自分REST@RT Hinako side(1)

「これがなお美さんの部屋なんですね!」

 日菜子は思わず声をあげた。

「そ。汚くてごめんね」

「そんなことないですよう」

 口ではそう言ったが、実際のところはかなり散らかっていた。足の踏み場が無いというほどではないが、床に台本や資料らしきものが散乱している。

「まずは片付けすっかなー。ひなこちゃんにしばらく暮らしてもらわないといけないんだし」

 黒縁眼鏡をかけた『日菜子』のなお美が言った。


 なお美に対して日菜子の仕事のことをある程度教えた後に昼食をとると、二人は予定通りなお美の家に向かうことになった。

 本来なら与謝野の車で連れて行ってもらいたいところだが、咲月の仕事もあり、それどころではない。やむなく電車を乗り継ぎ、1時間かけてやってきたのだった。道中で『西村日菜子』であることが気付かれないよう、日菜子は普段自分が外出する際に使っている帽子と眼鏡をなお美に貸した。なお美は「本当にアイドルって変装するんだね!」などと言い、楽しんでいるようだった。日菜子としては、『西村日菜子』より遥かに知名度が低い『羽後なお美』である今は、変装の必要が無い。随分気が楽になったものだった。


「やっぱりひなこちゃんの家に比べると、見劣りしちゃうねえ」

 二人で簡単に片付けをした後、なお美が部屋を見渡してため息交じりに言う。1Kの賃貸マンションの3階にある一室がなお美の根城である。

「一軒家と比べたら……。でも、一人で生活する分には充分すぎるくらいですって!」

「まあね、高校卒業して東京に来て、養成所に通ってた頃はもっとずっと狭い部屋だったからね。今の部屋に移ったのが4年前かな。おかげさまでそれなりの生活をさせていただいておりますよ」

 なお美はどこか誇らしげだ。日菜子も、素直に凄いと思う。ずっと周囲に守られて生きてきた日菜子には、一人で暮らすということは想像もできない。

「できるんでしょうか、私に一人暮らし……」

 つい不安が口に出てしまう。なお美が母親のように、

「大丈夫だって。あたしだってひなこちゃんとそう変わらない頃に一人で生活できたんだからぁ。むしろ東京に出てきたころのあたしと違って、お金は当面心配ないんだし、スーパーとコンビニがあればなんとかなるなる!」

 『日菜子』の顔と声で笑いかけてくる。まるで鏡の中の自分から励まされているようで、日菜子は元気が出てくるのだった。


 二人で『羽後なお美』としての直近のスケジュールを確認してみる。

「ええと、月曜日が朝から『プリンセス・サバイバー』のWebラジオ。ちなみに2本撮りね」

「あ、もちろん毎週聴かせていただいています! アニメも見てますよ!」

「本当? ありがとう」

「樺沢春奈さんと二人でパーソナリティされてますよね」

「そうそう」

 樺沢春奈は20歳にしてアニメで主役級を何度も演じている人気声優である。元々子役だったこともあり、演技力に確かなものがあるゆえに引っ張りだこなのだと日菜子は思っている。『プリンセス・サバイバー』でも、彼女が主役を演じていた。ちなみに、なお美が演じるキャラクターはエンディングで4番目にクレジットされている。

「樺沢さんって、どんな人なんですか?」

「どうって、そうだなあ……明るくていい子だねえ。そこまで深くつきあってるわけじゃないけどさ。年齢はあたしより一回り下なのに芸歴は同じくらいだからか、話しててジェネレーションギャップはそこまで感じないかなあ。それでいて、あたしのことをしっかり立ててくれるし、かなりやりやすい」

「確かに番組聴いてても、息は合ってるなって思います!」

「ひなこちゃん、楽しそうに話しているけど、ひなこちゃんはあたしを演じながら番組を進めないといけないんだからね? かなり大変だと思うよ?」

 なお美は心配そうだ。

「う……がんばります。ラジオ自体は咲月ちゃんと二人でやってるし、どうにかなると思いたいんですけど」

「番組を聴き直しておいてね、念のため。あ、あと気になってるんだけど、今度収録するラジオを配信するときには、もう『プリサバ』のアニメは最終回が放送されちゃってるんだね」

