CHANGE!!!! Naomi side(2)

 死にたい。なお美はそう思った。西村日菜子との対談が行われた日のことである。


 アイドル情報誌での対談記事ということもあり、写真撮影もかなり必要なため、対談は出版社内のイベントスペースを利用して行われた。アイドル声優的な立ち位置ではないなお美とはいえ、声優雑誌や各種のイベントで撮影されることには慣れている。特に緊張はしなかった。それどころではなかった、というのが正確かもしれない。

 ただただ、日菜子の華やかさに圧倒されていた。単に若いからではない。日菜子と同じくらいの年齢の若手女性声優と仕事をした経験は何度もある。彼女たちもアイドル的な仕事をしているだけあってみんな整った容姿をしており、ごく普通のルックスだと自覚しているなお美は、引け目を感じることもたびたびあった。だが、日菜子から感じるものは、また違っていた。本物のアイドルが持つオーラとでも表現すればいいのだろうか。日菜子は高校の制服をイメージした地味なブレザーを着ていたにも関わらず、なお美には輝いて見えた。


 並んで写真を撮られると、改めてなお美は自分と日菜子との違いを実感せずにはいられなかった。ボブカットのなお美とは対照的に、胸まである長く美しい黒髪。病的に細い腕。小柄ななお美より10センチは身長が高いにも関わらず、ずっと小さな顔。ぱっちりと大きな瞳。

(完全に引き立て役……いや、もはや別の生き物だわ、これは。ドワーフとエルフみたいな)

 撮影の最中、なお美はそんなことを考えていた。あまりにも違い過ぎて、羨ましいなどという気持ちも湧いてこない。


「羽後さん! 今日は本当にありがとうございました!」

 対談と撮影が終わるとすぐに、日菜子が話しかけてきた。

「いえ、そんな。私なんかを呼んでいただいて……」

「何をおっしゃるんですか! こちらからお願いしたんですから! 何度も何度も言いましたけど、お会いできて本当に嬉しかったです。子どもの頃からずっと、大好きでしたから」

 日菜子は目を輝かせている。対談の時から、日菜子はこの調子だった。彼女が自分へ寄せる好意は本物と思っていいのだろう、となお美は思う。そうでなければ、そもそもなお美ごときへオファーが来るはずがない。

「そうだ、羽後さん。この後、少しだけお時間いただけませんか?」

 日菜子が唐突に言うので、なお美は驚きながら、

「ええ。今日はもうこれで仕事は終わりですから、構いませんが」

 その答えを聞き、日菜子の表情が明るくなった。

「じゃあ、すいませんが少しだけ待っていてくれませんか。そのう、連絡先を交換していただけませんか? ええと、あの、お友達になってください!」


 控室前の廊下で日菜子が着替え終えるのを待ちながら、なお美は口元が緩むのを抑えきれずにいた。対談の間は日菜子に押されっぱなしだったが、冷静になってみると、なお美はとんでもない状況に置かれている。人気アイドルからここまで尋常でないほど憧れられるとは、思いもしなかったことだ。西村日菜子と面識のある人間なんて、声優業界にはいないのではないか。つい優越感に浸ってしまう。

 そして日菜子に対して、なお美も好感を抱き始めていた。こうも率直に好きだと言われ続けて、悪い気はしない。それに、超売れっ子だというのに、天狗になっている様子が全く見受けられない。マネージャーの他、担当編集者や撮影スタッフにも丁寧に対応しているところを今日だけでも何度も目にした。どことなく、育ちの良さを感じさせる。なお美が17歳の頃にそんなことができたかと言えば……絶対に無理だろう。

(いい子だよなあ)

 対談が決まるまでは日菜子のことを顔と名前がどうにか一致する程度にしか知らなかったが、これはもうファンになってしまいそうだ。いや、そうなるとお互いがファンなのだし、日菜子が言う通り、友達……なのだろうか? 

「羽後さん、どうされたんですかニヤニヤして」

「へっ?」

 その声に気が付いて振り向くと、スーツ姿の男が立っていた。日菜子のマネージャーの与謝野だ。なお美にメールでこの対談を持ちかけてきた人物である。メールでは何度かやり取りしたが、実際に会ったのは今日が初めてだった。なお美と同世代ではないかと思われる二枚目だ。芸能事務所のマネージャーといえば軽薄そうなイメージを抱いていたのだが(完全になお美の偏見だ)、与謝野は普通のサラリーマン風のさっぱりとした外見をしていた。なんとなく、誠実そうな印象を受ける。

「どうもすみません、お見苦しいところを……。実は日菜子ちゃんに少し待っていてほしいと頼まれましてですね」

「そうなんですか。申し訳ないですね」

「いえ、そんな」

 与謝野は少し考え込むような表情を見せると、口を開いた。

「後でメールしようかと思っていたのですが、ちょうどいい。羽後さんにお話をさせていただきたいことがあるんですが、少しよろしいですか。日菜子が出てくるまでの間だけでも」

「え? ええ……」

 与謝野は辺りを見回し、廊下に何人か立っていることを確認すると、

「こっちへ」

 人がいない方向へと歩き出し、なお美を手招きする。なお美はおとなしくついていった。階段の近くまで来たところで、与謝野はなお美に向き直ると、

「羽後さん、声優としてのご意見を率直にうかがいたいのですが、日菜子の声について、どう思われますか」

「声、ですか」

 突然の質問に面食らいつつ、なお美は素直に答えた。

「透き通るような……とても綺麗な声ですよね。ヒロインらしい、と言うか。声優でもやっていけそうかな、とも思っちゃいますね」

「そうですか……安心しました。実はですね羽後さん、まだ日菜子にも伝えていないのですが、日菜子を声優デビューさせようと考えているんです。アニメ映画で、ヒロイン役としてね」

