その12

  おばあちゃんのパソコン教室は九月から十二月の三か月コースだった。最終課程の年賀状も無事に作成して有終の美を飾った…訳でもなく、最初から最後まで結局パソコン教室で学んだ事はほとんどおばあちゃんの頭にも心にも刻まれる事なく修了となった。

 思えば、この三か月の間、何かにつけ呼び出されては『出張サービス』をさせられていたが、どう考えてみてもおばあちゃんが何故パソコン教室へ行こうと思ったのか分からない。そもそもパソコン教室が始まる前にパソコンを張り切って購入した割には、買った当日から後悔の色をにじませていたのだから。

 そして案の定、パソコン教室へ通わなくなると、更におばあちゃんがパソコンに触れる時間は短くなる。

 以前なら、授業があった日にはパソコンを開いていた。つまり週一回~二回は開いていた事になるのだが、教室が終わってからというもの週に一度どころか、二週間に一度、或いは一か月に二度、程度の頻度にまで減ってしまったのである。

 そもそもパソコン教室で教わった事はあまり理解出来ていない上に、肝心の教室はあまり大事な事は教えていないっぽい…。理解していたら積極的にパソコンにも触れるというものだろう。なんとも切ない話だ。パソ子だって自分を選んだのは主なのに、家に迎えられたその日から厄介者を見る様な態度で接しられて、さぞや居心地も悪かろう、と思う。

 折角パソコンを買ったのだし、教室にも通っていたのだから出来るだけ便利に使わせてあげたいな、と思うのが孫心というものだ。

 そこで、書店へ出かけた際、超初心者用のパソコンお助け本を探してみる事にした。本当は口コミ情報などで下調べをしてから探そうかと思っていたのだが、ネット上での口コミというものは時に信憑性に欠ける事がある。

 殊に『パソコン初心者』対象のものについてはかなり眉つばものな噂が飛び交っていた。それと、初心者と一口で言っても年齢や性別などでかなりパソコンの捉え方が違うので、万人にお勧めな初心者用お助け本、というものはなかなかネットの情報のみでは探す事が出来ない。

 うちのおばあちゃみたいに、とにかくパソコンに触れる事じたい消極的で、教室ではあまり重要な事を教わっていないなら尚更、それこそ『猿でもわかる』程咀嚼して噛み砕いてどろどろのペースト状にした、分かりやすい文章や図解で書かれてある内容のお助け本が必須なのだ。

 とはいえ、あまりこの手の書籍を見る事などない私にとって『パソコンコーナー』という棚はどうも動きにくい。その種類の多さにまず驚いた。

 中でもやたら『初心者向け』を強調するタイトルのものが多く、『これ一冊あれば完璧!』とか、『超初心者さんもこれで安心!』とかやたら煽る煽る…。

 それらの表紙を見て、よさげなものを適当にページを繰ってみる。確かに解り易い。が、それは私がパソコンに慣れているから『解り易い』と感じるのであって実際におばあちゃんがこれを手にしたら、さて理解が出来るだろうか?と気が引けてしまう。というのも、一般的にパソコンに慣れた人が当たり前に思っている事が、おばあちゃんには油虫のまじないの様な、そこはかとなく訳の分からない世界なのだから。

 例えば、先にも触れたメールについてもそうだ。添付の印が付いているだけで開く事をしない。発信者も確認せず、とにかく削除する。中にはプロバイダーやら通信関連のお知らせなども配信される事もあってそっちの方がやばいんじゃないのか?とさえ思う。

 また、おばあちゃんは文字を打つ時にはローマ字ではなくかな変換で打っているのだが、シフトキーの使い方がよくわかっていない。

 あと、MP(メディアプレイヤー)も使えない。勿論、画像や音楽などファイルに入れて開くなどという事も出来ない。し、多分『ファイル』と言われても何のこっちゃ意味が分からないだろう。

 そのくせ私に、『(デジカメで撮影した)画像を送って』と言うのだ。画像は添付ファイルとして送信されるのに…。結局開かずに内容すら読まれる事なく捨てられる始末。

 何度も言うが、これらはパソコン教室で詳しく教えていない。否、勿論概要は教えているのだろうが、きちんと理解するまで教えてくれる事はないようだった。

 それだけにお助け本は、真剣に『お助け』してくれなければ困るのだ。

 と、見本用である一冊のお助け本を見つけた。ページを喰って中身を見ると細かい図解、そして解り易い文章、章分けもうまくまとまっていて見やすい。最後のさくいんも丁寧だ。

 ……よし!これにしよう……

 と、早速棚へ手を伸ばした。が…その本はどうやら一番上の棚にあるらしい。

「く…と、届かん」

 それでも指先を伸ばしたり背伸びをしたりして何とかターゲットを得ようと頑張ってみる。が、指先が少し付くと更に奥へと押さえてしまった!

