CHANGE!!!! Naomi side(1)

 アイドル情報誌『FULL MOON』5月号の発売日が4月10日。話はその2ヶ月前、2月にまで遡る。


「はい、かんぱーい」

 小泉こいずみともがノンアルコールビールの缶を羽後なお美の目の前に差し出してきた。

「何に乾杯すんのよ」

「何だろう。何かないの、ウゴウゴ」

「別に、誕生日でもないし……ああ、あたしがフリーになって、丸3年かも」

「じゃあ、フリーに乾杯。おっ、これ見てよ、この缶。フリーって書いてある。まさにミラクルだね!」

「ともは元気だなあ」

 呆れながらなお美はチューハイの缶を手に取り、親友の持つ缶にコツンと当てた。コタツに足を突っ込み向かい合った二人の中間地点では、ガスコンロの上に置かれた鍋がグツグツと音を立てている。

「もういいかな」

 ともが鍋つかみを手に、そわそわしている。

「まだでしょう。落ち着きたまえ」

「そっかー。微妙に手持ちぶさたね。ツイッターにウゴウゴの家で鍋やってるって書いていい?」

「いいよ、別に」

「じゃ、書かせていただきます」

 そう言って、ともはスマートフォンをいじり出した。なお美はツイッターをやらないからよくわからないが、きっと数万人がとものツイートを目にすることになるのだろう。


 小泉ともは声優である。アニメでの主役経験は4回。音楽活動も行っており、アイドル的なポジションにいた。だが、結婚と妊娠を発表したうえで休養に入った。それから1年が経過し、育児に励みつつ仕事を再開した今、声優としての人気は落ち着いていた。

「今でもあんたを応援してくれている人たちこそ、本当のファンなんだろうねえ」

 なお美はしみじみと言った。

「何よいきなり」

 書き込みを終えたともが顔を上げる。

「でもまあ、今の生活に満足してるかな。ファンも仕事量も減ったけど、無いわけじゃないし。苦労はかけられるけれど子どもはかわいいし。旦那は理解あるし。授乳期間中はお酒が飲めないのが残念だけど」

「そうか、それでノンアルコールなんだ。今日、たっくんは?」

「旦那とお義母さんが見てくれてるよ」

「いい家族だなあ!」

「まあね」

 照れながらそう言ったともが、ノンアルコールビールに口をつける。

「旦那の仕事も休みだし、今日と明日くらい羽を伸ばして来いってさ」

「羽を伸ばす先があたしの家かい……」

「いいじゃない。落ち着くんだよね、この部屋」

 ともにそう言われ、なお美は自分の部屋を改めて観察した。部屋の中を多数の本棚が占拠している。本棚の中には大量の漫画本、文庫本、ゲームソフト、CD、そして台本。羽後なお美もまた、声優である。

 3年前まではともと別の声優事務所に所属していたが、現在はフリーで活動している。現在レギュラーで出演しているアニメは『プリンセス・サバイバー』1本のみ。それも3月いっぱいで終了する。4月からは新番組レギュラーの当ては無い。ゲスト出演や家庭用ゲームやスマートフォン用アプリ、ラジオ番組やインターネット番組への出演で食いつないでいる。

 仕事量のピークは5年ほど前だった。『魔法の歌姫 リズメロディ』で主役に抜擢されたことをきっかけに仕事が増え始め、毎クール2、3本は深夜アニメのメインキャラに起用されたし、朝や夕方に1年間放送される子供向けアニメのレギュラーを務めることも何度かあった。だが、声優業界の移り変わりは早い。後から後から若手が続々とデビューしてくる。事務所を辞めたこともあり、なお美の仕事量は劇的に減った。

 それでも、最も忙しかった時期に培ったものがあるからこそ、今でもフリーでやっていけているのだとなお美は考えている。少女役から母親役、少年役まで問題なく演じられる技術と、進行役も盛り上げ役もこなせるトーク能力、そして人脈。不安定ではあるものの、フリーになってから3年間、仕事が途切れることは無い。その点では、現状に満足していた。

 だが、プライベートはと言えば。

 なお美はチューハイを口にしながら、じっとともを見つめた。

「な、なに」

「同じ32歳なのに、この私生活の充実度の違いは何かなあ」

「いきなり絡み酒?」

 ともが呆れたような声を出した。

 軽やかに結婚し、鮮やかに第一線から退いたともと違い、なお美は独身である。恋人もいない。今は仕事が回って来るからいいが、5年後、10年後を考えると、不安で仕方が無い。心底、ともが羨ましくなる。

「いいよいいよ、今夜はとことん私に絡むがいいよ。お、もう食べてもいいんじゃない?」

 ともは努めて明るい声を出してくれる。貴重な休日をなお美のために使ってくれるのは、彼女なりに心配してくれているのだろう。親友への感謝の気持ちと、そんな彼女に妬みを覚える自分の器の小ささに、涙が出そうになる。

「よーし、食うか!」

 ごまかす様に元気な声で、なお美は鍋のフタを開けた。豆乳の匂いが部屋中に広がった。


 鍋を食べ終わると、ともはコタツに入ったまま寝転がってテレビを見ていた。まるで自分の家のようなくつろぎっぷりだな……などと思いながら、なお美はコタツを出て椅子に座り、パソコンを立ち上げる。

「何、どうしたの急に」

「メールチェックすんの。仕事用の奴ね。めったにオファーは来ないけど、毎日チェックするのを日課にしてるもんで」

「そうか、そういうことも自分でやらないといけないんだ。フリーは大変だねえ」

 ともは感心しているようだった。

 声優は通常、所属事務所を通してオーディションの情報を得たり、仕事のオファーを受けることになる。スケジュールの調整も事務所と相談しながら行う。だが、なお美のようにフリーの立場ではそういうわけにはいかない。情報収集も営業もスケジュール調整も、全て声優自身で行わざるを得ない。自由ではあるが、気が休まる時が無いのである。

「まあ、仕方ないね。自分で選んだ道だからね」

 なお美はディスプレイを見たままでそう言うと、メールソフトを起動した。ともが声をかけてくる。

「……そういえば、お正月は実家に帰ったの?」

「いきなり話変わるなあ」

 思わずともの方を見てしまう。ともは笑って、

「だって仕事の話ばかりしても仕方ないしさあ」

「へえへえ。実家には帰ったよ。帰ったけど、もう結婚しろ結婚しろばっかりですよ。言われなくてもしたいと思ってるってのにね」

 母の顔を思い出す。実家に帰っていたのは4日間だったが、毎日20回は言われたものだった。

「三十路で独身の娘を持つ親なら、そんなもんじゃない? どうなの、ウゴウゴ。いい人いないの?」

「いねーよ! ……あ、メール来てる」

 新着メールが1件あることに気が付き、なお美は件名を見た。


『シドプロダクションの与謝野よさのと申します』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る