「はあ」

「アニメ本編の最終回の話題に触れる可能性はかなり高いんじゃないかな。収録自体は終わってるんだけど……」

「ええと、つまり?」

「ひなこちゃん、まだ放送されてない分の台本渡しておくから、読んでおいて?」

 日菜子は愕然とした。

「嫌ですよう! 思いっきりネタバレじゃないですかぁ! やだー!」

「まあまあそう言わずに」

「やっぱり最終回はアニメで見たいじゃないですか! 毎週楽しみにしてるんですから! 台本だけ読んでも……」

「そんなの、あたし達だって一緒だよ。収録してるときは全然絵ができあがってないし」

「あ、よくそういう話聞くけど、本当だったんですね……ってそうじゃなくて! それとこれとは別ですよう!」

「もう、わがまま言わないの。やっぱりその辺りを把握しておかないと、みんなに怪しまれるじゃない。なんなら、あたしが今教えてあげようか。最後にはね、一人だけ残してみんな」

「キャーッ!」


 結局、なお美の説明を受けながら30分かけて最終回の台本を読むことになった。


「うう、まだ知りたくなかったのに……」

「泣きそうな顔しないの。はい、次の仕事ね。火曜日から木曜日にかけて、ゲームの音声収録があるの。いわゆるギャルゲーね。ノベルタイプの恋愛アドベンチャーゲーム。5人ヒロインがいるうちの一人をあたしが演じることになってます」

「……なんてゲームなんですか?」

 日菜子はようやく落ち着きを取り戻し、なお美にたずねた。

「『私のお兄ちゃんになりなさい!』だったかな。主人公の前にある日いきなり五人の妹がやってくるっていう……」

「アレみたいな感じですね」

「アレみたいな感じね」

「でも、ゲームの収録って3日もかかるんですか?」

 日菜子の質問に対し、なお美がニヤリと笑った。

「ひなこちゃん、さてはゲームはあまりやらない子だな?」

「え、はい、確かに。アニメは好きですけど、ゲームはそんなに……」

「あのね、最近のゲーム……特にアドベンチャーはね、収録する音声の量が膨大でね。台本を見ればわかりやすいかな。ちょっと待ってね」

 そう言うとなお美は立ち上がり、部屋の隅に積んであった冊子を持ってくる。

「ほい」

 ドスン、という音とともに厚い台本が床に落ちた。表紙には『私のお兄ちゃんになりなさい!』というタイトルロゴが印刷されている。

「電話帳みたいな厚さですね。なるほど、これはすごい……」

 感心した日菜子に対し、なお美が冷徹に告げる。

「それが1冊目、ね」

「えっ」

「さらに2冊あるの。合計3冊」

 そう言いながら、なお美が台本を積み上げる。日菜子は悲鳴を上げた。

「ちょ、少年ガソガソ以上じゃないですかー!」

「どうしてもこれくらいになっちゃうのよー。いろんな分岐があってねえ。自分のキャラ以外のヒロインの個別ルートでも、一応出番があったりするし……」

「これは、大変ですねえ……」

「3日間で終わらない場合、次の週に持ち越す可能性もあるって聞いてる。ま、そのときはそのときね。どう? いけそう?」

「やります。やってみせます」

 日菜子は力強く言った。演技すること自体はドラマやCMで経験済みなのだ。歌のレコーディングだって何度もこなしてきた。多少勝手は違っても、適応してみせる。成り行きとはいえ、憧れの声優の仕事なのだから。

「まあ、量的にはきついかもしれないけれど、ある意味では楽と言っていいかもしれない。ゲームだから、基本的に一人で収録するのね。他の声優と掛け合いする必要も、アニメーションに声を合わせる必要も無いの。自分のテンポでアフレコできるから、そこはやりやすいと言えばやりやすいと思う、声の仕事が初めてのひなこちゃんでも」

「なるほど」

「そして、金曜日。これが一番大変かもね。4月から放送予定のアニメの収録。1話限りのゲストキャラだけど」

 日菜子は息を呑んだ。ついに、アニメに声を吹き込むことになるのだ。


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