【おまけ】『完全犯罪』

 ――私が初めて人を殺したのは、七つになる小学校一年生の年だった――

 

 入学して一週間は担任の先生が教室に居て、毎朝登校する児童達一人一人に挨拶をしてくれていた。学校に馴染むま新入生をを出迎えるというのがこの学校の方針だったのだろう。担任の先生が朝、職員室から教室に来る様になったのは入学して一週間ほど経過した辺りになるだろうか。

 いつもの様に登校した朝の事だった。

「お前小さいな。小さいやつは学校来たらあかんねんで?幼稚園に戻れや」

 第一声の「おはよう」を此方から言うよりも早く、一人の男子が教室に入った私の背後で威圧感のある声を掛けてきた事から始まる。

 瞬間、背中に鋭い衝撃を受けた。背後で声を掛けた男子以外にも二、三人の男子が居て、彼らは一斉に私の背をランドセル越しに突き押してきたのだ。

 生まれつき腎臓が悪かった私は身長が小さい上に体も細く、簡単に教室から廊下へ突き飛ばされてしまった。無様にも手を突くより早く頭から倒れてしまったのは、体より大きな新しいランドセルと、更に重たい教科書やノードが中に詰め込まれていた所為だろうか。 

 びたん

 という平たいものが落ちたような音が耳を掠めた。同時に、その衝撃でランドセルの金具が開き、まだ開いていない教科書やノート、下敷きにペンケースなどが私の頭にぶつかりながら辺りに散乱して派手な音を立てた。

 何が起きたのか分からずによろけながら立ち上がろうとした時、誰かに肩と足を掴まれた。その瞬間、背中に大きな痛みと衝撃が走った。

 痛みの涙で霞んだ中で見えたのは、歪んだ人の影が廊下に設置されてある傘立ての上から私をめがけて飛び蹴りを喰らわせる光景だった。

 それを皮切りに、一人の男子だけではなく何人もの男子が次々に交代して傘立から飛び蹴りを喰らわせた。まるで何かのアクション映画を見ているように、自分が攻撃を掛けられているという認識は余りなく、客観的に潤む涙のぼやけたスクリーンを眺めている。

 何が痛みで、何がつらいのかも麻痺してくる。そのうち、視界が幾度か狭くなり白い映画を見せられている不思議な感覚に抱かれていた。

 声を出そうかと思った時、ようやく肩やら脚を押さえつけていた手が離れた。が、膝まで立ち上がったタイミングで、後ろ手にされた儘ぐるぐると何かで体中を巻きつけられた。数人掛かりで、何処から持ち出してきたのかトイレットペーパーで幾重にも縛り付けてくる。

「怪人め。もう逃げられないぞ!」

 何かのヒーローものの特撮で聞いたような台詞が飛び交う。

 ……正義の味方がもしやってきたら、この男子たちと同じように私を攻撃してくるのだろうか……

 ふとそんな事を思うと不安になってきた。

 

 ……正義の味方って何だろう?

 誰の味方をしてるのだろう?

 怪人はみんなと違う形だから怪人なのかな?

 みんなと違う形をしたものは「悪い」人なのかな?

 みんなより背が小さくて、検校じゃない私は怪人なのかな?

 みんなが正義だから、私は怪人でやっつけられるのかな?

 やっつけられたらどうなるのかな?……

 

 正義の味方は現れなかった。だから答えは出ない儘だった。

 始業のチャイムが聞こえる。

 私は机の上に立って教室を見下ろしていた。

 さっきまで綺麗に並んでいた椅子や机は散乱して、その下や隙間を埋める様にクラスメイト達が倒れていた。彼らの白いシャツやブラウス、そして散らかった机や椅子、教科書にノート、赤いランドセル、黒いランドセル、床、壁…至る所には紅い飛沫が点々と舞い落ちていた。それはさっき校庭で見た満開の桜の花弁が地面を美しく染め上げている風と似ている。

