第10話 STAGE5


 突如として噴き上がった水の刃。

 それは火災旋風にも匹敵するほどの高度に至り、廃村に立つ四人の注意を引いた。


「水の奴っっ……!!」


「む」


 柔らかな金髪を揺らしたシュナン・ブランが声を上げ、リースリングが剣を構える。

 ジンは短い口笛を吹いた。


「おいおい。あの剣、あんな高さまで伸びるのかよ……」


「ご安心を。まだ彼は遠い」


 糸目の男、稲穂秋鈴いなほしゅうれいは腰の後ろで手を組み、遠い荒れ地を見やる。

 彼の目に映るのは皇帝シャールドンが放ったであろう水の刃と―――――それをかわす銀色のゴーレム。


「ですが早晩決着がつくでしょう。『支配の快力オルゴン』は無敵です」


「支配の快力オルゴン?」


 ジンが首を傾げる。


「闘技場でご覧になったでしょう? 我々は強い感情をきっかけに炎や氷、水といったものを操ることができる」


「魔法みたいなモンか」


「言い得て妙ですね。魔法と違うのは我々自身の肉体も大幅に強化されることです。……このように」


 秋鈴は廃屋に転がる石臼いしうすに人差し指を向け、ずぶんと突き込んだ。

 根元まで石臼に沈んだ指を見、剣客と姫騎士が息を呑む。


「おそらく純粋な『戦闘能力』なら」


 秋鈴がゆっくりと指を抜くと、臼には穴が穿たれていた。


「――――我々が最強かと」


「それで? そのお強いあんたが弱い俺達に助けを求めるのか?」


「どのような形であれ、強さとは正義です。……だが善ではない」


 放った言葉がもたらす波紋を確かめるかのように秋鈴は数秒待った。

 シュナンは落ち着かない様子で足踏みし、リースは口髭を指先で弄ぶ。

 ジンは空を飛ぶ一羽のカラスを見ていた。

 それから、枯れ井戸の一つで丸くなった黒猫を。


「あの水の刃の使い手の名は皇帝シャールドン。我々の世界の支配者です」


 秋鈴は『我々』の前に「残念ながら」を足すことを忘れていたが、些事だと考え、訂正しなかった。


「彼の強さはご存知の通りです。快力オルゴンを持たない人間など数秒で血祭りに上げられてしまう。……持っていたところで数秒が数分に変わるだけですが」


 手足を切り飛ばされた剣客と姫騎士は互いの顔を見た。

 一切の防御を許さない凶悪な水の刃。

 あんなものは彼らの世界にも存在しない。


「シャールドンは困ったことにこの世界へ転移した一人の女性に熱を上げている。彼は帰還者を自分と彼女の二人に絞り、それ以外のすべての人間に襲い掛かって来るでしょう」


 その先の言葉は聞くまでもなかった。

 自分一人では彼に勝てないから共同戦線を張ってほしい。

 つまりそういうことだ。


 真っ先にジンファンデルが反応する。 


「あんたと組んであいつを斃したその後は? 『元の世界へ戻れるのは生き残った二人だけ』なんだろ?」


 ふ、と勇者の口元に自嘲が浮かぶ。


「あんたに一番媚びた奴が帰れるとか、そういうことか?」


 ジンの諧謔じみた所作に秋鈴は微かな違和感を覚えた。

 彼は追い詰められた男の目をしていない。

 今は無くともいずれ活路を切り拓く。そんな目をしている。 


「……『元の世界へ戻れるのは生き残った二人だけ』。このフレーズには陥穽かんせいがあります」


 カンセイ、と勇者と剣客が顔を見合わせ、その言葉の意味を考える。

 見かねた姫騎士が口を挟んだ。


「裏があるということですか?」


「ええ。正確にはこうです。『あの神の力で』元の世界へ戻れるのは生き残った二人だけ」


「……?」


「神――――いえ、『彼女シー』と呼びましょうか。我々をこの世界へ連れ去った彼女シーの力は確かに絶大だ。ですが不自然な点も多い」


「例えば?」


 秋鈴は廃村よりも更に西の方角へ目をやった。

 闘技場を中心とした場合、その方角は彼女シーが警告した「あまり遠くに行かないで」の「遠く」に該当するだろう。


「例えばこの『戦闘領域』が孤島や浮遊している大陸などではないこと。彼女シーの言葉を信じるのであれば、一定領域より先へ出ようとすればあの黒い靄が我々を宇宙の彼方へ飛ばしてしまうのでしょうが、初めから孤島や空の果てに我々を飛ばせばそんな手間をかける必要は無い。逃げる気を起こす者もいなくなる」


