Star!! Naomi side(4)
『いよお、最近はどうかね。ひなこちゃんとしては』
「いきなりだなあ」
夜10時過ぎにかかってきた電話になお美が出ると、小泉ともの元気な声が聴こえてきた。
『そろそろライブまで1ヶ月だし、どうしてるのかなーと思ってさ』
「ぼちぼちやっておりますよ」
なお美はベッドに寝転がったまま答えた。
ハニハニの6月のドームでのライブ開催、そしてそれまでの西村日菜子の休養が発表されると、マスコミは一斉に報道した。ハニハニがライブを最後に活動休止することはまだ正式に発表されていないが、そう推測しているネット上の反応は多かった。まあ誰でも想像つくよな、となお美は思う。さすがに人格入れ替わりが絡んでいることまでは想像つかないだろうが……。
芸能活動は止まっても、それ以前に収録した番組や撮影した雑誌は時間差で世に出ることになる。日菜子となお美の対談記事が掲載された『FULL MOON』5月号も発売された。日菜子の露出が少なくなったせいで需要が高まったのか、創刊以来最高の発行部数を記録したという。おかげで声優・羽後なお美の名前も売れたかもしれないが、呑気に喜んでいられる状況でもない。日菜子もハニハニのライブに集中する必要があるため、『羽後なお美』もまた声優としての活動を休止することにしたのである。
「ともちゃん、ありがとうね。協力してくれて」
『ん? 気にしなくていいよ。乗りかかった船だもの』
表向きは『なお美』が体調を崩したことにして、なお美とともに相談しながら関係各所に日菜子から連絡をしたのだ。大半の関係者は心配してくれたようだが、厳しい言葉をかけられることもあり、日菜子はなかなか精神的に苦しかったと言っていた。
『でも、もし与謝野理論通りにうまくいって元の体に戻れたとしても、ウゴウゴその後が大変だよ。わかってると思うけどさ』
ともが心配するような声色になった。
「……うん」
当然、すでに決まっていた『羽後なお美』の仕事は全てキャンセルすることになった。アフレコ逃亡事件に加えて長期の活動休止は、ただでさえ事務所に所属しておらず仕事が安定していない『羽後なお美』にとっては大きな痛手になる。信頼を取り戻すには相当な時間がかかるだろう。
「そのことを考えるたびに憂鬱になるね、正直」
『そっか』
「でも、すぐに頭を切り替えるようにしてる。今は自分の体に戻ることが最優先事項だからね」
『そうそう、そうだよウゴウゴ。私はまたウゴウゴと同じ現場で仕事したいよ。私と同じこと思ってくれてる人、他にも沢山いるはずだよ!』
「あんたはあたしに注意したいのか励ましたいのか……」
『両方だよ!』
なお美は苦笑した。同業者の中に何でも話せる親友がいるありがたみを痛感する。
ライブの準備だけに集中できる状況は、なお美としては好都合だった。他の仕事や学校で『日菜子』として気を遣わずに済むし、体にもそこまで負担がかからない。じっくりと打ち合わせをする日々が続いた。
一方、日菜子は『羽後なお美』として登場する出番について覚える必要があるのに加え、その後もし元の体に戻れた時はそのままステージに残ることになる。特別ゲストである『羽後なお美』としての表向きの準備とは別に、与謝野と咲月を加えた人格入れ替わりを知るメンバーだけでの打ち合わせも密かに行われていた。
いまやハニハニの看板を一人で背負う咲月は以前にも増して忙しそうだった。『日菜子』が休養に入っても、仕事量はそこまで減っていないという。基本的にライブの打ち合わせは咲月の仕事の合間に行われることになる。一時的にハニハニの担当から外されていた与謝野も咲月の担当に戻り、サポートに回っている。
「咲月ちゃん、大変だよね本当に……申し訳ない」
ライブを2週間後に控えた5月末、事務所の会議室での打ち合わせを終えると、なお美は咲月に言った。咲月は疲れた様子も見せず、
「まあ、大変は大変ですけどね。ここまで忙しいのも今だけやと思うから、踏ん張りますわ。ハニハニの活動がライブで一段落したら、アイドル的な仕事は減らすつもりなんで」
「そうなの?」
初耳だ。
