第8話 STAGE4


 突如として世界を照らした火災旋風。

 立ち昇る黒煙を目の当たりにした鎧武者は中空で急停止した。

 その佇まいは燃える故郷を呆然と眺める無力な男のようにも見える。


 コクピットの夜坂北光よるさかほっこうはすぐさま怒鳴った。


「ミュスカデ!」


『こちらへ向かって来ていた場合、回避不能』


 無機質に告げた黄緑色のドレスの少女は指で目元を拭う。

 涙らしきものが光った。


『最後に聞いてください北光。実は私、お腹の中にあなたの赤ちゃんが――』


「こちらへ『向かって来ていた』場合?」


 鸚鵡おうむ返すと、電子の少女は頷いた。


『反応、既に消失しています』


「はあ?! あのデカイのがそんな急に……。……マジか」


 モニターを見やった北光は青々とした空を見つめていた。

 かなり離れた位置ではあったが、先ほどまで四方に拡散せんとしていた火炎竜巻は跡形もなく消失している。

 黒煙だけは今なおもうもうと立ち昇っており、天へ吸い込まれていた。

 

記録レコードは残っています。幻の類ではありません』


「……」


 北光は慄然とする。

 あれが『魔法』。


 火炎を飛ばすとか、氷を飛ばすとか、その程度なら対処のしようがある。

 だがあのような天災に等しい現象を引き起こされてしまったら。

 火災旋風。竜巻。落雷。吹雪。地震。

 とてもじゃないが――――銀氷天では太刀打ちできない。

 

(何をうぬぼれてたんだ、俺は……)


 自分を優勝候補だと勘違いしていた北光は方針の転換を迫られた。

 魔法相手に一人では立ち向かえない。

 協力者を確保しなければならない、と。


(問題は誰と組むかだ……)


 このゲームの厄介なところは、最後に勝ち残った二者それぞれに死者蘇生の権利が付与されること。

 『元の世界に戻れるのは生き残った二人だけ』なのだから、蘇生された人間と勝者との合計数が二を上回っていたら、当然殺し合いは再開されるはず。


 仮に北光があのRPGのメンバーの誰かと手を組んだとして、生き残ったそいつは間違いなく『仲間』の一人を蘇生させる。

 北光はその必要が無いので権利を放棄する。

 結果、二対一の状況が生まれてしまう。


 首尾よく北光一人が勝ち抜けばその懸念は無いのだが、何せ戦場は広い。

 北光が誰かを殺している間に別のどこかで誰かが誰かを殺し、二人の勝者が決まる、なんてことも十分にあり得る。

 このケースでも『仲間』を蘇生され、北光が一人窮地に立たされるおそれがある。


 これを防ぐためには孤軍奮闘している誰かと手を組み、群れている奴を優先的に狙うしかない。


 あの火災旋風はおそらく魔女の仕業だろう。

 あれを討つ名目で誰かと休戦するのが現状における最善だ。

 仮に協力者が志半ばで斃れ、生き残った北光と『群れている奴』の誰か一人が勝ち残るとする。

 その状況なら北光は協力者を蘇生し、二体二の状況に持ち込むことができるだろう。帰還者は二人なので北光と『誰か』の間には協力関係が成立する。


 一人で動いている奴は誰だ。


 あの髭面の男。

 学生服の少年。

 気弱そうな子供。

 それに空を飛ぶ少女。


(っと。仲間割れしてる奴も居たな)


 制服の上に鎧を着た連中の中には独りで動いている奴が居るかも知



 警告音。


 遅れて、ミュスカデの声。











 ロザリオビアンコが意識の水槽へ着水した。

 力なく手足を投げ出し、彼女は水槽の底へと沈んでいく。


 はっと振り返ったオレンジマスカットは暗い意識の海中を漂う相棒の姿を目の当たりにする。

 髪は縮れ、顔は焼けただれ、コウモリの翼が焦げている。


 ロザ、と。

 彼女の口から一塊の泡が立ち昇る。返事は無い。


(死……! いや)


