迷走Mind Naomi side(1)
夢を見ていた。いや、夢ではあるが、夢というよりも……。
(リズメロディ?)
かつて自分が主演したアニメの映像が見えていた、ような気がする。今、アニメなんて見られる状況だっけ? そもそもあたしは何をしていたっけ……。
そこまで思い至ったところで、なお美の意識は覚醒した。
真っ先に白い天井が視界に飛び込んできた。どこだ、ここは。
(あたしはひなこちゃんになって、テレビ局でリハーサルやってて、それで……)
徐々に記憶が戻ってきたところで、
「目が覚めましたか」
白衣を着た見知らぬ女性が見下ろしてくる。どうやらベッドに寝かされているらしい。ここは病院で、この女性は看護師だろうということは予想がついた。
「ご自分のお名前、わかりますか?」
看護士の問いに対して反射的に「うご」と言いかけたところで、なお美は相手が一瞬不審な顔をしたことに気がついた。あわててはっきりとした声で、
「西村日菜子です」
と口にした。看護師が「はい」と満足げな顔をしてうなずく。
(こんな時でもひなこちゃんを演じることを忘れないあたしの役者根性は大したもんだ)
なお美は心の中で自画自賛した。
看護師が出て行った後しばらくして、与謝野が病室にやってきた。その顔は疲れ切っている。なお美が倒れた後の対応に追われたのだろう。
「はあ、なんにせよ無事で良かった」
そう言うと、与謝野は椅子に腰を下ろした。
「すいません……」
なお美はベッドに横になったままで言った。気分は悪くないし胸の痛みも消えているが、体を起こす元気も無い。
「羽後さんが謝ることじゃないですよ。……羽後さん、今がいつかわかりますか」
「え? ええと……もしかして丸一日寝ていたとか?」
「いや、違います。羽後さんがスタジオで倒れたのが午後4時ごろで、今が午後7時。3時間程度しか経過していません」
「あら、じゃあ意外と大したことはなかったんですか?」
なお美がそう言うと与謝野は、
「まあ、すぐに手術が必要というわけではなかったから、そういう意味ではね」
と、歯切れ悪く答える。
「あ、でも生放送には穴を開けちゃいましたね。咲月ちゃんには悪いことをしたな」
「咲月はとても心配していましたよ。さっき電話で意識が戻ったと伝えたら、安心したようでした。うちの社長とも相談したのですが、今夜の生放送は咲月一人で歌うことになりましたので」
「そうですか……」
なお美は一息ついた。とりあえず今夜は問題ないのかもしれない。今夜は、だ。
「……羽後さん」
与謝野が神妙な面持ちで声を出した。
「私は、羽後さんと大事な話をしなければなりません。これまでのことと、これからのことと」
なお美は黙って与謝野を見つめた。与謝野はうなずくと、困った顔をして、
「ただ、どこから話せばいいのか……」
「初めから全部、じゃないですか」
聞き慣れた声が病室の外から聞こえた。すぐに声の主が病室の中へやってくる。『なお美』の姿をした日菜子だった。
日菜子は与謝野の隣の椅子に座ると、目を閉じた。
「なお美さん、ごめんなさい。私のせいでこんなことになってしまって……」
小声で言う。なぜだか、呪詛のようになお美には聞こえた。
「ひなこちゃんのせいってどういうことよ」
当然の疑問を口にする。
「……私は、生まれつき心臓の病気なんです」
「えっ」
つい声が出てしまった。思わず日菜子の顔を、それから与謝野の顔を見る。二人とも落ち着いている。与謝野は知っていたのか。マネージャーなら当然か。
「子供の頃は、本当に大変で……学校にもなかなか通えませんでした。ずっと病院で、まともに運動もできなくて。パパやママに持ってきてもらった本や漫画ばかり読んでる子でしたね」
なお美は、日菜子のアルバムを盗み見たときのことを思い出した。幼い頃のアルバムには、学校生活の様子が全くと言っていいほど写っていなかった。いじめなどでは無かったのだ。そもそも、学校に行っていなかったのだ……。
「病気について隠していた以外は、対談のときにお話した通りです。リズメロディを見て、りっちゃんの障害と自分の病気を重ね合わせて、憧れて……」
「……」
病室のテレビで一人、低学年向けのアニメを見る10歳の少女の姿がなお美の目に浮かんだ。情景はイメージできる。だが、どんな気持ちでリズメロディを見ていたのだろうか。魔法で大人の姿と声を得てアイドルとして成功する一方、本来の自分とのギャップに悩む主人公を見て、少女は何を思ったのだろうか。
日菜子は淡々と話し続ける。
「それでオーディションを受けてアイドルになって、トントン拍子に成功して。病気のことがありましたから、あまり激しい動きはできませんし、いつまでアイドルでいられるかも不安でしたけどね」
「あ、もしかして曲の振り付けでひなこちゃんの動きが少ないのは……」
「そう、体のことがあるからですよ」
なお美の問いに、日菜子がうなずいた。
「デビュー当時から、日菜子やご両親、うちの社長と相談して極力日菜子の体に負担をかけないよう細心の注意を払ってきたつもりです。どの曲でもダンスは咲月中心にして、歌メインにしたり、歌もあまり激しいものは避けたりね。テレビの仕事も、収録時間が長いものは控えたり」
