第7話 STAGE3


 魔女ナイアガラの知る限り、死者蘇生は禁術の一つだった。


 だがいつの頃からか、欲に目の眩んだ魔法使い達がこれを世に解き放った。

 金のためであれば説得して止めることもできたのだろうが、そこにあったのは「ちやほやされたい」の一言に尽きる低俗な欲望だった。

 求道者たる魔法使いにあるまじき幼稚な精神性。

 こればかりは誰にも止めることができない。


 以後数百年もの間、人の世界から老衰と病死以外の「死」が失われた。


 世俗に汚れた魔法使い達が弟子を取らなかったお陰で禁術はすぐに失伝したが、今なお権力者は死者蘇生を操る魔法使いを血眼になって探しているという。

 賞金をかけてまで。

 魔法使いを悪者にしてまで。


 ジンファンデル一行の冒険の目的も死者蘇生、なかんずく自動蘇生リザレクションを使える魔法使いの確保であった。


 自動蘇生リザレクションの最大の長所は死後すぐに発動するため記憶の断続性が担保されること。

 それから、詠唱が完全に完了しているため、復活した直後にあらゆる行動が可能になること。


 あらゆる行動が。  










「!」


 断続的な銃声を聞くや、狩峰翡翠かりみねひすいは日本刀を振りかぶる。

 横薙ぎの一閃。

 刀身に生える幾つもの丸ノコが宙を飛んだ。


 髭面の男、デラウエアは迫る氷の刃を前にしても冷静だった。

 素早く地に臥せ、己を輪切りにするはずだった刃を残らず回避する。

 

(……)


 翡翠は平静を保つ。

 これぐらいは予想の範疇だ。

 ならば――――


快力オルゴン


「うっ!」


 肉切り包丁を思わせる長さ十メートルほどの刃が翡翠の前にずらりと並ぶ。

 地面に対して垂直に反り立つ刃を前に傭兵の顔から血の気が引いた。


 これから起こることは実に単純明快だ。

 直立する無数の刃が地を滑り、髭の男を裁断する。


「待て。俺の話を――」


「翡翠! 上だっっ!!」


 紅島甲州べにしまこうしゅうは躊躇わない。

 己以外のすべてを敵と断じる彼は迷わず真上に火炎を放つ。



 ひらりとかわされる。

 いともたやすく、ひらりと。



「あらあら……」


 そこには白い細身のドレスを纏う少女が飛んでいた。

 髪は黒紫。

 彼女は冷酷なまでに落ち着いている。


 地上十数メートルの地点を優雅に飛翔するロザリオビアンコはその場で脚を組んだ。


「続けてくれていいのよ?」


「……」


 翡翠は静穏を保つ。

 先ほどの銃声を聞きつけて現れたのだろう、と冷静に現状を分析する。

 空を飛ぶ彼女は翡翠たちよりも遥かに広域の音を拾うことができるに違いない。


(わざわざあの高さに降りて来たということは……)


 うまく立ち回って得が拾えるならそれで良し。

 手に負えないと判断すれば尻尾を巻いて逃げればいい、といったところか。

 いずれにせよ――――したたかな女だ。

 翡翠は空飛ぶ少女の表情に計算高さを感じ取る。


 甲州は感じ取るだけでは済まない。

 彼は下心の臭みを嫌う。


「おい」


 天を見上げ、甲州は翡翠に言い放つ。


「あれは俺がる」


「好きになさい。でも必ず息の根は止めること。殴るなら腹じゃなくて頭。蹴るなら確実に――――」


「うっせえっっ!!」


 ごうん、と。

 重機が唸るような音と共に火炎が噴き上がる。

 深紅のオーラは既にシャボン玉のごとく甲州の全身を覆っている。

 遠目には火の玉にしか見えないだろう。

 

「おっとっと」


 ロザは軽やかに宙返りし、甲州の射程外に陣取った。

 が、その額から一条の冷や汗が流れる。

 今のがただの『威嚇』だと知ったからだ。


 それから驚愕に値する事実がもう一つ。


(あの赤髪の子……さっきブレイズカーネーションの直撃を喰らってたはずなのに)


 火炎に対して火炎をぶつけたからかも知れないが、少年の身体には外傷がほとんど見受けられない。

 巨蜂きょほうよりも遥かにタフな生き物だということになる。


 ブラックマンバを撃つべきか、と彼女は思案する。

 先んずれば人を制す。

 巧遅は拙速に如かず。

 今この場で大量のブラックマンバをばら撒けば確実に先手を取れる。


 だがロザはオムと異なり移動速度に恵まれていない。

 もしブラックマンバと入れ違いに反撃の火炎を放たれたら回避できないおそれがある。

 闘技場でブレイズカーネーションを喰らってもなお生き延びた連中だ。ブラックマンバだけで仕留められるとは限らない。


(隙を見て『三十一次元殺を』……)