 小さな私が机の上に立つと大きくなった気がした。まるで世界が違う。自分の目線より高い場所から見える風景はこれほど違うものなのか。

 正面の黒板には入学式から飾ってあるペーパーフラワーが飾られ、黒板の前の教卓から先生が此方を見ていた。

 私の手には大きな裁ちばさみが握られてあり、長い刃の根元から先まで赤いものがべっとり付着していた。尖った先端からはぽたり、ぽたりと滴が幾つも細い私の脚や足首を伝っていく。

 ……ああ、この生暖かいこの紅いものは何ていう名前なんだろう?……

「小学校では色々な事を教えてもらえる」

 両親は入学式の前にそう私に言った。

 小学校は、色々な事を教えてくれる場所…。何を教えてもらおうか、と考えていたけれど、この時、たくさん教えてもらいたい事が出来た。

 黒板の前に立つ先生はこちらを見ている。

 

 ……先生、「悪い」人は誰なんですか?

 私を最初に突きだした男子ですか?

 手足を抑えていたクラスメイトですか?

 みんなと違う私に「怪人」と言った男子ですか?

 みんなと違う体をした私ですか?

 みんなと違う人を「怪人」と呼ぶ世界ですか?

 傘立から「怪人」をやっつける為に飛び蹴りをしてきた男子ですか?

 トイレットペーパーでぐるぐるにしてきた女子ですか?

 怖い、と言って何もしない女子たちですか?

 やめろと言いながら何もしない男子たちですか?

 病気の体で生んだお母さんですか?

 妊娠中、お母さんに暴力をふるって私を殺そうとしたお父さんですか?

 鋏を作った職人さんですか?

 紅いものを作った体ですか?

 「怪人」をやっつけるヒーローですか?

 怪人は悪い人なのですか?

 悪い人は誰ですか?悪い人は誰ですか?悪い人は……

 紅いものは、何故最初は暖かいのに、空気に触れると冷たく固まるのですか?そしてこのぬめぬめしたものを何と呼ぶのですか?

 

 だけど先生は、黒板の前に立って私をじっと見つめているだけだった。


 二度目に人を殺したのはそれから七年後の、十四歳になる年で中学二年生の頃だった。 夏休み、音楽室で『親友になろう』と約束をしてくれた女子生徒が足元に転がっている。彼女の背には重たいグランドピアノの脚が突き落とされて、それは心臓まで届いている様だった。彼女の隣には白衣をまとった医者が倒れていた。彼もまたピアノの脚に貫かれていた。

「君の身長はもう伸びる事はない。身長だけではない。体のあらゆる部分は成長する事はない」

 私の身長は140cmも満たないところで止まってしまった。体の成長も止まってしまった。私の中の時計が全て止まってしまった。心臓は動いているし、血液も流れている。脳も働いている。でも時計は止まってしまったのだ。

 親友だと言ってくれた彼女にその事を告げると、まるで得体の知れぬものでも見る様な目で私を見てこう言った。

「かわいそうやけど、私には重いわ。親友というのも撤回するわ。ごめんやけど」

 ああ、私が「怪人」だから?

 親友宣言からわずか一週間後の事だった。

 足元に流れるのは二つの屍から流れる紅いもの。その頃の私はこれを「血」という名前だと知っていた。「血」は命を司るものだという事を。空気に触れると固まり冷たくなる。儚いもので命は繋がっているものだ。これが大量に外へ流れだすと死ぬ。

