その10

  おばあちゃんと行くディズニーリゾートツアーから戻って数日が経過した。

 私は平日のオフ日を利用して一人で都心に出掛けた。平日の街は休日とは違い、人の動きがきびきびとしている。仕事で街を歩く人が多いのだろう。目的を持っている。真っ直ぐ目的地だけ目指して人は闊歩するのだ。

 休日より人波が少ないとはいえやはり都心ともなればそれなりな人通りはある。そんな中で上手く歩くのには少しコツがいるのだ。

 休日は人が多くても目的がある訳でなく、動きも平日と比べればのんびりしている。だから意外と歩きやすい。が、平日は陣群の間を縫って、いかに人と接触せず互いに触れる事なく行き交わせるかが大きなポイントになるのだ。

 人並み、或いはそれ以上の高さがあればあまり問題ではない。ある程度先が見えているからだ。ところが高さに乏しい私は先が見えない。前を歩く人、その前を歩く人、前は勿論、横も後ろも高さのある人柱だらけで、その間をくねくねと器用にすり抜けて行く必要がある。勿論、それが今に始まった訳ではないので、知らぬ間に会得した技術だ。考えてみればいつから取得した技なのか…。

 私の仕事は通信業でシフト制だ。だから休みが平日になる事もある。

 

 ある日、おばあちゃんから例の如く電話が掛かってきた。

「今度、パソコン教室で年賀状を作る事になってん。それで、なんやらいう記録するやつを持って行かなあかんねん。分からんから買ってきて」

 と、これまた大雑把な上になぞなぞみたいな事を言ってくる。多分、メモリーするものの事を言っているのだろう、と思いながらも後日、実家を訪ねて詳しく話を聞いた。

「記録するやつって、どんなんか見せてもらったん?」

「分からん。プリントもらったからそれ見て」

 渡された紙にはこう記されてあった。

『USBメモリースティック』

 …と。

「…分かった。そしたら今度の月曜日に買いに行こう」

 プリントを返しながらおばあちゃんに言うと、怪訝な表情が返ってきた。

「よう分からんから行かへん。あんたが詳しいねんから買ってきて」

「え?でも実際にお店へ行って使い方とか聞いたり、パソコン周辺の機器を見るのも勉強になるかもしれへんで?」

「そんなん別にいいねん。どうせ使わへんねんから。とにかく教室に持って行かなあかんから用意だけはしとかんとあかんねん。そんなん何処で売ってるか分からんし」

「何処でって…パソコンを買った店みたいな大型家電量販店のパソコンコーナーなんかに置いてるわ」

 なんとか説き伏せてお店へ脚を運ばせようとしたのは、矢張り折角パソコン教室に通っているのだから興味を持ってもらいたい、と思ったからだ。

 だが…

「とにかく買ってきて。いくらくらいするんか知らんから、とりあえずこれだけ。はい」

 はい、と手渡されたのは気の早い『お年玉』と書かれた可愛いポチ袋だった。中身は一万円入がっていた。

「いや、こんなにせんから。半分でもおつりがくるわ」

「電車賃やらお昼やら掛かるやろうし、行ってもらうんやからかまへん。とにかくこれで買ってきて」

 もう一度、駄目元で「一緒に行かへんの?」と誘ってみたが渡すものを渡してお任せモードになったのか、聞く耳持たずに「とにかく買ってきて」の一点張りだった。

 さて…これを買うのはいいとして教室で使い方を習った後、再び利用される事などあるだろうか…。

 

 そんな訳で仕方なく一人で平日の、それも月曜日という平日仕事の人にとっては非常にアンニュイな気分漂う午後、都心のスクランブル交差点に居る。

 平日仕事というのは日曜日の夕方からアンニュイな気分にさせられるのだろう。

 私は幸い…というか土日、祝が休みという仕事に関わった事がないのでその気分たるや学生時代で終わっているのだが、社会に何の責任も伴わない学生という身分でさえ、日曜日のサザエさんがエンディングを迎える頃にはかなりアンニュイな気分に陥ったものだ。オープニングでサザエさんが、魚を咥えたどら猫を追いかける辺りはまだ余裕で見ていられるのだが、大きな空を眺めたり、愉快にみんなの声が聞こえる頃にはどんよりとした気分になっていた。