 ロザリオビアンコは死んだようにぐったりしていたが、オムは知っている。

 精神は死なない。死ぬのは肉体と魂だけだ。

 おそらくロザは死を錯覚するほどのダメージを負ったのだ。

 ならば考えるべきは彼女の精神の救助ではなく、彼女の肉体の救助。

 すなわち自分自身の肉体の救助。


 ぽこぽこと意識の水面へ向かう泡に追いつき、オレンジマスカットは『表』へ飛び出す。




 飛び出した瞬間、全身を重力に引っ張られていることに気づく。

 激痛は――――ともすればショック死を引き起こすほどのものだった。


「く、ぐ、あああっっっ!!!」


 巨蜂の牙でズタズタに引き裂かれてもこれほどの激痛を感じることはないだろう。

 いや、いっそズタズタにされた方がマシだ。

 殺意を持たない火炎によってオムの肉体は滅茶苦茶に痛めつけられている。


「うっ……! ……っ!」


 かろうじてだが、オムは気を失わずに済んだ。

 傷ついた相棒を護らんとする強い意思が彼女の底力を呼び起こした。


 真っ逆さまに落下していたオレンジマスカットは傷ついた七色の羽で力強く羽ばたき、弧を描いて地面すれすれを飛ぶ。

 羽が損傷しているせいか、時折彼女の足は地面に打ち付けられた。


 酷い有り様だった。

 花弁で作られたドレスは見るも無残に焼け焦げ、今なおあちこちが黒ずみつつある。

 つるつるした肌もあちこちが焼けただれ、髪も半分ほど焦げているのが分かった。


 だがあの災厄をこの程度の傷でくぐり抜けられたのは奇跡だ、とオムは考える。


 彼女はロザの目を通して見ていた。

 天へ届かんとしてうねる火炎の竜巻。

 消し飛ぶ命。

 悲鳴に近い絶叫を上げる少年。

 そして必殺のボムを放つロザリオビアンコの姿。


 オムの『ブレイズカーネーション』と違い、ロザのボム『三十一次元殺』は発動中、一時的に外界からの刺激を遮断する効果がある。

 これによってロザは次元の薄皮を一枚隔てた場所を飛翔し、灼熱の地獄からかろうじて逃げ遂せることができたのだった。

 だがそれでも、重篤なダメージは免れ得なかった。

 ロザリオビアンコは火災旋風から十分に距離を取っていたが、その余波だけでこれほどの重傷を負ってしまったのだろう。


 オレンジマスカットは嵐を察知したオニヤンマのごとく東へ東へと飛ぶ。


 ぜえ、ひい、ふいい、と。

 オムは乱れに乱れた己の呼吸を自覚する。

 まるで山犬のそれだ。


 未だ凶悪な熱を孕んだ大気は揺らいで見える。

 呼吸をすれば肺が焦げ、肌には常時針が突き刺さるようだ。


 今必要なのは――――水。


 水。


 水。


 ――水。


 ――――水!


 オムはただひたすらに水のことを考えた。

 水の匂いを嗅ぎ、水の気配を探り、水の在り処を求めた。


 初めに逃げた北の森なら水場があったはずだが、遠すぎる。

 草地を求めるオムは空をジグザグに飛び、古城のある方角へと向かった。


 猛烈な勢いで空を飛ぶ彼女の視界は青一色だった。

 荒野を越え、僅かばかりの草むらを越え、そして濁った沼を見つけると、安心したかのようにそこへ墜落する。


 水柱が上がる。

 激痛。

 だがそれ以上の快感。

 じゅわあっと全身の傷口に籠る熱が奪い取られ、後には疼痛だけが残る。


(……!!)


 決して清らかな水ではなかったが、それも水には違いない。

 宙返り。平泳ぎ。横回転。

 彼女は愛しい水の中で思うさま低温を楽しむ。


 他の誰かが水場を求めているかも知れないなどとは考えもせずに。







 








