迷走Mind Hinako side(2)

 夜10時、日菜子は東京駅のホームにいた。貴重品と数日分の着替えを慌てて詰め込んだ旅行カバンを抱え、寝台特急がやってくるのを待つ。


 なお美の実家の住所は、部屋に残されていた宅配便の段ボール箱に貼られていた送り状から運良く知ることができた。それを手掛かりにネットでおおよその経路を調べた。四国は遠く、今夜は休んで明日新幹線で帰ることも考えたが、寝台特急ならすぐに出発すれば乗車でき、明朝には到着することがわかった。

(善は急げ、かな)

 日菜子は手早く準備をすると、なお美の部屋を後にしたのだった。


 椅子に座り、列車を待ちながらホームの様子を観察する。東京駅は夜でも人がごった返している。卒業式が終わっている時期だからか学生らしきグループが多いが、日菜子と同じように一人で列車を待つ人もちらほらといる。

 一人旅なんて、『西村日菜子』であれば考えられないことだ。大騒ぎになるに決まっている。いや、それ以前に体のことを心配して両親や事務所が許してくれないか。『羽後なお美』になったからこそ可能なのだ。

 一人旅も初めてなら、こんな時間に一人で外出することも、寝台特急に乗ることも当然初めてだ。日菜子は新鮮な体験に少なからず興奮していた。

 だが、学生グループの一人が携帯電話を手にしているのが目に入り冷静になった。なお美の実家に向かうというのに、全くなお美の家族に知らせていない。いきなり朝に実家に向かうというのもまずいだろう。一言くらいは連絡を入れておいたほうがいい。それもなお美を演じながら、だ。

 電話にするか、それともメールで済ませるか、日菜子は考える。メールで済ませた方が簡単なのだが、今のうちになお美の家族の声を聞いておいた方が、実際に会った際に緊張しない気がする。電話することに決めた日菜子は、携帯電話に登録された電話帳を検索した。「家族」グループの中に、「お父さん」「お母さん」「博人ひろと」の情報が登録されている。ラジオやブログでなお美が歳の離れた弟について触れていたことを日菜子は覚えている。名前までは公表していないが、きっと博人というのが弟の名前なのだろう。

 連絡をするとしたら、やはり母親だろうか。同性と言うことで話をしやすそうだ。それに、なお美がラジオで時々母親のことを語っていたのを聴く限りでは、親しみやすく友人のような母親だと日菜子はイメージしていた。

 日菜子は決心して、なお美の母親の電話番号へ発信した。4コール目で相手が電話に出る。

『もしもし?』

 中年女性の明るい声が聞こえてきた。

「もしもし、お母さん?」

『どうしたん、こんな時間に』

 関西弁に近いイントネーションでたずねてくる。方言なのだろう。本物のなお美だったら、家族と話す場合はきっと自然と方言が出るのだろうが、どうせ日菜子は方言を話せないのだから、標準語で話すほかない。不審がられる可能性を心配しながら、日菜子は会話を続けた。

「いやあ、実は明日そっちに帰ろうと思って……」

『ええー! 急やなあ! あんた、お正月に帰ってきたばっかりやんか! 困るわあ』

 言葉とは裏腹に、嬉しそうだ。

「まあまあ、いいじゃない。お昼前には着くと思うから、よろしくね」

『はいはい。でも、ほんまにどうしたん? なんかあったん?』

 今度は心配そうな声になる。

「ぽっかりと休みができちゃってやること無いんで、せっかくだし帰ろうと思ったんだよ」

 日菜子はとっさに嘘をついた。声優の仕事を投げ出してきたわけだから、全くの嘘というわけでもないが。

「それじゃあね! 明日よろしく! おやすみ!」

『おやすみ。気ぃつけていらっしゃい』

 やや強引に話を切り上げ電話を切ると、日菜子は一息ついた。とりあえず怪しまれた様子は無いが、かなり緊張した。なお美が日菜子の両親や咲月と接するときも、緊張したのだろうか。……役者としての経験が日菜子とは段違いだから、そんなことは無かったのだろうか。

 やがて右方向から電車の音が聞こえてきた。そちらに目をやると、近づいてくる列車が視界に入ってくる。

 今は何もかも忘れて、一人旅を楽しもう。そう自分に言い聞かせ、日菜子は携帯電話をカバンにしまいこんだ。


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