「ああ、明日からまた学校が始まるなあ…。あ、明日は数学で当てられる日か…ああ、知らん顔して次の週末にワープしたい」

 そんな事を考えては溜息を吐いた経験のある人は私だけではない筈だ。そしてまた何故だか月曜日というのは苦手な科目が固まっている事が多い。月曜日が更ににブルーになる要因は時間割も大きく影響していたと思う。

 平日が仕事の人は、月曜日というのは顧客も月曜日から動くだろうから週明けの忙しさや、面倒な処理が重なったりでよりブルー度が学生の頃よりも増すものだろうな、と思う。

 あれ?でも何故か区役所だの市役所だののお役所にはあまり同情が沸かないのは何故だろう?時折用事で訊ねると声を掛けても誰も応対に出ず、目の前に居る人ですら知らん顔をしていたり、最悪なのは奥へ目をやると雑談をしたり仕事をしているのか、遊んでいるのか分からないような人が多く見られるのは、そんな人を沢山見てきたという経験則からかもしれない。

 …勿論、真面目に働いておられる方もいらっしゃるのでしょうが。意見には個人差があります。

 まあそんな訳で、しゃきしゃき歩く人が多く、器用にぶつかる事なくすり抜けながらアンニュイな空気に包まれる月曜日の雑踏の中、目的のお店へ向かう。

 平日のお店というのは空いている。早速パソコンコーナーを目指した。

 一階はスマートフォンやらそれ関連のグッズなどが販売されていてそれなりに賑やかだが、四階パソコンコーナーはちらほら、としか人が居ない。その客層を見れば休日とは違い一人で来ている人ばかりだ。それもパソコンが服を着ている様な、どうかするとパソコンを自作できそうな雰囲気の人が多い。自分も一人で来ている訳だが、決してそこまで熟練された知識もなければ頭脳もない。彼らの中であれば私など、大分水準の低いパソコンスキルになるだろう。

 買うものは決まっているが、ついずらりと並んだ新型のパソコンやプリンター、デジカメなどを物色してしまう。勿論買う宛てもないのだが、見るだけでも結構楽しいのだ。

「今日は。何かお探しですか?」

 なんとなくフロア内をうろついていると、背後から愛想の良い女性店員さんの声が聞こえた。

「あ、どうも。いえ、USBメモリーを買いに来たのですが、ちょっと他のものも面白いので見て回ってます」

 と愛想よく此方も応え、ふと顔を上げると、何やら複雑な表情を浮かべている。

「御一人でお越しですか?」

 普通、買い物客に連れが居るかどうか聞くだろうか?複雑な表情を浮かべながらも笑顔を絶やさない女性店員に此方も笑顔で、

「はい。今日はお休みですから一人ですが…」

 と答えてみる。益々複雑な表情を向ける店員。彼女の心中は最初に声を掛けてきた時から凡そ悟っていた。

「子供が一人で、それも月曜日の昼間にどう対処すればいいのかこんな店に来ている」

 そう思っているであろう事はこちとらお見通しである。此処でざっくりと大岡裁き宜しく大見得を切って見せようか、

「そなたはこの私を見て、わらべが何故に平日のこの時間帯にこの様な店をうろついているのか、と怪訝に思ったであろう?そうであろう!愚かな…己の目は姿形に惑わされている事を恥じるがよいわ!」

 …と、いうドラマのワンシーンは心のスクリーンのみで映し出し、それとなく「こちとら社会人やってますよ。貴女の勘違いなのですよ」と促してその場をなんとなく離れた。 

 なんとなく離れる、というのは重要で、店員さんも立場上、お客を子供と間違えてしまった、という非礼に対してどう対処するか戸惑うだろうし、私も詫びられたところでどう対処すれがいいのか分からない。お互いに気まずい空気にならない様にする私なりの配慮だ。いや…逃げ道、というべきか。

 そんな事もありつつ、ようやくUSBメモリーを購入した。購入時間は三分以内。店内をうろついた時間は一時間弱だった。

 店から出ると一気に何か変な疲れが押し寄せてくる。

 ……ああ、さっさと買うものだけ買って店を出ればよかった……

その後、近くのファストフード店へ入りランチをとった。

本当はオムライスとか、バランス良くおかずが盛られた定食とか食べたいところだが、あるトラウマがあってどうしてもファストフード店以外の飲食店に一人で入る事が出来ないのだ

