第11話 STAGE6


 皇帝シャールドンは剣の柄を斜め上方に振りかぶった。

 しゅおおおお、と数十メートルも伸長した水の刃が大気を切り裂く。


「ジン、リース、私の後ろに!」

「俺は上から!!」

「シュナン!」

「分かってる!」

「あいや来るぞ!」


 両手を広げた稲穂秋鈴いなほしゅうれいが誰よりも前へ。

 彼の肉体は細身の法服諸共鋼鉄へと変わる。


「『断罪の快力オルゴン』!!」


 薙ぎ払われる水の刃を彼が完全に受け止めた隙に、水色の甲冑を纏う乙女が左へ、銀の鎧武者が天へ。

 ジンとリースは秋鈴の後ろにぴったりと身を寄せた。


「……」


 シャールドンの目は誰も追わない。

 彼は誰が来ても迎え撃つだけだ。

 ――――たとえそれが女でも。


「はあァァァァっっ!!」


 かしゃしゃしゃしゃ、と姫騎士が駆ける。

 身分を考えればあまりにも愚直な攻撃だった。


 遅い。

 シャールドンは心の中でそう断じたが、微かな違和感に眉をひそめた。

 甲冑の色が変わっている。

 それに一度四肢の一つを切り飛ばされた奴がなぜ自分に突進するのか。

 考えながらも流体剣の切っ先は動いた。姫騎士の胸を直撃する。

 

「無駄ですっ!」


 甲冑に直撃した水流がその場で爆ぜ、シュナンの全身に活力が巡った。

 今の彼女に水の属性を持つ攻撃は通じない。


「おお、らっっ!!」


 切っ先がよそを向いたまさにその瞬間、銀氷天ぎんぴょうてんの脚が皇帝を踏み潰す。

 否、踏み潰すには至らない。

 シャールドンはほんの数歩だけ横に動くことで平然と光片子の一撃をかわしていた。

 波濤を思わせる砂煙と地響きの中、彼はじろりと硬化光体を見据える。


「鈍いぞ」


 手首が動く。

 流体剣の切っ先が姫騎士から鎧武者へ――――


「てめえがな」

「!」


 鎧武者へ向けかけた流体剣の切っ先が強引に進路を変更させられる。

 手首を捻った皇帝は己に迫る数匹の黒蛇を切断した。

 しゅぱ、と輪切りになった黒蛇が燃え尽きた紙のごとき黒い破片となって散る。


「『敵の技』! ブラックマンバ!!」


 流体剣に対する防御手段を持たないジンファンデルは秋鈴の影から吠えた。

 数匹の黒蛇が空中に拡散し、一斉にシャールドン目がけて降り注ぐ。


 数こそ少ないが追尾性能を持つ黒蛇を前に、皇帝は迎撃を余儀なくされた。

 剣の形状では限界があると悟ってか、彼は水流を螺旋状に変化させ、手首のスナップだけですべての黒蛇を裁断する。


(緩急つけやがる……!)


