まめ宮ナツの転校

 「遅刻、ちこくー!」彼女はガラス板を口に咥えながら、その交差点に飛び込んだ。そして直角に入ってきた、男子とぶつかってガラスを粉砕しながら転んだのである。

 「うぎゃああああああああっ!」

 彼女はガラスで口蓋や唇をずたずたに切り裂いて、その血風を一帯にうち撒いた。男子もまた転んだが、彼の目線は彼女のめくれたスカートからあらわになったパンティに釘付けになっていた。パンティはまき散った血を受けて赤く染まっていた。それはのちに『死神の赤パン』として伝説となり恐れられるものであったが、このときの彼女にとっては恥辱であり、汚辱でしかなかった。

 彼女は激情のほとばしりとともに男子を睨みつけた。だが男子は童貞で(なにはともあれこの事件は彼を宿命的に童貞足らしめるのである)、その血が事故のせいなのか、月のもののせいなのか、それとも破瓜のせいなのかが分からなかった。ひょっとして最悪、我々は、少しだけ余計に交わってしまったのかもしれない! そう思った男子は血相を変え、この責任を取るための将来設計を必死に計算しはじめた。

 「てめえ!」彼女が立ち上がり、男子の顔面を蹴り飛ばした。男子はひっくり返りながら、ああ、ボオッとしていたからボオッとしているように見えたんだ、そう思ってスッと立ち上がり、彼女に一歩近づいて、抱きしめた。

 「責任は取るから!」柔らかくて温かいからだ、血の臭いにまじって髪の甘い香りがつたわり、贖罪の意識にとどまらず慈しみ、愛おしさが生まれた。男子はよりいっそう強く抱きしめた。

 彼女は膝蹴りで金的を打撃し、男子が苦悶した一瞬に拘束を解き、顔面にワン・ツーを叩き込んでからのラリアットで吹っ飛ばした。

 「この子、できる……?」男子は転がりながら思った。

 「変態やろう、死ね! ゴミ! カス! クレイジー! マザファッカー!」そう叫んでから走り去っていく彼女。男子はただ呆然と見送る事しかできなかった。


 男子が学校につくと、顔の怪我を皆に驚かれた。

 「野見山、一体どうしたんだ、その怪我は!」

 「交差点でぶつかって、怪我をさせてしまった女の子に殴られたり蹴られたりしたのだよ」彼は言った。

 「黙らせる事はできなかったのか?」

 「どうやら僕は力不足だったらしい。気持ちが伝わらなかったようだ……」

 皆が驚く理由は、怪我のひどさだけではなかった。野見山は体操の授業では学年でもトップクラスの成績の者だった。だから路上での喧嘩で負けることは、まず考えられないことであった。

 ここはネオ海軍兵学校。名の通り、海軍のための学校だ。ただし、兵卒を作る学校ではなく、士官養成学校である。受験において一高、三高と並ぶか、それ以上と称されるほどの超難関校であるが、体操も不可欠の教科と見なされているのでモヤシでは学業がつとまらない。ゆくゆくいくら高官になるとあれ、現場で軍艦に乗るとなれば、何かの拍子に海に放り出される事はあり得るのだ。その時のための水泳や基礎体力の素養は命に関わる能力となる。

 鐘が鳴り、先生が来て教壇に上がった。

 「今日は転校生が来る。入ってきたまえ」

 促されて、彼女は入ってきた。学校では非常に珍しい女子に、皆はざわついた。

 「初めまして! ネオ陸軍士官学校から来た、まめ宮ナツっていいます! なっつって呼んでね!」彼女はまだ傷のふさがらない唇から血をダラダラ流しながら、元気よくそう言った。野見山は今朝の情景との一致を見て、思わずアッと叫んだ。

 「あーーーーーーーっ! 今朝の変態!」まめ宮が怒号を響かせた。

 教室がどよつく。「どういうことだ、野見山!」先生が疑惑の目で睨む。「いきなり抱きついてきたんです!」まめ宮は言った。「違う、誤解だ! 俺は責任を取ろうと、結婚する意志を示しただけだ!」

 それを聞いて、教室の男子たちは沸き立った。「結婚だって?」「転校初日からお熱いことだな!」「これが運命の出会いでなくてなんであろうか!」「式には呼んでくれよ!」

 「そういうわけで、もう一度、僕が責任を取るチャンスをくれ!」野見山は進み出た。

 「寄るな! サノバビッチ!」まめ宮は黒板に置かれたチョークを掴んで思いきり投げた。それは野見山をそれて、隣に座っていた男子の脳天を貫いた。

 「やめろ! 生徒同士での殺し合いは校則違反だ!」先生はまめ宮の右手をもぎ取った。

 「うがああああああああ!」

 「すまない、こうするしかなかった……しかし、君がネオ陸軍士官学校を退学になった理由、よく分かる気がする……」

 「先生! でも私、士官になりたい気持ちは本当なんです!」まめ宮はすがった。「私、かっとなったら暴力に頼りがちだけれど、指揮官としてならうまくやれる自信があるし、なにより役に立ちたいんです!」

 「その気持ち、真実なのもまたよく分かる。だから私は他の教師を説得して転校を許可させたのだ……。私の立場も考え、問題は起こさぬようにな」先生は言った。

 「はい! がんばります!」

 「素晴らしい!」野見山は感激のあまりバイブした。「高い理想、高潔な精神、飽くなき努力……もう、贖罪などという言い訳はやめだ! お前が好きだ! どうか添え遂げさせてくれ!」そう言ってダイブする。

 「テメェは寄るなー!」まめ宮は正拳突きを放ち、飛びかかってくる野見山の腹をぶち抜いた。

 「ぶぼおっ……」野見山は串刺し状態のままがっくりと力が抜ける。

 「そ、そんな……」まめ宮の眼に涙がじわわと浮かんだ。「さっき誓ったばっかりなのに……もう校則やぶっちゃった」

 「殺したか……言い訳できんな」先生も愕然としていた。

 「陸軍も海軍も駄目になったら、私、どこに行けばいいの……」まめ宮はめそめそ泣きはじめた。

 教室全体も、残念なムードに包まれていた。

 (まめ宮さん……)

 「え?」

 (僕の声が聞こえるだろう?)

 まめ宮は辺りを見回した。しかし、喋っている者はいない。そして野見山はもう動いてはいないのだ。

 (そうじゃない。僕の精神は、死にそうな瞬間、君の中に伝わって逃げたんだ。今は君の中から、君の脳に直接語りかけている)

 「え……そ、そうなんだ」

 「おお、危機一髪だったか」先生は言った。

 「周りにも聞こえるのか」まめ宮は戸惑いながら言った。

 (僕が精神まで死んだら、君は退学になってしまう。今後士官になってからも、同胞殺しってことになったらば不名誉だ)

 「ってことは……」

 (僕は、君の中で、生き続けるよ)

 「嫌アアアアアアアアアアアアアア!」

 まめ宮は頭を抱えて崩れたが、先生も同級生も、何だかうまく収まったムードになってほがらかだった。

 「野見山をよろしく頼むよ、まめ宮」先生は彼女の肩を抱いた。

 「ふえぇ……転校初日から最悪なことになっちゃったよぉ……」まめ宮はくちゃくちゃになりながら言った。

 

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