Star!! Hinako side(2)
「いくよ、ひなこちゃん」
「は、はい!」
ジャージを着た日菜子は10メートル離れた位置に立つなお美に対して返事をすると、腰を落として身構えた。けっこうな衝撃を受け止めなければいけないからである。
「おおおおっ!」
叫びながら、同じくジャージ姿の『日菜子』が、日菜子へと突進してくる。やはり本能的に逃げ出したくなるが、必死にこらえる。体がぶつかる瞬間、目を閉じてしまった。同時に衝撃によって弾き飛ばされてしまう。
「きゃあっ!」
「ぐえっ」
悲鳴をあげ、日菜子となお美はマットの上に転がった。
「あいたたた……」
当然だが、痛い。日菜子は腰をさすりながら立ち上がった。同じように転がっているなお美を抱え起こす。
「なお美さん、大丈夫ですか」
「まあ、なんとか。……やっぱり元に戻ってないよね」
「ええ……」
残念ながら実験は失敗のようだ。
「ぶはははは! 痛くなかったですか羽後さん! 『ぐえっ』って汚い声が出てましたが。ぶふっ、ぶはははは」
大笑いしながら与謝野が近付いてくる。なお美の悲鳴が笑いのツボに入ったようだった。
「笑いながら心配するのやめてもらえませんかね!」
なお美がムッとしている。仲良くケンカしてるなあ、と日菜子は思った。与謝野が笑うところを見るのは久しぶりな気がする。
カラオケ店で再開した翌日、日菜子たち五人はハニハニがレッスンでよく使用していたスタジオに集まっていた。二人が元の体に戻るために、できるだけのことをやってみることになったのだ。真っ先に日菜子たちが考えたのは、人格が入れ替わった時と同じような衝撃を与えてみることだった。人格入れ替わりものの定番である。
「そううまくはいかへんみたいやな」
横で見ていた咲月が声をかけてきた。
「アニメや漫画みたいには、なかなかねえ」
日菜子はため息をついた。いくらお互いが元の体に戻る決意をしても、実際に戻れなければ意味が無い。
「何度もやってみるか? それか、入れ替わった時と同じように階段から落ちてみるとか」
「アリだとは思うんだけど、危ないよねえ。それに、なお美さんの体が……正確には私の体なんだけど……心配だし。無理はしない方がいい気がする」
言いながら、日菜子はなお美の方を見た。与謝野と小泉ともにからかわれ、怒っている。元気そうに見えるが、退院したばかりで決して楽ではないはずなのだ。自分の体のことだから、日菜子にはよくわかる。
「さて、ちょっと聞いてください、皆さん。衝撃を与えても元に戻れなかったとなると、違う方向からのアプローチを考えてみる必要があるかもしれません」
与謝野の呼びかけに、四人が注目する。与謝野はキャスター付きのホワイトボードを移動させてくると、日菜子たちをその場に座らせた。
「我々は、羽後さんと日菜子が一緒に階段から落ちた衝撃で入れ替わった、という物理的な側面にばかり気が向いていたのではないかと思うのです。その時の二人の精神状態であるとか、もっと心理的、内面的なものが人格入れ替わりにとって重要な要素なのではないかと私はこの間からなんとなく考え始めたのです」
「なんか先生みたいですね、与謝野さん」
なお美が茶々を入れる。
「昔、塾講師のアルバイトをやってましたんで。……今はどうだっていいんですよ、そんなことは!」
与謝野は咳払いをすると日菜子となお美に向かって、
「日菜子、羽後さん。愉快なものではないと思いますが、入れ替わる直前の精神状態を話してくれませんか。私はだいたいのところを聞いてはいますが、一応もう一度、確認の意味で」
「ええ。じゃあ、私から……」
日菜子はそう言うと、なお美を見た。なお美がうなずくのを確認し、日菜子は口を開いた。
「あの日、ずっと憧れだったなお美さんとお会いして、お話もできて、すごく興奮していたんです、私。だけど控室に戻った途端、急に発作が起きて、苦しくなって……。それまでずっと治まっていたのに、よりによってなんで今って、泣きたい気持ちになりました。天国から一気に地獄に引きずりおろされた気分というか。有頂天になっているときに、どうにもならない自分の体を実感すると……ね」
時間が経って、『なお美』として様々な体験をして、日菜子は当時の自分の心理を冷静に分析することができている。淡々と続ける。
「死にたくない。死んでたまるか。なんでもいいから生きたい。そんな気持ちでいっぱいだったと思います」
「日菜子……」