 徒歩かちでしか移動できない面々のみが転移しているのなら理解できるが、参加者には空飛ぶ少女とロボットが混じっている。

 もし秋鈴がこのゲームのマスター、彼女シーだったらこんな片手落ちは犯さない。

 イレギュラー要素を楽しむためにこの場所を選んだ可能性も否定はできないが、だったら無人である必要性が無い。


 彼女シーは異世界から人間を呼び寄せることができる。

 だが完璧な舞台を整えることはできなかった。

 これは極めて重大な事実だ、と秋鈴は考える。

 

 無限に連なる異世界を行き来する彼女シーが殺し合いに最適な土地を選ぶことができない。

 飽きたのか。疲れたのか。

 いずれにせよこの事実が意味するのは――――精神性の凹凸。


 神性は精神にのみ宿る。

 例え能力が完全であったとしても、精神が不完全であるのならそれは神ではない。



 彼女シーは神などではない。




 己の考えを語り終えた秋鈴は喉の渇きを覚える。

 枯れ井戸で丸くなっていた黒猫が緑色の瞳を彼に向けていた。

 

「もう一つ重要なお話が。彼女シーは我々を監視しています」


「そりゃしてるだろ。神様ならな。お空の上から俺らを見てる」


「いえ、おそらく『自分の目』、つまり眼球で監視していると見るべきです」


「……! へえ」


 ジンは感嘆符のついた低い声で続きを促す。


「『戦闘領域を脱すれば危険がある』。確かに重要な情報です。ですがそれは戦闘領域を脱しようとする者に直接語り掛ければ良いだけのこと」


 徒歩で移動する者にとって戦闘領域は十分過ぎるほど広い。

 領域外への逃亡を瞬時に実現できるのは空飛ぶ少女とゴーレムぐらいだ。

 彼女シーが本当にすべてを見通しているのなら、あの二人が領域外へ逃げ出そうとしたところで脳内に直接語り掛ければいい。

 だがそれをせず、わざわざ最初の段階で『全員に』情報を公開した。

 これは不自然だ。


 もちろん、ゲームを公平なものにするための演出、という考え方もある。

 死に至る可能性のある最低限のルールを明示した可能性も否めない。

 だが公平性をうそぶくのであれば地理ぐらい説明するのが当然だ。長引けば彼らは渇きで死に至るのだから。

 秋鈴がゲームマスターならその辺りの情報まできっちり提示して初めて公平を謳うだろう。


 彼女シーが開始時点で領域について説明した理由を秋鈴しゅうれいはこう解釈した。

 事前に参加者の行動範囲を狭めることで自分の知覚範囲に留め置こうとしているのだ、と。


 すなわち彼女シーは全員の行動を完全に把握しているわけではない。

 裏を返せば、何らかの感覚器官で彼らの行動を見つめていることになる。


「あーなるほどね。つまりあいつは神様なんかじゃない、と」


 ジンファンデルは納得したような、そうでもないような声で応じる。

 秋鈴は軽薄な態度に溜息をついた。


「で、彼女シーが神でなかったら元の世界へ戻れるのか? 胸倉掴んで揺さぶって元の世界へ戻せ―、ってやっちまうのか?」


「それも一つの方法でしょう。ですがもっと手っ取り早い方法がある。……彼女シーを殺します」


「!」


 シュナン・ブランが息を呑む。

 そちらを見た秋鈴は説明を足した。


「眼球で我々の行動を監視しているということは、実体があるということです。実体のある生物は例外なく殺すことができる」


「どうやって? あの赤髪の兄ちゃんみたいに殴りかかるのか?」


彼女シーの実体を探し出し、『黒い靄』が溢れているであろう戦闘領域の外へ追い込みます。宇宙の彼方へ飛ばしてしまうのです。彼女曰く、彼女自身ですら助けることのかなわない宇宙の彼方へ」