 からくりは簡単だった。

 人の体は簡単にできている。

 私は親友の冷たくなった細い手をとった。

「私にドビュッシーの『月の光』を弾いてくれたでしょう?親友でいられる最後の記念にもう一度聴かせて?」

 すっかり力が抜けた彼女の指先をピアノの鍵盤まで持ち上げた。

 鋭い不協和音の音。同時に、私の手の中で彼女の手首だけが残った。紅いものがそこから滴り、ピアノの白い鍵盤を染め上げていった。

 ……なんだ。もう親友じゃないから弾いてくれないのか……

 面白くない気持ちと一緒に、手に残った元「親友」の手首を、この体を何ともできずにいる担当医の背中へ乱暴に放り投げた。


 三度目に人を殺したのは十七歳になる年の高校二年の頃だった。

 私は身長が伸びない体になってしまった挙句、更に追い打ちをかける様に脳内の成長期が服用している薬と融合して独特な副作用が出てしまっていた。

 身長が伸びない分、体の形がいびつに歪んできたのだ。おまけに横にまで広がり始め、まさに思春期の女子にとって辛い副作用だった。

 とはいえ、食べる量は成長期の同じ年頃の女子が食べる半分も満たない。水を少し飲んだだけでも体重に反映されていった。

「見苦しいから部屋へ行っとけ。飯がまずくなる」

 ある家族が揃う日曜日の晩御飯時、父親は食卓に着くなり私に言った。

 テレビでは国民的アニメが放映されていた。

「何も出来ない、迷惑ばかり掛けるしみっともない子なんですよ」

 その年のお盆、親戚が集まっている面前で母親がそう言った。

「うっとおしいから傍に来るな」

 二つ年下の弟が、蒸し暑い夏の夜、テレビを見ていたらそう言ってきた。

 居間のテレビはまだ国民的アニメを映し出していた。

 居間に転がる屍は三体。

 父と、母と、弟が口から泡を吹いて仰向けに倒れていた。

 ……へえ。健康な人が私が飲んでいる薬を飲むとこうなるんだ……

 劇薬という表示が厳めしく赤く印字されたカプセルの入った袋を手に持って、私は屍の間に立っていた。ガラスのテーブルに美味しそうな色をしたオレンジジソーダが入ったグラスが三つ並ぶ。どれもほぼグラスの底まで飲まれていた。

 匂いを嗅いでみたけど薬剤らしい匂いはしなかった。カプセルはこんなに薬みたいな匂いがきついのに中身はそうではなかった。

 小さい頃から病院から与えられていた薬は、家族を殺す力があったらしい。人間の体なんて単純にできている。私みたいな体力のない人間が飲んでも死なないのに、検校な体の人間がたった数個の薬で死ぬのだ。気付いたら小さな声を立てて笑っていた。滑稽で仕方が無かったからだ。

 

 家族の屍を積み上げたそれ以降も人を殺し続けた。が、もはや何度目なんて数えるのも面倒になった。

 殺す相手は私にナイフを向けてきては傷を刻んでいく。深くえぐられた傷口からは赤く黒いものが吹き出してゆっくり私の皮膚を伝い地面に滴り落ちてゆく。私が殺されない為に相手を殺すのだ。

 それが悪だと呼ぶなら戦争をする国々とその歴史は悪だと呼ばれて決して学ぶべき課題ではないだろう。歴史とは常に勝者の『歴史』だからだ。

 沢山殺し、沢山の国土を略奪し侵略してきた時間の流れを学ぶ事だというなら、私がしている事もまた学ぶべき課題であり責めを受ける事ではない筈だ。

 そんな事を繰り返していたらある日、足場もない程に辺りはこれまで積み上げてきた屍に覆い尽くされてしまった。

小学校入学時、私をいじめたクラスメート達

口先だけの『親友』 私に命の宣告より辛い言葉を向けた挙げ句、何も出来ないと診断した医者

 副作用で体がいびつになってゆく私の姿を見て「みっともない」「気分が悪い」「迷惑だ」と投げつけた両親と弟、そして親戚や祖父母達

異質な怪物でも見るような目を向けたコンビニの店員

「うちは標準身長サイズの取扱いしかない」とせせら笑う洋服屋の女性店員

 わざわざ店の奥から追い出す為だけに出てきた店長らしき男性と、席まで案内しておきながらメニューはおろか水も出さなかったカフェの女性店員。私は普通にランチをとりたくて入ったただけなのに。