「えっ」

「まだ企画段階ですから、なんとも言えないところはあるのですが……二〇年ほど前に実写で大ヒットしたSF青春映画を、アニメでリメイクしようというものです。そのヒロインに、日菜子を押そうかと」

「はあ……」

「ですが問題が一つありましてね。当の日菜子が、以前から声優の仕事をすることに抵抗があるみたいなんです。声優の仕事が嫌なわけじゃない。逆に声優さんをリスペクトするあまり、大きな仕事を自分が奪うことは声優さんに申し訳ないと、そう考えているようです。実際、声だけの演技に慣れていない芸能人が吹き替えをした結果、クオリティを著しく下げてしまった事例は私だって沢山知っています。日菜子の気持ちはわからんでもない」

「……」

「でもね、日菜子の声ならそんな結果にはならないと、私は信じています。それに、日菜子がヒロインを演じる、それだけで相当の集客効果が見込めるはずだ。羽後さん、この対談も何かの縁です。羽後さんからも今度、勧めていただけませんか。憧れの羽後さんのおっしゃることなら、あの子も聞くかもしれない」

「……」

「ああ、もちろんタダでとは言いません。羽後さんにも配役を回すようにすることは、造作もないと思います。いかがでしょうか」

 チャンスだ。劇場用アニメに出られる。大手芸能プロとのコネもできるかもしれない。頭では、そう理解していた。

 だが、なお美の心はもはや自分でも制御できそうになかった。ここ数年の間に溜まったものが、一気に溢れだしそうになる。


 劇場用アニメの主役をアイドルが? 経験も無いのに? あたしたちを差し置いて? 15年近く苦労してきたことはなんだったの? それでいて、声優の仕事を奪う相手に頼って仕事を恵んでもらうの、あたし?


「……羽後さん?」

 下を向いてしまったからか、与謝野が不審げになお美に声をかける。

「……死にたい」

「はっ?」

 なお美の呟きが聞こえたのか、与謝野が混乱しているようだった。

「羽後さん、与謝野さん。ここにいらっしゃったんですか」

 なお美は目線を上げた。日菜子が立っていた。

「日菜子……」

 与謝野が言った。気まずそうな顔をしている。

「……もしかして、今の話を聞いていたのか?」

「え? 何がですか?」

 本当に聞こえていなかったのか、とぼけているのか。なお美には、日菜子の表情から読み取ることはできなかった。

 だが、与謝野との会話を聞かれたかどうか、ということよりも、気になることがあった。明らかに日菜子の顔色が悪い。足元もふらついている。

「顔色が悪いけど、大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫です。そうそう、羽後さん、連絡先交換しましょう……」

 そう言いながら、携帯電話を手にしてなお美に近付いてくる。とりあえずなお美も携帯電話を取り出そうとしたが、

「えっ」

 気が付くと、日菜子の顔が目の前にあった。目が虚ろだ。抱きつかれた? いや、全体重を乗せて倒れ込んできた? 自分よりも背が高い少女を、なお美は支えきれない。

「日菜子!」

 与謝野の声が聞こえた時、なお美は体勢を崩し、そのまま日菜子と一緒に階段を転げ落ちていた。


「日菜子! おい、しっかりしろ!」

 与謝野の叫びでなお美は目を覚ました。ただでさえ体中が痛いのに、肩を揺すられるものだからたまらない。

「良かった、目が覚めたか。大丈夫なのか?」

 ホッとした表情の与謝野が見える。なお美は黙ってうなずいた。

(ええと、どうなったんだっけ? 日菜子ちゃんが倒れ込んできて……階段から落ちたのか)

 一瞬記憶が飛んでいたようだったが、すぐに思い出した。どうやら、自分は踊り場に仰向けに寝ているようだ。ゆっくりと体を起こす。

「おい、大丈夫か。まだ寝ていたほうが……」

 与謝野が心配そうに言う。なんだかなれなれしいな、と思った瞬間、あるはずの無いものが視界に飛び込んできた。

 自分の髪の毛が、胸元まで伸びている。なお美はボブカットである。何故、こんなところまで? いや、それだけではない。

(今着ている服もあたしのじゃない。でも見覚えがある。確かさっき日菜子ちゃんが着ていたものだ。それに、この手だって、違う。こんなに綺麗な手、あたしのじゃない)

 恐ろしい想像が頭に浮かんだが、確信は無かった。だが踊り場で横になっているもう一人の姿を見た瞬間、なお美は自分の想像が正しいのだと思い知った。

 横になったまま目を閉じているのは、紛れもなくなお美だった。自分の姿だ。忘れるはずがない。

(つまり、つまりあたしは、今……!)

 なお美は痛みをこらえて立ち上がり、全速力で階段を駆け上がった。与謝野が何か叫んだようだが、耳に入らなかった。

 階段を上がった先にある女子トイレに入り、手洗い場にある鏡を直視する。そこに映し出されたのは、両目をいつも以上に大きく見開いた長い黒髪の美少女だった。

(アニメや漫画で何度も見た展開じゃん、これ)

 その場にうずくまると、なお美は声を出さずにはいられなかった。

「人格入れ替わり……」

 その声は、32年間なお美が慣れ親しんだものではなかった。


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