Star!! Hinako side(4)

 6月某日。ドーム球場でハニハニ最後にして最大のライブの幕が開こうとしていた。


 大勢のスタッフが慌ただしく走り回る中、日菜子はゲストの『羽後なお美』としておとなしく控室で待機していた。『なお美』が登場するのは10曲目だ。咲月が単独で2曲歌った後、いったんステージから引っ込んでいた『日菜子』が『なお美』と一緒に「魔法の歌姫 リズメロディ」のオープニング曲を歌いながら出て行くことになる。その後は『日菜子』と『なお美』のトークもある。

 果たして本当にこのライブで元の体に戻ることができるのだろうか。不安は尽きない。かと言って、他に方法も思いつかない。与謝野の立てた作戦に乗るしかないのだ。

 だが今後の不安がある一方で、日菜子は興奮も覚えていた。憧れのなお美と「リズメロディ」の曲をステージで歌うことができるなんて! お互いの人格が入れ替わった状態なのが残念ではあるが、子どもの頃の夢が形を変えて叶うことになるのだ。そして、もし歌っている最中に元の体に戻ることに成功すれば、完全な形で夢が実現することになる。

(でもこんなことになったのも、人格入れ替わりがあったからで……あれ?)

 混乱してきた。深呼吸をして心を落ち着かせる。

「大丈夫ですか、『羽後さん』」

 与謝野が声をかけてきた。スタッフの目があるため『羽後さん』と呼ぶ。

「ええ、なんとか」

 与謝野は周囲を見回して近くにスタッフがいないことを確認すると小声で、

「日菜子はこういう舞台に慣れているし、大して心配していないんだ。やはり羽後さんがなあ。さっき話してきたが、ガチガチに緊張していたよ」

「ははは。私もお話してきましたけど、そうでしたね」

「『リズメロディ』の最終回でもこれくらいの人数の前でライブしたでしょ羽後さん、と言ってやったら、アニメと現実をごっちゃにするなって怒られた」

「あははははは! ……あれ? 与謝野さん『リズメロディ』見たんですか?」

 日菜子がそう言うと与謝野は苦笑して、

「『あたしとひなこちゃんにとって大事な作品なんだから見ろ!』って、強制的にDVDを全巻渡されたよ。1週間かけて全50話を見ましたとも」

「律儀!」

「実際、いいお話だと思ったよ。今の状況といろいろかぶるしな。最終回でりっちゃんが引退ライブをするところなんて、まさに」

 声帯に障害を持った小学生・律は魔法の力で大人の姿と美しい歌声を得て人気アイドル『大和ねいろ』として活躍する。だが、魔法の力は1年間という期限付きの契約だった。魔法の力が失われる最後の日、引退ライブを行って律は小学生に戻る。

「……りっちゃんは声を出すことができない。だから魔法が切れてしまうと、自分の力だけでアイドルになることはできない」

「……」

 与謝野は日菜子の言葉を黙って聞いてくれていた。

「それでもアイドルとして1年間活動することで、歌に関わって生きていきたいという思いを強くして……障害があってもできること、作詞家になりたいって夢を見つけますよね」

「うん」

「私も……」

 そのとき、大音量が響いた。日菜子も与謝野も周囲のスタッフも、ステージの様子を映すモニターを見る。暗闇の中で1曲目のイントロと五万人の歓声、そして咲月と『日菜子』の歌声が聞こえてくる。やがてライトに照らされたステージに二人が現れた。咲月は青、『日菜子』は赤と、それぞれのイメージカラーを基調にした露出が多めの衣装に身を包んでいる。二人は歌いながら、ゆっくりとステージの中央部へと歩いていく。『日菜子』は足取りも歌声もしっかりしていた。なお美は問題なくやれている。日菜子は胸をなでおろした。

 観客席からの声援にも耳を澄ませてみると、二人の名を呼ぶ声に混じって、「おかえりー!」「待ってたよー!」という声が聞こえてきた。

 日菜子は反射的に口を両手で押さえた。

(ありがとう、ありがとう、ごめんね……! もう少しだから、待っててね……!)

