迷走Mind Naomi side(3)

 羽後なお美が声優という職業を初めて意識したのは、小学1年生の時だった。当時大人気だった少女向けアニメ『流星戦姫スタードレス』をなお美も毎週楽しみに見ていたが、ある日ふと気になったことを母親に質問したのだ。ちょうどアニメ本編が終わり、テレビ画面にはエンディング映像が流れ始めたところだった。エンディングテーマが流れる中をキャラクターが歩いていると同時に、スタッフクレジットが表示されていた。幼いなお美には難しい漢字は理解できなかったが、毎回主要キャラクターの名前と並んで誰かの名前が表示されていることはわかっていたので、

「この人たち、誰なん?」

 と、画面を指差して常々抱いていた疑問を口にした。

「その人たちが星子せいこちゃんたちの声を出しとんよ」

「……どういうこと?」

「ええーっと、声優って言って、声でお芝居するのをお仕事にしてる人たちなんよ。ごめん、お母さんもようわからんわ。とにかく、星子ちゃんの声はその人らが出しとん」

 母親の説明は要領を得なかったが、幼いなお美はなんとなく理解した。

 つまり、テレビ画面の中に入って、スタードレスをやっている人たちがいるのだ。その人たちと同じ仕事に就けば、変身セットや魔法のバトンなんか無くても、なお美もスタードレスになれるのだ。

 それはなお美にとって新しい発見だった。


 なお美が5年生に進級した春、足掛け4年間放送が続いた『スタードレス』が終了した。成長するにつれて友人たちが『スタードレス』から卒業していく中、なお美の『スタードレス』熱は冷めず、最終回まで見届けることになった。

 番組終了を記念していくつかのアニメ雑誌で『スタードレス』の特集が組まれることになり、初めてアニメ雑誌を買った。アニメ雑誌には声優や監督、脚本家や原作者のインタビュー記事が長々と掲載されていた。専門的なことはよくわからなかったが、女性声優たちがキャラクターのちょっとした心の動きまで真剣に考え、演じていたことに感銘を受けた。このインタビュー記事を読んだとき、なお美が漠然と抱いていた思いがはっきりと固まったのを自覚した。

 声優になりたい。

 なお美の通う小学校では5年生以上の生徒は何らかの委員会に所属することが義務付けられていた。なお美は迷わず放送委員会を選択する。


「ずっと放送部でがんばっていたから、なお美はアナウンサーになりたいもんだと思っとった……」

 高校3年生の夏。大学に進学せず、東京にある声優の専門学校を受験したいと相談した時、父親がため息交じりに言った。とても歓迎ムードではなかった。母親には前々から声優になりたいという夢を相談していたが、父親には秘密にしていたのだ。

「とりあえず大学に行くというわけにはいかんのか?」

 父親の提案ももっともだとなお美は思う。学校の成績は悪くない。

「でも、それじゃ遅いんよ! 2年間、2年間だけやらせて下さい! 2年間本気で頑張って、声優の事務所に入れなかったら、あきらめるから!」

 なお美は父親に食ってかかった。父親は地元の信用金庫に勤めている、真面目を絵に描いたような人間だ。声優に理解があるとはとても思えない。勢いで押し切るしかない、となお美は考えていた。

「お父さん、お願いします!」

 普段ろくに会話もしない父親に、こんな時だけ頭を下げるのはいかがなものか。心の片隅で自分につっこみを入れながら、なお美は食卓のテーブルに頭を擦り付けた。

「……お父さんの友達に、役者になった奴がいてな」

「えっ」

 唐突に昔話を始めた父親に驚き、なお美は顔を上げた。

「30歳になる頃までは元気でやってたみたいやけど、今となってはもう連絡もつかん。どこで何をしとるやらわからん。生きとるのかどうかも……」

「……」

「役者になるってことは、そういう可能性もあるってことやからな。普通の人生が送れると考えたらいかんぞ。それでもやりたいって言うんやったら、好きにしなさい。お前の人生なんやから。お父さんは、後押しするだけや」

「……ありがとう、お父さん」

 父親の顔をまともに見られなかった。


 上京し、専門学校でレッスンを受ける日々は、ある意味ではぬるく、ある意味では厳しかった。同級生たちは実力も意識もまさに玉石混交。すぐに授業に出てこなくなる者やアルバイトばかりに精を出す者もいる一方、飛び抜けた実力を持つ者もいた。

 入学時点でのなお美の実力は、客観的に見て同級生の中でまさに平均レベル。放送部で全国大会に進んだ程度のプライドはすぐに捨てた。

(死ぬ気でやらないと、スタートラインに立つ実力すらつかない)

 危機感を抱いたなお美は、「飛び抜けた実力を持つ同級生」……小泉ともに接近し、ある時は教えを請い、ある時は徹底的に技術を盗んだ。当初はなお美を煙たがっていたともも、やがてお互いを高める仲間としてなお美を見てくれるようになったと思う。

 そして2年後、なお美とともはそれぞれ別の声優事務所のオーディションに合格。アフレコ現場での再会を誓った。実家へ報告に帰ると、両親と幼い博人が祝福してくれた。

 これであたしは声優だ。アニメの中の人になるんだ……!


 そううまくはいかなかった。

 声優デビューから4年が過ぎても、端役ばかり。そもそも仕事が回ってくること自体が珍しく、ファミリーレストランのアルバイトで生活費を稼ぐ日々。アルバイト先の同僚たちから声優としての活動を応援されることが力になってはいたが、大学生の同僚たちが次々と就職を機に辞めていくのを見るたびに、何とも言えない気持ちになった。店長から正社員に誘われた時は心が揺らいだ。

 小泉ともはと言えば、デビュー2年目でつかんだ初レギュラー番組が大ヒットし、一躍人気声優としてブレイクした。アーティストとしての活動も軌道に乗っている。一方で、なお美と同時期に事務所へ所属した声優の中には、業界を去る者も現れ始めていた。地元に帰って家業を継ぐと言う男性声優、妊娠が発覚し、結婚をきっかけに今の仕事に見切りをつけるという女性声優。

 なお美は25歳になっていた。

(まだ、あきらめきれない。他の人はどうだっていい。あたし自身が満足できる仕事を、まだ何もやっていない)

 

 『魔法の歌姫 リズメロディ』の主役オーディションについて事務所から知らされたのは、そんな時だった。


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