 最後っ屁に近いブラックマンバを放ったジンは既に秋鈴の下を離れ、廃屋の影に身を潜めていた。

 鋼鉄の役人はリースリングの盾となったまま駆け出し、両手を大きく開く。

 必殺の『投げ』は既に始まっている。


「小役人ごときが俺に歯向かうつもりか!」


 剣を引いて刺突の構えをとったシャールドンが猛る。


「どこを見て、いるのっ!!」


 シュナン・ブランの槍斧が振るわれる。

 皇帝は舌打ちし、その場で一回転しながらの後躍を決めた。

 着地点を――――鎧武者の日本刀が薙ぎ払う。


「貰ったっっ!!」


『それ死亡フラグです北光っ!!』


 ミュスカデの言葉は誤っていた。

 日本刀の切っ先は正確にシャールドンの脛を直撃し、快力オルゴンの防御の上から彼の骨を軋ませる。

 くはっ、と皇帝は初めて苦悶を漏らし、片膝をついた。


「そこだっ!」


 突剣を携えたリースリングが秋鈴の影から飛び出し、疾駆する。

 シャールドンは顔面に怒りを漲らせ、吠える。


「舐めるなっっ!! 支配の快力オルゴンっ!!」



「あいや! 見切ったッッ!!」



 しゅぱあ、と水流の刃が剣客の足元の土を抉る。

 泥が巻き上げられ、爪痕のごとき溝が残された。

 が、剣客はたっぷりと余裕を持ってその一撃を回避している。


「! 馬鹿な――――」


 しゅお、しゅおお、と皇帝の手首の動きに合わせて切っ先が動く。

 流水の刃は地面を引き裂き、竜の爪痕にも等しい傷を残していく。

 だがその切っ先がリースリングを捉えることは無い。


「見切らせていただいた! 貴殿のその剣、もはやこのリースリングには通じぬっ!!」


「何――――!?」


 眼球を狙う突剣の一撃をすんでのところで回避し、皇帝は顔に猜疑を浮かべた。

 だが敵は攻め手を緩めない。


「どこを見ているのっっ!!」


 大質量の突進では決してなかった。

 しかしシュナン・ブランの放った猛牛さながらの体当たりには勢いがあった。

 回避のために踵を浮かせかけていたシャールドンは吹き飛ばされ、秋鈴しゅうれいの射線上へ押し込まれる。


「シューレイ! おやりなさいっ!」


「承知っ!」


「くっ」


 皇帝が立ち上がったところで銀氷天ぎんぴょうてんが刀を振り上げる。

 間断なき攻撃の嵐にシャールドンの注意が一瞬、上へと逸れる。


 その瞬間を見逃さず、秋鈴は吶喊とっかんする。


「捕えたっっ!!」


 断罪の快力オルゴンには致命的な欠点が一つある。

 それは火炎や水と異なり、大自然から大きな力を引き出せないこと。

 秋鈴は鋼鉄を『生み出す』ことはできず、自らの肉体を鋼とするか、土中の金属成分を吸ってモニュメントを創ることしかできない。

 その代わり、得られる膂力は他の快力オルゴン使いを遥かに凌駕する。

 秋鈴自身の過剰な練磨と相まって、彼の『投げ』は『技』ではなく『処刑』として認知されていた。


「食らって頂くっ!!」


 鋼鉄と化した右手が皇帝の片脚を掴み、鋼鉄と化した左手が皇帝の片手を掴む。

 びき、きき、と大腿の筋肉が張り詰める音。

 シャールドンの顔面に驚愕が浮かぶ。


「ふ、ぅぅぅっっっ!!」


 秋鈴しゅうれいは跳ぶ。

 人より高く。

 銀氷天ぎんぴょうてんよりもなお高く。


「んなっっ!?」


 北光はカメラを見ずに、コクピットの中で顔を上げる。


白星乱舞インサニティ・ハイ!!」


 がっちりと皇帝を掴んだ秋鈴が飛翔の到達点でぐるりと反転し、急降下する。

 ありえないことではあるが、夜坂北光よるさかほっこうの目には秋鈴が空中で不可視の天井を蹴ったようにも見えた。

 加速。そしてきりもみ回転。


「――――ッ!!」


 秋鈴は皇帝の背に膝を宛がい、そのまま地上へ――――




 衝突の瞬間。


 背骨が軋み、肋骨がひしゃげ、衝撃に貫かれた内臓が破裂する。

 硬質でありながら湿り気を帯びた、聞くだにおぞましい衝突音。





 着地から一秒。

 二秒。

 三秒。


「かっ! ブグアッッ!!」


 うつ伏せに組み伏せられた皇帝シャールドンは桶一杯ほどの大量の血を吐いた。

 それでもまだ生きている。

 秋鈴しゅうれいはそれを理解している。彼はこの程度では死なない。


 抜かりは無い。

 確実に息の根を止める。


 濃密な快力オルゴンを纏う両脚が地を蹴る。

 彼は血泡を吹く皇帝を伴い、再び空へ。


(二度目っっ……!!?)