 とある雑貨屋で物色していたら、狭い店内でふざけ合っていた弾みで私にぶつかった挙げ句、謝りもせず「私より小さい」と大笑いした彼女と、「まじ人間に有り得ないサイズ」と一緒になって笑った彼氏 。

 それを見て見ぬフリをしながらもクスクス厭らしい笑いを漏らした客達…。

 そんな屍達を崩れた墓標の上からぼんやり眺めた。此処にはもう死体を置けなくなってしまったな…と思いながらそれらの一つに視線を向けた。

 屍達にはどれも共通して顔はあるが、目も口も鼻もない。そもそも見えていないし人と目を合わす事が苦手だからだろう。生まれつき腎臓以外に視力にも障害があって極度に見えないのも幸いしていた。

 空は相変わらずどんよりとした鉛色の雲と湿った空気が立ち込めて、血をたっぷりと染み込ませた赤黒い地面が広がっている。

 此処が駄目になったらもう何処にこれから屍を積み上げればいい?此処は誰にも見つけられなかった秘密の隠し場所なのに。屍は腐って地面に沈み、ふわふわとした土になっていく。

 肉食の虫達が腐った肉や骨に集まり、目の前に積み上げられているご馳走に喜んで喰らい付くのだ。虫だけではない。微生物達も食らいつく。ざわざわと虫達が喰らう音が耳の奥まで響き渡る。

「ごめん。もうお前たちに食べさせてあげる死体の置き場がなくなったからご馳走出来なくなった」物言わない虫達にそう呟いて詫びた。その内全ての屍を食い尽くした後、彼らもまた死んで冷たい土に沈む運命が待っているのだ。

 そんな事よりも、早く次の場所を探さなくては、と焦る。此処を見つけて初めて死体を置いてから二十年が来ようとしていた。

だけど此処以上の場所なんて見つからなかった。

 ……私の番だ……

 最後の屍は私だ。もうこの世界では生きられない。そもそも間違えて生まれてきたのだから元より居場所なんて無いのだ。それを理解しながら殺戮を繰り返す事で逃げてきたのかもしれない。

 目も口も鼻もない死体達が赤黒い土の中から、

「もう逃げられない。とうとうお前の番がやってきたのだ」

 と幻聴まで聞こえるようになった。誰にも知られずに続けてきた完全犯罪は私が死ぬ事で終結する。私が生きている事もまた罪なのだから。

大量の薬の粒がどんどんと私の体内へと流し込まれてゆく。次第に周囲の景色が狭くなっていった。不思議な幻聴、目がくらむような光が放たれたかと思うと闇が広がる空間、暑さも寒さも感じない。これが死ならなんて静かなんだろう。

「あんたは作文が上手いね。将来は文章を書く仕事をしたらいいかもしれんな」

頭の上に乗せられた大きな手。小一の時、クラス担任だった先生はいつもそう言って穏やかに笑っていた。

 ああ…思い出した。先生はあの時、廊下でぼろ雑巾みたいになった私の手を取り、ゆっくりと立たせて教室へ入れてくれた事。そして開口一番にクラスメート達に一喝した。

「なんやこれは!君らは何をしたんや!学校は勉強したり友達を作って助け合う事を学ぶ場所やのに、それが出来ないやつらは明日から学校なんか来なくてもいい!野蛮な人間は猛獣と一緒や!学校は動物園と違うぞ!」

 それまで幼稚園でやんわりとしか注意された事しかないクラスメート達は、男性教師の大喝に静まり返って震え上がった。私までその緊張感が伝わる。私は加害者ではないのに。「…この子は君らに何かしたんですか?」