 シュナン・ブランは実現可能性について思惟を巡らす。

 ジンファンデルは黙したまま答えない。


「あの『黒い靄』は永続的にその場に残る類のものではないはずです。何かを『飛ばしたら』おそらく消滅する」


 もしその場に滞留し続ける性質を持っているのであれば自分達に続いてこの世界へ引きずり込まれる者がいるはず。

 秋鈴はそう考える。


「! つまり、彼女シーでも何でもいいから『黒い靄』に何かを投げ込めばこの領域の外へ出られるということ……?」


「ええ。もちろん『黒い靄』が戦闘領域を覆っていることが前提ですが。外へ出られれば行動の選択肢が広がります。……後はテクノロジーの問題になるでしょう」


 てくのろじ、とジンとリースが顔を見合わせる。

 今度はシュナンも首を傾げた。


「時空を行き来するあの術が彼女だけのものだとは思えない。可能性があるとすればあなた方だ」


「……は?」


「あなたの落ち着きようには裏があるとお見受けします。ミスター・ジンファンデル」


 ミスターって何だ。そんな名前じゃないんだが、と言いかけたジンは面倒なので黙ることにした。

 話の長い男は苦手だった。


「そちらの御二方、シャールドンに切り飛ばされた手足の傷が癒えていますね? ですが闘技場にはあなた方の手足が残っていた。ということは、『くっつけた』でも『生やした』でもなく、『因果』に干渉して治療したのではありませんか?」


「ナイアガラに聞いてくれ。俺はこの手の魔法が使えない」


「なるほど、その方があなた方の心の支えですか」


 ジンは否定も肯定もしない。


 千の魔法を操るナイアガラならきっとこの状況を何とかしてくれる。

 リースリングやシュナン・ブランがそんな期待をしていることは彼も肌で感じていた。

 彼自身もまた、ナイアガラと組めば大抵のことが実現できると知っている。


「あなた方からは緊張感を感じないのです。それは元の世界へ戻る手段に心当たりがあるからだ。違いますか?」


「……」


「それを実現する上であの男は邪魔なはずです」


 秋鈴は神を信じ始めていた。

 シャールドンを避けた彼がこの方角へ逃げて来たのは偶然で、ジンの立ち居振る舞いを目撃したのも偶然だ。

 平たく言えば彼は彼女シーの対処法こそ考察していたが、帰還の方法についてはまるで見当もつかないまま廃村へ逃げ込んでいた。


 だが彼の行動はこの時初めて一本の線となった。

 この古めかしい装備の一団は切り札とでも呼ぶべき仲間を擁している。

 そのカードを切れば危険なバトルロイヤルに身を置かなくとも帰還ができるのだ。

 

