおぞましいこの『現象』も正しく演出すれば必ず治世の役に立つ、と。


 王宮に引き取られた少女は良質な教育を受け、両親からは愛情を、王の一族からは信頼を注がれた。

 元々賢いと評判だった少女は一年もすると『現象』の意味を理解するようになっていた。


 彼女は目を凝らすことで世界の「層」を認識することができた。

 少女は一番手前の「薄布」に描かれた世界に暮らしているが、一枚「世界の布」をめくれば別の人間がそこに生きている。

 もう一枚めくれば別の人間が。

 もう一枚めくれば更に別の人間が。


 覗き込んだ世界の中で人々は料理をしたり昼寝をしている。

 めくった布の中でも人々が行き来しており、少女自身の世界でも誰かの笑い声が聞こえていた。

 世界は薄布が重なり合うようにして構成されている。

 少女はそのように「世界」を理解した。


 彼女は「別の世界」に興味と好奇心とを抱いたが、今自分のいる世界で正しいことを為す方が遥かに重要であると考えていた。

 善悪の道理を弁えるようになった少女は王族の目論見通り、『現象』を勧善懲悪に使う志を固めていたのだ。


 ほんのひと撫で。

 少女の手がひらりと触れるだけで男も、女も、老いも、若きも、『黒い裂け目』の向こう側へ消えた。

 死刑とは「罰」ではなく、社会秩序を保つための「排除」であり「見せしめ」だ。

 祈りも願いも届かない闇への永遠の隔離は悪しき者共を恐怖のどん底へ叩き落し、善なる民草に底なしの勇気を与えた。

 

 善なる者には善なる未来が待っている。

 悪辣な振る舞いをした者、あるいは善を装う卑劣を行った者は少女の手で「闇」送り。

 国王は大々的にこれを喧伝し、王国には凪のごとき平和が訪れた。


 だが数年もすると少女は退屈さを覚えるようになっていた。

 暗殺や誘拐を恐れた王の指示で、少女は幽閉に近い王宮暮らしを強いられていた。

 来る日も来る日も悪しきを罰する毎日。

 夜会も、茶会も、舞踏会も、少女の若い活力を発散するには足りなかった。


 彼女はある日気まぐれに世界の「布」をめくり、誰も見ていないことをそっと確認すると、隣の世界へ忍び込んだ。

 そして己が井の中の蛙であることを知った。



 ある世界では空飛ぶ亀と地の上に暮らす旅団キャラバンを見た。

 ある世界では人間を喰らう植物とそれに抗う人々を見た。

 またある世界では泡に包まれた深海都市で人魚と共に生きる人々を見た。


 ある世界では見たこともない鉄の怪物が走り回る様を見た。中には人の姿が見えた。

 ある世界では砂埃の舞うサボテンの街で男同士が短い棒を向け合う様を見た。

 そしてまたある世界では、人無き廃墟で永遠に星座を語る人形を見た。



 絵本を読むような感覚で少女はいくつもの世界を旅した。

 世界の放つみずみずしさを感じるたびに少女は感動に打ち震え、世界に淀む陰惨さを感じるたびに恐怖と怒りを覚えた。


 幾つかの世界を放浪する内に少女はどの世界にも悪の芽、悪の花があることを知った。

 そしてそれに抗う者がいることも。


 少女には「力」があった。

 それを振るう覚悟も、経験も、すべてが揃っていた。

 正義の味方を買って出た少女は「悪」を多層世界の最果てへ飛ばし、一つの世界に平和と安寧をもたらした。

 一つだけで終わらせるつもりはなかった。

 少女は次々に世界を救い続けた。


 時に少女は「怪物」を下した。

 時に少女は「魔王」を滅ぼした。

 時に少女は「神」を屠った。


 王や政治家が涙を流して彼女に礼を言い、大統領が、君主が、村長が、彼女を称賛した。

 山のような金貨が送られ、稀少な品々が捧げられ、心優しき仲間たちからは共に暮らそうと提案された。


 だが多層世界を知る彼女は決して一つ所に留まらなかった。

 離別には寂しさが付き纏ったが、責任感と正義感が彼女を後押しした。


 困り果てている他の世界も救ってあげないといけない。

 私がゆっくり暮らしている間にも「世界」のどこかで誰かが苦しんでいる。

 だから私は行かないと。

 そんな焦りにも似た善意が少女のすべてだった。


 両親と国王に断りを入れ、異世界を行き来するようになった少女は「世界」を何度も救った。

 救世主と呼ばれながら、何度も、何度も救った。



 いつしか、彼女は不満を覚えるようになっていた。


 

