自分REST@RT Hinako side(3)
「『私は認めない。あなたが兄だなんて』……ううーん?」
日菜子は台本を声に出して読みながら、首をひねった。どうも自分でもピンと来ない。
Webラジオの収録を終えた後、日菜子はなお美の部屋へ戻り、明日以降アフレコに臨むことになる携帯ゲーム機用ソフト『私のお兄ちゃんになりなさい!』の台本を読み込んでいた。何も全て暗記する必要は無いとはいえ、ストーリーの流れは把握しておいたほうが良いのは間違いない。ところどころ声を出しながら読み進めていくと、いつの間にか夜になっていた。
日菜子は、台本とともになお美から受け取った設定資料を見た。長い黒髪の美少女が、無表情で本を読んでいる。今回演じることになる、
能条姫子は、無口で無感情なキャラクターだ。『私のお兄ちゃんになりなさい!』の主人公は高校2年生。母親の再婚により、突然五人姉妹の兄として生活することになる。同い年の長女から小学4年生の五女まで、個性的な五人と家族の絆を深めていくことになる……というシナリオである。
いわゆるギャルゲーだが、恋愛シミュレーションゲームかと言えば、少し違う。小学生と恋愛はさすがにまずい。長女と次女のみ個別ルートでは恋愛関係に発展し、三女・四女・五女のルートでは恋愛というより家族愛を描いたシナリオが用意されている。普段ゲームで遊ばない日菜子には多少ギャルゲーに対して偏見があったのだが、素直にいいシナリオだと感じていた。
だが、問題は日菜子が演じることになる姫子ルートである。無口でクールな姫子がだんだんと主人公に心を開いて明るくなっていき、最終的に恋に落ちるところまで、雰囲気を変えていかなければならない。なかなか難しいように思えた。
「とりあえず、クールな状態の演技からだ!」
そう口に出して、日菜子は頭を切り替えた。4年前に放送されたSFアニメ『銀のペルセウス』で、なお美が無感情な美少女アンドロイド・アルテミス役を演じていたはずだ。なお美の出演作品のDVDの保管場所は、教えてもらっている。徹底的に研究して、まずは初期状態のクールな姫子を演じてみるしかない。変わっていく様子は、現場で試行錯誤してみよう。今はできることをやるしかないのだ。
翌日の火曜日、日菜子は『私のお兄ちゃんになりなさい!』の音声収録が行われる小さなスタジオへ向かった。アニメと違い、ゲームのアフレコは基本的に一人の声優の音声をまとめて収録する。そのためスタジオも小規模なものが使用されることが多い。こじんまりとしたスタジオでは、数名のスタッフが日菜子を待ち構えていた。
「や、どーも羽後さん! プロデューサーの
40代くらいと思われる陽気そうな男性が声をかけてくる。
「どうもどうも、今日からよろしくお願いします」
日菜子は頭を下げた後、
「プロデューサーさん、単刀直入におうかがいしたいんですが……私を姫子ちゃん役にキャスティングしたのって、『銀ペル』のアルテミス役だったからですか?」
唐突なのはわかっていたが、質問してみた。なりふり構っていられない。里崎は少し面食らっているようだったが、答えてくれた。
「そうですそうです。あれはなかなか印象が強かったもので。基本線はアルテミスちゃんを意識してもらえればいいかと」
「なるほど」
日菜子はホッとした。予想は当たっていた。なお美の仕事を把握しておいて良かった……。
「ただ、アルテミスちゃんはアンドロイドですが姫子は普通の女子高生ですからね。演じ分けてくださいよ。もちろん、羽後さんならその辺の機微は全く問題ないと思いますが」
「ははは、がんばります」
笑ってみたが、内心は不安だらけだった。日菜子にとって人生初のアフレコなのだから。
「『私は認めない。あなたが兄だなんて』」
「いやあ、なーんか違う気がするんですよね。もう少し、ほんのちょっぴり、感情を入れていただけますか。小さじ一杯分くらい」
「はあ……」
どんな例えだ、と日菜子はブースの向こうから指示を出す里崎を見て思った。
アフレコは、日菜子が不安に思っていたよりは順調に進んだ。だが、それは日菜子が演じる姫子が、物語の上で感情を露わにしない段階までである。ある程度ゲームが進行し、姫子と主人公の距離が近付いてきてからの声を収録し始めると、里崎が首を縦に振らなくなった。
「なーんか、なーんかね。俺の思ってる姫子と違うんですよね。演技のド素人である俺が羽後さんにこんなこと言っちゃ失礼かもしれませんが」
「いえ、そんなことは」
日菜子自身、声の演技に関しては素人なのである。反論できる立場ではなかった。アルテミスの真似ではどうにもならないところは、日菜子なりにできることを全力でやったつもりだ。それでも、何かが足りないのだろうと思う。
結局、休憩を挟んで6時間続いた収録はいったん終わり、翌日以降に持ち越されることになった。
「なお美さん、どうすればいいんでしょうか!」
『んー、どうしたもんかねえ』
その日の夜10時、日菜子はなお美に電話をかけてアドバイスを求めていた。迷惑かもしれないと思ったが、遠慮している余裕は無い。
「極端に元気とか、極端に無感情なキャラならなんとかなりそうな気がするし、実際、姫子ちゃんの演技でも途中までは問題なかったんです。少しずつ変わり始めていくところが、どうにも難しくて……」
『うーん。要するに、主人公を好きになって変わっていくわけだよね』
「はい」
『ベタかもしれないけど、ひなこちゃんがキャラに同化してみればいいんじゃないかな。主人公を好きになってみてはどうかな。あたしが恋するキャラを演じるときは、頑張ってそうしてる』
「と、言われましても……」
日菜子は言葉に詰まった。
「主人公くんはろくに容姿も描かれていないし、声もありませんし、優しい性格だというのはシナリオを読むとわかりますが、ちょっと好きになるところまで行かないです……」
『あー、まあ、アニメならともかく、ギャルゲーだとプレイヤーに自己投影させるためにそういう主人公多いねえ。じゃあ、自分が恋しているときの気持ちを思い出してみるのはどうかね』
「前にも言いましたけど私、本当に男の子に縁が無くて……咲月ちゃんのことは好きですが」
『ああ、咲月ちゃん無しで』
「えー。じゃあ、なお美さんでしょうか」
『う、嬉しいけどそれも無し! 誰かいないの? というか、全く恋愛したことが無いのひなこちゃん?』
「うーん、うーん……」
日菜子は記憶の中を必死に検索してみた。その結果、
「ああ! 一人いました! たぶん私の初恋の人!」
『誰?』
「
『二次元じゃん!』
歌川響は『魔法の歌姫 リズメロディ』に登場するキャラクターである。なお美が演じた主人公・音山律の隣家に住む、年上の幼馴染だ。障害を抱えた律を幼い頃から見守ってきた少年で、律にとって兄のような存在という設定だった。リズメロディ放送当時、律に自分を重ねていた日菜子は、響に憧れていた。
「他に思いつかないんですよう。でも、設定的に今回のゲームの主人公とかぶってるし、ちょうどいいんじゃないでしょうか」
『少し年上の男の子で、兄的な役割だからか……。そう言われると、アリな気もしてくるね』
「よし、私やってみます! 響くんに恋する気持ちをイメージしながら、演じてみます!」
日菜子が期待していた以上に、作戦はうまくいった。
「羽後さーん、いいですよいいですよ。昨日よりずっといいですよ。バッチリ修正してきましたねえ。さすがプロですよ」
アフレコ中、里崎がおだててくる。
「ありがとうございます」
里崎の言葉がリップサービスではなく、本音であると思いたい。
音声収録はスムーズに進み、水曜日で全て終了することになった。念のためにスケジュールを確保していた木曜日がフリーになったのである。これで、金曜日に控えたアニメのアフレコに向けて、少しは余裕を持って臨むことができる。日菜子は真っ先にそんなことを考えていた。
「どうもお疲れ様でーす、羽後さん」
アフレコ終了直後、里崎が明るい調子でブースへやってきた。
「お疲れ様でした」
「いやあ、ありがとうございました。私ね、声優さんってもっとこう、テクニカルな演技をされるんだと思っていましたよ。でも羽後さんは、なーんか初々しい……と言っては失礼かもしれませんが、ナチュラルな演技で素晴らしかったですよ。まるで本当の女子高生のようでした」
(実際、中に入ってる私は女子高生だからなあ)
日菜子は心の中で呟いた。
スタジオを出ると、既に日が暮れていた。Webラジオもゲームのアフレコも、苦労はしたものの、意外とうまくこなすことができた。これなら金曜日のアニメ収録も、なんとかなりそうだ。
ずっと憧れていた、アニメの仕事に参加できる。ここ数日は声優の仕事に対する不安が勝っていたが、今は違う。ワクワクする気持ちの方が大きい。
(私、この仕事に向いているのかも! ……もしもこのまま元の体に戻れなかったら、なお美さんとして声優やっていくのもいいかもしれない)
そんなことを考えながら、日菜子は帰途についた。
日菜子は、すぐに自分の甘さを嫌と言うほど思い知ることになる。
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