彼女シーを殺し、全員で帰還しましょう。そのためには見境なく攻撃を仕掛けるシャールドンを殺さなければならない」


 殺すまで行かずとも最低限『止める』ことができればそれがベストなのだが、秋鈴はその選択肢をこの時点で放棄した。

 シャールドンがこちらに与する可能性が掴み切れないからだ。

 もし彼が聞く耳を持たなかった場合、つまり戦闘が開始された場合、説得を試みた秋鈴たちは後手に回ることとなる。

 それだけは避けなければならない。


「あいや。待たれい」


 リースリングは帽子を目深に被り直す。

 剣客である彼は戦略を嫌う。

 嫌うだけでなく苦手としている。

 なので秋鈴の話も途中からは聞いていない。


 個としての強さを極める内に彼は頭脳労働を厭うようになっていた。

 彼は将来の見通しなど立てない。

 ゆえに最も手近な問題に気づく。


「そもそもの問題だが、貴殿らに劣る我らがシャーなんとかに立ち向かえるとお思いか?」


「あなた方の『殴打』で彼を傷つけることは難しいでしょう。ですがシャールドンにも弱点はあります」


「五感かね」


「ご名答。どれほど強化されようと元が脆い感覚器官はやはり脆い。剣でなら彼の目を潰すことができる」


 後は、と。

 彼は己の両腕を見せる。


「『断罪の快力オルゴン』」  


 役人を思わせる華奢な体躯からは想像もつかないほど太い手首が覗いた。

 ジンよりも遥かに太いそれが見る間に銀色へと変わり、硬質さを帯びる。


「私の能力は『鋼』です。シャールドンの流体剣もこの身を貫くことはできません」


 ジンファンデルはその手をじっと見つめる。

 食い入るように。


「私が盾となり、剣となります。あなた方にはサポートをお願いしたい」


 彼は希望を胸に告げる。


「元の世界へ戻りましょう。……全員で」


 すべてを見聞きした彼女シーがほくそ笑んでいることに彼らは誰一人気づかない。
















 警告音が鳴りやまない。


『右ですっ!!』


 ミュスカデの声。

 夜坂北光よるさかほっこうは既に左への緊急回避を始めている。

 土壇場においてはオペレーターの未来予測より北光自身の反応の方が早い。


 北光の手の動きに合わせ、空飛ぶ銀氷天ぎんぴょうてんが身をよじらせた。

 しゅおあ、と水が迸る。

 一秒前まで鎧武者の居た場所をレーザーじみた水流が通過。


 ほんの僅かだが、水が右脚を掠めている。

 その破壊力は―――


『右脚部装甲、20%破損!』


「っ……!」


 腿の一部が切断される様子がサブカメラに映る。

 その様は温暖化の熱に耐えかねて縦に割れる氷山を思わせた。

 光片子デミパーシャルフォトンと厚い金属のコクピットに護られた北光は感じたこともないほどの恐怖を抱く。


(何だあの威力……硬化光体がバターみてえに……)


 北光はカメラを見つめ、『思考』してしまう。


 ――――隙が生まれる。


『手を止めないで北光っっ!!』


 ミュスカデの声には焦燥が滲んでいた。

 すべてを知ったかぶりするはずの人工知能が、怯えている。


(しまっ)


 削ぎ落とされた腿が剥離した瞬間、返す刃が左足首に直撃する。

 否、直撃ではない。それは既に『通過』し終えている。

 ありえないほど速い二の太刀は硬化光体の髄を切り裂いた。


 字面通りの『輪切り』。


『さ、左脚部、フレームに損傷! 光片子装甲の維持困難!』


「くっそっっ! 切り離せ!!」


完了コンプリート!』


 左足首から下が異界の地表へ落下する。

 光片子の装甲は粉々に砕けて消えたが、実体を持つフレームの一部は大地に留まり続ける。


 足首から先を失った鎧武者は高度を上げるが、一体どこまで上昇すれば良いのかが分からない。

 奴の射程はどこまでなのか。

 神はどこまでの上昇を許してくれるのか。

 空間戦闘を強いられる北光は他の誰よりも多くを考えなければならない。


「おいアンタッッ!! 分かった! 分かったからやめろ!」

 

 マイクを通じ、北光の声が辺りに響いた。

 

 ブレザー服の上に甲冑を纏った皇帝シャールドンは片眉を上げた。

 彼は確信と共に頷く。

 やはりアレには人が乗っているらしい、と。

 乗っていようと乗っていまいと末路は同じだが。

 

「あんたが強いのはよおォォォォく分かったっ! 分かったからやめろ! あんた一人なんだろ? 休戦だ休戦!」


「休戦?」


 しゅおおお、と流体剣の柄にまで水が戻る。

 大気中の水分を操るシャールドンにとって剣の伸縮など造作もないことだった。


 闘技場で甲州や秋鈴と一戦交えた彼は狩峰翡翠かりみねひすいを探して周囲を彷徨しているところだった。


 彼の行動原理はシンプルだった。

 翡翠を確保し、彼女以外のすべてを屠る。

 勝者となって元の世界へ帰還する。

 これですべてが片付く。


 もしかすると神に従わない選択肢があるのかも知れない。

 神を殺し、全員で一致団結して元の世界へ帰還する方法を探るとか。

 だがシャールドンはそういった未来を模索するつもりはなかった。


 矜持プライドのことを考えれば、「神に従わない」という選択肢は耳に甘く響く。

 だが矜持プライドとは本来、私人しじんせいを支えるものだ。公人こうじんとしてのせい矜持プライドは必要ない。

 公人、なかんずく権力者にとって最も重要なのは時間であって自尊心の充足ではない。


 皇帝シャールドンは最善ではなく最短での帰還を望んでいる。


「そうだ! 休戦だ!」


 シャールドンは空高く飛ぶ銀のゴーレムとの距離を測る。

 三十メートルほどだろうか。

 この距離で声が聞こえるわけがない。唇の動きを読まれているのだろう、と彼は分析する。

 

