Star!! Naomi side(5)

 ステージの上で日菜子と手を繋ぐと同時に、なお美は激しい頭痛に襲われた。意識が飛びそうになる。だが「ヤバい」と思ったのも一瞬のことで、痛みはすぐ嘘のように治まった。大音量で間奏が流れ続け、観客もなお美たちの様子を不審がっている様子は見えない。

(ひなこちゃんはどうなった!?)

 日菜子の方を見ようとした瞬間、なお美は違和感を覚えた。ついさっきまで、なお美は左手で日菜子の右手を握っていた。だが今、なお美は右手で誰かの左手を握っている。なお美はゆっくりと右に顔を向け、手を繋いでいる人物を見る。

 長い黒髪の少女が、両目を大きく開いてこちらを見ていた。『西村日菜子』の顔だ。なお美がこの3ヶ月、演じてきた人間の顔だ。ということは、ということは……。

 日菜子が見る見る笑顔になっていく。きっと自分も同じ表情をしているのだろうと思いながら、なお美は日菜子に抱き着いた。

(そうだ、ひなこちゃんはあたしよりずっと背が高くて、こんなに華奢なんだった)

 数十秒前までは自分の体だったのに、他人の体になるとまた感じ方が違うものなのだなあ……となお美は奇妙な感動を覚えた。

 しかし、いつまでも抱き合ってはいられない。間奏は終わりに近付いている。なお美は日菜子と顔を見合わせた。

「二番、行きましょう」

 日菜子が耳元でささやいてくる。

「うん!」

 なお美がうなずくと、二人はお互いの手を離し、再び歌い始めた。なお美はなお美の声で、日菜子は日菜子の声で。


 二人で「わたしだけのメロディ」を歌い終え一息つくと、日菜子は観客に叫んだ。

「特別ゲスト、声優の羽後なお美さんでーす!」

 五万人の拍手に包まれ、なお美は深く頭を下げた。きっと拍手をしているファンたちの誰も、直前まで自分が歓声を送っていた『日菜子』がなお美だったとは思いもしていない。

(だけど、それでいい。あたし自身がアイドルになりたいわけじゃないんだから)

 なお美は笑って、観客たちに礼を言う。

「ありがとうございまーす! 羽後なお美でございます!」

「雑誌の対談記事をご覧下さった方はご存知かと思いますが、羽後さんは私の憧れの人なんです。『魔法の歌姫 リズメロディ』という私の大好きな作品で、主人公の音山律ちゃんを演じられていて……」

 丁寧になお美のことを紹介してくれる日菜子を見て、眩しいと思った。病気に冒されているとは外から見てもわからない。けれど、『日菜子』の体で生活したなお美にはわかる。彼女がどれだけ苦しいか、どれだけの恐怖と戦ってきたか。

 もう代わってやることはできないが、彼女のためにできることは他にきっとあるはずだ。きっと……。


 日菜子と二人で話したいことは山ほどあるが、大観衆の前ではそういうわけにもいかない。当たり障りのないトークを数分続けた後で、なお美は退場することになった。

「それでは、羽後なお美さんでした! ありがとうございましたー!」

 日菜子の声に続いて、拍手が起こる。客席に向かって礼をした後、なお美は日菜子の視線に気が付いた。話したいことを必死に我慢しているのは日菜子も同じなのだろう、今にも泣きだしそうな顔をしている。

「ありがとうございました! ひなこちゃん、また一緒にお仕事しようね、必ず!」

「……ふぁい!」

 ギリギリで涙を流すのをこらえた日菜子を見て苦笑しながら、なお美はステージから降りた。


 なお美が控室に戻ると、真っ先に与謝野が声をかけてきた。

「羽後さん、お疲れ様でした!」

「いやあ、本当に疲れました……って、わかるんですか与謝野さん」

 少し声のトーンを抑えてたずねる。なお美と日菜子本人はともかく、他人から見ても二人が元に戻ったことは確実には把握できないはずだ。与謝野はやや小さな声で言った。

「羽後さんの動きに、途中から若さが感じられなくなりましたので」

 なお美は無言で与謝野の頬を軽くビンタした。

「痛い!」

「失礼な!」

「すいません、表現が悪かったです! けど、動きでなんとなくわかったのは本当ですよ。日菜子のことも、羽後さんのこともずっと見てきたんですから、私は。なんとなく、でわかるんです」

「それはどうも!」

 別に大して怒ってはいないが、なお美は不機嫌に言ってやった。もっと言い方を考えろと思う。

「……羽後さん、あなたに言わなくてはいけないことがあります」

「えっ?」

 急に与謝野の声色が変わったのでなお美は驚いた。真剣な顔をしている。黙って与謝野の次の台詞を待つ。周囲で動き回っているスタッフたちの視線も気にならなかった。

「私は、正直なところ羽後さんの仕事を自分が関わっている芸能界の仕事よりも一段低く見ていました。口では羽後さんをプロだプロだと持ち上げておきながらね。でも、なんというか……羽後さんと過ごすうちに、そうじゃないんだと思うようになりました。結局、我々のやっていることは同じなのだと。上も下も無いのだと。……申し訳ありませんでした」

 与謝野が深く頭を下げてくる。なお美は全身の力が抜けるのを感じた。

「なんですか、それぇ~。今言うことですかぁ~?」

「それだけじゃないですよ!」

 与謝野はなお美に向き直る。

「羽後さんは今フリーですよね。我々の事務所に来るお気持ちはありませんか」

「えっ!」

「まだ先行きは不透明ですが、声優業界への進出を社長に進言しているところです。しかし、一から声優を育成するのは難しい。どうか羽後さんの力を貸していただけませんか。……私はまた一緒に羽後さんと仕事がしたいですよ」

「……」

 なお美は少し考えた後、言った。

「それは遠回しなプロポーズと受け取っていいんでしょうか」

「な、何を血迷ったことを言ってるんです!」

「冗談ですよ。……とりあえず時間を下さい。ゆっくり考えてみますから。あ、せっかく元に戻ったんだから堂々とお酒が飲めますね! 今度飲みに行ってその辺のことも話しますか」

「いいですよ、それでも」

 与謝野が笑う。モニターから歓声が聞こえたので、なお美たちはそちらを見た。咲月が再びステージに登場したところだった。咲月もきっと日菜子が元の体に戻っていることに気が付いているだろう。本当のハニハニのライブが始まるのはこれからだ。

 今はとにかくこのライブを最後まで見届けよう、となお美は思った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る