 叫び出しそうになるのを理性で止める。与謝野に肩を叩かれた。

「泣くのはまだ早い。しっかりしろよ。みんながお前を待っている」

 日菜子は何度もうなずいた。


 1曲目を歌い終えた後のMCで、なお美は『日菜子』として約3か月の活動休止により心配をかけたことをファンに謝罪した。事前に日菜子が考えた文章を完全に暗記したうえで、感情を込め、ところどころアドリブを入れて笑いも取る、完璧なものだった。

 その後の曲では打ち合わせ通り、『日菜子』はあまり激しく動かず歌に専念し、その分咲月がキレのあるダンスを披露する。関係者席から見ているであろう日菜子の両親も納得してくれるのではないか、と日菜子は思った。

 7曲目まで終えたところで、二人はいったんステージから退場した。その間、ステージ中央に設置された大型スクリーンでは、ハニハニのこれまでの活動を振り返る映像が流されている。ちなみにナレーションを担当しているのは小泉ともである。人格入れ替わりの事実を知らされた繋がりもあって、ちゃっかり仕事も手に入れたのだ。

「お疲れさーん!」

 元気な声とともに、汗だくになった咲月が控室へ入ってきた。日菜子と目が合うと、近付いて声をかけてくる。

「『羽後さん』、この後はよろしくお願いします」

「……はい、こちらこそお願いします」

 お互いその言葉だけで充分だった。

「ほらほら、咲月ちゃん、早くこっちで着替えて!」

 部屋の外からスタイリストが咲月を呼ぶ声がする。

「今行きます!」

 咲月はそう叫ぶと、日菜子に小さく手を振って出て行った。入れ違いになお美が入って来た。

「『羽後さん』、私たちももう着替えておきましょう」

「はい」

 返事をした日菜子は『日菜子』の顔を見た。さすがに疲れが表情に出ているな、と思った。


 女性スタッフに手伝ってもらいながら、日菜子となお美はステージ用の衣装に着替えていた。二人とも「魔法の歌姫 リズメロディ」の最終回で主人公・律が着たものに似せたお揃いの衣装である。白がメインで、天使をイメージしている。初めてのコスプレなので、日菜子は少し気恥ずかしさを覚えた。それでも、今日は最後までこの衣装で歌うと決めている。

 着替えが終わると、日菜子はモニターを見た。ステージの上では、着物を着た咲月が演歌を熱唱している。会場は異様な盛り上がりを見せていた。二人がそれぞれソロで担当する時間は、「とにかく自分が好きなことをしよう」をコンセプトに企画された、という形を取っている。声優の『羽後なお美』のゲスト出演を自然に見せるため、与謝野が考えたのだ。

「咲月ちゃんノリノリだねえ」

 女性スタッフが退室して二人だけになったので、なお美が話しかけてきた。

「子供の頃から好きだったみたいですよ、演歌。もしアイドルや女優でパッとしなかったら、挑戦するかもしれなかったって言ってました」

「はー、意外だ。ダンスも凄いし、なんでもできる子なんだねえ」

 なお美は気の抜けたような声で感心している。

「なお美さん、緊張は解けました?」

「あ? ああ、うん。始まって無我夢中でやってみたら、意外となんとかなるもんだね。自然と声が出てくる感じ。みっちり練習した甲斐があったってもんよ」

「良かった……」

「だけど、もう正直いっぱいいっぱいだよ。そりゃ最後の曲まで一応頭に入ってはいるけどさ、限界近いぜー」

 どこまで本気なのか、いたずらっぽく笑う。

「だから、ひなこちゃん。あたしは次で全部出し尽くして、なんとしても元の体に戻って、ひなこちゃんにバトンタッチする。やっぱりこのステージに立つべきは、ひなこちゃんだと思うから」