「さっきの火柱見ただろ? あんなのに勝てるわけがねえ! 俺は行きも帰りも一人だ! あんたと一緒に――――」


「戦争を仕掛けた覚えはない」


 シャールドンはごく自然な動作で流体剣を伸長する。

 レーザービームにも等しい水流の一撃を鎧武者は器用にかわした。

 ぎゅおお、と大質量が移動したことによる強風。皇帝の編み込まれた髪が靡く。


 裁断された右肩の破片が落下するも、それは地面に到達するより早く光の粒となって消える。


(無限に再生するイミテーションの鎧か)


 皇帝は伸縮する水の剣を再び手元まで引き戻す。

 実体を持ちつつも軽いその剣は手足よりも軽やかに彼の殺意を反映する。


「これは私闘だ。私闘を縛る法は無い」


「ちっくしょ! てめっ!! 分かったもういい! じゃあな!」


 夜坂北光よるさかほっこうは平和主義者ではない。

 共闘できない相手は殺すしかない。


 だが現時点でそれは難しいようだ。

 周到に準備しなければ水の男は斃せない。

 ミュスカデは問うのではなく、確認するように告げる。

 

『退きますか』


「ああ。ありゃダメだ。聞く耳持ってや――――」


 シャールドンに背を向け、鎧武者がバーニアを噴かす。





 しょるるる、と。

 右脚部に水が巻き付く。






「は?」


 サブカメラの中で皇帝の唇が動く。

 ――――『支配の快力オルゴン』と。


 水が収縮する。

 ただし今度は水が柄へ戻るのではなく、柄が水へと吸い寄せられる。

 皇帝の靴が地を離れる。


 つまり――――


「はァァァ!?」


 飛翔する銀氷天ぎんぴょうてんに若き皇帝が吸い寄せられる。

 ぐんぐんその場を遠ざかる鎧武者と共に、シャールドンもまた空を飛んでいた。

 流体剣のうねりに合わせて彼の身体は上下に揺さぶられるが、水の剣が縮めば縮むほど、その揺れは小さくなっていく。


 北光が我に返った時には既に、ブレザー服の男が機体に乗っている。


 乗った。

 乗りやがった。

 生身の人間が。

 飛翔する硬化光体に。

 そんなバカな。

 混乱の中、ミュスカデの声が響く。


『北光! フルパージを!』


「ダメだ! コクピットの位置がバレる!」


 北光は高速飛行に急上昇、蛇行、急停止、とんぼ返りを織り交ぜ、シャールドンを振り落とそうとした。

 が、流体剣を機体に巻き付けた若き皇帝はこれに耐える。

 ロケットにへばりつく虫のごとき格好だが、矜持プライドを軽んじる彼は気にも留めない。


「くっそ! 何なんだコイツッ!」


 カメラではなくセンサーが『水の男』の位置を知らせる。

 その瞬間、北光は凍り付いた。


 じりじりと、じりじりと。

 シャールドンはコクピットに近づきつつあった。

 巻き付いた流体剣を器用に動かし、彼は徐々に脚から腿へ、腿から腰へと移動している。


 これまでの敵のように無駄な攻撃で装甲を破ろうとはしていない。

 彼は既に装甲が無限再生することに気づいており、致命的な一撃で北光を仕留めようと目論んでいる。


『北光! これ以上は危険です! ただちにフルパージを!』


「だ、ダメだ! こいつは――――」


 光片子で構成される部位を完全に切り離せばこの男を振り落とすことができるはず。

 できる――――『はず』。


 だがの反射神経と得物の射程距離を考えれば、コクピットに直接張りつかれる可能性も否めない。

 そうなったら終わりだ。


『大丈夫です! この速度で振り落された人間が反応できるわけが――』


「できるかも知れねえだろ、こいつは! 俺たちの知ってる『人間』じゃねえんだぞ!」


『!』


 ミュスカデは1+1が2であるように、人類の限界を完全定義してしまっている。

 それをアップデートすることはできない。


(やべえ……!!)