 ロザは憤激に身を委ねる甲州を用心深く観察する。


「俺に指図すんなっつってんだろうが……!!」


「いいから私の言うことを聞きなさい。冷静に――」


「ヒゲ一匹殺せてねえだろてめえは! さっさとれよ殺すぞクソが!!」


 翡翠は押し黙る。

 

「ちっ。殴るだの蹴るだの要るかよ。あんな奴は――――」


 こおお、と特殊な呼吸法で甲州が力を溜める。

 一瞬早く、ロザがオムに切り替わり、緊急回避。


 次の瞬間、アッパーカットに近い動作と共に火炎の竜が立ち昇る。

 十数メートルに及ぶ火炎竜は数秒前までロザの浮いていた場所を丸のみにしていた。


「危なっ!」


『これは……!』


 オムは凍り付き、意識の水槽に沈むロザもまた顔を強張らせる。

 デラウエアは生まれて初めて銃口を向けられた日よりも強烈な恐怖に竦む。


「さっさと焼きゃあいいんだよ、焼きゃあな!!」


「……」


 翡翠は静穏を保つ。

 倒錯した快楽を押し殺して。











 快力オルゴンの発現タイミングは人によって異なる。

 紅島甲州べにしまこうしゅうは九歳になるまでその才能を自覚しなかったが、狩峰翡翠かりみねひすいは生後数か月でこの発現が認められた。 

 そして両親によって徹底したコントロールを課せられた。

 

 快力オルゴンを持つ者は大した訓練を積まずとも皇帝の親衛隊に抜擢されやすくなる。

 公権力は強大な素養の持ち主を放ってはおかないからだ。

 当然、莫大な報酬が支払われる。

 彼女の両親――甲州の父と当時の浮気相手――は『静穏』を課した。どこからか連れて来た剣士を使って人殺しの術も覚えさせた。

 翡翠はその名の通り石のような少女へと成長した。


 それを変えたのは後に義弟となった甲州だった。


 初めは義務感だった。

 当時の翡翠は皇帝お付きの親衛隊を目指していた。義弟であるとは言え不良少年を放置すれば世間体に関わる。

 彼女は義務感で甲州の振る舞いを咎め、彼を矯正しようとした。

 両親の死後は保護者役も務めた。

 彼を好いていたからではない。

 彼より成熟していたから、そうせざるをえないことを知っていたから、そうした。


 少しずつ、彼の向ける怒りに耐えられなくなって来た。

 こんなに優しくしているのにその口の利き方は何、と。

 私だってあなたのことなんか嫌いだ、と。

 彼女の『静穏』はかき乱された。


 そんなことなど知りもせず、居場所を失った甲州は声を荒げ、翡翠の言葉に噛みついた。

 この鋼鉄女、マネキン女、と罵られた。

 家族の振りなんかしやがって、と怒声を浴びせられた。

 翡翠の『静穏』は大いにかき乱された。殺してやろうかとさえ思った。


 やがてそれは――――痒みを伴う快楽へと変わった。

 

 人を『変える』ことに病みつきになる者は少なくない。

 自分の教えを授けたり、自分の嗜好を流行させるといった『教化』には快楽が伴うからだ。


 狩峰翡翠かりみねひすいは逆だった。


 とうに押し殺したはずの怒りや悲しみといった感情を心の奥底から引っ張りだされそうになる、その衝動がたまらなく心地良かった。

 甲州に怒りを向けられれば向けられるほど、翡翠は己も感情を昂ぶらせ、爆発寸前の恍惚に身悶えした。


 静穏の湖をかき混ぜられ、波を立てられる被虐。

 自分を変性させられる快感。

 その相手が義弟だという倒錯。


 やがて翡翠は甲州の矯正を願わなくなっていた。

 もっともっと荒んでほしいとさえ思った。

 意図的に彼の神経を逆撫でするようになった。





 だから彼の師父を殺めた。


 氷の刃を、水の刃に偽装して。





 いつかこの話をしたら甲州はどれほどの憤怒を自分に向けるだろうか。

 それはどれほど自分の『静穏』をかき乱すだろう。

 もしかしたら自分は――――甲州風に言えば――――『ブチ切れて』しまうかも知れない。


(……!!)