「ええ、本格的に女優でやっていこうと事務所とも話はできてるんです。元々子役やったうちにしたら、本職に戻るような感覚なんですけどね」
「アイドルから一線を引いた後、女優として大成した人は多くいます。本人の希望もあり、咲月も女優路線で進もうかと」
与謝野が言った。事務所と本人の思惑が一致したということか。いいことだな、となお美は思う。
「じゃあ未来の大女優のアイドル時代最後のライブだねえ。これはますます、伝説のライブになる感がバリバリじゃないの」
「はっはっは、やめてくださいよ羽後さん」
咲月が笑う。ライブの打ち合わせを重ねるにつれ、最初はぎこちなかった彼女との関係も、随分良くなった。咲月がなお美に対して複雑な感情を抱いていることは感じるが、その中にはプロの声優に対する敬意も含まれている、はずだ。
日菜子は黙って笑顔でなお美たちを見ている。こうして打ち合わせをする時間も、もう限られている。ライブで元の体に戻ることができてもできなくても、『西村日菜子』は治療に専念することになる……。
「咲月、そろそろ次の仕事に行くぞ」
与謝野の声でなお美は我に返った。
「はーい。それじゃあね、ひなこ、羽後さん」
そう言うと、咲月は与謝野の手を取って会議室を出て行こうとする。
「お、おい……」
咲月に手を握られたまま引っ張られる与謝野が軽く動揺しているようだ。焦ったような表情でなお美の方を見てくる。
「じゃあね、咲月ちゃん。がんばってきてね」
そんな与謝野を意に介さず、なお美は二人に向けて手を振った。日菜子もにこやかに笑っている。咲月と与謝野が退室すると、日菜子が話しかけてきた。
「なお美さん、妬かないんですか?」
「はぁ?」
「咲月ちゃんと与謝野さん、仲良さそうじゃないですか」
「……アイドルとマネージャーなんだし仲が良いのは悪いことじゃないでしょ」
「ふうん」
「だいたい、与謝野さんが自分の担当するアイドルとどうにかなるわけないじゃない」
「へえ」
「なんでニヤニヤしてんの!」
「深い意味はありませんよう」
日菜子は満面の笑みを浮かべている。
(今日はずっと笑っているな、この娘)
『なお美』の顔で笑うものだから、不思議な気持ちになる。鏡の中にいるもう一人の自分が笑いかけてくるような……。
「ライブが近付いてきてますけど、緊張してます?」
唐突に話題が変わる。
「そりゃもちろん。あたしもライブとかイベントとかは経験あるけど、文字通りお客さんの桁が違うもん。五万人とかでしょ? 逃げ出したいくらいだよ」
なお美は素直に胸の内を明かした。
「そうですか……」
「……ひなこちゃんがアフレコ現場から逃げたって初めて聞いたとき、その気持ちがよくわからなかった。アフレコで緊張するのは新人の頃を思い出せば理解できるけど、ひなこちゃんはアイドルとしていろんな修羅場を経験してるわけじゃない。それくらい乗り越えられるんじゃないかと思ってた。でも、今はなんとなくわかるよ。逃げ出した気持ち」
日菜子の視線を感じながら、なお美は続ける。
「その場で求められている自分と、実際の自分が違うんだ。これはきつい。五万人のお客さんがひなこちゃんを求めているのに、あたしは姿や声はともかく、中身は羽後なお美なんだ。それを想像すると、怖いね。手とか震えるもん。もしもひなこちゃんと入れ替わってすぐにライブだったら、とても無理だったよ」
「ええ、そう思います。でも、今は違いますよね?」
「うん」
なお美ははっきりと言った。
「いろんなことがあって、みんなの力も借りて、ライブの間くらいだったらどうにかこうにかひなこちゃんを演じきれる自信はある。おかげ様でね」
「それでこそ私の尊敬するなお美さんです! なお美さんならできます! 私が太鼓判を押します!」
「あははは、ありがとう。……でも、ライブを最後にして、そろそろ元の体に戻りたいよね、本当に。ひなこちゃんもそうでしょ?」
「はい! ……元の体に戻って、病気も治したら、どうしてもやりたいことがあるんです、私」
「なになに?」
日菜子の答えは、堂々としたものだった。
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