 きりもみ。

 地面すれすれの滑空。

 そのどれもシャールドンを振り落とすには至らない。


 森林地帯に突っ込み、木々をなぎ倒す。

 皇帝は銀氷天の凹部に滑り込み、高速で迫る枝や葉をかわす。


 鎧武者は闘技場上空へ。

 シャールドンは地表を一通り確認したが、翡翠を見つけられないことに落胆する。


(居ないか……)


 どこかに隠れているのか。あるいは未だこのゴーレムが至らない東に居るのか。

 いずれにせよ、彼女を見つけることができないのなら、これ以上空を飛ぶ必要は無い。


(用済みだな)


 皇帝は機体の表面に手を置き、動き出す。

 青い快力オルゴンのオーラが彼を強風から護っている。


『北光! 彼が!』


「クソっ、クソっ、クソッ! ――――!!」


 北光は息を呑んだ。


 カメラに何かが映っている。

 銀色の――――巨大な剣だ。


 流麗な文字が刻まれている。


 『助かりたくばこちらへ』


 

















 大質量のゴーレムが不時着することによって。

 津波のごとき突風が巻き起こる。


「――――!!」


「……っ!!」


 強い風と砂塵とに煽られ、リースリングは腰を落とし、シュナン・ブランは武器を地に刺してこれに耐える。 

 ジンファンデルは秋鈴の体躯の裏に隠れ、難を逃れた。


 秋鈴しゅうれいは銀氷天から降り飛ばされるシャールドンの姿を見ていた。

 皇帝は木の葉のように宙を舞い、豹のごとく視界の隅に着地する。


 が、がくんと膝を折った。

 秋鈴とジンは衝撃に耐えられなかったからだと考えたが、実際には光片子デミパーシャルフォトンに触れ続けたことによる『光酔い』だった。

 平衡感覚が狂ったことに気づいた皇帝はしばしその場に手をつき、呼吸が整うのを待つ。

 

 片方の足首を失った鎧武者がバーニアを噴かし、宙に浮いた。


「おい! あんたら!」


 マイクを通して拡大された声にリースとシュナン、ジンの三人が飛び上がった。

 中に人が乗っているであろうことは知らされていたが、これほどの大声が発せられるメカニズムを彼らは知らなかった。

 

「頼む! ちょっと……頼む!!」


 切羽詰ったその声は要領を得ないものだったが、秋鈴は深く頷いた。

 みなぎる『断罪の快力オルゴン』は黄色のオーラとなって彼を包んでいる。


 周囲の土地の金属成分すべてを使って巨大な剣を造った彼はなおも意気軒高だ。


「ご助力申し上げます! あなたの敵は我々にとっても敵です!」


「助かる! 一時休戦だ!」


「一時ではなく永遠のものとしたい! 皆で生き、そして元の世界へ戻りましょう!」


 シャールドンが立ち上がるのが見えた。

 秋鈴はジン、リース、シュナンの三人に早口で告げる。


「聞こえましたね? 彼は味方です。とにかくあれを。彼を殺すことに集中してください」


「あいや! 多対一だな。少々気が咎「死力を尽くしてください」」


 秋鈴の糸目がかっと見開かれ、砂色の瞳が覗いた。


「油断すれば四肢を切断されます。一度手痛い目に遭ったでしょう!」


 魔女ナイアガラの治癒が見込めないことに気づき、リースリングは髭に一滴の汗を浮かべる。

 敵の能力を知悉した糸目の男が額に汗の玉を浮かべていることに気づき、リースリングの緊張は更に増す。


「ミスター・ジンファンデル!」


「分かってるよ」


 ジンは長剣を肩に担ぎ、あくびを噛み殺す。

 不安と緊張を隠す時、彼はいつもそうする。


「誰かがやらなきゃいけないんだろうな、ああいうの」


 そしてそういったものを何とかするのは。

 彼の世界では勇者の役目だった。






 



 むくりと起き上がった皇帝は己を見つめる瞳の数に気づく。

 大小合わせたその数は――――十。


 夜坂北光よるさかほっこう銀氷天ぎんぴょうてん

 鋼鉄の肉体と断罪の快力オルゴン稲穂秋鈴いなほしゅうれい

 茫洋とした佇まいの勇者ジンファンデル。

 臨戦態勢に入った剣客リースリング。

 水色の甲冑を着込んだ姫騎士シュナン・ブラン。


(……)


 皇帝は口の端を持ち上げ、笑う。

 時間が節約できるな、と。

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