Star!! Naomi side(3)

「ライブ。ライブですかー」

 なお美は思わず声を出した。様々なことが頭に浮かぶ。この『日菜子』の体はライブに耐えられるのか。なお美が『日菜子』として何曲もの歌詞や振り付けを覚える必要があるのではないか。そんなことができるのか。『日菜子』の体を心配する両親は芸能活動を続けることに納得するのか。

 与謝野がなお美に向かって言う。

「羽後さんが不安そうな顔をするのもわかりますよ。私が今考えていることを説明しましょう」

 いったん言葉を切り、他の三人を見回す。

「もともと、6月にハニハニはドームでライブをする予定だったんです。キャンセルはしていませんので、それを利用します。羽後さんに『日菜子』としてステージに立ってもらいたい。そして企画コーナーかなにかで日菜子に『羽後なお美』としてゲストで登場してもらえばいい。そこで気持ちを盛り上げ、やってみるしかないでしょう」

「……このひなこちゃんの体は耐えられると思いますか。それに、ひなこちゃんのご両親が芸能活動を続けることに納得するかどうか」

 なお美は不安要素を口にした。与謝野は落ち着いた調子で答える。

「どっちも大事な問題です。両方なんとかする方法は1つしかないと思います。すなわち、これから『西村日菜子』としての仕事は一切行わず、6月のライブの準備のみに集中する。そして、それを最後に芸能活動を終了し、治療に専念する」

 隣で日菜子が息を呑むのがわかった。

「そこが落としどころだと思います。……日菜子、咲月、羽後さん、どうですか」

 与謝野がまっすぐなお美たちを見つめてくる。口調は冷静だが、相当考えた末の言葉であることは想像がつく。

「うちは異論ありませんけど、最終的にはひなこが決めることだと思います」

 咲月がよく通る声で言った。

「あたしも同じ気持ちです」

 なお美も続いた。今『日菜子』の体はなお美のものとはいえ、やはり日菜子自身の思いを尊重したかった。

 その場にいる全員の視線が日菜子に集まった。

「……私は、元の体に戻りたい。保証なんてないけど、一か八か賭けてみたいです。それに、心配してくれているファンの人たちのためにも、最後にライブやりたいです」

 日菜子は力強く言った。


「ダメよ、ダメ! 絶対にダメ! ママは許しません!」

 リビングに日菜子の母の声が響き渡った。

 その日の夜、日菜子の家のリビングで日菜子の両親と与謝野、咲月、そして『日菜子』であるなお美が向き合っていた。ライブについての話を出したところである。『羽後なお美』がこの場にいるのはいくらなんでも不自然であるため、日菜子は小泉ともと一緒になお美のマンションに戻っている。両親を説得できるのか、なお美たちからの知らせを待っているはずだ。だが、雲行きは怪しかった。

「この間日菜子が倒れた時から何度も言っているはずです。これまでは日菜子がやりたいことを好きにやらせてあげようと思っていました。でも、もう潮時だと思いますよ、私は。もう無理をさせることはできない」

 日菜子の父は落ち着いた様子で言う。

「ですから先ほども申し上げましたように、決して無理はさせません。ライブ準備以外の仕事は全て断りますし、ライブ自体も激しいダンスは咲月に任せて、体に負担はかけないようにいたします。それでハニハニとしての活動は最後に……」

「与謝野さん、きれいごとはいいですよ、もう」

 与謝野の言葉を日菜子の父が遮った。

「ライブが中止となれば、大変な額の損失が出るでしょう。それがハニハニの解散ライブとなれば一転、大きな話題になる。事務所としては日菜子で最後に一稼ぎしようと考えているだけなんじゃないんですか」

 与謝野の顔が青ざめるのをなお美は見た。

「私はお金なんてどうだっていい。娘の夢だから芸能活動を許してきただけで……」

「それはこっちも一緒ですよ、お父さん! お金なんて今となってはどうでもいいんだ! もっと、もっと大事なことがあるんですよ! そのために日菜子には、ハニハニにはライブが必要なんだ!」

 与謝野が声を荒げた。なお美と咲月は顔を見合わせる。与謝野にしては珍しい。日菜子の父親もひるんだようだった。

「……日菜子の体よりも大事なことなんて、ありません」

 日菜子の母がポツリとつぶやいた。四人の視線が彼女に集まる。

「日菜子はもう充分がんばりましたよ。立派なアイドルじゃない。夢なんてとっくに叶ってるじゃない」

 徐々に声が大きくなっていく。

「だから、日菜子を返してください! 私たちの娘を! どれだけ時間が残されているのか、わからないんですよ!」

 やがて彼女はなお美をまっすぐ見て言う。

「もう休もうよ日菜子。これ以上体に負担をかけることなんてない。パパとママと、家族でゆっくり過ごしましょう……」

 正しい。正しすぎるぐらい正しい、となお美は思った。同時に、自分の両親のことも頭に浮かんだ。この強烈な親の愛に勝てるのか……?

(勝てない。あたしが『羽後なお美』である限りは)

 日菜子の両親に対抗することができるのは『西村日菜子』だけだ。しかし日菜子本人はこの場にいない。ならば、『日菜子』を演じるしかない。しかも演じると言っても、これまでのような探り探りの演技は通用しない。真正面から日菜子の両親へ言葉を届ける必要がある。

(大丈夫、あたしにはできるはず)

 人格が入れ替わってから、わずかな期間ながらも『日菜子』として過ごした。病室で日菜子の叫びを聞いた。電話越しに日菜子の決意を聞いた。それだけ材料があれば、『日菜子』を自分の中に作り上げることができる。そして作った『日菜子』に全てを任せるのだ。

 与謝野と咲月は黙ってなお美を見ている。なお美は口を開いた。

「パパ、ママ。私、パパとママの子どもで本当に良かったって思ってる。大切にしてくれて感謝してるし、幸せなことだと思う」

「だったら!」

 日菜子の母が口を挟もうとしたが、なお美はそれを手で制して言葉を続けた。

「でもね、もう私はそれだけじゃないの。根っこの部分はパパとママでできていても、私を形成しているのはもう、それだけじゃない。出会った人たちだったり、ハニハニのお仕事だったり、読んだ本だったり、見たアニメだったり、いろんなことを通して得たものが、私の一部になってるの」

 なお美はそこでいったん間を置くと両親を見た。父も母も、辛そうな、違った思いも含まれているような、複雑な表情をしている。こんな顔をいつか見た気がする。……そうだ、声優になりたいと告げた時のなお美の両親の顔だ。そんな思考をしている自分に気が付き、なお美はすぐに意識を切り替えた。再び『日菜子』へと戻る。

「ここでハニハニをやめちゃったら、私が私でなくなっちゃうの。それにはまだ早い。まだ早いの。お願いだから、最後のライブはやらせてください。私が、私として生きるために」

 スタジオでの日菜子の様子を思い出しながら、なお美はゆっくりと力強く発声した。


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