 一度目と何ら遜色のない跳躍。

 中空高く舞い上がった稲穂秋鈴いなほしゅうれいは上空で折り返し、必殺の一撃を再び放つ。


「――――炎星乱舞プロミネンス・ハイ!!」




 着地の衝撃がリースを、シュナンを、銀氷天ぎんぴょうてんまでもを揺らす。

 血だまりの中、皇帝はぐったりと手足を投げ出していた。

 その痛々しい光景にシュナンは両手で口元を抑える。




 ジンファンデルは廃屋を伝い、前線のメンバーの近くにまで迫っていた。

 本来ならブラックマンバによる攪乱が彼の役割なのだが、もはやそれは必要無さそうだった。

 稲穂秋鈴いなほしゅうれいは三度目の飛翔を始めている。


「これで終わりだっっっ!!!」


「――――っ!」


 シャールドンは三度目の飛翔が頂点に達した頃、ようやく気絶から我に返った。

 だがあまりにも遅すぎた。

 彼は螺旋を描きながら地上へ。





 極超新星乱舞ハイパー・ノヴァ


 最後の一撃は大量の砂埃を巻き起こした。

 ともすれば銀氷天ぎんぴょうてんの着地よりも凄絶な風と共に。





 地表にはスプーンでくり抜いたかのごとき穴が穿たれており、秋鈴はその中心に立っていた。

 糸目の男は血だまりに臥す――より正確には血だまりに浸った――シャールドンから身を離し、協力者たちに向き直った。


「御礼を申し上げます。おかげさまで無事に――」


「待て待て待てシューレイ!」


 ジンファンデルが最も前線に近い廃屋から慌てて首を出す。

 首だけではなく、不用意にも身体まで出していた。


「脈見たのか? そいつ本当に死んでるんだろうな!?」


「不遜かも知れませんが、私の極超新星乱舞ハイパー・ノヴァを受けて立っていられる者などいません」


「アホかアンタ!」


 北光もまた声を荒げる。


「プロレスじゃないんだ! 相手の息か心臓が止まるまで安心するんじゃねえ!」


『そうです!』


 ミュスカデの警告ウインドウが外部にまで溢れ、『油断大敵』『注意一秒怪我一生』『可愛いは作れる』などの文字が踊る。


「武術とは本来殺人の――」





 がりり、と。

 シャールドンの爪が血に濡れた土を擦る。






 息を呑んだのは最も武に劣るシュナン・ブランだけだった。

 他の全員が回避行動を始めているというのに、彼女だけは貴重な時間を『驚愕』に使ってしまった。

 ゆえに反応が遅れる。


「え」


 血だらけのシャールドンの長身が宙を舞う。

 姫騎士は伸びる皇帝の影の中に居た。


「お前、身分のある女だな」


 血液と唾液でべとべとになった口顎から漏れたのは、ガラガラというワニの唸りのような声。

 だがシュナン・ブランはその意味を理解できていた。

 理解できていたがゆえに、反応が遅れる。


 皇帝の両手は姫騎士の頬を包んでいる。

 父が娘の成長を喜ぶがごとき仕草。


「薄いのだ。鼻紙にもならんそんな覚悟で……戦場いくさばに立つなっっ!!」


 一秒後、両の親指がシュナン・ブランの眼球を潰す。

 ぺきゅん、と小鳥の卵を割るかのごとき音。


「――――ヒ、ぃぃギッ!」


 親指を抜いた皇帝は彼女の頭を脇に抱えた。

 頸椎をネジ折るまでの二秒ほどの間だけ。


「ぴぐっ」


 大樹の枝が軋むようなみしりという音と共に姫騎士が崩れ落ちる。

 紺青のオーラが膨張し、炎のごとく揺らめいた。


「ばっ、バカな!」


 後ずさる秋鈴をシャールドンの視線が追った。

 

「なぜ生きている!」


「貴様の『断罪』など取るに足らんからだ」


 満身創痍の皇帝は秋鈴を睨み返す。

 口角にはべとべとの血泡がこびりついている。


「な――――!」


「どけよインテリッ!!」


 銀氷天ぎんぴょうてんが日本刀を振り上げた。

 更にリースリングが突剣を構え、駆ける。


 シャールドンはこの二人の攻撃が同時に訪れることがないと理解していた。

 あの大質量の化け物と人間が同時に攻撃すれば後者が必ず命を落とす。

 操作から行動までにタイムラグの発生するゴーレムは不測の事態を避けるべく、必ず人間に先手を譲る。


 皇帝は平然とリースリングに向き直る。


「俺の剣を見切ったと言ったな」


 腰に吊るした流体剣の柄を手に取り、彼は水流の刃で剣客の足元を抉る。

 華麗なステップでこれをかわしたリースリングは一歩強く踏み込む。


「左様っ! 貴殿の剣、まっこと見事だ! だが私にはもはや――」


「悪いが俺は剣士ではない。権力者だ。お前と違って他人の人生に責任を負っている」


 放たれる雨のごとき刺突をかわし、一部は眼球を含む肉体で受け、皇帝は身を捻った。

 流体剣は姿を変える。

 『剣』から『布』へ。


「剣だけが俺の武器ではない」


 投網さながらに皇帝が水の布を放った。

 ぶわりと中空で剣が『布』に変わる。


「何っ」


 剣客の注意が上を向く。向いてしまう。 

 ジンが叫び、ブラックマンバを放つ。

 が、遅い。


 既にシャールドンの親指と人差し指がリースリングの喉笛を抉り取っている。


「なカッ」


 喉をかきむしるような動作を数秒続け、リースリングは脱力する。

 降参の白旗が挙がるようにして真っ赤な血液が噴き出した。


「お前の剣は軽すぎる。自分以外に護るものを持たない奴の剣だ」

 