隣に座る咲月が呟く。咲月には昨日、日菜子の体のことを全て話した。自分のために泣いてくれたパートナーのことを、日菜子は以前にも増して愛おしく思う。
「私はそんなところです。なお美さんは?」
努めて明るい声で、日菜子はなお美に話を振った。なお美は少し間を置くと、
「あたしは……あたしは、あの対談の直前までストレスが溜まってたんだと思います。今後が不安でね。フリーになって、仕事もだんだん減ってきていたし。で、ひなこちゃんとの対談でちょっと元気になったと思ったら、この人ですよ。この人が対談の後で余計なことを言ってきてねえ……」
そう言って、与謝野を指差す。与謝野が困った顔をする。
「ひなこちゃん主演の劇場用アニメに協力してくれないか、みたいなことを言ってきたんですよ」
「いい話じゃん」
小泉ともの言葉になお美は、
「そう。冷静に考えるといい話なのよ。でも、そのときのあたしは冷静でいられなかった。あたしがヒイヒイ言いながら苦労して仕事を取ってるのに、大手芸能事務所のアイドルは難なく専門外である声優の仕事を手に入れるんかーい! ってね。逆ギレ気味に感情が爆発しちゃった。ストレス溜まってたのもあるでしょうね。死にたい死にたいって、そんなことを思っちゃった」
「そんなことが……」
日菜子は全く知らなかった。劇場用アニメの話も、当時のなお美の心情も。
「ああ、ひなこちゃんは気にしないでね。あたしが勝手に動揺しただけなんだから」
「え、ええ」
なお美が気遣ってくれる。そうだ、今はそれどころではない。
「えー、いいですか皆さん。これで二人の精神状態が当時どのようなものだったかおわかりいただいたかと思います」
そう言って、与謝野はペンでホワイトボードに『日菜子 生きたい』と書き込むと、下に向けて矢印を引っ張った。さらに下方に次は『羽後 死にたい』と書くと、今度は上に向けて矢印を加える。そして2つの矢印がぶつかる場所に『二人の思惑の一致』と書き、
「病気に冒された日菜子はもっと生きたいと願った。健康な羽後さんは死にたいと望んだ。つまり、その瞬間に日菜子と羽後さんの思惑が一致していたわけです。そこに、ふらついた日菜子が羽後さんと一緒に階段から落ちる身体的接触という条件が加わることで、人格の入れ替わりが発生したのではないかと。あくまで仮説ですがね」
離れた位置に『身体的接触』とホワイトボードに書き込む。
「昔の特撮ヒーロー番組で、二人の人間が一人のヒーローに変身するものがあります。それを思い出して、なんとなく考えたんですよ」
「与謝野さん、アニメはよく知らないくせに特撮に詳しいんですね」
またなお美が茶々を入れる。
「子供の頃は再放送をよく見ていたものです。……だから今はそんなことはどうでもいいんですって!」
「あのう、でもそれだとおかしくないですか」
日菜子はおずおずと手を挙げて言った。
「私もなお美さんも、今はお互いの体に戻りたいって思っています。だからさっき二人で体をぶつけあったときも、『思惑の一致』と『体の接触』っていう与謝野さんのおっしゃる条件は2つとも満たしていると思うんです。なのに、さっきは元に戻れなかったわけで……」
「いい質問ですねえ」
与謝野が楽しそうに言った。
「それ言ってみたかったんやろ、与謝野さん」
咲月が間髪を入れずつっこんだ。
「一度は言ってみたかったんだ。まあ、それはともかく。日菜子の言う通り、さっきの体のぶつけ合いでも元に戻れなかった。だが、人格が入れ替わった時とさっきで二人の精神状態を比べてみると、違うところがある。全く同じ条件下ではなかったと思うんだ」
「どういうことです」
なお美の問いに対し与謝野は落ち着いて答える。
「人格入れ替わりが発生した時、日菜子は久しぶりに起きた発作で動揺していた。羽後さんは私との会話がきっかけで動揺していた。それに対して、さっきは二人とも比較的落ち着いていた。何かが足りないとすれば、『瞬間的な気持ちの高ぶり』じゃないかと思う。『勢い』と言ってもいい。単に思惑が一致するだけでなく、もっと元の体に戻りたいという二人の気持ちを盛り上げることが必要条件なんじゃないかと思うんだ」
日菜子たち四人は顔を見合わせた。瞬間的な気持ちの高ぶり……。
「それは、そうかもしれません。でも、具体的にどうやって……」
日菜子がそう言うと、与謝野は当然のように答えた。
「そりゃアイドルの気持ちが盛り上がる状況と言ったら、ライブしかないだろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます