自分REST@RT Naomi side(3)
「緊張してますか、羽後さん」
助手席に座るなお美に対して、運転する与謝野が話しかけてきた。
「まあ、多少はね。でも、ぐっすり眠ることはできました。初めてアニメのアフレコ現場に行ったときに比べれば、なんてことはないです」
「それはけっこうなことで。さすが、プロですね」
与謝野は満足そうな顔をしている。なお美も、そう言われて悪い気はしない。
今日は月曜日である。朝、与謝野が日菜子の家までなお美を迎えに来た。この後はシドプロの寮に向かい咲月と合流し、仕事場へ行くことになる。
今週は水曜日にハニハニのニューシングルが発売されることもあり、プロモーション活動を中心にスケジュールがびっしりと組まれている。ただでさえ忙しいハニハニだが、今週は特に踏ん張りどころなのだ。どうにか今週だけでもなお美に『日菜子』を演じてもらいたいのはそういう事情もあるのだと、なお美は与謝野から聞かされていた。
そして、今週最大の山場は金曜の夜にやってくる。生放送の音楽番組への出演が控えているのだ。なお美は『日菜子』として新曲を披露しなければならない。
「新曲はどうなんです。歌と振り付けは覚えられたんですか」
「昨日、一人でカラオケに行ってみっちり練習はしましたよ。完璧かと言われると辛いですが」
「それは仕方ないでしょう。1日では、さすがにね……」
「とにかく、ベストは尽くしますよ」
そうは言ってみたものの、いくら一人で練習したところでハニハニは西村日菜子と東出咲月のデュオなのだ。咲月と合わせてみないと、よくわからないところはある。なお美はまだまだ心配だった。
「おっはよう、日菜子!」
与謝野の車に乗り込んでくると同時に、咲月が元気よく挨拶してきた。
「おはよう、咲月ちゃん」
「体は本当に大丈夫なんか?」
「うん、まだちょっと痛いけど、大して影響はないよ。動く分には問題ない」
「そうかぁ、良かったなあ」
なお美の返事を聞き、心から安心したような笑みを浮かべる。なお美にとって実際に咲月と顔を合わせるのは今日が初めてだが、好感を持った。
(テレビで見てた通りの娘だなあ)
東出咲月は日菜子とは正反対な、ボーイッシュで庶民的なキャラクターで人気を博している。同性からの支持は日菜子よりも高いだろう、となお美は思う。なお美自身、日菜子と知り合う前はどちらかといえば咲月のほうに親近感を抱いていた。
いつでも明るく、関西弁でよくしゃべることから「大阪のおばちゃんみたいなアイドル」と評されることもある一方で、ショートカットに整った顔立ち、やや低い声から、王子様扱いする女性ファンも多い。そして誰よりも、日菜子がそうなのだ。
土曜日、日菜子と打ち合わせをしていた際、なお美は何気なく聞いた。
「ひなこちゃん、好きな男の子なんかはいないの? 与謝野さんはアイドルに恋愛は御法度だ、なんて言ってたけどさあ。こういう仕事してると、周りにかっこいい男の子いっぱいいそうなもんじゃないの」
日菜子は少し考えた後、
「うーん、本当にいないんですよね。お仕事で精いっぱいなもので……。あ、でも! 咲月ちゃんが男の子だったら、きっと好きになってたと思います! もちろん今でも好きですけど! 明るいし優しいし頼れるし、完璧です!」
「そ、そう……。ひなこちゃん、もしかしてそっちのご趣味が……」
「それはないですよう。でも、咲月ちゃんなら、アリかも……ああ、引かないでください、なお美さん!」
そんな関係も影響したのか、新曲のプロモーションビデオでは、お姫様のようなドレスの日菜子に対して、咲月は王子様のような衣装を着て、歌い踊っている。咲月も満更ではなさそうだったと日菜子は語っていた。
「どうしたん、日菜子。うちの顔になんかついてる?」
咲月の言葉で、なお美は我に返った。
「なんでもないよ! 久しぶりに会う咲月ちゃんも、やっぱりかっこいいなあって思っただけ」
『日菜子』を今後も演じる必要もあるため、なお美はそんな台詞を口にしてみた。
「嬉しいこと言ってくれるやん、こいつぅ」
などと言いながら、後部座席から指で突っついてくる。
「あはは、やめてよう」
「イチャイチャしてるところ悪いが、車を出していいかな、君たち」
与謝野が困っていた。
最初の仕事はまずテレビ雑誌の取材を受けることだった。想像していた以上にスムーズに進んだことに、なお美は拍子抜けした。事前に充分な情報を与謝野や日菜子から聞いていたこともあるだろうし、咲月というパートナーがなお美よりずっとしゃべってくれるということも大きかった。
問題はこの次だ、となお美は思う。少年漫画誌のグラビア撮影。それも水着だ。取材で写真を撮影されたことはなお美にも多々あるが、水着姿で撮影された経験は全く無い。憂鬱だった。
撮影は、都内にあるホテルのプールを貸し切って行われる。ホテルに着いたなお美は昼食後、さっそく咲月とともに更衣室へ向かった。
(うーむ……)
撮影用の白いビキニへ着替えたなお美は、大きな鏡に映った姿をまじまじと見た。なお美ではなく『日菜子』の姿である。入浴のときによく観察しているのでもう見慣れてはいるが、水着になるとまた印象が違う。
手足はスラリと細長く、肌は透き通るように白く、美しいのは間違いないが、あまりに華奢だ。水着のグラビアは、そもそも日菜子に向いていないのではないかとも思える。
(胸なんかぺったんこだしなあ。あたしが唯一ひなこちゃんに勝ってるところだわ)
などと失礼なことを考えていると、
「日菜子、何ボケッとしとんねん」
そう言いながら、背後からやってきた咲月がいきなり胸をわしづかみにしてきた。
「うへああぁぁぁっ!」
変な声が出てしまった。
「あっはっは、ええリアクションやな!」
手を放した咲月が、文字通り腹を抱えて笑っている。オレンジ色のビキニを着ていた。日菜子の体と違い、よく日焼けした健康的な水着姿だ。
「なにすんのー!」
「いやあ、なんか考え込んでる様子やったから、緊張してるんかなって思ってな」
「緊張してるわけじゃ……そりゃ、水着なんて久しぶりだけど」
言ってから、しまったと思った。
「まあ、確かに去年の夏以来やけどなあ」
咲月の反応を見て、なお美は内心ホッとした。水着を着ること自体、8年前に当時なお美が付き合っていた恋人と海へ行って以来という意味での言葉だったのだが、咲月は知る由もない。
撮影は順調に進んだ。最初の内はぎこちなかったなお美も、咲月が和ませてくれるおかげで次第に緊張が解けていった。これが自分だけだったら、うまくいかなかったのではないかとなお美は思う。
子役として幼い頃から活動していた咲月は、日菜子にとって良き先輩であり、パートナーであり、疑似的な恋人であり、親友であるのだろう。なお美は日菜子を羨ましく思った。若さや容姿、アイドルとしての地位よりも、そんな関係を築いていることが羨ましい。
そして、なお美はこれから咲月に何かと助けてもらう一方で、彼女を騙し続けなければならない。そう思うと、心が痛んだ。
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