 想像した瞬間、不埒な感情が彼女の脳を甘く焼く。

 ほう、と熱い熱い吐息が漏れる。


 翡翠はぬめる唾液を舌に絡ませ、吐息で乾いた唇をなぞる。

 湿り気を帯びているのは貞淑を装う唇だけではなかった。


(……)


 蛇のごとく舌なめずりした翡翠は再び退屈な『静穏』へと戻る。

 まるで白昼夢の中で殺人を犯した時のようにすっきりした気分だった。


「おお、らっっ!!」


「くっ!」


 甲州が地を蹴り、黒蛇が放たれる気配。

 義弟は決して翡翠を憎んではいない。

 彼女へ向かいかける黒蛇を甲州はさりげなく焼き殺している。


 翡翠は髭面の男に向き直る。


「静穏の快力オルゴン


 辺りを包む氷が厚みを増し、デラウエアをより厳重に凍てつかせる。


「待て。いいか、このまま殺し合っても」


 傭兵の表情に絶望が過ぎった。

 無理もない。彼の目論見は崩れ去った。


 自力では氷の戒めを解くことができないから第三者の乱入にすべてを託す。

 やぶれかぶれの行動でしかないが、なるほど最も生存確率が高い。

 だがそれが何だと言うのか。

 1%の生存確率が3%になろうと同じだ。


「くっ!」


 会話が通じないと悟ったのか、髭面の男は凍り付いた片脚を必死に動かそうとしている。

 冷静そのものであった表情を歪めて、必死に。

 必死さだけでどうにかなるほど現実は甘くない。


 翡翠は日本刀の切っ先を傭兵へと向け、周囲に屹立する肉切り包丁に囁く。


「断ち切りなさい。……獄門恋花フロストギロチン


 しゃあああっ、と垂直に立つ刃が走り出す。


 見る見るうちに髭面の男に迫る。

 彼は目を見開き、迫る死の予感に青ざめた。


「おっ、おおおおおおっっっっ!!!!」


 だん、だだ、だ、だん、と数発の銃声。

 凍結した脚に弾丸がめり込み、ひび割れ、そして――――




 ぼきりと折れる。

 続いて側転。




 デラウエアは片足を犠牲に無数の氷刃をかわしきった。

 凍り付いた脚の断面から血は流れていない。

 だが痺れるような痛みはあった。


「……!」


 翡翠はなおも静穏を保つ。

 かくなる上は






 










 紅島甲州べにしまこうしゅうはブラックマンバの雨の隙間にその音を聞いた。

 文字にすれば「えぐぶべっ」としか形容できない、醜い悲鳴。

 男の声であれば気にも留めなかっただろう。

 だがそれは女のものだった。


 振り返り、絶句する。

 

「――――!?」


 どす黒い紫に顔面を変色させ、狩峰翡翠が大量の血を噴いている。

 彼女は刀を支えに粘ることすらできず、どさりとその場に崩れ落ちた。


「ひっ、翡翠ッッッ!!!」


 焼き損ねたブラックマンバが手足に噛みつく。

 だが快力オルゴンで強化された甲州の肉体はその程度の傷を受け付けない。

 全身に蛇を噛みつかせたまま、彼は地に伏せる義姉へ駆け寄った。


「翡翠っ! おい翡翠っ!!」


 死に顔はあまりにも惨めだった。

 信じられないという顔で息絶えた義姉は眼球までもが血に濡れている。


 甲州も翡翠もあずかり知らないことではあったが、物理魔法の種別を問わずあらゆる『攻撃』を軽減する快力オルゴンも『病魔』の類は防げない。

 つまり『毒』には無力だった。


「ひす――――」


 死んでいた。

 セーラー服に羽兜をつけた義姉の肉体はまだ温かいが、それは海に沈んだ松明に残る名残のような熱だった。


(ここだ――――!)


 ロザリオビアンコは急降下する。

 彼女は魔女ナイアガラの復活を知っていた。

 否、彼女が到着した時には既に魔女の砕かれた頭部は復元されていたので、僅かな身じろぎを見逃すことはなかった。


 急降下。

 甲州の不意打ちが当たらない地点に降り立つと、彼女は『準備』を整える。


「――、――」


 魔女は遅延詠唱を続けている。

 自動蘇生によって命を拾った彼女が選んだのは撤退ではなく攻撃だった。


 自暴自棄になっての行動ではない。

 彼は――――自分を殺した傭兵デラウエアを護らなければならないと判断した。 


 ちらと彼を見る。

 氷の上に臥した傭兵と目が合う。


「……」

「……」


 命を奪われる直前、彼の手の平にはこう書かれていた。


 『俺が勝ち残ってお前を蘇らせる』と。


 それからこうも書かれていた。

 ――――『全員で生き残る方法がある』と。


 だからナイアガラは傭兵を助けた。

 魔女と異なり、現状を打破する明確な方法を閃いた彼をむざむざ死なせるまいと思って。

 多くの死者は復活すると同時に前後数十時間分の記憶を失っていることがほとんどだ。

 肉体は蘇生すれば済む話だが、記憶は復元できない。


 大魔法を放たなかったのは傭兵のみに守護魔法を放つことが難しかったからだ。

 真上を飛ぶ少女の視線を魔女は感じていた。

 彼女に気づかれることなく、的確に傭兵の敵を葬るには遅延詠唱しか手段は無かった。


 ナイアガラの判断と行動は合理的だった。

 だがそれは――――裏目に出た。


(また……やってしまったか……)


 黒服の少女に近づいた赤髪の少年。

 彼の全身からありえないほどの『何か』が漏れ出している。

 空飛ぶ少女にも、髭面の男にも感じられないが、唯一魔女だけが感じることのできる『何か』。


 それがこの場の全員に死をもたらすことを魔女は既に悟っていた。


(すまんの、髭……)


 傭兵デラウエアが見出した光明は、おそらく自分が最後まで勝ち残ることでしか為し得ない細道だったのだろう。

 だがそれももう終わりだ。

 自分が殺す相手を間違えたお陰で。


 どうして、自分はこうも間違った道ばかり選んでしまうのだろう。

 そんな嘆息が千の魔法を知る女の唇から漏れた。


(……人心は難しいのぅ、ジンよ)


 魔女ナイアガラは最後に願った。

 誰かがあの傭兵の遺志を継いでくれることを。

 それから残った時間で――――友の無事を願うことにした。













 紅島甲州べにしまこうしゅうの胸にぽっかりと穴が開く。



 次の瞬間、その奥の奥からマグマのごとき感情がせり上がる。

 せり上がり、爆発する。


「オ、ア、ぐっ……!」


 ほんの一瞬、彼は苦しんだ。

 脳の許容量を超えた感情を前に肉体が最後の抵抗を示したのだった。


 だがすぐに憤怒の炎が彼を包んだ。

 これまで感じたこともないほど不快な――――悲哀を忘れるための濃い炎が。




「オ、ォォォォォアアアアアッッッッ!!!!!」 

 



 絶叫と共に五つの火災旋風が巻き起こる。

 石を吸い込み、塵を舞い上げ、地上数百メートルにまで達する火炎の竜巻がうねり、轟音を上げ、大気を焼いた。

 快力オルゴンを失った翡翠がまずそこへ吸い込まれ、数秒もせず炭化する。


 うねる五つの火災旋風はとぐろを巻くような動きと共に五つの方角へ放たれる。

 発生から移動開始までに要した時間は僅か3秒だった。


「……ッッ!!」


 ロザリオビアンコが逃げ遅れる。

 翼の半分が燃やされ、顔の半分が焼け爛れる。


「ッッ!!」


 魔女が詠唱を止め、他の二人より数十秒早く魔力逆流によって命を落とす。

 因果を成立させなかったことによる報いは、しかし、地獄の火炎よりも遥かに優しくナイアガラの命を奪った。


「……!!」


 迫りくる爆炎の壁を前に片脚を失った傭兵は目を見開く。








 オリヴァー・"デラウエア"・マイヤーズは戦場を知っていた。

 弾丸飛び交う廃屋。

 臓物の飛び散った石壁

 悲鳴。

 怒号。

 たたたた、という絶え間ない銃声。


 秒速数百メートルにも達する火炎の渦を前に、彼は知る。

 自分は「戦争」の上澄みしか知らなかったのだと。


 彼は生まれて初めて死の恐怖を、蹂躙される恐怖を知る。






 眼球が溶け、鼻の粘膜が焼ける。

 髪が燃え、肌が焼ける。

 火勢によって肉は抉られ、衣服は肌に焼け付き、気道を通った火炎が肺を燃やす。

 肺から心臓へ引火した炎が血液をも焼き尽くす。


「――――、――――!」


 断末魔もろとも炎に呑まれ、オリヴァー・"デラウエア"・マイヤーズは彼が葬った者たちの待つ地獄へ落ちる。


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