 財物が不足しているわけではない。

 果てしなき戦いに疲弊したわけでもない。

 人間に絶望したわけでもない。



 どの世界の「勇者」も「英雄」も彼女のことを知らない。

 それがひどく気に障るようになっていた。



 異世界を渡り歩く度に彼女はその世界の「正義の味方」と協力するようにしていた。

 悪は突如として降り注ぐ雷に滅ぼされるのではなく、その世界にきざした正義の心によって打ち破られるべきだからだ。

 少女は自分一人で世界を救おうなどとは思わなかった。

 常に志を同じくする仲間を募り、探し、接触した。


 そしてその度に侮られ、蔑まれた。


 ――――「子供に何ができるんだい」

 ――――「お家にお帰り、おちびちゃん」

 ――――「君が思っているより世界は残酷なんだよ」


 大剣を担ぐ勇者も、賢者も、弓兵も、ガンマンも、サイキックも、サイボーグも、皆。

 幕僚も、貴族も、政治家も。

 商人も、僧侶も、ドラゴンも、軍人も、侍も、忍者も。

 誰もが彼女をひ弱な少女扱いした。笑う者すら居た。


 もちろん、『現象』を発現すれば彼らは度肝を抜かれ、一人の例外も無く少女の前に頭を垂れる。

 彼らごときの認識をひっくり返すことなど少女にとっては造作も無いことだった。


 初めの内は彼女もいたずらっ子のようにひ弱さを装った。

 か弱い少女を装って度に随行し、ここぞという時に真の実力を発揮して皆を驚かすのは極上の爽快感と優越感を伴った。

 謙虚に振る舞うことは忘れなかったが、少女は周囲を見返すその感覚を心の中で楽しみにすらしていた。


 だが十代も後半になると「自分の実力が不当に低く見られる」ことへの嫌悪感が勝るようになってきた。


 どうして、と。

 彼女は己を見下ろす大人たちに、男たちに問うた。

 私はこんなにも優れているのに。

 私はこんなにも多くの世界を救ってきたのに。


 どうしてあなた達はこんなにもすごい私を知らないの、と。

 