 先の大喝とは対照的な穏やかな声にクラスメート達は漸く安心したのか一人の子が手を挙げた。

「だってこの子、小さいねんもん」

 それを皮きりに次々と手が挙がり、中には両手を挙げて当ててくれとばかり猛アタックする子までいた。

「小さいし声も小さいからいじめたんや」

「こいついじめたら面白いもん」

「怪人ごっこしたら楽しいねんもん」

「みんなで苛めても何も言わへんから」

「みんなで遊べて楽しいやん」

「小さい癖に学校来るのはおかしいから、みんなで幼稚園に帰るように言うただけ」

「そやのに帰らへんから苛められるんや。こいつが悪いねん」

「そや。顔の色も気持ち悪い。こいつばい菌やから移る」

 挙げられた意見は全て私に対する誹謗中傷ばかりだった。先生は始めこそ黙って聞いていたが、次第に怒りが湧いている様子が私には感じられていた。一人の子が手も挙げずに当然の権利のように喋り始めた。

「こいつ体弱いねん。顔も気持ち悪いから幼稚園でも…」

「やかましい!もうええ!」

 再び大喝が上がると言葉途中だったクラスメートは魔法に掛けられたように固まり石になった。

先生は静まり返った教室内を睨みつけた後、ゆっくりと背を向けて黒板に二つ空豆型の丸を左右に並べ、それぞれの丸から波線のような導線を描き、下に小さな丸を一つ描いて波線を二つ繋げた図を書いた。体を再び児童達に向けると先生は説明を始めた。

「これは腎臓といいます。腎臓は右、左と一個ずつ腰の辺りにあります。これは体の悪いものをおしっこにして出す準備をする場所で、おしっこが出来ると膀胱というお部屋にこの管を伝って流れます。膀胱におしっこが溜まると君らはトイレに走ります」

 それが面白いのかクスクスと声が教室内を掠めた。

「腎臓が悪くなると体から悪い毒が出ずにたまってしまいます。体に毒が溜まらないようにお外で遊んだり、おいしいものを食べたり出来なくなります。君らは想像出来ますか?大好きなおやつも、楽しいお外遊びも出来ない世界を。君らが遊んでいる時にこの子は痛い注射をされ、君らがおいしいおやつやご飯を食べている時は苦い薬を飲み、君らがお父さんやお母さんと過ごしている時、一人で病院のベッドに寝ていたのです。君らに想像が出来ますか?少し動くだけで熱が出て苦しい思いをしていた事を…そんなクラスのお

友達をみんなでよってたかって君らは暴力を振るい、ひどい言葉を言った上に悪いとも思わない。君らは人間やない。猛獣や。先生は小学校の先生やから動物園の飼育の人みたいには出来ません。学校は猛獣を飼育する場所ではない。君らが悪いと思わないなら教室から出て行きなさい」

 口調こそ穏やかだが、先生の体は怒りに震えていた。

 教室内はしんと静まり、次第にすすり泣きから大きな嗚咽に包まれた。

 鋏(はさみ)を手に、散乱している机の上から眺めたあの時の風景の中で先生だけが私を見ていたのは、先生だけは殺せなかったからだ。病気の為に土色をした私の肌に綺麗な赤い色が染め上げてゆく。だがそれはやがて消え、教室に転がるクラスメート達の屍は一つ、二つと煙になり全ての屍や机に椅子、黒板や教室が煙となって消えていった。先生と私だけが残り、私は手から挟みを落としていた。先生は唯、穏やかな表情を向けるとだけで何も言わない。夢を見ている。これは死ぬ前に見る最期の夢だ…。

 アラーム音がうるさい。手探りで音を止めて目を開くと見慣れた天井がまだぼんやりとした視界の中で瞬きをする度に揺れていた。携帯電話の目覚まし表示が仄明るい部屋で冷たい光を放つ。今日は深那堵に会える日だ。

 ああ…私は長い長い永遠とも思う程の長すぎる夢を見続けていた。私にとって生まれてから深那堵に出会うまでが幻実で、彼女と出会ってからやっとリアルな世界になった。彼女は私に一つの言葉をくれた。

「私はあなたが大切だ。あなたが生きている事が私には必要なんだ」

 と。

 その時、秘密の墓場に積み上げられていた屍の山が崩れ落ちる音がはっきりと聞こえた。何故こんな時に聞こえてきたのか分からない。

 私はその夜、秘密の墓場へ走った。もしかしたらあの屍の山が誰かに見られたのかもしれない、と…。

 もう足の踏み場もない程の屍の間を縫い、崩れ落ちた墓標の上にいつものように立って周りを見渡した。

 ――――っ!!