「…くう」

 ふと周りを見れば買いもしないくせに立ち読みをしている輩が、なんとなく此方に気付いてはちら見して再び立ち読みに専念していた。

 ……買いもしないならちょっとは手伝えよ!その為の身長やろう!ぼけー……!

 と、やばい悪態は心の中だけで突いて、志方なく店員に頼む事にした。

 店員に頼む…これは賭けなのだ。良識のある店員さんなら出来るだけ綺麗な状態の商品を探してくれるが、無神経な店員だと明らかに立ち読み済みの少しくたばった商品を兵器で取り出してくるからだ。

 さて、この店員はどうか…。

「こちらで宜しいでしょうか?」

 手渡されたのは綺麗なものだった。ああ、良い店員さんに当たって幸運だ。

「こちらはwindows8になりますが、宜しいでしょうか?」

「え?見本では7になっていますけど…7は無いのでしょうか?

「ああ…申し訳ないのですが生憎売り切れておりまして…」

「…そ…うですか」

 ――ちーん。

 解り易い本、良識のある店員さんに当たったというのに。だが本のタイトルは分かったので帰宅したらアマゾンで注文すばよい。

 それにしても、身長のある人には自分より低い位置というものが見えていないのだろうか。誰一人として苦戦している私を助けてくれる人はいなかった。まあ、別にこれが初めてではない。それなら自分から声を掛ければいいだろう、と思われる方もいるだろうが、それは幾度も経験済みだ。その経験則で自分から声を掛ける事は避けたいと願うこの現状をお分かりだろうか?

 助けを求めて声を掛けたところで、面倒臭そうに上から一瞥し、あまつさえ舌打ちをする輩もいるのだ。露骨に嫌そうな顔を向けてくる人や無言で一番前のくたびれた本を手渡す人もいる。男性でも女性でも、大抵綺麗に着飾っている一見、『立派に見える』人ほど内面は全く立派ではない人が多いから始末が悪い。どんなに着飾ってはいてもあんたの心根はう○こ以下だと言いたくなる。臭くて近付きたくない。

 それでもそういう人間ばかりではないので、一応は声を掛けられる雰囲気なら掛けてはみるが、凡その経験則で声を掛けた瞬間に向けられる表情や口調などで臭いの程が分かるというものだ。

 因みに、別に服装が立派でなくとも乱れた服装な人も心根も乱れている事もあるから世の中分からない。そういう人に限って『人を見かけで判断するな』などとおぬかし…い、いや仰られるのだが、それは本人が決める事では無く回りが評する事だ、と思う。

 そもそも『見掛けで判断するな』とは、本人に責任の無い部分で不当な立場にさせられたり差別や侮蔑を受ける者に対して使われる言葉だ。

 例えば、強面の人が悪気も無いのに悪人と評されたり、明らかに弱者に見える人を蔑んだり…そういう人に対して使う言葉なのだから、好き好んで強面に見せたり、強がってえばったりする人に対して『見た目で判断するな』と当人が言うのは全く見当違いも甚だしい。

 …つい一人で熱くなってしまったので家が燃えない内に進めます…。

 まあ、そんな訳で帰宅し早速安心のアマゾンへアクセスし、目星のお助け本を検索してみた。そしたら…。

 在庫なし、という冷たい表示が出た。

 これはもう諦めよう。きっとこれを良かれと思っておばあちゃんに手渡したとしても目を通す事もしないかもしれない。いや、そもそもパソコン教室へ通っている時ですら、おさらい程度にしかパソコンに触れていなかったのだし、きっとどんなに解り易く解説されたお助け本を手にしたところで無用となるのは火を見るより明らかだ。

 そう思うと一気に冷めてしまい、なんとなくパソコンの前でがくりと頭を垂れた。

 ……ああ、あの書店で周りに居た立ち読み軍団の冷たい視線や、必死に手を伸ばしていた私は何だったんだろう……

 その時、ふと直感した。

 おばあちゃんのパソコンはじきに私の手に渡る事になるかもしれない…と。


 わかったこと

 『パソコンは触れなければ意味がない。解説書はその手引きのようなものだ』

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