与謝野が補足する。
「咲月ちゃんは、そのことを知っているんですか?」
「日菜子の体が弱いということだけは説明しています。あまり詳しい病状は教えていませんが……」
与謝野が隣に座る日菜子を見る。日菜子は無感情に、
「何度か心配されましたけど、私からもそんなに詳しくは言っていません。でも……もう限界かもしれませんね」
「日菜子のご両親とは、体に無理が来れば、芸能活動を辞めると約束しています。それがデビューの際に本人と我々事務所、ご両親が話し合って決めた妥協点でした。デビュー前はかなり日菜子の体調も良かったから、問題ないと思っていたんですが……」
与謝野が苦しそうに漏らした。
「……そんなに良くないんですか、日菜子ちゃんの体は」
無意識のうちに手で胸を押さえながら、なお美は恐る恐るたずねた。今は自分の体なのだ。日菜子がなお美の顔を見る。なお美はギョッとした。日菜子の目に、明らかに生気が無かったからだ。焦点が合っていない。それでも、日菜子の言葉ははっきりしていた。
「……子供の頃、言われました。大人になるまで生きられないかもしれないって」
なお美は息を呑んだ。
「けど、両親がお医者さんとよく相談して、とにかく心臓に負担をかけない生活を徹底してきたからか、なにもすぐに死ぬようなことはないそうです。……それでも、30歳までの生存率は50%程度らしいです。それに、赤ちゃんを産むのもやめた方がいいって。体の負担が大きいからって」
「……」
なお美は何も言えなかった。頭の中を整理して、心を落ち着かせるので精一杯だ。
「私、そんな体だったから逆に、生きているうちにやりたいことをやってみようと思ってアイドルのオーディション受けたんです。リズメロディとなお美さんのおかげで声優もアイドルも同じくらいなりたかったんですけど、声優の養成所なんかに通う時間も体力もない。だったら、オーディション受けてアイドルになって、声優もやらせてもらえたらいいなって。まさか、こんなにうまくいくなんて思ってもみませんでしたけど」
日菜子がほんの少し笑った。
「アイドルとして成功し過ぎたせいで、とても声優の仕事をやる暇がありませんでしたね。事務所に頼めばどうにかしてくれるんでしょうけど、それもプロの声優さんの邪魔をするみたいで悪いし……遠慮してました」
人格が入れ替わる前、与謝野がアニメ映画の主演に向けて動いていたことを日菜子は知らないようだ。
「なお美さんと入れ替わった後、考えました。なんでこんなことになったんだろうって。……もしかすると神様が私に声優のお仕事をやるチャンスをくれたのかなって、そう思いました。でもね、今日のアニメのアフレコ、失敗ばかりで全然ダメだったんです。当たり前ですよね。私なんかになお美さんの代わりが務まるわけないんですもん。……それで、逃げてきたんです」
「げ、現場から?」
なお美が思わず口にすると、日菜子は申し訳なさそうに、
「はい。本当にごめんなさい、なお美さん……」
「い、いや……」
なお美もどう言っていいかわからなかった。新人がアフレコ現場から逃げ出したというのなら怒るだけの話だが、状況が特殊過ぎる。日菜子が続ける。
「だったら、なんでこうなったんだろう。今日、ずっと考えていました。それで、なお美さんが倒れたと聞いたとき思ったんです。このために入れ替わったんじゃないかって。神様がくれたチャンスは、この健康な体そのものなんじゃないかって」
日菜子が満面の笑みを浮かべている。なお美はゾッとした。見慣れた『なお美』自身の笑顔なのに、今はそれが恐ろしい。
「ひなこちゃん、何言って……」
「体が入れ替わる直前、発作が起きてたんです。胸が痛くなって、目まいもしてね。せっかく憧れのなお美さんと会えたのに、私の体はこんなで……。嫌だなあって思いましたね。もっと生きたいって、健康になりたいって、久しぶりに心の底から思いました。きっと、その願いが叶ったんですよ」
「ひなこちゃん」
「日菜子……」
なお美は与謝野の顔を見た。与謝野もまた、日菜子に恐怖している。日菜子は椅子から立ち上がり、笑顔で言った。
「だから、なお美さん。なお美さんのこの体、もらいます」
「ちょっ……」
なお美が体を起こそうとする。
「心苦しいですけど、なお美さんはこれから私として生きてくだされば……」
「日菜子、いい加減にしろ!」
「あなたたちに! 何がわかるんですか!」
与謝野が叫んだ直後、日菜子がさらに大きな声で叫んだ。
「明日が来ることになんの不安も無く生きてるあなたたちには、わかりませんよ!」
そう言うと、日菜子は病室を走って出て行く。
「おい!」
与謝野が叫んだが、振り返りもしない。与謝野はその場に立ち尽くしている。なお美はしばらく呆然としていたが、
「よ、与謝野さん、ひなこちゃんを……」
「……いや」
与謝野は椅子に座ると力なくつぶやいた。
「日菜子は、一時的に自分を見失っているだけです。きっと、目が覚めるはずです」
「でも……」
「今、私が側にいないといけないのは、あなたの方でしょう」
与謝野の顔は青ざめていたが、声はしっかりとしていた。
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