 思わず息を呑みこんだ。いや、もしかしたら何か叫び声を上げていたかもしれない。

 眼下に広がる光景は常と同じ。屍の山と彼らの血を吸い込んだ赤黒い土。だが何か可笑しい。ふと、屍の一つに視線を向けてみる。

 目も口も鼻もない屍たち。だがそれは古い汚れた裸体の人形の姿に変わっていた。

 見間違いだ、そう思い別の屍へ視線を向けてみた。そるとその屍もまた、古い汚れた裸体の人形へと変わっていた。

 辺りに漂う空気は冷たく、空は鉛色のまま。眼下に広がる屍たちはやがて全てが人形へと変わっていった。

 ……馬鹿な!ありえない…・・!

 私はどうしても信じられなくて、いや、信じたくなかったのだろう。急いで墓標から飛び降り、一つの屍の頭を乱暴に掴みあげた。

 目も、鼻も、口もない人形…だが、じっと見つめているとその顔に目と鼻と口が浮き上がってきた。私は手を離さず暫くその変化に見入った。が、次の瞬間…、

 ――――っ!!

 今度こそ大きな悲鳴を上げた。自分の発した声に耳がつんざく程の声…。

 屍から手を離すとその恐怖に思わず後退りした。が、すぐにまた屍の人形に脚を取られる。その勢いで前のめりに転倒し、別の屍と目が合った。また悲鳴を上げたが、それは声にならなかった。

 恐る恐る立ち上がり、今度はゆっくりと足元に転がる幾つもの屍の顔を見て回った。同じ顔の人形がいくつもいくつも転がっている。

 古い汚れた裸体の人形、人形、人形、人形…。

「……私が居る。私が死んでいる。私が…」

 その時、鉛色の空に大きな亀裂が走る鋭い音がした。空は割れて、ガラスが崩れ落ちる様にがしゃがしゃと冷たい音を立てた。その冷たい刃編が氷の矢の様に、幾つも転がる『私』の屍の上に落ちて行く。

「……思い…出した」

 誰に言うでなく呟いた。 

 そうだ。あの時、入学式間もないあの日、クラスメート達の理不尽な苛めにあった時、殺したのはクラスメートだった?

 成長が止まると宣告した医者、親友宣言までしてその事を伝えると掌を返す様な態度をとった元親友、「みっともない」「迷惑ばかり掛ける」とどうしようもない薬剤の副作用でいびつになっていく私をなじる両親を…この手で殺したのではなかったのか?

「……違う。殺したのは彼らじゃない…私自身だ!私が私を何度も殺した。何度も…」

 秘密の墓場なんて始めからなかったのだ。そんな事をしなくても完全犯罪は成立していた。当然だ。秘密の墓場は実際に存在せず、殺したのは自分自身だったのだから。

 悔しさと、現実を見てしまった哀しさと、殺してきた自分の屍への怒りと…複雑な気持ちが入交り幾筋もの涙が頬を伝う。

 ふと顔を上げれば、割れた空の間から蒼い空が見えた。風が髪から頬、首筋へと吹き抜けていく。

 ……ああ、これが『現実(リアル)』だ。やっと『現実(リアル)』に生きていける……

 これまで生きてきた世界は『幻実(バーチャル)』だったのかもしれない。私は私を殺す事で身を護っていたんだ…。

 

 夏の夕暮れはひぐらしの声が心地良い。ふと見上げた深那堵の顔が茜色に染まっていた。私の顔もきっと同じ色に染められているなら、きっとこれからも彼女と共に生きていくだろう。

 『現実(リアル)』な世界を……。


――『完全犯罪』 【完】

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『おばあちゃんがパソコンを買いました』 あふひ みわ @miwa140cm

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