 聞こえてはいないか、と皇帝は独り言つ。

 リースリングは地に倒れるより数秒早く、息を引き取っていた。


「野っ郎!」


 片目を失ったシャールドンは鮮やかに跳躍し、北光の一撃をかわす。

 着地点へ放たれたブラックマンバは螺旋状の刃によって先ほどよりも速やかに分解され、宙へ散る。

 だん、と両脚で着地した皇帝はコップ一杯ほどの血液を吐いた。

 吐いたがすぐに口元を拭う。

 その目が秋鈴へ向けられる。


 これが重傷を負っている者の動きなのか。

 慄然とする秋鈴の顔面に水の刃が迫――――


「させねえっ!!」


 皇帝の真横から銀氷天ぎんぴょうてんの蹴りが入る。

 苦悶に顔を歪めたシャールドンが飛び、地面で二度バウンドする。


「とどめっ――」


 しゅおあ、と水流の刃が伸びた。

 正確に機体の心臓部を狙った一撃。

 胸部装甲が大きく抉られ、北光は死を覚悟する。

 だが覚悟するだけで済んだ。


 水の刃では光片子を完全に砕いてコクピットに至ることなど――――


『! ほっこ――――』


 支配の快力オルゴンは水を操る。

 水は何も大気中に点在するものだけではない。

 血液もまた水だ。



「あっ」



 あっという間はあった。

 だがそれ以上の言葉は続かない。


 吐き出した大量の血液をウォーターカッターに変え、シャールドンは流体剣を握らない方の手から赤い刃を放つ。

 破砕された胸部装甲へ間髪を入れず二撃目。

 これが入れば確実に――――


(死――――)


