迷走Mind Naomi side(5)

「リズメロディで主演してから勢いに乗ったわけですね」

「ええ。それまでの仕事量が嘘みたいにバンバン仕事が入ってきましたねぇ。アルバイトも辞めて、やっと声優専業で食べていける目途がついたんです。一番充実してた時期じゃないかな」

 なお美は口元が緩むのを自覚した。あの頃は本当に楽しかった。全てがうまく回っていた……。

 病室のベッドの上で、脇に座る与謝野を聞き役にこれまでのことを振り返る。

「25歳から27歳ごろまでかな。とっても忙しくて大変でもありましたけど、その頃できた繋がりがあるから今でもいろんな仕事で声をかけてもらえてると思うんですよね。そのきっかけは、やっぱりリズメロディで評価していただいたのが大きいわけで。いくら感謝しても足りませんよ、リズメロディには」

「なろほどねえ。羽後さんの人生も変えた作品であるわけだ」

 与謝野がそう言ってうなずいた。『羽後さんの人生も』という言葉には、日菜子の人生もリズメロディによって変わったというニュアンスが含まれているのだろう。

「しかし、27歳ごろまでということは、それ以降はどうだったんですか。確かフリーになったのは3年前でしたよね。フリーになるまで2年ほどある計算になりますが」

「うっ。そこを突きますか」

 与謝野の言葉になお美はわざとらしく動揺してみせた。実際は、その期間のことも話すつもりでいた。どうせ触れないわけにはいかないのだ。

「与謝野さんも薄々わかってるんじゃないですか。『tetraぽっぷ』ですよ」

「やっぱりそうでしたか」

 与謝野が笑った。

「あたしの仕事が安定してきたころ、同じ事務所に所属する女性声優でユニットを組ませようという話が出てきたんですよね。アイドル的な売り方をしようと。あたしにも白羽の矢が立っちゃって……」

「乗り気じゃなかったんですか」

「そのころもう27ですよ、あたし。いや、例えもっと若かったとしても、自分のルックスは自覚しています。声優補正があったとしてもアイドルって顔じゃないっすよ。元々無理だったんすよ」

「なんかやさぐれている……」

「すみませんね! ……あたしには向いてないと思いつつ、結局断りきれなかったんですよね、アイドル的な売り出し方を。心のどこかで、やってみたい気持ちがあったのかもしれません。同期の小泉ともが成功しているのを見て、対抗意識みたいなものもあったのかな」

 なお美は当時の気持ちを思い出す。なお美の仕事は随分増えたにも関わらず、ともはまだまだ前を行っている、と感じていた。声優としての仕事量はほぼ追いついたが、ともはそれに加えてアーティスト活動も順調だった。ともと自分は違うのだと頭では理解していながら、焦りがあったように思う。おかげで自分が本当にやりたいことを見失っていた……。

「ユニットを組んでいる間は、そっちが忙しくてね。声優の仕事をセーブすることもありましたよ。なんか、本末転倒な気もしますけど。本職の与謝野さんからすると滑稽じゃないですか? いい歳した声優がアイドルの真似事をするってのは」

 与謝野は複雑な表情で、

「そこまでは言いませんが、羽後さんたちのユニットはそもそも意識もしていませんでしたね」

「あらあら」

「ただ、最近はとても無視できるような状況ではありませんよ。こうもランキングを席巻されるとね。普通のアイドルに比べると人気が持続するのが凄いな、と思いますよ。30代も半ばになってもアイドル的な人気を保っている声優さんがいるでしょ」

「いらっしゃいますねえ。ごく一部ですが」

「参りますねえ。あと、羽後さんもおっしゃっていたキャラソンですか。架空のアイドルが歌う曲も売れてますよね。ああいうのは、キャラクターが歳を取らないというのもあるんでしょうね……。いつまでも10代ですものね」

「歌ってる声優はきっちり歳を取っていきますけどね」

「ははは」

 苦笑する与謝野を横目に、なお美は話を戻した。

「で、そのユニット活動が忙しくなったおかげであたし、父親の最期に立ち会えなかったんですよ」

「えっ」

 与謝野が目を見張った。

「病気のことは知っていたけど、そこまで体調は悪くないと聞いていたし、あまり気にしていなかったんですよ。忙しくて、余裕無かったしね。そしたら、イベントだレコーディングだとバタバタしている間に容態が急変しちゃって……母親からの連絡もなかなかあたしまで届かなくてね。亡くなった2日後にやっと実家に戻れたくらいで」

 その時のことを思い出すのは辛い。どれだけ後悔したことか……。与謝野は黙ってなお美の言葉を待っている。

「それからなんとなく事務所とぎくしゃくしちゃったんですよね。結局『tetraぽっぷ』がパッとしなくて活動休止することも決まったし、それを機にフリーになったんです。もう少しマイペースで仕事しようって。それが三年前」

「そうだったんですか……」

 なお美は『日菜子』の長い髪をかき上げながら、

「でも、わからないものですね。こうしてひなこちゃんと入れ替わって、またアイドルやることになった結果、『tetraぽっぷ』の活動が多少なりとも役立った。どうにかこうにか1週間アイドルやれたのは、そのおかげだと思います。なんでも経験してみるものですねぇ」

「……」

「……でも、それももう終わりかな」

 アイドルとしての『西村日菜子』を演じるのは、体調や両親の意向からしてもう不可能だろう。これからどうするべきか。日菜子が戻ってこなければ、このまま一人の少女としてできる限り生きるしかないか……?

 ふと、手に温もりを感じた。目をやると、与謝野の手が重ねられていた。

「羽後さん、私にできることがあればなんでも言ってください。私があなたを巻き込んだんですから……」

 こちらをまっすぐ見てくる。なお美は慌てて目を逸らし、

「え? ええ、それじゃあ、それじゃあ……」

「ひなこーっ! 元気かーっ?」

 いきなり病室のドアが開く。なお美も与謝野も急いで手を引っ込めた。咲月がやってきたのだった。


 なお美は咲月に対して『日菜子』を演じながら、他愛のない会話に興じた。咲月は明るく振る舞ってはいるものの、『日菜子』のことを心配してくれているようだ。また、マネージャーが代わった違和感を与謝野に訴えていた。

「あの人あかんわー。無理におもろいことを言おうとして、全然おもんないもん」

「まあそう言ってやるなよ。じきに慣れるさ」

「与謝野さんは戻ってこぉへんの?」

「……わからないな。落ち着いたら社長とも話してみるけどさ」

 与謝野が言葉を濁すのを見て、咲月は不満そうな顔だ。

「さて、それじゃそろそろ帰るよ。咲月はどうする? 良ければ送っていくが」

「ああ、来たばっかやしもうちょっとおるわ。女同士の話もあるし」

「そうか。日菜子に無理はさせるなよ」

「わかってるって」

 咲月がひらひらと手を振る。

「じゃあ、日菜子もゆっくり休めよ。また来るから」

「ええ」

 なお美がうなずくのを確認して、与謝野は部屋を出て行った。

 病室には、なお美と咲月が残される。咲月はすぐに椅子を引き、なお美に近付いてきた。

「ど、どうしたの咲月ちゃん。さっき言ってた女同士の話?」

「あはは、まあそんなところ。いやあ、実はひなこに相談したいことがあんねん。この間から気になっとったんやけど、ひなこが倒れてもうて言い出しにくくて……」

 咲月は恥ずかしそうに笑っている。つられてなお美も笑顔になってしまう。

「なになに? どうしたの?」

「あんた、ひなこちゃうやろ? 誰や?」

 咲月は笑顔のままだった。なお美は血の気が引くのを感じた。


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