 髭面の男は焼け焦げた髑髏と化して空の彼方へ消えた。

 狩峰翡翠ひすいを殺めた魔女は火災旋風に飲み込まれ、跡形もなく消し飛んだ。

 当の翡翠も、毛髪一本残さず業火に消えた。


 だが紅島甲州べにしまこうしゅうの怒りは収まらない。


 噴火した活火山がなおも大量のマグマを溜め込むように。

 紅島甲州べにしまこうしゅうの怒りは収まらない。


 肩口で燃えていた焔はすっかり消えていたが、代わりに彼の毛髪が明るいオレンジの光沢を帯びていた。

 燃えているのは大気ではなく彼の魂であり、感情だった。

 感情は肉体に宿る。

 本来、体外で使い手の肉体を覆う憤激の快力オルゴンが今や彼の内部から漏れ出していた。


 グルルル、と。 

 狼の唸るような声を発し、甲州は喪失の痛みに悶える。


 あの『神』とかいうヤツの言葉を信じるのであれば、自分が勝ち抜くことで翡翠を蘇らせることはできる。

 そうなれば結果として彼は何も失わずに済む。

 来た時と同じ状態で元の世界へ戻ることができる。


 だが彼女を蘇らせたところで現実は変わらない。

 彼は義姉を死なせてしまった。

 目の前で義姉をむざむざと殺されてしまった甲州の記憶は消せない。


 喪失感。

 そんな言葉を思い浮かべるが、いや違う、と彼は己の感情を否定する。

 彼は翡翠を疎ましく思っていた。だからこれは喪失感ではない。


 では何だ。

 敗北感か、屈辱感か。

 敗けたわけではない。敵はすべて焼き殺した。

 屈辱? 俺は傷一つ受けていない。


 ごるるる、と。

 一際不快そうな声が喉から漏れた。

 

 彼は己の感情を過不足なく表現できる言葉を探したが、それは見つからなかった。

 新たな不快感が彼の炎へくべられる。

 オレンジ色の光沢を帯びた赤髪が脈打つかのように揺れ、風に靡く。


 膝をつき、崩れ落ちることができれば炭化して一生を終えることもできただろう。

 だが彼の魂はそれを許さない。

 すべての感情は――――表現されなければならない。

 言葉で表現できないのなら、肉体で。



 終わることなき憤激に苛まれながら、火炎の魔人と化した紅島甲州べにしまこうしゅうが歩き出す。















 ナイアガラはあれほど強大な魔法を放てただろうか。

 放てたとして、あんなにも無造作に辺りを焼き尽くすだろうか。


(……)


 ジンファンデルは廃村の中を一定の速度で走る。

 人の気配は全く感じられない。


 かしゃ、かしゃ、かしゃ、と全身甲冑の音が続く。

 水色の鎧に身を包んだ姫騎士シュナン・ブランが彼の後に続いていた。

 その後ろには鍔広帽の剣客リースリングが続く。


「あの炎、ナイアガラの仕業だと思いますか、ジン」


「違う気がするな」


 その言葉はシュナンの耳に「気がするなァ」と聞こえた。

 間延びした、緊張感の薄い声。

 以前の彼女なら怒鳴り散らしていただろう。


「火を使う奴は他にも居ただろ」


「あいや。赤髪の少年か」


 ああ、とジンは足を止めずに答える。

 

「あいつ気ィ短そうだったからな。ブチ切れたんじゃないかな」


「ブチ切れただけであの規模? あんなの……大魔法すら超えてるでしょう?」


 シュナンの問いにジンは首を振る。

 違う、ではなく、分からない、の所作。

 

「重要なのは」


 ジンは歩みをやや緩めた。

 シュナンとリースの速度も同じだけ緩められる。

 三人は緩急をつけ、休みなく進軍していた。


 進路は火災旋風の起きた東の方角。

 遠目に様子を見ることができれば北進し、森で水場を確保する予定だった。

 