 ある世界ではとうとう我慢できず、口論になった。

 私は異世界で世界を救ったの。

 だから私を信じて。

 私も仲間にして。

 声を張り上げると、酒場の男たちは大爆笑した。女店員は笑いを噛み殺しながら少女の方を盗み見ていた。


 まるで少女の方が間違っているとでも言わんばかりの目。目。目。

 それでいて自分をあしらった勇者の一行へは尊敬のまなざしが向けられている。

 おかしい。こんなの、おかしい。


 異世界の旅を始めた頃も似たような目に遭っていたはずだった。

 今よりずっと幼かった自分が大人たちに信じてもらえたのは世界そのものが優しかったからか、それとも自分が愚鈍だったからか。

 そんな思考に没頭しているとグラスの水を浴びせられ、戦士に卑猥な言葉を投げかけられた。

 とうとう少女はその男を殺した。

 諌めようとしていた勇者が凍り付き、剣を抜いた。

 なので彼も殺した。世界の裂け目を凝縮した『もや』に引きずり込んで。


 怒りに駆られたとは言え、少女の正義感はいささかも損なわれてはいなかった。

 勇者無き世界でたった一人で巨悪に挑み、見せしめに嬲り殺した後、彼女はこう思うようになっていた。


 ――――世界はもっと、私の事を知るべきだ、と。




 無知は罪だ。


 安酒を呑んで「世界で一番美味い」などとほざく貧乏人は許されない。

 それは真の美酒を知る者の「世界」まで勝手に語る無礼さを孕んでいる。


 大衆向けの悲劇に涙した男が「この物語は最高だ」などとのたまってはならない。

 それは質の高い芸術を知る者にとって甚だ不愉快な響きを持つ。


 『力』についても同じことが言える。


 つまらない剣や魔法を誇るのはいい。だが「世界を救う」だなんて軽々しく唱えてはならない。

 それは真に「世界」を知る者を蔑ろにする振る舞いなのだ。


 真に「世界」を知る者。

 それはつまり――――「私」。

 私の知る「世界」は遠大だ。

 私の持つ「世界を救う力」、否、「世界を救ってきた力」は些末な者たちの想像を絶している。


 ――――なのに。


 矮小な奴らは世界を知った気になって勝手に悪に立ち向かおうとする。

 ちっぽけな、蟻のような力を振りかざして。


 なぜ戦士を気取るの。

 なぜ英雄になれると思うの。

 なぜ世界を救うだなんてほざけるの。

 あなた達なんて所詮、井の中の蛙なのに。

 無数の世界のたった一つの隅っこで暮らす些末な存在に過ぎないのに。

 いくつもの世界を救ってきた私のことを知らないくせに、いったいどの口が「世界」を語るの。


 それだけならまだいい。

 でも民衆があの些末な連中を褒め称えるのが何よりも気に入らない。

 かきむしりたくなるほど気に入らない。


 巨悪なんて私がひと撫でで殺してあげる。

 私にとっては「魔王」も「神」も「魔人」も「悪魔」もすべては塵に過ぎない。

 民衆は困ったら私に頼ればいい。窮したら私に縋ればいい。

 私はすべての者に救いの手を差し伸べよう。


 なのにどうしてそんな奴らを称えるの。

 どうして大酒飲みの戦士や、見識の浅い勇者や、知ったかぶりの軍人なんかに拍手を送るの。

 そんな奴らに期待するなんて愚かなことだと気づいて。

 そいつらの語る希望なんてちっぽけで、

 そいつらは薄っぺらい自分たちの世界のことしか知らないんだから。


 私の方がそんな奴らよりずっと優れている。

 私のことを知ればあなた達は必ず私を褒め称える。

 私こそが勇者にふさわしい。

 私こそが世界を救えるの。 


 だからやめて。

 お願いだから私の方を見て。

 希望に満ちた目でそんなつまらない奴らを見ないで。


 





 『私よりちっぽけで、私より遥かに劣るモノが、私より称賛されるなんて耐えられない!!』






 

 異世界を旅する少女はいつしか「神」を名乗った。


 彼女のことを知らない世界の民はことごとく支配され、権力者は抹殺された。

 世界には彼女を崇め奉る神殿が建造され、困りごとがあれば必ず「神」に、つまり彼女に祈るよう躾けがなされた。

 彼女は不当に持ち上げられる卑小な者たちがいなくなったことで、ようやく心の平穏を得た。


 だが異世界は無限に続いている。

 今も多層世界のどこかで自分より劣る者たちが過大評価を受けているかも知れない。

 それは我慢ならない。

 世界を語り、世界を救う資格を持つのは自分だけだ。


 だから彼女は動き出した。


 神とは私だ。

 救世主とは私だ。

 強く、優しく、聡い私こそが世界を語り、悪を滅ぼす者だ。


 巨悪に立ち向かう者はその心に、頭に、偉大なる先達である私の姿を思い描くべきだ。

 道に窮したら私に教えを乞い、私に救いを求めるべきだ。

 私を知らない勇者など勇者ではない。

 私を知らない戦士に戦士を名乗る資格はない。

 そんな者たちには惨たらしい死こそがふさわしい。


 ただ殺すだけでは気が済まない。

 多層世界の未知なる戦士と殺し合い、自分たちの無知を思い知るがいい。

 そして生き残った者は元の世界へ生還させ、その世界の誰もがうぬぼれぬよう神の名を広めるのだ。



 世界よ。

 私を知れ。

 私を知り、畏れ、そして敬え。



 私の名前は――――



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