自分REST@RT Naomi side(1)
「なお美さん、起きてください、なお美さん」
慣れ親しんだ声が聴こえてくる。そうだ、この声はあたしの声だ……。
そこに思い至り、なお美の意識は覚醒した。目を開けると、『羽後なお美』の顔が間近にあった。瞬間、全てを思い出す。
「……おはよう、ひなこちゃん」
そう言って、なお美は上半身を起こした。本棚の上に置かれた小さな鏡を見る。鏡には、『西村日菜子』の整った顔が写っていた。テレビでは見たことが無い、眠そうな表情をしている。
「全部、夢じゃないんだよね」
「そうですね」
「寝て起きたら体が元に戻ってるかもしれない、とも思ってたんだけど、そう都合良くはいかないみたいね」
「ええ……」
なお美の姿をした日菜子は、猫のキャラクター柄のパジャマを着ていた。元々日菜子のものなので日菜子が着るのは当然と言えば当然だが、見た目がなお美なのでミスマッチ感は拭えない。自分が似合わないパジャマを着ているようだが『羽後なお美』はもはや自分ではないのだ。それがなんだかおかしかった。
昨晩、寝るまでに残された決して多くない時間で二人が真っ先に行ったことは、お互いのブログの更新だった。数日とはいえ、日菜子が休養するということはどうせマスコミに嗅ぎつけられる。余計な詮索をされるよりは、先手を取って事実を自ら公表し(人格入れ替わりには触れずに、だが)、ファンを安心させた方がダメージが少ないだろう。むしろ対談記事の宣伝にもなる、というのが与謝野の考えだった。
おとなしく与謝野に従いブログを更新した後、寝る前に二人は今後の予定を話し合った。とりあえず二人とも休みを確保できているのは土曜日と日曜日の2日間だけである。その2日間でできる限り情報を交換し、週明けの月曜日からなお美は『日菜子』として、日菜子は『なお美』として、仕事をこなす必要が出てくる。
まず土曜日(つまり今日)は、午前中ずっと日菜子に関してなお美が勉強する。午後からは二人でなお美の家へ移動し、逆になお美について日菜子が勉強する。そして与謝野と合流して打ち合わせた後、日菜子はなお美の家へ残り、なお美は日菜子の家へ戻る。日曜日はお互いが一人で仕事について確認しつつ、わからないことがあれば電話をかけて質問する、ということになった。本当は日曜日も二人で過ごしたいところだが、さすがにそれは日菜子の両親から不審がられるだろう、と断念したのである。
なお美と日菜子が洗面所へ向かうと、先客がいた。
「おお、おはよう、日菜子」
水色のパジャマを着た中年男性が歯磨きを終えたところだった。優しそうな顔つきをしている。事前に日菜子から写真を見せられていたなお美は動じなかった。
「おはよう、パパ」
日菜子の父親だ。弁護士をしているという。昨夜は会わなかったので、なお美たちが寝た後に帰宅したのだろう。
「そちらが、日菜子のお友達の声優さん?」
「ええ、羽後なお美と言います。お世話になります」
「いえいえ、こちらこそ日菜子をお願いします」
日菜子の対応も堂に入ったものだ。この様子なら仕事はともかく日常生活は違和感を与えることなくやり過ごすことができるのではないだろうか。
朝食は両親となお美、日菜子の四人で一緒に食べた。食事中には怪我をしたことやこの2日間仕事を休むことを両親から再び心配はされたが、日菜子と協力して無難に接することができたはずだ。特に問題は無い、となお美は思う。
朝食の後、着替えを終えると、二人は日菜子の部屋からその隣の部屋へ移動した。広さは日菜子の部屋と同程度だが、ほぼ本で埋め尽くされている。小説、漫画、雑誌、台本など内容は多様だ。その量もなお美の部屋の比ではなかった。仕事に関係するものも多いのだろうが、それだけではないように思える。読書は日菜子の趣味でもあるのだろう。
「かーっ、凄い量の本だねえ。あ、アニメのDVDもけっこうあるね」
「あはは、お恥ずかしい」
「ひなこちゃんの部屋はものが少ないと思ったら、こっちの部屋に置いてあったんだね」
「なんでも、私に弟か妹が生まれた時に備えて部屋を作っておいたらしいですよ。でも結局そうはならなかったので、私専用の書庫として使わせてもらっています」
「なるほどー」
「じゃあ、来週のお仕事で使いそうなものをピックアップしますから、ちょっと待っていてもらえますか。適当に漫画でも読んでいてください」
「オッケー」
なお美の返事を聞くと、日菜子は部屋中をチェックし始める。月曜以降、『西村日菜子』にはバラエティ番組や歌番組、雑誌の取材、グラビア撮影と仕事が詰まっている。日菜子本人から指導を受けることは絶対に必要だった。
日菜子が資料を探している間、なお美は本棚に収納された大量の本を眺めていた。ふと、隅の方にある黒一色の地味な装丁の本が目に留まる。なんとなく手に取ってみて、気が付いた。これはアルバムだ。
思わず日菜子の様子をうかがう。だが、日菜子は部屋の奥で一所懸命に本棚を漁っている。なお美の行動に全く気が付いていないようだ。
(……この状況なら、見ちゃうよね)
一言日菜子に断りを入れるのが筋なのだろうが、なお美は自分の野次馬根性に勝てなかった。国民的アイドルのプライベートなアルバムを見られる機会など、まず無い。ゆっくりとページを開く。
アルバムには、赤ん坊のころから10歳ごろまでの日菜子の写真が収められていた。美少女は幼い頃から美少女なのだな、と思わされる。5歳ごろから長い黒髪は美しく、瞳は大きい。写真の少女が成長したら現在の日菜子になるのだ、とごく自然に納得できた。
アルバムをざっと眺めているうち、なお美は違和感を覚えた。そして、すぐにその正体に思い当たる。写真は自宅や旅行先で撮影されたと思われるものがほとんどだった。一緒に写っている人物も、両親や祖父母と思われる人物が大多数だ。
幼稚園や小学校の行事の様子を撮影した写真が、極端に少ない。
(……ひょっとして、不登校とか? これだけの美少女でそのうえお嬢様だから、学校に馴染めなかった……みたいな? 最悪、いじめとか……)
なお美が直感的にそんな想像をしてしまったのは、日菜子が妙にしっかりしすぎているからだった。自分が17歳のころとは全く違う。日菜子は、ごく普通の生活を送っていないのではないか。知り合ってからごくわずかだが、そんな印象を受ける。
もちろん、お嬢様育ちであることや、芸能界で仕事をしていることを考えれば当然とも考えられる。それに、そもそも学校行事関係の写真は別のアルバムにまとめているのかもしれない。なお美の考えすぎの可能性はある……。
「なお美さん、一通り揃いましたよー!」
部屋の奥から声が聞こえたので、
「はーい!」
なお美はそう返事をして思考を中断し、アルバムを元の場所に戻した。
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