 今思い出しても切ない話である…。

 

 それは何年か前に遡る。

 初めて一人でランチをとる事になり、一軒のカフェへ入った時の事だ。

 何せ一人で飲食店に入るのはファストフード店以外では初めての経験で、少し緊張していた所為もあったのだと思う。店内に入るとどこでもそうだが、店員の「いらっしゃいませ」と言う声に出迎えられる…筈だった。

「いらっしゃいま…っ…」

 ま、で止まった儘、まるで店員と私の間に時空の歪みが生じたような変な空気が流れた。とりあえず席まで案内してもらったものの注文をとりに来たのは、店員とは雰囲気の違うスーツをきちんと着こなした、なんというか…明らかにマネージャークラスの男性店員だった。

「ご注文は?」

 丁寧な物腰ではあるものの、その言葉の内に含まれた『気』は何処か威圧感すら与える。もしかするとランチ時で人手が足りない時に来てしまったのか?とふと思ったが、時間は一時を過ぎていたし、ランチタイムはひとまず落ち着いて客も込んでいる風ではなかった。

 とりあえず注文をした後、鞄の中から文庫本を取り出して開こう、とした時、何気なく店内へ視線を向けるでなく視界に入ったのは、先程「いらっしゃい、ま」で言葉を詰まらせた『ま』詰まり女の店員が物陰から此方をじ、っと見つめては先程注文を取りに来たスーツ姿のマネージャーらしき男の店員に何やら耳打ちの様な事をしている様子だった。

 ……何かマズイ事でもしたのだろうか……?

 あれこれ考えていると、耳打ちが終わり手が空いたのだろう。先程のマネージャー風の男性店員が再びやってきた。…手ぶらで。

 ……おや?もしや注文したメニューは売り切れか?……

「お客様…失礼ですが御一人ですか?」

 人数は入店早々に『ま』詰まり女に聞かれたのだが…。

「一人ですが…」

 一人の入店は断る店なのか?と瞬時に周囲の客を見渡す。が、その八割がたが一人客だった。それも女性がほとんどだ。平日だからだろう。それにしても相変わらず丁寧な物腰で訊ねてくる言葉にも先程と同じく、いや先程以上の威圧感を感じるのは何故だろうか? 

 何か変だ。他の客と扱いが違う。変なVIP対応だ。丁寧だが威圧感に満ちている対応…ある意味貴重な体験だ。が、流石に私もそれとなく察した。

 ……『ま』詰まり女も、威圧マネージャーも私を一般客として見ていない……

 と。

 そう理解するや居たたまれなくなり席を立った。それも無言で立ったかもしれない。言葉を交わす事すら怖くなった。

 此処にはいられない、そう思ったのは、周囲の客まで何か雰囲気を察したのか此方へ視線を向けてくるのが分かったからだ。

 空腹よりも何ともいえぬ気持ちの儘店から退却した。今にして思えば人権の侵害も甚だしい。見た目で、それも本人には全く責任の無いところで尋問まがいな行為をされた挙句、入店拒否、とはいかないまでも、「ちゃんと金を払ってくれるのか?」という雰囲気を醸し出していた。恐らく、彼らには140㎝に満たない身長と容姿という珍獣っぷりが一般客とは逸していると捉えたからだろう。

 以来、それがトラウマとなり一般的な、大学生でも入れる様なカジュアルなカフェすら一人で入る事が出来なくなってしまった。もういい大人である年齢となった今でもそれは変わらない。だから量販店から出た後のランチはハンバーガーに収まるのだ。

 ファストフード店を出た後再び電車に乗り、実家へ向かった。翌日がパソコン教室の日だったからである。

 それにしても、もし私の休みが次のパソコン教室に間に合わなかったらどうするつもりだったのか。

 その時は恐らく、USBメモリーはネットで買う事にな…ってはいないか。やっぱり。それが出来るくらいならおばあちゃん一人で買いに行けるだろうから。


 わかったこと

 『愛想よく声を掛けてくる人間には気を付けろ』


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