迷走Mind Hinako side(5)
仏壇を見て立ち尽くしていた日菜子は、やがて冷静になった。座布団に座り、両手を合わせる。なお美の父親が亡くなっているとは思っていなかった。なお美の年齢を考えると、その父親と言えば60歳前後だろうか。早いことは早いが、そう珍しいことではないのかもしれない。
(帰ってきたのがなお美さんじゃなくてすみません)
心の中で謝ってから、日菜子は目を閉じた。日菜子はこれまで自分の命のことばかり考えて生きてきた。だが、なお美くらいの年齢になれば、親が亡くなることとそろそろ向き合う必要が出てくる時期なのだろう……。
二階にあるなお美の部屋に荷物を置き、部屋の様子を確認していると、すぐになお美の母親から呼ばれた。
「なお美―! 早いけど、お昼ごはん食べよう」
「はーい」
階段を下りて台所に向かうと、コンロの上では鍋に入れられた湯が沸騰していた。
「急に帰ってくるけん、ろくなもんがないよ。冷凍のうどん茹でとるけど、それでええやろ?」
「うん、いいよいいよ、なんでも」
「晩はもうちょっといいもん作ってあげるわ」
「うん」
うどんを茹でる母の背中は、なんとなくウキウキしているように見えた。娘が帰ってきて、やはり嬉しいのだろう。この人とならうまくやっていけるかもしれない、と日菜子は思った。
昼食を終えると、日菜子は再びなお美の部屋で休むことにした。寝台列車では十分な睡眠が取れていないのか、まだ疲労を感じる。ゆっくりしたかった。高校卒業後すぐに上京したというから当然だが、なお美の部屋は生活感が無かった。ときどき実家に帰った際の寝床にしているだけといったところだろうか。本棚にある漫画本がやや古いのが時間の経過を感じさせる。日菜子が母親から借りて読んだ作品もあった。
ごろん、とベッドに横になる。ほとんど衝動的になお美の実家に来てしまったが、これからどうしたものか。ずっとなお美として生きていくということが果たしてできるものなのだろうか。それに現実問題、いつまでもここにいるわけにもいかない。東京のなお美の部屋をそのままにしているからだ。一度は東京へ戻る必要があるだろう……。
様々なことを考えながら、日菜子はいつの間にか眠りに落ちていた。
「なお美、いつまで寝とるん」
「ふぇっ?」
体を揺すられ、日菜子は目を覚ました。なお美の母親が呆れたような顔をして立っている。
「……今、何時?」
「4時過ぎよ」
3時間以上眠っていたのか。思っていたよりも疲れていたのかもしれない。体を起こすと、眠る前には無かったものが視界に入った。段ボール箱が三つ、床に置かれている。
「どうしたの、それ」
「持ってきてあげたんやん」
母が言う。
「なお美が言うてたから、引っ張り出して来たんやけんね。ありがたく思いなさいよ」
「ええと……何、どういうこと?」
話が見えない。日菜子が困惑していると、
「あんたが昔、自分で言ったんでしょ。『もしあたしがいきなり実家に帰ってきて、落ち込んでるような様子だったら、ファンレターを引っ張り出して読ませてほしい』って。リズメロディが終わったころやったっけ? 東京の部屋に置き場所が無くなったからうちに送ってきたやん。それからも読んだファンレターは帰って来るたびに持ってきて追加してたやろ。忘れたんな?」
「……」
「ああ、言っとくけど盗み読んだりしてないけんね。安心しまいよ。……あんた、これだけのファンがいてくれることをありがたく思いなさいよ」
「……うん」
日菜子が呆然としているのを見ると、母はそれ以上何も言わずに部屋を出て行った。残された日菜子はベッドから降り、急いで段ボール箱を開ける。
箱の中は、几帳面に整理されていた。封筒が並んでいる中、ところどころに付箋が貼られている。『20××年』などとボールペンで書かれていた。なお美が年ごとに分けたのだろう。
なお美の母親から段ボール箱の中身を聞いた瞬間、蘇ってくる記憶があった。『リズメロディ』が放送されていた時期、日菜子はなお美にファンレターを書いて送った。小学4年生の頃だ。どんな内容を書いたかは全く覚えていない。いや、ファンレターを書いたこと自体、完全に忘れていた。なお美と対談したときも、頭から抜け落ちていた……。
何かに衝き動かされるように『リズメロディ』放送時期のファンレターの束から日菜子が書いたものを探す。女の子からのものが多いのだろう。封筒はカラフルなものばかりだった。差出人の名前を一つずつ確認していく。
西村日菜子の名前が書かれた白い封筒は、程なくして見つかった。確かに日菜子の書いた字だ。すでに開封されている。なお美は読んでくれたのだろう。少しずつ子供の頃の記憶が蘇ってきた。ファンレターを出したことも、もしかしたら返事がくるかもしれないとワクワクしていたことも、結局返事が返ってこず落胆したことも。もっとも今の日菜子には、ファンレターに返事を書く余裕が当時のなお美には無かったことは理解できる。アイドルになった日菜子自身が、とてもそんなことはできないのだから。人気が出て以後は、なお美宛の数倍の量のファンレターが届き、全てに目を通すことすら難しい。
日菜子は深呼吸した。ファンレターを書いたことはともかく、内容はまだはっきりと思い出せない。震える手で封筒から便箋を取り出した。
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