 北光のメインカメラには心臓へ向かう赤い刃が見えている。

 迫り来るそれを前に彼は束の間、走馬灯を見ていた。


 初めて出撃した日。

 初めて夜の街に繰り出した日。

 翌朝の襲撃で大勢が命を落としたこと。

 跡形もなく吹き飛ばされた娼館。


『フルパージ!』


 ミュスカデの声。

 次の瞬間、コクピットそのものが異世界の空気の中を飛んでいる。

 緊急脱出装置が作動したわけではない。全身の光片子装甲をミュスカデが解除したのだ。


 残っているのは心臓部たるコクピットと全身の駆動を司るフレームのみ。

 それは脂肪と筋肉を奪われた人間のような有様だった。

 重量バランスを崩した銀氷天ぎんぴょうてんはよろめき、コクピットに直撃するはずだった血の刃はその脇を掠める。


『撤退を! 再起動まで時間がかかりますっ!』


「くっ、そっ! すまんオッサンっ!! 頼むっ!」


 バーニアを噴かした鎧武者が数十メートル後退する。


「オッサンじゃねえ、よっ!!」


 ブラックマンバを放ちながら、ジンは秋鈴に合流した。

 蠅でも切るかのようにシャールドンは黒蛇を切り裂き、片手に血液の剣を、片手に水の剣を携えている。


 その口元に嘲りや侮りの色は無い。

 あるのは研ぎ澄まされた殺意と生存欲求だけ。


「なぜ俺が生きているか、だったか? 簡単なことだ。貴様の断罪とやらは俺に届かないからだ」


「なっ。私が未熟だとっ!?」


 秋鈴は怒り、吠えた。

 権力者と市民の板挟みにされ、正義と善に引き裂かれながら法務の最前線で戦い続けて来た彼にとってそれは最大級の侮辱だった。

 まして相手が遥かに年下のシャールドンであるのだからなおさらだ。


 だが皇帝は秋鈴以上の怒りを見せた。


「お前のほざく断罪の言葉にはやましさを感じないのだ! 正しさをうそぶくだけならガキにでもできる!!」


「っ! く――――」


 その言葉がどれほど秋鈴の心を貫いたのか、ジンには分からない。

 分かるのは秋鈴が隙をさらけ出していることと、既にシャールドンが流体剣の切っ先を彼に向けていることだけだ。


「言ってる意味は分からねえが――――」


 安い毛皮のコートをを揺らしながら、仲間の死体を視界の隅に収めながら、勇者が駆けた。

 黒蛇をまき散らしながら、ジグザグに駆けた。


やましさになら自信があるな」


 ブラックマンバを切り伏せた皇帝がゆらりとジンを見る。

 そして油断なく、しかし大仰な仕草で流体剣の切っ先を向けた。 


「支配の」

「『敵の技』」


 ジンファンデルの全身を黄色のオーラが包む。

 両腕から始まり、頭部が、胸が、脚が、が鋼鉄へと変じた。


「『断罪の快力オルゴン』!」


「!」


 流体剣で切断されるはずだったジンファンデルの肉体が水流を弾く鋼と化す。

 爆ぜる水が滴となってジンの頬を濡らした。


「秋鈴! シューレイ!」


「っ」


「ぼやっとするな! 挟むぞ!!」


 仲間の死を嘆いている場合でも、敵の健闘を称えている場合でもない。

 殺さなければ殺される。

 動かなければ死ぬ。

 考えることなら後でやればいい。

 生きて地上でできるか、死んで地獄でやるはめになるのかは知らないが。


「『断罪の快力オルゴン』!」

「『断罪の快力オルゴン』!」


 黄色のオーラに包まれ、二手に別れた秋鈴とジンがシャールドンに駆け寄る。

 皇帝は銀氷天ぎんぴょうてんから視線を剥がし、自分を囲う二人の戦士を見やった。


「敵の技っ!!」


 ジンの顔面には苦渋が滲んでいた。

 仲間は二人斃れ、肌着は濡れた雑巾のようにびしょびしょだった。

 だが勇気を振り絞らねばならない。

 順境に勇者であることなど誰にでもできる。


白星乱舞インサニティ・ハイ!!」

白星乱舞インサニティ・ハイ!!」


「!? 貴様ら……!」


 もう一撃、先ほどの投げ技を喰らったら。

 皇帝は逡巡する。

 逡巡の後――――秋鈴の息の根を止めることを選択する。


(……)


 その所作にジンファンデルは微かな違和感を覚えた。

 だがすぐに迷いを振り捨て、秋鈴とは別の角度から皇帝へ迫る。


 水の剣と血の剣。

 シャールドンが放ったのは二対の流体剣による必殺の『心臓撃ち』。

 

「!」


 切っ先を向けられた秋鈴は愚かにも心臓を庇う。

 次の瞬間、鋼鉄の眼球部に水の剣が直撃し、もんどりうったところで血液の剣が直撃する。

 一度、二度、三度。

 シャールドンが両手を交互に動かす度に伸縮する赤と透明の水が秋鈴の顔面を叩いた。

 やがてそれは秋鈴の頭部を貫通する。


 崩れゆく秋鈴から目を逸らし、ジンファンデルは皇帝に到達した。

 黄色のオーラを纏ったジンは皇帝の手足を掴む。

 掴み、飛ぶ。


「敵の技……白星乱舞インサニティ・ハイ!!」


 見よう見まねの一撃。

 皇帝の読み通り、地を蹴ったジンファンデルの高度は低い。

 やはり秋鈴を潰しておいて正解だったのだ。


 シャールドンは中空へ連れ去られながら、思う。

 この高さなら落下しても死な




「敵の技」




 突如として、『投げ』が解除される。

 シャールドンは宙を舞う。


「!?」


「『支配の快力オルゴン』」


 大気中の水分が手刀に集中する。

 もちろん強化の度合いには大きな差があるが。

 生身の時よりその差は縮んでいる。


 勇者ジンファンデルは皇帝の喉に添えた手からウォーターカッターを放つ。













 鮮血の雨の中、ジンファンデルは立ち尽くしていた。

 快力オルゴンのオーラが抜けた肉体は淀みのような不快感に満たされている。


「……」


 友が二人、逝った。


 護れなかったことが悔しいとか、悲しいとは思わない。

 死の覚悟が無い者をジンは仲間と呼ばない。

 死ねないのなら家に居ればいい。特に姫騎士シュナン・ブランには何度となくそう告げた。


 王家の末妹で、土に埋もれたニンジン程度の立場しか与えられなかった彼女が覆面の戦士として勇者の一行に立候補したことをジンは褒めもしなかったし、咎めもしなかった。

 他人はどこまでも他人だからだ。

 ジンが死んだ時に彼女達に泣いて欲しいとも思わない。

 さっさと割り切って、やるべきことをやってほしい。


 ただ、虚無に近い喪失感は覚えていた。

 周囲に死の覚悟を押し付けた彼は、死なれる覚悟が足りていなかったことに今更ながら気づく。

 それを咎めてくれそうなナイアガラも今は隣に居ない。

 果たして彼女は生きているのだろうか。


「!」


 がしゃ、がしゃ、と復活した鎧武者が立ち上がる。

 水流の剣を放つあの男に比べればこのゴーレムはずいぶんと野暮ったい。

 中に居る奴も。


「なあ、アンタ」


 夜坂北光はコクピットハッチを開き、姿を現した。

 ジンの目には不可解なほどぴったりと肌に貼りつくスーツと、金魚鉢のようなヘルメット。

 開かれた頭部から覗いた男の顔は若い。


「名前、何て言うんだ?」


「ジンファンデル」


 意識したわけではなかったが、暗い声が漏れた。


「そっか。……俺は夜坂北光よるさかほっこう


 ミュスカデは沈黙していた。

 彼女のデータベースにこの状況で発することの許されるジョークは存在していない。


「2人になっちまったな」


「ああ」


 ジンは己が冷徹な人間のようだと考えながら、指を折る。


「生きてるのは……ナイアガラ、髭の奴、火の奴、ガキ、幸薄そうな兄ちゃん、飛んでる奴……兜の姉ちゃん、棒持ってた姉ちゃんで……8人」


 ナイアガラ以外で2~3人は死んでるかも知れないから5人ぐらいか。

 つまり生存者はあと7人。

 ジンファンデルはそう独り言つ。



 だが彼を眺める彼女シーは知っている。

 ナイアガラ、デラウエア、翡翠ひすい虎助とらすけは死んでいる。

 あちら側の生き残りは4人。


『生存者はあと6人ですよ』


 誰にも聞こえない声で彼女シーは呟く。

 5人になろうとしていることは彼女シーですら知らない。















 ミュスカデのセンサーが「それ」を捉えられなかったのは彼の呼吸と鼓動が完全に停止していたからだった。

 ジンファンデルと北光が仲間の遺体を廃屋に運んでいる間も、皇帝シャールドンの魂はいまだ肉体に留まっていた。


 心に去来するのは、複雑な後悔。


 秋鈴とジンに囲まれた瞬間、シャールドンは最も有効なカードを切らなかったた。

 それは360度の周囲を覆う最強無比の『薙ぎ払い』。千の軍勢すらなます切りにする最強の奥義を、シャールドンは使えなかった。

 あの闘技場でも使えなかった。

 開始直後に使えば多くの人間を葬り去ることができたというのに、だ。 


 理由は一つ。

 狩峰翡翠かりみねひすいを巻き込むかも知れないからだ。


 闘技場ならともかく、廃村であれば99.9999999999%ありえない。

 彼女が偶然その場に現れる可能性は低いし、氷を操る彼女が水の刃の直撃を受ける可能性は更に低い。

 だが0.00000000001%可能性がある以上、シャールドンは『薙ぎ払い』を使えなかった。


 巻き込んで殺してしまったら最後に勝者特権で蘇らせればいい、と理性は忠告した。

 だが己の手で殺めた女にどんな顔をして愛を囁けば良いと言うのか。


 彼女を蘇らせたところで現実は変わらない。

 彼は恋心を抱いた相手を死なせてしまうことになる。

 その記憶はどうあっても消せない。


(……)


 死の間際、シャールドンは自分が元の世界の民や政治まつりごとに後悔を抱いていないことに自己嫌悪する。

 公人である自分が私人としての感情を優先してしまうとは何てザマだ。


 だがそもそもの発端は、彼が闘技場で翡翠諸共すべてを殺さなかったことだ。

 あの時点でシャールドンは『民の人生に責任を持つ』皇帝としての責務を放棄してしまっていたに等しい。


 ではどうすれば良かったのか。

 責務いのちか。

 ひすいか。

 


 皇帝シャールドンは己の未熟さに悔悟の涙を浮かべながら地獄へ堕ちる。



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