自分REST@RT Naomi side(4)

 目が回る忙しさとは今の自分を言うのだと、なお美は思った。

 雑誌の取材、テレビとラジオではレギュラー番組に加えてゲスト出演、そして新曲のレッスン。息つく暇も無い。なお美が声優として最も忙しかった五年前でも、これほどではなかった。関わるメディアの規模がまるで違う。

 そして普段の日菜子は、加えて高校にまで通っているのである。幸い学年末試験が既に終了していることもあり、ハニハニの二人は3月はこれ以上登校しないと学校と事務所の間で話はついている。芸能人が多く通う単位制の高校であるため、ある程度融通が利くのだ。仕事で日菜子を演じるだけでも限界を感じていたため、学校に通わなくてすむことはなお美にとってありがたかった。

 与謝野から日菜子が高校では学年上位の成績をキープしていると聞いたときは、舌を巻いたものだ。ハニハニとして仕事をしていると体力的にも精神的にも時間的にも余裕が無いだろうに……。なお美は日菜子を尊敬してしまった。


 その日菜子から電話がかかってきたのは、火曜日の夜10時過ぎだった。与謝野の車に送ってもらい帰宅した後、すぐに日菜子の部屋に入り「はー、どっこいしょ」と日菜子ならば絶対に言わない声を出してベッドに座った瞬間、着信に気が付いた。

『なお美さん、どうすればいいんでしょうか!』

「んー、どうしたもんかねえ」

 日菜子はゲームのキャラクターを演じることに苦労しているようだった。ドラマや映画でそれなりに演技の経験があるとはいえ、声だけの演技はまた勝手が違うのだろう。

 大したアドバイスはできなかったが、

『よし、私やってみます! 響くんに恋する気持ちをイメージしながら、演じてみます!』

 電話の向こうにいる日菜子はノリノリである。日菜子がその気にさえなれば、いい結果が出るかもしれない、となお美は思った。


 水曜日はテレビの音楽番組の収録だった。スタジオで新曲『桜ジュリエット』を歌うことになる。収録なのでそれほど緊張はしない。金曜日に控えた生番組の練習にちょうどいいくらいだとすら思える。

(早くもアイドルに慣れてきたのかもしれないなあ)

 楽屋で鏡に映る自分の姿を見ながら、なお美は少し笑った。自分の姿? そうだ、自分の姿だ。鏡には、ピンクがかったドレスを着た長い黒髪の美少女が映っていた。おまけに頭にはティアラまで付けている。

 新曲では日菜子が王女、咲月が王子というコンセプトで衣装がデザインされているため、大変なことになっている。こんな衣装、『羽後なお美』は一生着る機会が無いだろう。さすがにメルヘン過ぎる。だが、今のなお美は『西村日菜子』なのだ。『日菜子』にはこんな冗談のようなドレスも似合っている。そう、日菜子には。

「おおー、日菜子かわいいよ日菜子」

 茶化すような咲月の声でなお美は我に返った。白い軍服を着た咲月がニヤニヤしてこちらを見ている。

「鏡に映った自分に見とれてたんか? ボーッとして」

「別にそういうわけじゃ……」

「気持ちはわかるで。やたら似合っとるからなあ」

「ありがとう」

 なお美は素直に礼を言った。

「咲月ちゃんはさ、こういうドレス着てみたいって思わないの?」

「思わんなあ。全然似合わへんもん。まあ、求められれば着るけどな。今は王子様キャラを求められとるから、全力で王子様やってるだけで」

 さらりと言う。

「プロだねえ」

 なお美は感心した。子役としての経験が長いからか、咲月と会話していると精神年齢が実年齢よりずっと高いように感じることが多い。

「何言うてんの。あんたもプロでしょうが」

「そうでした」

 ならばプロらしく、『西村日菜子』をやるだけだ。


 収録は順調に進んだ。練習やリハーサルをじゅうぶんに行っていたこともあるが、曲自体、なお美にとって楽だったこともある。覚えなければならない振り付けが少ないのである。ダンスは咲月がメインで、その代わり歌は『日菜子』がメインになる。歌の経験は多々あるがダンスはほとんど素人であるなお美にとっては好都合だった。

 なお美は知らなかったことだが、与謝野によれば今回の曲に限らずハニハニは基本的にダンスは咲月中心、歌は日菜子中心で活動しているという。お互いの得意分野を意識した分担だった。確かに日菜子は声は美しいが運動神経は無さそうだ。妙に納得した。


「良かったですよ、今日の収録。この分なら金曜の生放送も大丈夫じゃないですか」

 与謝野がストレートに褒めてくるとは珍しい。なお美は驚いて運転席の与謝野を見た。

 与謝野の車で咲月を寮へ送った後、日菜子の家へと向かう途中である。仕事が忙しくなり、日菜子とも会えない現在の状況では、なお美がなお美としての素を出せるのは与謝野と二人きりになるこの時くらいだ。そう考えると貴重な時間なのかもしれない、と思う。

「歌がメインですから助かりましたよー。これでも歌はそれなりに慣れていますからね。キャラソンなんかで」

「キャラソン?」

「キャラクターソングのことです。声優がキャラクターを演じながら歌う」

「ああ、ときどきランキングにやたら沢山入ってきますよね」

 アニメ関係にそれほど詳しくない与謝野でもさすがに知っているようだ。

「そうそう。どんなにキャラソンが売れても歌唱印税は声優に入らない契約になっているんですがね……」

「そ、そうなんですか。なんか声に恨みがこもっていますね」

「レコーディング分のギャラをもらってそれで終わりですからね、ケッ」

 なお美はわざとらしく毒づいた。例えば『リズメロディ』のオープニングテーマはなお美が歌ってはいるが、主人公の音山律名義でリリースされた。それなりに売り上げもあったので、もし歌唱印税が入っていれば、という思いが今でも頭をよぎることがある。もっとも、当時なお美はそんなことを交渉できる立場には無かったわけだが……。

「それでも、こうして今その経験が役に立っているのだから良かったとも思います。今回の曲自体、キャラソンの要領で歌ってますからね」

「どういうことです」

 与謝野が食いついてきた。

「ええと、つまり、あたしが歌うのではなく、キャラクターとしてのひなこちゃんを演じながら歌ってるってことです。ひなこちゃんの力を借りているって感覚ですかね。うまく言えませんけど。いくら声がひなこちゃんのものになっていると言っても、何も考えずに歌ってるときはどうも違和感があったんです。歌ってるときもひなこちゃんをやるんだ! と気がついたときにやっとうまくいくようになったんですよ。与謝野さん、わかります?」

「なんとなくは理解できますよ」

 与謝野は少し間を置くと、ポツリと言った。

「……日菜子と入れ替わったのがあなただったのは、不幸中の幸いでした」

「……それはどうも」

 なお美は与謝野から視線を外した。

 もう少しアイドルでいるのも悪くないかもしれない、と思った。

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