「ナイアガラが生きてるかどうかだ」


「……」


 シュナン・ブランとリースリングは顔を見合わせる。


 この状況でナイアガラが居ないのはあまりにも痛手だった。

 何せリースリングとシュナン・ブランは魔法の類を一切使えず、かろうじて魔法らしいものを扱えるジンファンデルは魔力が底を尽いている。

 この三人は今や「ちょっと暴力に長けた三人組」でしかない。


 いや、ちょっとではないか、と姫騎士は考え直す。

 ちょうどその時、ははっという笑い声が上がった。


「あいや。思い出してしまうな、初めの頃を」


「お。そうだな」


 ジンもまた口元に笑みを浮かべている。


「最初はこの三人だったもんな」


「思えば遠くに来たな、ジン」


「ははっ。違えねぇ。まさか世界越えちまうとはな」


「記念に名前でも刻むかね、そこらの建物に」


「まーた『勇者一行、また不祥事』って記事が出ちまうだろ、やめろよ」


「『また』ではなく『今季五度目の』不祥事だな」


「その内四回はあんたの仕業だろうが、リースリング」


 はははっ、と二人は愉快そうに笑う。


 カルガネガが消滅し、ナイアガラが生死不明の状況でこの態度。

 だがシュナンは知っている。

 彼らは不謹慎なのではない。

 彼らにとって「人の死」は日常なのだ。


 酒場の芸人であったジンファンデルはしばしば旅行者に袋叩きにされ、身ぐるみ剥がされていた。

 勝てると踏めば喧嘩も殺しもやり、死者の衣服を剥ぎ取り、髪や骨をバラして売り飛ばすこともあったという。

 投げ込まれた一枚の銀貨を巡って暴漢と殺し合うことも少なくなかったらしい。

 剣客リースリングは度を超える正義感と派手な出で立ちが災いし、ひっきりなしに決闘を繰り返していた。

 決闘なのだから敗けた方は死ぬ。死ねば身内が彼を怨む。

 彼は絶えず暗殺の脅威に晒されていた。


 ジンとリースは「死」を笑う。

 いつ己の身にそれが訪れても良いように笑うのだ、とシュナンは勝手に解釈している。


「あの頃はシュナンがクソの役にも立たなかったからな~」


「で、あるな」


「どこかのドラゴンに焼き殺されなかったのは誰の『鎧』のお陰だったか忘れたの?」


 水色だったシュナンの全身甲冑が桜色へと変わる。

 彼女の甲冑は王家に伝わる秘宝の一つで、防御力こそ低いがある種の属性攻撃を完全に無効化する性質を持っている。

 桜色なら火炎を、鼠色なら物理攻撃を、といった具合に。


(……)


 彼女は鎧を水色に戻した。

 無効化するのは当然――――


「あいや!」


 しゃあ、と剣が鞘を走る。

 リースリングの掴んだ突剣が早くも廃屋の一つへ向けられている。


「そこに居るのは誰だね!」


 ジンが長剣をくるくると回し、肩に乗せる。

 シュナンもまた槍斧を掲げた。


 誰からともなく息を呑む。


 もし。

 もしこの場であの「水の男」に出くわしたら最期だ。

 いや彼だけではない。

 他の誰かに出くわしたとしても、勝てる見込みは決して高くないだろう。


 シュナン・ブランは客観的に自分たちの姿を見ることができた。

 おそらく自分たちはこの『殺し合い』に巻き込まれた者たちの中で、下から数えた方が早い程度に弱い。

 空飛ぶゴーレムも、闘技場で仲間割れしていた年若い戦士たちも、彼女達にとっては脅威以外の何物でもない。

 魔女ナイアガラと不死身のカルガネガが揃ってようやく五分だ。

 居なくなった今は――――


(……)


 ジンとリースリングが視線を交わす。

 更にジンがシュナンに頷き、指をさりげなく動かした。


 俺は右から。

 リースは左から。

 姫様は動くな。出て来たらやれ。


「……」


 首肯を返す。

 この間わずか二秒。


 そろそろと毛皮のコートの勇者が右へ。

 剣客が左へ。




「待ってください」


 


 聞こえたのは若い男の声だった。

 姿を見せたのはジンやシュナンの文明レベルでは考えられないほど端正な衣服に身を包んだ男。

 糸目で、どことなく学者然とした出で立ちをしている。


「動くな」

「動かれるな」

「動かないで」


 三人は同時に声を投げた。

 糸目の男は細身だったが、足運びが明らかに素人のそれではなかった。

 三人はそれぞれの見地から男の危険性を吟味し、警戒を選択した。


「動きません」


 両手を上げた若い男はその場で目を閉じる。


「動きませんから、話を聞いていただきたい」


「……シュナン、リース」


 ジンの一言で姫騎士と剣客は若い男に切っ先を突き付ける。

 身体を検めた勇者は彼が武器を持たないことと、その肉体こそが武器であるという事実を知る。

 整った衣服の下には岩を思わせる筋肉の感触があった。


(何つう身体してやがるんだ、こいつ……)


 彼がその気になれば三人のうち二人は仕留めることができるだろう。

 糸目の男の恐るべき肉体を前に、ジンは話し合いの余地を見出す。


稲穂秋鈴いなほしゅうれいと申します」


 糸目の男はそう名乗り、ジン、リース、シュナンの三人を順に見た。

 そこには文明レベルに劣る者を見下すような色は無い。

 さりとて敬意があるようにも見えなかった。


「ジンだ。そっちはリース、シュナン」


 鍔広帽を取ったリースリングは優雅に会釈し、かしゃんと淑やかに鎧を鳴らしたシュナンは得物を横に向ける。

 

「協力を申し出たいのです」


 糸目の男は切羽詰まっているようだった。


「共に――――彼を殺していただきたい」


 ジンファンデルは眉を上げる。


 彼の発言に、ではなく。

 遥か遠くで噴き上がった水の刃に。

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