「……はい!」

 日菜子は覚悟を決めて返事をした。


 咲月の歌の終わりが近付き、日菜子となお美は準備に入った。スタッフの誘導により移動する。歌が終わる。照明が消える。しばらく沈黙が続いた後、二人が立つ場所がステージへとせり上がっていく。日菜子はマイクを強く握りしめた。

 歓声が聞こえ始める。暗闇の中、日菜子はうっすら見える『日菜子』の姿をしたなお美と視線を絡めた。なお美が歯を見せて笑う。日菜子自身に励まされたように思えた。

 会場が見渡せる位置まで上昇し、いくつもの赤いサイリウムが視界に入る。同時に、割れんばかりの歓声が聞こえてくる。ステージまで上がりきった瞬間、幼い頃から何度も繰り返し聴いたイントロが流れてきた。羽後なお美が音山律の変身後の姿である「大和ねいろ」名義でリリースした、「魔法の歌姫 リズメロディ」オープニング曲「わたしだけのメロディ」。イントロはわずか数秒しかなく、サビから始まる。歌い出しが肝心だ。日菜子はなお美と手の平を合わせた。


「聞こえるかな 風のリズムに乗って  今だけでいい 魔法の歌声で

あなたに伝えたいの わたしの夢を わたしだけのメロディで」


二人の手が離れた。一段と歓声が大きくなった。そして、赤一色だった光が日菜子たちの衣装を見たからか、すぐに白へと切り替わる。

(あなたたち、よく訓練されてるね!)

 嬉しくて声をあげたかったが、そんな余裕は無い。『なお美』の声で日菜子は歌う。


「あなたがくれたハッピー ずっとずっと胸に隠してたけど そろそろ返さなきゃだね」


 続けて、『日菜子』の声でなお美が歌う。


「笑顔のリボン結んで  スキといっしょに 何倍ものサイズにしてね」


 一瞬見つめ合った後、二人で歌う。


「隣にいても 離れていても そんなの関係ないよ」


 日菜子は事務所でのなお美との会話を思い出していた。2週間前のことだ。

「それでこそ私の尊敬するなお美さんです! なお美さんならできます! 私が太鼓判を押します!」

「あははは、ありがとう。……でも、ライブを最後にして、そろそろ元の体に戻りたいよね、本当に。ひなこちゃんもそうでしょ?」

「はい! ……元の体に戻って、病気も治したら、どうしてもやりたいことがあるんです、私」

「なになに?」

「……ずっと黙ってましたけど、私、小学生の頃なお美さんにファンレター書いたんですよ」

「えっ! 知らなかった。言ってくれれば良かったのに。まあ、言われてもなにもできないけどさー」

「なんだか恥ずかしくて」

「そっかあ。あの頃は女の子から沢山ファンレターもらってたなあ。返事を書く暇は無かったけど、全部読んで、大事に保管してるからね」

「知ってます。なお美さんのご実家にお邪魔した時、お母さんが見せてくれましたから」

「あら」

「その時、私が書いたファンレターを読んだんです。それで思い出したんです、子どもの頃の私の夢を。りっちゃんみたいなアイドルになって、なお美さんと一緒に歌うんだって」

「……もう叶ってるじゃない。すごいっ!」

「へへへ。でも、それだけじゃないんです。もう一つ、夢が書いてあったんです。それは今でも、私の夢です」

「……」

「私、やっぱり声優になりたいです。病気を治して、元気になって、一から勉強して、声優になって、今度は逃げ出さずに、なお美さんと一緒にお仕事したいです」


 私は私に戻りたい。西村日菜子に戻って、西村日菜子として、西村日菜子の運命と戦って勝つ。勝って生きて生きて生きて生きて生きて、夢を全部叶えてやるっ! 生きてる間に、笑っちゃうくらい、余すところ無くっ!


「聞こえるかな 星のリズムに乗って 今だからこそ 魔法の歌声で

あなたに届けたいの わたしの想い わたしだけのメロディで」


 歌いながら自然と二人は手を繋ぐ。その瞬間、日菜子は強烈な眩暈を感じた。


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